コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

幸福の液体は自販機で売られている

 私は同じ食べ物・飲み物を毎日摂取する人間である。

 学生の頃はひたすらポカリスエットを飲んでいた。アクエリアスではダメだった。時々、運動をしていないのにやたらとスポーツドリンクを飲む人があなたの周りにもいなかっただろうか。それはたぶん私である。

 また、ある時は団子をひたすら食べていた。毎日毎日団子。みたらしとこしあんをひたすらにループしていた。時々三色団子も食べていたが、あれはローテの谷間みたいなもので、結局はみたらしとこしあんに落ち着いた。

 団子を同じ店で毎日買うため、たまに団子を買わない時があると、「あれ、団子は買わないの?」と言われるようになった。おそらく団子を食べないと死ぬ病気にでもかかっていると思われていたに違いない。今はあまり団子を食べなくなったが、死んでいない。

 定期的にある食べ物・飲み物を執拗に飲んでいる私が、ここ1年くらい飲んでいるものは、濃いめのカルピスである。自分で作るのではなく、自販機やコンビニで売っている、雪塩を使っているものである。

 もともと私は、カルピスは濃ければ濃いほど上手いと考えている人間だった。そのため、市販のカルピスは薄く、味気なかった。しかし、去年の夏ころに濃いめのカルピスが発売され、生活は一気に華やいだ。私は見かけるたびに濃いめのカルピスを買った。世界は私を中心に動いているようだった。

 そんな生活も長くは続かなかった。夏が終わると、店頭や自動販売機からは濃いめのカルピスが消えていた。おそらく私のアンチの仕業に違いない。世界は私を中心に動かず、前と同じように太陽を中心に回っていった。

 失意をひきずったまま秋が終わり、冬が来た。ある日、自販機を見かけると濃いめのカルピスと言う文字があった。テンションがぐぐぐっと上がっていく。しかし、よく見ると雪塩ではなくはちみつが入っていた。テンションは上り坂から平坦な道へと変わった。試しに買って飲む。違う。美味しいけど何かが違う。テンションは下り坂を進んでいた。憧れの人が見ない間に変わってしまったような気持ちを覚えた。

 やがて春が来て、はちみつ入りのカルピスも姿を消した。私は照りつける社会の中をひいひい歩いていた。

 幾度目かの夏。自販機を見ると、憧れていた文字が目に飛び込んできた。

『濃いめのカルピス 宮古島の雪塩使用』

 憧れの人が憧れのまま、帰ってきたのだ! 世界が色を帯びていく。すぐに買って飲む。味も変わっていない。むしろ、はちみつ入りを経験したことで、さらに美味しく感じる。幸福を液体にしたら、こういう味なのだろうと思う。

 幸福はいつ終わるか分からないので、見かけるたびに濃いめのカルピスを買っている。どの自販機で売っているのかも、自分がよく通る道は全て把握している。コンビニであれば、セブンイレブンに売っている可能性が高い。

 雪塩を使った濃いめのカルピスは液体の幸福である。幸福をペットボトルに詰めて売っているのであれば、どこかに幸福が湧き出る泉があり、そこから汲み取っているのだろう。このまま汲み続けると、泉は枯れるかもしれない。そういう後ろめたさを感じながらも、私は飲むのをやめることができないのであった。

2018年に購入/レンタルしたアルバム紹介②

 気が付いたらお金が無くなっていた。

 東京に遊びに行き、中古CDショップやTSUTAYAタワレコを回り、美味しいものを食べた後、財布を見るとお金が無くなっていた。なぜ楽しいことをするとお金が無くなるのだろう。なぜ辛いことをしてもあまりお金は増えないのだろう。

 去年を上回るペースでアルバムを購入しているため、どんどん積紹(積紹とは、紹介するものがどんどん積まれていくこと)が増えていく。定期的に書く癖をつけたい。定期的にすることがあまり得意ではない。

 今回は以下のアルバムを聴いた。

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  左上から時計回りに、

 

米津玄師『Bootleg

椎名林檎『逆輸入 ~港湾局~』

フィッシュマンズ『空中キャンプ』

Kendrick Lamer『DAMN.』

椎名林檎『逆輸入 ~輸入局~』

 

である。前回はVaporwaveで占められていたが、今回は有名どころが多い。

 

Bootleg』に関しては、なかなか手を出せずにいた。私は1stアルバムの『diorama』の内省的な雰囲気が好きだったので、アルバムを重ねるごとに好みの範囲から被らなくなってしまった。発売後、Twitterにも評判が届き、概ね高評価だったのと、クロスフェード動画で聴いた限りでは前作より好みだったので、聴いてみることにした。

 結果として、良いアルバムだと思った。バラエティにも富んでいて、なおかつキャッチー。1stの頃の薄暗い雰囲気から少しずつ外の世界に向かっていき、このアルバムでついに外の世界で自分らしさを作り出したのではないだろうか。1stの時は違うところにいるんだろうなと感じる。個人的には『砂の惑星』と『Moonlight』が特に良かった。

 

『逆輸入 ~港湾局~』『逆輸入 ~航空局~』は椎名林檎が他アーティストに提供した曲をセルフカバーしたアルバムである。『逆輸入 ~港湾局~』は1曲1曲違う編曲家が起用されていて、『逆輸入 ~航空局~』は斎藤ネコ村田陽一、名越由貴夫、朝川朋之という、椎名林檎を追っていると時々見かける人々(特に斎藤ネコ)たちと編曲を行っている。

『逆輸入 ~港湾局~』では、SMAPTOKIO広末涼子などに提供した曲が収録されている。編曲家が曲ごとに違うために、様々な表情に富んだアルバムになっている。個人的には遊園地っぽさを押し出したヒャダイン(前山田健一)編曲の『プライベイト』、原曲よりストレートにポップな小林武史編曲の『カプチーノ』が好きである。

『逆輸入 ~航空局~』では、石川さゆり高畑充希、Doughnuts Hole (松たか子満島ひかり高橋一生松田龍平)などに提供した曲が収録されている。このアルバムはアレンジャーが統一されているため、落ち着いた大人の雰囲気の曲が揃っている。

 ともさかりえ『少女ロボット』という曲は、原曲、東京事変版、そして今回のセルフカバー版が存在する。カバーを重ねるたびに、ロボットと言うよりは精巧なアンドロイドになってきたように思えるのは気のせいだろうか。少女もどんどん大人になるにつれ、落ち着いたアレンジになってきている。

 

『空中キャンプ』は浮遊感を味わうことのできるアルバムである。空や海に漂って寝ころんでいるような感覚になれる曲が揃っている。ボーカルである佐藤伸治の声は独特だが、このアルバムの雰囲気に合っている。特に収録曲の1つである、『ナイトクルージング』はピアノの綺麗さとかき鳴らされるギターの歪んだ音が混ざり合ったものすごい曲で、このアルバムのハイライトになっている。夜に聴くとかなりハマると思う。

 

『DAMN.』はアメリカのラッパーであるKendrick Lamerの4thアルバムである。3rdアルバムの『To Pimp a Butterfly』は色々な媒体で絶賛されていた覚えがある。私も聴いたが、その時はラップへの経験値が足りなかったため、いまいち分からなかった。

『DAMN.』は個人的に前作よりも好みだった。どこが違うのかは、ラップへの経験値が不足しているため、上手く言葉にできない。前作よりは音楽的にはシンプルになっているような気がする。あとリリックとかもしっかり読んでいかないといけないなと感じた。2曲目の『DNA.』は後半のサブベースだけになって声ネタが乱打されるところがとかなりカッコいいので聴いてみてほしい。

 

最後に音源を以下に貼っておく。

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フィッシュマンズ『空中キャンプ』は公式動画が見つからなかったため、リンクを貼っていません。

 

 

読書感想文:せきしろ×又吉直樹『カキフライが無いなら来なかった』

 咳をしても一人/尾崎放哉

 分け入っても分け入っても青い山/種田山頭火

 

 これらは自由律俳句と言われるものである。

 私のパソコンはガタがきているため、「自由律俳句」と打ち込んでスペースキーを押すと「自由律は行く」に変換されてしまう。こういうタイトルのブログが頭の中に現れる。中高年が運営していそうだ。自由律はどこに行くのだろう。

 俳句は通常5・7・5に季語を入れたものを指す。しかし自由律俳句は定型が存在せず、季語を入れる必要もない。

 俳句は生活の中で触れ合う機会が多少存在する。テレビ番組では芸能人が俳句を詠み、先生に斬られている。また、松尾芭蕉正岡子規などはよく知られている。

 対する自由律俳句はどうだ。私の記憶では教科書に自由律俳句は載っておらず、国語便覧の片隅に載っていた気がする。

 私は国語便覧を読むことが大好きだった。国語は国語便覧を読むためのものだと言っても過言ではなかった。社会科の資料集も大好きで、授業中ずっと読んでいた。こういうサブテキスト的なものは、様々な情報が所狭しと載っているから、見ていて飽きない。

 俳句には有名な俳人がいるが、自由律俳句には有名な人はいるだろうか。私は尾崎放哉と種田山頭火しかしらない。一人も知らない人がいてもおかしくはないだろう。

 現在、あまり自由律俳句に触れ合う機会はほとんどない。いや、なかった。自由律俳句に触れ合うことができる本が数年前に日本へと放たれている。

 今回はせきしろ×又吉直樹『カキフライが無いなら来なかった』を紹介していく。

  

 

 作家であるせきしろ氏と相方が海外進出している又吉氏。元々自由律俳句を作っていたせきしろ氏が、又吉氏を自由律俳句の世界に誘ったのがきっかけとなり、我々のもとに、500以上の自由律俳句といくつかの散文が届けられている。2人が作る自由律俳句とはどんなものなのだろうか。以下に2人の自由律俳句を3句ずつ引用する。

 まずはせきしろ氏から。

 

 手羽先をそこまでしか食べないのか

 現地集合現地解散なら行く

 黒い雪ならまだ残っている

 

 続いて又吉氏。

 

 ほめられたことをもう一度できない

 まだ何かに選ばれることを期待している

 便座は恐らく冷たいだろう

 

 これらの句は、世間一般の人が思い描く風流な句世界とは遠いところに位置するものである。自意識と世界を少し斜め下から見たような視点。これこそが2人の自由律俳句の肝となっている部分だと私は思う。

「現地集合現地解散なら行く」という句を取り上げてみる。おそらく何らかのイベントに主体(俳句の中の私)は誘われているのだろう。イベント事態に惹かれる部分はある。しかし、主体には引っかかるものがある。それは、行き帰りだ。

 おそらく現地に向かうとき、近場の人々と集まっていくことになる。帰りも同じだ。しかし、行き帰りに誰かと一緒にいることがなんとなく気まずい。二人とも別行動をしていればいいのかもしれないが、それも何か後ろめたい。行き帰りが一緒になる人は、気の置けない友人とは言い難いのかもしれない。様々な考えが頭をめぐり、頭の中で出した主体の結論が「現地集合現地解散なら行く」なのだ。

 続いて「便座は恐らく冷たいだろう」を取り上げる。場面はトイレで、おそらく自宅のものではない。駅か、何らかの施設の中かは分からないが、個室トイレの中にいる。そして、ズボンを下ろしながら便座を見て思う。「便座は恐らく冷たいだろう」と。冷たいと思われる便座にこれから座るのだ。お尻は不快な冷たさに触れることになる。しかし、座らなければならない。一種の諦めに近い自由律俳句だと思う。

 自由律俳句に出てくるものは、どれも身近なもので、特別感の欠片もない。時々はさまれる作者2人による写真も、日常によくある風景のように思える。また、主体の感情が表れる自由律俳句も、どこかくすぶっていて、自意識過剰気味である。

 歌人穂村弘氏は、『はじめての短歌』という本の中で、せきしろ氏や又吉氏の自由律俳句に触れていて、そこで「自分は社会的にダメだ、サバイバル力が低いってことを知っている」と評している。そして、そういった人間は「小さな死によく遭遇する」と言う。

「小さな死」とは、例えば「飲み会の席を選ぶ」ことである。飲み会に行ったとき、どうにか自分が話しかけやすい人が近い席に座ろうとする。そのために、頭を滅茶苦茶に働かせる。こういった行動をとるのはなぜか。それは、もし自分が話しかけやすい人が近くにいない席に座ってしまうことは、「小さな死」だからだ。社会的にダメだと感じている人ほど、「小さな死」が世の中にたくさん存在し、それらを避けようとする。

「現地集合現地解散なら行く」も、「小さな死」を避けたいという主体の想いが滲み出ている。完全には親しくない人と行き帰りが一緒になるのは、「小さな死」なのだ。

 また、穂村氏は「社会的にはぜんぜん意味がない」ものに詩は宿ると述べている。「黒い雪ならまだ残っている」が良い例だろう。雪と言えば空から降ってくる白い物体である。それらが積もると、世界が白く染まる。雪は白いものであり、小説や短歌、俳句でもほとんどの場合雪は白いものとして登場する。

 しかし、せきしろ氏は黒い雪に焦点を合わせている。土やほこりなどが付いた状態で日陰にたたずむ黒い雪は、雪としてあまり価値をなしていない。しかし、黒いからこそ自由律俳句になり得るのだ。

 

 小さな死をなんとか避けつつ、社会的には意味のないものに焦点を合わせる。それらから生み出された自由律俳句は、単なるあるあるではなく、詩になる。あるあるは平面的で、そこで完結してしまうが、自由律俳句は背景に奥行きをもたせ、余韻を残す。俳句や短歌も面白いけれど、自由律俳句だって忘れてはならない。

 自由律俳句の間に、散文がいくつか挿入されている。そこではやはり、小さな死を避けようとする、自意識が過剰な世界がある。特に「オハヨウは言えなかったサヨナラは言おう」で書かれている又吉氏による散文は是非読んでほしい。

 

 小さな死を避け続けている自覚がある人、自由律俳句がありますよ。

ここ数年、温かいそばを能動的に食べていない

 時々そばを食べる。

 時々って言うと皆さんはどれくらいの頻度を想像するだろうか。時々の尺度は一人ひとり違うだろう。皆さんが思う時々の頻度を、私の文章にも当てはめていただきたい。

 数年前までは家でよくそばを食べていたのだが、引っ越しをしてからは家でそばを食べることはほとんどなくなり、大体立ち食いそば屋が主になった。最寄りのスーパーであまりおいしそうなそばが無いためだ。

 少し話は変わるが、冷凍のうどんはかなり美味しいのに、冷凍のそばはなぜあんなに微妙(個人的に)なのだろう。冷凍技術が麺類間で共有されていないのか、麺を構成している物の違いか。そういうもやもやとした思いを抱きながら、日々生きている。

 皆さんはいつもどんなそばを食べるだろうか。盛りそば、天ぷらそば、カレーそば、たぬきそば……など様々なそばがあるだろう。温かいものと冷たいものもある。今の季節だと温かいそばを食べたくなるだろう。

 私は冷たいそばしか基本的に食べない。季節も関係ない。

 別に温かいそばが苦手だったり、冷たいそばこそ至高と考えているわけでもない。なんとなく冷たいそばしか食べない。能動的に温かいそばを食べたのは、ここ10年くらいで片手で収まる数だと思う。一番最近だと、大学生の時にかきあげそばを食べたことだろうか。美味しくなかったことだけ覚えている。

 大みそかには年越しそばという風習があり、その時期実家に帰っている私は家族と一緒にそばを食べるのだが、わたしだけ冷たいそばである。ちなみに弟はそばをいやいや食べている。おそらく前世でそばを食べすぎたのか、そばに殺されたかに違いない。そばに殺されるとすると皆さんはどういう死因を思い浮かべるだろうか。私はそばが首に巻かれたことによる絞殺である。皆さんもそばに殺されるとしたらどういう死因か、家族と話し合ってみましょう。

 よく降りる駅には立ち食いそば屋があり、値段もそこそこ安いため頻繁に利用するのだが、そこでも私は冷たいそばを食べ続けている。1回食券のボタンを間違って押してしまい、提供されるまできづかず、動揺うどん(動揺うどんとは、意図せずうどんが出てきたために動揺しながら食べるうどんのことです)になったのだが、それ以外は冷たいそばを食べていた。冷たいそば好きの男に憑りつかれているのかもしれない。

 日本海側に住んでいるため、関東より寒く雪も降る。それでも冷たいそばを食べる。体は温まらないので、店から一歩外に出ると寒さが体を刺す。それでも食べ続ける。

 そんな生活を続けていたある日、お昼ご飯を食べようと立ち食いそば屋に入った。比較的新しい店で、一回も入ったことが無かったため開拓のつもりだった。食券の前に立つ。数秒後、恐ろしい事実に気が付いた。この店、冷たいそばがないのだ。

 

 私の眼は食券を一目ひとめ見るや否や、あたかも硝子で作った義眼のように、動く能力を失いました。私は棒立に立ち竦すくみました。それが疾風のごとく私を通過したあとで、私はまたああ失策ったと思いました。もう取り返しが付かないという黒い光が、私の未来を貫いて、一瞬間に私の前に横たわる全生涯を物凄く照らしました。そうして私はがたがた顫え出したのです。

 

 どうにか気力を保ちながら、代替案を考える。かきあげそばが安かったため、かきあげそばにする。数分後、そばがやってきた。食べてみるが、あまり味が分からない。動揺しすぎているのかもしれない。かきあげも、あるなあという感想しかなかった。頭が真っ白になりながらそば屋を後にした。そばでこんなに怖い思いをしたのは初めてだった。

 ちなみにうどんは冷たいのを好むが、温かいものも食べる。家では大体温かいうどんだ。なぜそばだけ、と思う方もいるかもしれないが、個人的な感覚なので説明ができない。

 今日はサーモン漬け丼を食べた。

2018年に購入/レンタルしたアルバム紹介①

 私はかなり飽きっぽい性格である。就職活動ならば好奇心が旺盛と言い換えることになる。

 そういう性格であることも手伝って、アルバムを頻繁に購入している。同じものばかりをずっとは聴いていられない。それが例え自分の好みど真ん中だとしてもだ。そのため、CDを購入しては聴き、全て聴き終わったらまた購入というプロセスを繰り返している。また、Bandcampというツールを去年あたりに活用するようになってから、アルバムの購入頻度は飛躍的に増加した。産業革命である。

 2年前から、1年間に購入/レンタルしたアルバムで特に好きだったものは年末に紹介していた。以下にリンクがあるので、目を通していただけるとありがたい。

komugikokomeko.hatenablog.com

komugikokomeko.hatenablog.com

 

 今年は購入/レンタルしたアルバムを5枚ずつまとめて紹介していきたいと思う。私自身Twitterやブログがきっかけでアルバムを購入することが多々あるため、私なりのネット社会への恩返しをしたいと思う。上記リンクでは1作品ずつ写真を貼り、紹介していく形式をとっていたが、ここではまとめて写真を貼って、まとめて紹介していく。

 今回は以下の5枚のアルバムを聴いた。

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 左上から時計回りに、

OSCOB『チャンネルサーフィン1978-1984

GenomeTV『ゲノムテレビネットワーク』

chris†††『social justice whatever』

New Dreams Ltd.『Fuji Grid TV EX』

猫 シ Corp.『lofi』

である。今回はVaporwaveに属するアルバムが揃った。

 Vaporwaveに関しては各自検索してほしい。Vaporwaveにも様々な特徴があり、1、2、4番目のアルバムは日本の1970年後半~1990年代あたりのCMをサンプリングし、スクリューしたものがメインになっている。こういう作品は個人的にグッとくる率が高い。深夜にぼんやりしながらテレビを見ているような感覚になれるからだ。

 3作品とも大まかな骨組みは似ているが、アルバムによって異なる部分もある。例えば『ゲノムネットワーク』は1曲1曲が短く、ザッピングをしているような感覚になる。フィルターのかかり方も違う。『チャンネルサーフィン1978-1984』は少し眠くなり始めたころに見ているテレビ、『ゲノムテレビネットワーク』『Fuji Grid TV EX』は寝落ちしそうな時に見ているテレビである。3作品とも様々なCMをサンプリングしていて、世の中にはたくさんのCMが消費されてきたんだなと、当たり前のことを感慨深く感じてしまう。

 ちなみに、『Fuji Grid TV EX』はFuji Grid TV『Prism Genesis』という作品が元になっている。 アーティスト名とタイトルを変え、収録曲も一部変更している。また、内部の話になってしまうが、Fuji Grid TVはVektroidというアーティストの変名であり(New Dreams Ltd.もvektroidの変名)、Macintosh Plusという、Vaporwaveに属する作品の中で1番有名だと思われる『Floral Shoppe』も作っていたりする。ジャケット内にある像はVaporwaveのイメージキャラクター的な存在になり、サンプリング元になった曲のコメント欄はVaporwaveの文脈で汚染されていたりする。

 『social justice whatever』は現実世界やインターネットで有名になった曲(例を挙げると、スキャットマン・ジョンの『Scatman (ski-ba-bop-ba-dop-bop)』やダフトパンク、AVGN*1の主題歌など)をスクリューし、ぶつ切りにした楽曲群が揃っている。このアルバムのレビューは、以下の捨てアカウント氏が執筆した記事に詳しく載っているので、そちらをご覧いただければと思う。

themassage.jp

 『lofi』は、lo-fi hip hopというジャンルのアルバムである。ざっくり説明すると、サンプリングしたものを古ぼけた質感にして、そこにやはり古ぼけた質感のビートをのせたhiphopである。このアルバムは雨音が途中で挿入されているところが良い。この作品を含め、lo-fi hip hopは夜に聴くとかなり心地いい。

 

 最後にアルバムのリンクを以下に貼っておく。

dmttapes.bandcamp.com

elemental95.bandcamp.com

christtt.bandcamp.com

vektroid.bandcamp.com

catsystemcorp.bandcamp.com

 

 アルバム紹介を定期的に続けていければと思う。

*1:アメリカのナードが名作/迷作ゲームをレビューする動画

本屋に行くとき、私は生きのびる必要がなくなる

 時々本を買う。

 私の家の最寄り駅から、電車に20分ほど乗ると大きな駅がある。その駅を出てすぐに本屋が存在している。

 その本屋は地方にしては品ぞろえが良く、引っ越してきてから本を買うときは、いつもその本屋に行くことにしていた。

 私は本屋に行くと本を買ってしまうことがある。本屋に行ったからといって、本は買わなくてもいい。今すぐに必要のないものであれば、出来るだけ買わないほうが世界で生きのびるためには良い。

 しかし、本屋に行くと生きのびる必要がなくなる。我々は食べるためにスーパーに出かけたり、賃金を貰うために職場に出かけたりする。これらの行動は言わば生き抜くために必要なものである。しかし、生きのびるために本は必要ない。そのため、本屋に入ると武器を外して安全に歩くことができる。言わば精神のセーフティーゾーンとも言える。

 生きのびる必要がないのであれば、今すぐ必要ではないものを買っても何ら問題はない。問題がないから本を何冊も買ってしまう。まだ読んでいない本は沢山あるのにも関わらずである。

 私は様々なことに興味があるし、様々な事を身に着けたい。コントロールフリークとまではいかないものの、できることなら全て自分で行えるようにしたい。

 世界中にバラバラになって散らばっている知識の破片を拾い集めるように、本を買っていく。気になったら買う。目を惹いたら買う。心に引っかかったら買う。買う。そして買う。

 こうして数十冊のまだ出番を迎えていない本が山のように重なっていく。少しずつ本を読んでいきたいのだが、精神が赤点を回避しないと本が読めないので、あまりペースが上がらない。そうしている間にも興味のある本が増え、それらを購入し、また山が高くなっている。いつしか私は、私の興味に殺されてしまうのかもしれない。

 山を整理しようと考え、本棚を購入した。カラーボックスとも言うらしい。6段あるものを買ったため、持つとかなりの重量があった。死体を背負って旅に出るのはかなり難しいと思う。皆さんは死体を背負って旅をしたことがありますか。

 30分くらいで完成すると説明書には書いてあったが、実際には60分かかった。雪の日のバスみたいだ。途中板を反対にしてしまうミスがあったのも要因の一つだろう。そのまま続行してもいいかなと一瞬思ったが、私の右手と左手が逆のまま、神に「まあいっか」と言われて誕生させられたらどうしよう。怖くなったので直す。

 今は立派な本棚が建っている。墓標にしたい。上から4段目を積読エリアにしているが、まもなく入りきらないほどの量になる。少しずつ他の本棚を侵食していって、やがて全ての本棚が埋まり、別の本棚を侵食し始め、衣装ケース、床、押し入れ、冷蔵庫、電子レンジ、トイレ、風呂、洗濯機、口、臓器、血管……とどまることを知らない。 

読書感想文:キリンジ『自棄っぱちオプティミスト』

 音楽をある程度聴いている人であれば、好きなバンド/アーティストが存在すると思う。様々なジャンルのバンド/アーティストを好きになる人もいれば、1つのバンド/アーティストをずっと好きでいる場合もあり得る。ちなみに私は前者である。

 私はしばしばCDを購入、もしくはレンタルするが、それはずっと同じアルバムばかり聴いているといずれ飽きるからである。いくら好きなアルバムでも何百回も聴くとさすがに他のアルバムを聴きたくなってくる。

 様々なアルバムを借りていく中で、一定の周期でまた聴きたくなってくるバンド/アーティストの作品も出てくる。そういった思いを抱かせるバンド/アーティストを、私は好きなバンド/アーティストと定義している。

 好きなバンドの中の1つにKIRINJIがある。元々はキリンジという名義で、兄(堀込高樹)と弟(堀込泰行)で活動していた。

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 この画像は2000年にリリースされた3rdアルバム『3』のジャケットである。なぜ油を塗ったのだろう。左が弟の泰行。年を経る毎に風貌が大幅に変化した。右が兄の高樹。年を経てもあまり風貌は変わらなかった。

 弟が抜け、今は名義をローマ字にして、5人体制で活動している。どちらの名義も名曲ばかり作っている。

 ちなみに私が1番好きなキリンジの曲は『愛のCoda』である。時期によっては世界にある曲の中で1番好きな時もある。この曲はとにかく歌詞が最高である。「赤に浸す 青が散る 夜に沈む 星がこぼれた」という、限りなく切り詰めた字数で夕方から夜になる時の風景を歌う部分は鳥肌が立つし、「不様な塗り絵のような街でさえ 花びらに染まるというのに」というキラーフレーズも出てくる。あらゆる手段を用いて聴いてみてほしい。

 また、KIRINJI名義で1番好きな曲は『AIの逃避行 feat. Charisma.com』である。この曲はとにかくベースがカッコいい。私自身がまだ、すごさを咀嚼しきれていないため、とにかくすごいとしか言えないが、是非聴いてみてほしい。

www.youtube.com

 

 本題に戻ろう。今回読んだ本はキリンジ時代に出版された『自棄っぱちオプティミスト』である。

自棄っぱちオプティミスト

自棄っぱちオプティミスト

 

  ちなみに同名の曲もある(6thアルバム『DODECAGON』に収録されている)。キリンジのロングインタビューに惹かれて購入した。

 内容は、エッセイが30話(兄弟でそれぞれ15話ずつ)、ゲストとの鼎談が2つ、デビュー時から2010年(8thアルバム『BUOYANCY』)までの道筋に関するロングインタビュー、兄弟に関係のある単語が載せられた大百科『奇林辞』が載っている。

 まずエッセイについて触れていく。やはり兄弟とはいえ、文章の雰囲気は結構違っている。兄の文章は落ち着いていて、視点が弟よりひねくれている。弟の文章は兄よりノリが軽い。

 似通っている部分もある。兄弟とも一つの物事について深く掘り下げる(想像/妄想していく)文章である。地面に落ちている靴を拾いに戻る男を見て、靴を拾う競技を考える兄。ウォシュレットの水圧に少し怒った後、水圧を調整している人のこだわりについて考える弟。こういう想像力があるからこそ、見事な歌詞を書くことができるのだろう。

 この本最大の魅力は、ロングインタビューだと思う。どういうことを考えながら活動をしてきたのかが語られている。マネージャーも登場し、二人が覚えていないことに関して補足をしてくれるし、インタビュアーも兄弟と長年の付き合いがある方なので、細かいところまで掘り下げてくれている。個人的に面白かったのは、兄が「同じアーティストのライブを2時間も聴いていられない」と答えている部分である。兄の一筋縄ではいかない性格が表れている気がした。また、キリンジの代表曲である『エイリアンズ』(少し前にCMで流れてましたね)に対する兄弟のスタンスの違いも読んでいて面白かった。キリンジの2人でもそういうことを思うのかという部分と、キリンジの2人ならそういうことを思ってもおかしくないなという部分があり、見ごたえがあった。

 キリンジにまつわる言葉を集めた『奇林辞』も面白い。短いがその言葉に関するエピソードも載っているので、キリンジファンは一読の価値があると思う。

 

 アーティストによる本は、その人の考え方を知ることができ、後で曲を聴くときに少し背景が見えて面白い。今回はキリンジファン以外の方は少しとっつきにくいかもしれないが、好きなアーティストの本を読んでみるのも、また新たな発見があって面白いと思う。