コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

生まれたての小鹿、採血と戦う

 今回は最近の出来事について雑に書きます。

 

 血が苦手だ。血の話をされると体から力が抜けてしまう。血の気が引いて体が冷たくなっていくのが分かる。

 この体質は普段の生活に関してはあまり悪い影響を及ぼさない。しかし、我々はどうしても血と向き合わなければならない時がやってくる。

 例えば免許を取るときに、3時間くらい応急救護の講義を受けることになる。Radioheadのセカンドアルバムにいたあいつに口づけをしたり押したりすることになる。その中で止血法という話があった。頭では考えないようにしていても、帰って鮮明になってしまうのが人間の弱いところである。体の力が抜け、気分が悪くなり、生まれたての小鹿みたいになってしまった。「生まれたての小鹿」という表現はよく使われるが、実際に生まれたての小鹿を見た人は少ないだろう。近所に生まれたての小鹿を見せる施設がほとんどないことが原因である。ラーメン屋を多く作る余裕があるのなら、生まれたての小鹿を見せる施設の1つを作ってもいいのではないだろうか。

 また、献血という単語にも弱い。血を抜かれることはかなり恐ろしい行為だと思ってしまう。献血をするとお菓子やジュースがもらえるらしいが、私にはできない。スーパーでお菓子やジュースを買うことになる。

 先日採血を受ける機会があった。死刑宣告のようなものである。私は幼いころに血液検査を受けたとき、自分の血を見てパニックになってしまった。それがトラウマで血液に関してかなり恐怖を覚えてしまった。この文章を書いている最中も左足が冷えていくのを感じる。私は何と戦っているのだろうか。自己表現と承認欲求の闇は深い。

 緊張でうまく呼吸ができない中、採血が迫ってくる。アルコールで湿ったガーゼで腕を拭かれたとき、首に縄をくくられたような気分になる。そして採血が始まる。私は必死に外を向き、色んなことを考えて恐怖を打ち消そうとしたが、なかなか上手くいかない。口の中に唾液がたまっていくのが分かる。時間がスローになっているような気がする、いや、遅くなっていたに違いない。時間にして1分もかかっていないのだろうが、私には数時間のように感じられた。この感覚を使えば、1日は数年ぐらいの感覚になるし、30日の懲役は720年になる。痛みはほとんど感じなかったが、精神はズタズタである。

 地獄の時間が終わり、再び血圧を測る。手に全く力が入らない。えずきながらも血圧を測り終え、看護婦さんのところに報告に行ったところで目の前が真っ白になってしまった。血圧は40近く下がっていた。

 その後、1時間近く血圧が戻らず、横になる羽目になった。起き上がれるようになった後も1日調子が戻らず、なぜか腹を下していた。

 ネットで調べてみると、私の起こしたものは血管神経迷走反射と書かれていた。自律神経の問題らしい。ネットの記事も鵜呑みにできないので、本当に正しいかどうかは不明だが、今回の症状と血管迷走神経反射でヒットする情報がほぼ一致するので、今のところはそれを信じている。次回から横になって採血を受けよう。

 この出来事で、私は献血を受けることがほぼ不可能なことが分かった。自分でジュースやお菓子を買うことにしよう。人から無料で貰ったものほど美味しいものはないけども。

 

 メモ書きとして、2017年に買ったもしくは借りたアルバムを以下に記す。

想い出波止場『水中JOE』

The Avalanches『Since I Left You』

STUTS『Pushin'』

The Cinematic Orchestra『Everyday』

Amon Tobin『Bricolage

麻薬大学大麻学部電気メーターぐるぐる回る学科 卒業

 最近起こった出来事について雑に書きます。

 久しぶりにお酒を飲んだ。私はあまり1人でお酒を飲む必要を感じていないため、飲み会がある時しかお酒を飲まない。スーパーでお酒を買ったところであまりいい体験にはならない気がするため、毎回ミスターイトウのチョコチップクッキーをむしゃむしゃと頬張ることになる。

 お酒を飲むと多少喋る頻度が高くなるが、笑ったり怒ったり泣いたり絡んだり公園で全裸になったり灰皿でお酒を飲むことを要求することはない。多く飲めば飲むほどダウナーになっていく。ヘロインと同じだ。私はヘロインについてはよく分からない。大学は大麻を専門にしていたからだ。室内で大麻を栽培すると尋常じゃないくらい電気メーターが回るらしいが、最近は細工をして対策しているらしいので注意が必要である。理性は破壊されないが足が破壊されるので。真っすぐ歩くのが困難になる。

 理性を取っ払うほどお酒を飲みたいかと言われれば否である。そのお金で美味しいものを食べたほうが生活水準は上がるはずだ。お酒はコミュニケーションの武器の一つである。こん棒と一緒だ。

 先日駅前で酔っ払った中年数人が互いにキスをしているのを見た。もしかしたら狸に化かされているのかもしれない。このようになるのならお酒は一生飲まなくていいのではと思ってしまった。みなさん、大麻をやりましょう。

 最近シティボーイズにハマっている。元々名前だけは伺っていたのだが、映画や演劇などといった長時間見る行為ができなくなってしまった(なぜ何時間も動かない必要があるのか疑問に思ってしまった)ので、記憶から薄れていったが、Twitterで名前が出てきたので、リハビリもかねてインターネットの海に沈んでいる動画を見た。結果として、なんでもう少し早く見ておかなかったのかと公開した。もしレンタルされているのなら借りに行こうと思う。置いていなかったら買おう。誰か1番最初に見るのに適した公演を教えてください。私は影響を受けやすいタイプなので、その後に作るもの(小説など)に影響されそうな気がする。

 最近は小説を書いていないので、そろそろリハビリも兼ねて書いていこうと思う。今年はどこか外部の世界に小説(同人誌)を出す予定なので、練習していかなければならない。今考えているテーマは、暴力で勝つ麻雀小説だ。麻雀メインの作品は大体イカサマか特殊能力チックなものが出てくるが、私は1番暴力が強いと思っている。みなさん、暴力をしましょう。

好きなアルバム紹介その9『水中JOE』

 音楽には分かりやすいものと一聴すると全く訳の分からないものが存在する。分かりやすいものと分からないものの優劣はつけがたく、それぞれの概念で良いものもあり、悪いものもある。今回は全く訳の分からないと感じたアルバムを紹介することにする。想い出波止場の『水中JOE』である。

水中JOE (HQCD)

水中JOE (HQCD)

 

  暗いところで多重露光撮影されたゴルフのワンシーンという、ジャケットもこのアルバムの訳の分からなさを増長する一因になっている。

 まず、ジャンルを述べておく。ジャンルは「???」である。ギターが激しく鳴るが、ロックでもパンクでもない。ポップではもちろんない。ジャンル不明の音楽と言わざるを得ない。

 アルバムを再生してみる。1曲目は「22次元」という曲だ。刀を抜いたような音が流れ、水中にいるかのような音響で始まる。ノイズが入り、一体何だろうと思っていると、いきなりラップのようなものが流れ出す。はて、と思っているといきなりYes(有名なプログレのバンド)の『Close To The Edge』が耳に飛び込んでくる。やがて奇声が混じり、「取り返しのつかない重大な!」と声が放たれると同時に一瞬静かになる。それもつかの間、また音の洪水である。最後は洪水と共に、「物を投げないでください」という声が近づいてきて、いきなり事切れる。1曲目だけでポケットに入らないくらい疑問符を押し込まれてしまう。

 2曲目の「サムライ ACID CONTEMPORARY」はギターが中心の曲だが、いきなり奇声が入り混乱する。ここらへんで、このアルバムは最後まで訳が分からないで終わるのではと不安になってくる。

 時々気の抜けたような歌モノが流れてくるものの、水中で声を出しているだけの曲もあり、その後も曲とは言い難い何かが流れ、最後は水のゴボゴボとした音が流れてアルバムが終わる。最初から最初まで「意味が分からない」ことだけは一貫しているが、それ以外の一貫性は皆無に等しい。

 しかし、音の打ちのめされることは確かだ。こんなに意味や説明を拒否するアルバムはそうそう無いのではと思う。もしかしたら作者の山本精一氏(元ボアダムスのギター、ボアダムスについてはほとんど知らないので沈黙する。羅針盤ROVOというバンドでも活躍しているらしい)にも説明ができないのかもしれない。

 「こんなの音楽じゃない!」と思う人もいるかもしれない。しかし、謎の感動と呆然とした気持ちになる人もいる。私もその1人だ。良いと思う人もいるし、悪いと思う人もいる。お前の思った通り聴けばいいのだ。

 

【トラックリスト】
1. 22次元
2. サムライ ACID CONTMPORARY
3. BLUES FOR TURN TABLE
4. ROUTE 99999
5. 水中JOE
6. 中核
7. SHOOTING DUB
8. 太っ腹(玉砕ワルツ)
9. ハウ
10. N.C.C.P1701-1
11. 第三ロック
12. IN
13. SEA MONK

 

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短歌(301~310)

 短歌の時間です。

 

 Twitterにアップした短歌を10個並べています。気に入ったものがあればうれしいです。

 

【301~310】

丸暗記しなくていいお前だけの七草をあらんかぎりに叫べ

 

床板の木目が君の笑う顔そっくり他は全てあとがき

 

くたびれたアダルトビデオに映されたサラダの緑だけが真実

 

遠足のおやつは500円までです猫は3匹まで認めます

 

家庭科をまじめにやってこなかった君が作ったエロいみそ汁

 

自転車のカゴいっぱいに詰めこんだ春の匂いをひったくられて

 

神様よ私のもとに帰りなさいホットミルクがさめないうちに

 

下々の者に教えてあげたいな神が作ったカレーの味を

 

絶対に絶対絶対絶対に絶対絶対絶対お前を

 

お前らが静かにするまで先生は502回も瞬いたんだぞ

 

 次回もよろしくお願いします。

お寿司ノート(1月)

 1か月前までお団子が大好きで、そればっか毎日毎日食べてたけど、最近は食べなくなりました! 卒業の季節も近いもんね。そろそろ他のものも食べなきゃいけないし、遠いところに行かなきゃいけないし。

 昨日は回転寿司に行きました。近くに3つくらい回転寿司屋があって、どれもアピールがすごいんだけど、厳正なるジャンケンでスシローに行くことになりました。ちなみに私はくら寿司派です。みなさんはこしあん派ですか? つぶあん派ですか? 平日に行くとかけうどんが130円で食べられるから、毎回食べてる気がするな。私にとってくら寿司はうどんを食べに行く場所になってる。うどんの専門店で食べるうどんと、サイドメニューで食べるうどんって、なんか違うよね。

 スシローではかけうどんを頼まないことにして(くら寿司のかけうどんが好きなのに、スシローのかけうどんを食べたら浮気になってしまう。そういうのは良くない)、いろいろ麺類を見た結果、さば何とかカレーつけ麺(正確な名前は忘れてしまいました)を頼むことに決定。全部食べるとお寿司が食べられなくなってしまう気がしたので、サワムラーさんと半分こに。

 座った席がレーンの下流だったから、見えててもなかなか注文した物がこない。いつまでもどきどきしてるのは体に悪いのであまり見ないようにしてました。そのうちカレーtukemen(変換が上手くいかない)が上流からのっそりみえてきて、ゆっくりゆっくり川を下ってきました。チャイムの音と共にカレーつけ麺を水揚げして、一回まじまじと見ました。なぜかシャリが乗っていました。うーん不思議だ。

 とりあえず麺をカレーの汁にひたして、服にかからないようにちゅるちゅる。カレー味だ。まぎれもなくカレー味だ。

 たくさんネギが入っていて(私はネギが嫌いです。おいしくない)、嫌だからひたすらどかしていたらサワムラーさんに怒られてしまった……。でも嫌いなものは嫌いだからしかたないと思う。ネギには後で謝っとこう。

 シャリをもぐもぐと食べて、うーんカレーライスだと思ってたら、注文画面に「〆にシャリ!」と映ってビックリ。なんか怒られてるみたいで恥ずかしい。エスパーだったら、私の食べたいものをあらかじめ出しておいてほしい。

 そのあと適当にお寿司を食べて、夕食終わり。外に出ると、まだ雪が隅っこに残ってて、その場所は寒いんだな、雪は孤独を深めないと生きていけなくてかわいそうだとしみじみ……していたら、近くに雑草が生えていたので、もしかしたら喋っているのかもしれないと思うと少し安心。

 でも、雪もあと少しで卒業してしまうんだ。残された雑草は何を思ってこれから生きるのだろう。私には想像もつかない。でも生きていくんだろうな。

 

煙を吐き出し笹団子は進む

 新潟に行ってきた。

 新潟は北のほうにあるらしく、北のほうに土地があると雪が降りやすいらしい。私は今まで夏にしか新潟に行ったことがなく、冬に行くのは初めてだった。雪で靴がやられると足が死んでしまうので、生活防水と書かれた靴を装備し、さらに防水スプレーを勢いよく吹きかけて水属性に耐性をつけた。シャッターにスプレーで書かれた落書きは、おそらく不良がやっているのだが、どういった経緯で落書きをするのだろうか。もしかしたら美術の成績が良かった不良が落書き担当になるのかもしれない。美術の成績が良い不良は日々シャッターや柱に落書きを行う。引退する日に先輩から譲り受けたスプレーを後輩に渡すのだろう。

 天気予報を見ると、かなりの大寒波が襲来するらしく、数年に一度の大雪だという。なぜそんな天気をツモってしまうのか。まあ、意外に大したことないかもしれないなと思いつつ、新幹線に乗った。

 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という小説の有名なフレーズがあるが、実際群馬県あたりでトンネルに入り、数分して抜けると雪が積もっていた。川端康成みがあるなと思いつつ(川端康成みとは一体)、もう一度トンネルを通過すると、ハチャメチャに雪が降っていた。建物は皆関口メンディーの髪型みたいになっている。

 越後湯沢には人を寄せ付ける何物かがあるらしい。人を寄せ付けるものは大体宗教施設かラーメン屋なので、どちらかが越後湯沢にあるのだろう。複合施設なのかもしれない。

 その後繰り返しトンネルを通過し(天丼)、何回目かの時に突然窓の景色がホワイトアウトした。ただただまぶしかった。雪はまぶしいことを私は知らなかった。

 そこから先は寝てしまったので覚えていない。くるりの『日本海』という曲には「煙を吐き出す餅屋 向こうに見えるは露西亜」というフレーズがある。あと「なう」のコーラスも存在する。良い曲なので聴いてみるといい。そして新潟駅に到着した。

 雪は想像の1.4倍降っていた。靴は濡れずに済んだが、ズボンの裾から雪がこぼれ落ち、靴下を軽く濡らした。学びだ。

 新潟で用事を済まし、お土産を買うことにした。笹団子が有名らしいと聞いていたので、絶対に笹団子は買わないぞと心に決め、笹団子を買った。

 帰りの新幹線では柿の種チョコを飲んだ後ずっと寝ていたのであまり記憶がない。柿の種チョコと睡眠導入剤を間違えていた可能性がある。新潟らしいものをあまり食べられなかったので残念である。皆さんは新潟らしい食べ物と浮かべて何をイメージしますか。この質問で、あなたが心から信頼しているものが分かります。

 最寄り駅でラーメンを食べ、バスに乗った。今新潟が存在しているかは分からない。

 後日、友人に笹団子を配った。笹団子は互いにつながれていて、すべてハサミで切り離すと逃げていった。今頃煙を吐き出しながら新潟行きの新幹線に乗っているかもしれない。

読書感想文その11

 今回は11回目の読書感想文である。最近小説を読んでいないので、そろそろ読もうかなと思っている。読むかどうかは未来の私が知っている。現在の私は知らない。秒数が経つにつれて現在の私が変化し、過去の自分は増え、未来の自分は減る。砂時計のようなものだ。

 ジャンルに偏りがあるのは、趣味が脳を侵食しているからである。

 

小林恭二『短歌パラダイス―歌合二十四番勝負』(岩波新書)

短歌パラダイス―歌合二十四番勝負 (岩波新書)

短歌パラダイス―歌合二十四番勝負 (岩波新書)

 

  ブログでも何回も言及している通り、最近短歌にハマっている。短歌を作るだけではなく、好きな歌人の歌集を買うこともある。それだけでは不十分だと思い、短歌について書かれた本も読んでいる。

 この本は伊豆で行われた歌合について書かれている。歌合はうたあわせと読む。歌合についてざっくり説明しておくと、歌人がAチームBチームに分かれてそれぞれ題に合わせた歌を作り、優劣を競うものである。どう優劣を競うかというと、チームごとに提示された歌をチーム同士で弁護や批判を行うのである。弁護や批判を行う人(念人。おもいびとと読む)が議論して、最終的に判者(はんじゃ)が優劣を決める。この本では2通りの歌合が行われた。

 歌人も豪華である。ベテラン、中堅、新進気鋭の若手などバランスよく揃っている。歌人の紹介をしても分からない人が出てくるし、自分もまだ短歌を始めたばかりでうまく説明ができないため、豪華メンバーとだけ覚えておけばいいだろう。メンバーを知りたい人は読むか調べるかしましょう。

 短歌は歌の意味を汲むことが難しい場合がある、しかしこの本では作者が自身の解釈を提示しているため、ちんぷんかんぷんということはないだろう。作者も匙を投げそうになる歌は少し存在するが。

 議論も白熱している。しかし、高度すぎるということはなく、気が抜けるような掛け合いも行われていることもある。また、同じチーム同士で解釈が分かれている場合もあり、そこを相手チームに突っ込まれていることもある。それだけ短歌は様々な読み(詠み)ができるということだろう。

 歌合は本文中にも書かれている通り、遊びの一種である。遊びを軽く見る人もいるだろうが、今回の遊びは大人が本気になって取り組んでいる。しっかりとルールを決めた本気の遊びはかなり盛り上がる。本気で遊ぶことの楽しさと遊んだ後の疲労感もこの本には書かれている。

 短歌を詠む人は沢山いる。しかし、短歌を詠む人がほかの人の短歌をしっかり読んでいるかは別の話である。短歌を詠むだけでなく読んでみたいという方に、この本はおすすめである。

 

穂村弘『世界音痴』(小学館文庫)

世界音痴〔文庫〕 (小学館文庫)

世界音痴〔文庫〕 (小学館文庫)

 

  様々な人が様々な感覚を持っている。皆が共感できる感覚もあれば、傍から見ればあまり理解できないもの感覚も存在する。マイ感覚が人々には多かれ少なかれ備わっている。例えば、私は透明なのに味がついているものが苦手だ。ポカリスエットアクエリアスは色がついているので安心して飲めるのだが、いろはすのみかん味は透明なのに味がついていて怖い。

 この本では作者の様々なマイ感覚が書かれている。飲み会で自然に席を移動することができなかったり、15年も自室の窓を開けなかったり、自由席を怖がったりなどなど、共感できるものも結構あるが、あまり理解できないものもある。

 マイ感覚は自意識の表れである。自分が世界でどう動いているか、考えてしまうことが多い人ほど、マイ感覚は増えていく。ポケットの中からあふれてしまうほどマイ感覚が多くなっても、なかなか捨てることはできない。捨ててもまた戻ってきてしまうからだ。

 作者の穂村氏はそのマイ感覚をエッセイにしている。何冊もエッセイが出るのは、それだけマイ感覚を多く持っている人がいるからだろう。また、世界に潜んでいる様々なものに穂村氏は気づく。気づくからこそ短歌で名をあげたのだろう。自分に違和感を多く感じているから、世界の違和感にも多く気付けるのだ。

 読んだ人の中には、この作者、以外に良い経験をしているのではと考える人もいるだろう。ガールフレンドもいたらしいし(現在は結婚している)、交友関係もそこそこ広そうに見える。しかし、他人から見る自分と自分から見る自分は違う。いくら充実した生活を送ってそうに見えても、当事者は何となく違和感を感じていることだってあり得るのだ。

 作者は自分の感覚をさらけ出している。作者に共感したり、好感をもったり人が現れるのだろう。自分の感覚をさらけ出すことはそうそうできることじゃない。世界音痴だと作者は自虐するが、マイ感覚をさらけ出している作者は、音痴ながらも堂々と歌っているのだ。