コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

Nicolas Jaar『Sirens』(2018年に購入/レンタルしたアルバム)

Nicolas Jaar『Sirens』

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 2016年リリース。

 RA(Resident Advisor)という、エレクトロニックミュージックを取り扱う音楽メディア兼ウェブサイトが存在する。その中にアルバムのレビューがあり、丁寧なことにSoundcloudやBandcampのリンクが載っているものもある。それを視聴しながら、購入したいアルバムリストにアーティスト名とアルバム名を載せるという作業を日々繰り返している。アルバムのレビューの日本語訳が2016年でストップしていて、英語版を見るのだが、何が書いてあるのかよく分からない。こういう時に英語をしっかりやっておけばよかったと思う。何事も自分の経験という範囲に引っ張ってこないと、モチベーションは上がらないものだ。

 その中に今回紹介するアルバムもレビューされていた。曲が聴けるリンクなどは掲載されていなかったが、ジャケットに一目惚れして購入した。作者の父親がアーティストで、作品の1つである『A Logo for America』を引用しているとのことだった。しかし、作品はコインで傷つけられている。雨のように見えるが、雨よりも存在感が強い。

 

 結論から言うと、このアルバムは私が2018年に購入/レンタルしたアルバムの中でTOP3に入ってくるほど良かった。

 1曲目の『Killing Time』が出色で、11分という長めの曲だが、緊張感、終末感が持続する。ゴゴゴゴという小さい音で始まり、1分ほど経つとウインドチャイムとガラスが砕ける音、それを踏みつける音、そしてピアノが何度も繰り返される。それが終わると、ピアノの音だけが静かに残る。中盤でピアノの音に霊のように輪郭がはっきりしないボーカルが乗ると、まるで崩壊した都市を歩いているような気分になる。

 実際に、私の住んでいる土地で大雪が降ったとき夜に、この曲を聴きながら歩いたのだが、本当に曲と状況がマッチしていて、感動してしまった。

 日本版では2曲目にボーナストラックが入り、3曲目の『The Governer』に移行する。1曲目とは打って変わって、途中で激しいドラムの音が入り、その後からサックスとピアノが混ざる。ビートの無い『Leaves』を挟み、静と動を繰り返す『No』が始まる。歌というよりはスポークンワードに近い。ノイズやギターがコラージュのように挿入される。

 ドドタタというドラムが印象的な『Three Sides Of Nazareth』が終わると、最後の曲『History Lesson』が始まる。静かでゆったりとした曲だが、歌詞はかなり辛辣かつ悲観的なことを言っている。途中の一部分を引用して翻訳すると、『チャプター1:台無し、チャプター2:またしても台無し、またしても、またしても』である。

 曲の話からは逸れるが、ボーナストラックを2曲目にして、この曲が最後であることを保持できたため、時々洋楽の日本盤である、ボーナストラックがアルバムの雰囲気と合ってないため、余韻が薄れるといった事態は避けられている。

 

 視聴できるところを見つけられなかったため、購入するのはためらわれるかもしれないが、悲観的かつ終末的なこのアルバムを、夜に聴くことで、あなたも心を動かされるかもしれない。

 

同人誌『She Loves The Router』(2018年に読んだ本・冊子)

 家に大量の未読本がある。読む量と買う量が釣り合っていないためだ、3000円までだったら「おっ! お買い得じゃん」と思ってつい本やCDを購入してしまう。「本や」と打つと指がキーボードが踏み外して「ほにゃ」と打ってしまう。かわいらしい。

 本はその時売っていても、次に来た時には売っていないこともある。個人が発行している冊子ならなおさらだ。文学フリマなどで買いすぎてしまうのは、次に売っているのか分からないため、脳のブレーキが緩くなってしまうためでもある。

 今回紹介する同人誌も、去年の文学フリマ後に存在に気づき、ああやってしまったと思っていたところ、今年のゴールデンウィークで開催された文学フリマ東京で何とか見つけたものである。こういう幸運は何回も続くわけではない。

 

『She Loves The Router』

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 この冊子は歌人である谷川由里子氏と、堂園昌彦氏が「とにかく好きな人や作品を読みたい人を集めた一回きりの同人誌」というコンセプトで発行されたものである。タイトルは「猫がパソコンのルーターに乗っかっている」様子を描写したTwitterでの呟きが元になっている。

 表紙を見ると、何か圧倒されるものがある。猫がルーターに乗っているという微笑ましい光景には有り余るほどのエネルギーだ。ジョナサン・サフラン・フォア『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』の表紙を思い出した。

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 内容は短歌の連作が5つ、評が2つ、冒頭に30首の連作が掲載されている宇都宮敦氏のエッセイが1つである。連作に関しては、一番好きな歌を引用していきたい。

 

【短歌】

宇都宮敦『この星の夜』

みんなみんな酔っぱらってる明け方にいくつのあかり 誰の呼び捨て

 

 宇都宮さんの連作は歌の中で起こっている出来事の空気感がこちらまで届いていて、どれも読んでいて良かったのだが、その中でもこの歌が一番グッときた。

 酔っぱらっている人たちがいて、街のあかりといういくつもある光と、明け方という1つの光が共存する時間帯。そこから聞こえる誰かが誰かにした呼び捨て。四句と五句の間が一字空けしているのは、呼び捨てが酔っぱらったみんなの騒めきから呼び捨てが聞こえて、一瞬騒めきがおさまったことを表しているのだろうか。もう空気感が最高で、酔いも相まって多幸感がにじんでくる。

 

吉田奈津『戦い』

ふがいない名人ばかりが会いに来る こんなエールがひと夏続く

 

 ふがいない名人って一体何なんだろう? 名人なのにふがいないんだな、名人なのに声に自信がなさそうな気がする。「こんなエールがひと夏続く」ということは、誰かが(おそらく)主体にエールを送るのだけれども、なんか頼りない。励ましの言葉として良いものなんだけど、言う人がなんだかふやふやな感じ。手でつかみきれないけど、妙に腑に落ちる喩えだった。

 

武田穂佳『小さいおにぎり』

 

表情がはじめにわからなくなってぐんぐん遠のく白鳥ボート

 

 池を見ていると、白鳥ボートをこいでいる人がいる。その人たちが主体から遠ざかるにつれ、具体的な人間の特徴は消え、肌色と服の色だけになる。その時にはじめにわからなくなる(ぼやける)は確かに表情だよなあと思う。白鳥ボートはあまり早く進まないが、「ぐんぐん遠のく」 という言葉によって、白鳥ボートが具体物から抽象物になり、やがて点になって消えていくような感覚になる。

 余談だが、作者が大学短歌バトル大学短歌バトル2018で掲出していた歌がかなりグッときたので、それも引用したい。

 

生きてさえいれば 無人の円卓のラスクのざらめがはなさぬ光 (大学短歌バトル2018 1回戦中堅戦 題『ラスク』)

 

堂園昌彦『地図』

君に貸してすぐに返ってきた地図に夢の鉱山を書き加えること

 

 まず、地図に夢の鉱山を書き加えるという行為がひかりを帯びている。すぐに地図が返ってくるということは、目的地をすぐ把握したということだと思うのだが、そこに主体が夢の鉱山を書き加えることで、把握できない目的地が生まれる。最後が「こと」で終わるのも、そのまま歌が通り過ぎずに留まるような効果があるように感じられる。

 

谷川由里子『夏のクイーン』

公園は すごろくだったら上がりかな 梅雨の晴れ間にあらわれる公園

 

 初句と二句の間に一字空けがある。一見空けなくてもいいように見えるが、空けることによって、主体の沈黙と息づかいが見えてくるように思えたので、個人的にはこの一字空けは成功しているように思える。

「梅雨の晴れ間にあらわれる公園」は雨があがったことで、人々が公園で憩い出す、つまり人々が公園を思い出すことを、「あらわれる」と言ったのだろうか。

公園を「すごろくだったら上がりかな」と言っている主体の中で、「梅雨の晴れ間にあらわれる公園」は辿り着きたい、ひかりのような場所なのかもしれない。

 この連作は主体の息づかいが聞こえてくるようで面白かった。主体の息づかいや周りの空気感を感じられる歌は個人的にヒットすることが多い。

 

【評】

鈴木ちはね『夏のみぎり』

 筆者が歌会で出会った歌である、

 

夏のみぎり あなたにの頭にアロハシャツ投げて10年帰ってこない/谷川由里子

「ラインナップ」(『ヒドゥン・オーサーズ』惑星と口笛ブックス 2017.5.26所収)

 

 について論じている。「夏のみぎり」という言葉に立ち止まった筆者はなぜこの言葉が選ばれたのか、別の言葉に置き換えながら論じている。改作によって得るものと失われるものが提示されているため、丁寧だと感じた。その中で主観的な時間感覚というワードが出てくるのだが、私が感じた主体の息づかいも、歌の中で立ち上がる主観的な時間感覚によるものなのかもしれない。

 

谷川由里子『感覚の逆襲 歌会でみつけた素晴らしい短歌』

 この評では、筆者が歌会で出会った7つの歌について論じられている。筆者は、ある歌に感じたときめきを書き言葉にする際、そのときめきは失われると述べている。それでも、ときめきを不特定の読者に伝えるために書く。ときめきを伝えるときに取りこぼしてしまう何かについては、今年の5月に行われた、石井僚一『死ぬほど好きだから死なねーよ』批評会で服部真里子氏が似たような主旨の話をしていた。好きなものから感じ取った良さを伝えるのは嫌いなものから感じ取った嫌さを伝えることの数十倍難しい。

 それでも、筆者は歌から感じたときめきを書いていく。難しいとわかっていても書く。私は筆者と話したことはないが、実直なひとなのだろうなと思う。

 7つの短歌を紹介されて、私は以下の歌が一番心に残った。

 

菜の花を食べて胸から花の咲くようにすなおな身体だったら/山階基

(第0回 北赤羽歌会 2017.4.11)

 

  同人誌を読んでみて、谷川氏、堂園氏が好きな人や作品を読みたい人から作品が届いた時に感じたであろうときめきを、こちらも味わうことができた。一回きりのメンバーと銘打ってあるので、続編を望むことはできないが、続編が無いとわかっているからこそ、記憶に残る部分もあるのだろう。

 

 ちなみに、神保町にある古本屋、古書いろどりにて『She Loves The Router』は委託販売されているとのこと。売り切れている可能性もあるため、問い合わせたほうが確実かもしれない。通販も行っている。購入したい方は早めに行動したほうがいいだろう。

www.kosho.or.jp

石野卓球『ACID TEKNO DISKO BEATz』(2018年に購入/レンタルしたアルバム)

石野卓球『ACID TEKNO DISKO BEATz』

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 2017年リリース。電気グルーヴの結構ヤバい方、石野卓球の9枚目のアルバム。

 前作の『Lunatique』が官能的(音楽で官能的だと思えるもの、結構少ないと思う)でかなり良かったため、今回はどうだろうかと思いつつ春あたりに購入。

 ジャケットはスマイリーとピカチュウが溶け合って血を流しているというデザイン。ポップと悪趣味が融合したような感じだ。

 聴いてみると、名は体を表すという感じだった。アシッドで、テクノで、ディスコなビートである。基本は4つ打ちのテクノで、曲の至るところでウネウネとした音が聴こえて、アシッドだなと感じる。また、ディスコ特有の官能性もうっすら感じられる。前作が服がはだけたような、官能が前面に押し出されている感じだったが、今作は服を着ているけれども、エロティックな雰囲気を漂わせているといったところだろうか。また、前作よりも跳ねるような、楽しげな音が多くなっているような気がする。

 1曲目の『BambuDo』では、キンキンとした音が飛び跳ねながら、多幸感のあるメロディに、アシッド特有のウネウネが混ざる。4曲目の『JackTaro』はアシッド全開で、時々入るフィルインの後の指を鳴らすような音が気持ち良い。6曲目の『KittenHeal』は若干シリアスな曲。3rdアルバムの『throbbing disco cat』に似た質感。7曲目の『SunGarden』はシリアスを抜けて、晴れ間が差すようなメロディが現れる。一聴して、なぜかYMOの『開け心-磁性紀-』という曲を思い出した。そのまま光が差すような曲が続き、ラスト10曲目の『Toxic Love』できれいに着地する。

 個人的には前作のほうが好みだが、聴いてて重くならないので、普段使いに適している感じだった。

ランニングマシンに初めて乗った

 年々体力が無くなってきているような気がする。それに比例して、気力も失われている気がする。小説や短歌、もしくは何らかの文章を書こうと決心してから実行に移すまでには一定の気力が必要になるが、仕事などで疲れていると気力が足りず、実行しようとしても目の前に「きりょくが たりません!」と出てきてしまう。水、木曜日は特にその傾向が強い。

 体力をつける必要がある。定期的に議題に挙がるテーマなのだが、なかなか続かない。体力をつけるための体力が無いためだ。体力をつけるために一定の体力が必要だという事実は、いつも私の足を重たくさせる。今回こそはと思いつつ、やってみることにする。n回目の挑戦になる(n=任意の自然数)。

 

 私は普段おもしろフラッシュ倉庫で検品作業をして生計を立てている。ある休憩時間、運動不足に関する話をしていると、上司が近くにある市民体育館が便利だと言った。調べてみると、比較的安価でトレーニングルームを使えるらしい。トレーニングルームの写真は1つしかなかったが、そこにはランニングマシンが写っていた。ランニングマシン。なんか東京フレンドパークで見たことあるな。そういえば、ウォールクラッシュ(ジャンプして得点の書いてある壁に貼りつくアトラクション)のデモンストレーションをしていた人は、今美味しくご飯を食べることができているのだろうか。

 その後も行くか行かないか迷っていたのだが、ある日、同僚が偵察に行ったと話してくれた。同僚はホラー系フラッシュの検品作業を行っている。皆さんが安心して『赤い部屋』や『ウォーリーを探さないで』を不安げに視聴することができるのも、同僚の検品があってこそなのである。同僚の話だと、中履きが必要らしい。私は中履きを持っていなかった。

 ここである事実に気が付く。運動するのには初期投資が必要なのだ。走るのにお金を取られるトレーニングルームという施設、声を出すのにお金を取られるカラオケという施設並みに悪質だ。人間が行動をすると、お金が減っていく。

 まあ、お金をある程度出したほうがもったいないから強制力が出るだろうと思い、近所の靴屋で安いランニングシューズを買った。

 運動に適した服を何とか家から探し、いつトレーニングルームに行くか考えることにした。平日ど真ん中に行くと、おそらく走った後何もできなくなってしまう。休みの前の日、すなわち金曜日が適しているのではないか。そのあと泥のように眠れる。「泥のように眠る」という慣用句、泥サイドの視点が全くないため、本当に泥があんな感じで眠っているのかは分からない。

 労働を繰り返していくうちに、金曜日になった。靴と運動に適した服、タオルを袋に詰める。会社に持っていく荷物が多くなって困る。自転車で普段通勤しているのだが、カゴに荷物が入りきらず、肩にかけるが、なで肩なので落ちてくる。肩を上げる動作を何回もする必要があり、傍から見るとビートたけしの物まねをしているように見えたかもしれない。

 何とか倉庫にたどりつき、労働を終え、いよいよ市民体育館へと向かう。倉庫から自転車で10分程度のところに市民体育館はあった。中に入ると公共施設感がすごい。料金を支払い、更衣室で着替える。ロッカーが想像の0.7倍くらいしか無かったため、荷物を何とか押し込む。

 着替えが終わり、トレーニングルームへ向かう、ランニングマシンのほかに、エアロバイク、バランスボール、筋トレのためのマシンなどが揃っていた。ランニングマシンは何種類かあるらしい。私はとりあえず、一番入り口に近いランニングマシンを使うことにした。

 私はランニングマシンで絶対に聴こうと思ってたアルバムがある。それは、The Chemical Brothersの『Push the Button』である。なぜそれを聴きたいと思ったのかは分からない。なんとなく走るときに合いそうだからだ。料理を作るときになんとなく合いそうだからといってオリジナリティーを出すのは良くない。しかし、これはランニングなので許される。

 ランニングマシンに乗って、徐々にスピードを上げていく。時速何㎞で走ればいいのかが分からず、試行錯誤の末時速10kmくらいがちょうどいい強度だということを知る。何㎞走ったか、どれくらいのカロリーを消費したのかが一目でわかるのは優れものだが、走っても走っても景色が変わらないため、夢の中にいるみたいだった。また、走っている最中、走ればカロリーを消費するわけだから、その時に食べ物を食べれば実質カロリーゼロなのでは、という理論を思いついたが、ちょっと何言ってるか分からなかった。

 30分ほど走り、きつくなってきたのでやめることにする。降りたとたん少し気持ち悪くなる。走っているのに景色が動かないことと、ベルトコンベアの上でずっと走っていたこともあり、ランニングマシン酔いになってしまったのだろう。しかし、走ると底のほうで沈んでいたものがかき混ぜられるため、若干気分が晴れることが分かった。気力の最大値をある程度増やすためにも、休み前は走ってもいいのではないかと感じた。ちなみに私は、マラソン大会などを見ると「車を使えば楽なのに」と思ってしまうため、マラソンとウマが合わない。マラソンも私の事をそんなに好きではないと思う。

 

 満足したので、夜はラーメンの大盛りを食べた。

Not Waving『Good Luck』(2018年に購入/レンタルしたアルバム紹介)

Not Waving『Good Luck』

 

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 2017年リリース。

 一聴すると、無機質でゴツゴツした曲が多い。声が途中で挿入される曲がいくつかあるが、声が入ることで出る柔らかさを意識的に削ぎ落とされているように思える。声がカットアップされて、本来持つ柔らかさを感じる前に次へ次へ行ってしまうアルバムは時々あるが、このアルバムでは露骨なカットアップはされていない。声が冷たいというか、金属に触ったときに感じる冷たさを思いだす。妙に耳に残る。人間味の薄い声のサンプルが多いが、曲の終わりでライブ会場での観客の反応がサンプリングされているものもあり、ああ、人間がいるのだなという気持ちになる。

 ビートも質感が固い。人間らしさがあまり無いように思える。よく音楽のレビューサイトで用いられる言葉を使えば、インダストリアル(ざっくり個人的な解釈で説明すると、工業的、つまりゴツゴツした音楽)だ。ブリブリうねうねのベースが耳に残る『Me Me Me』、アシッド+無機質に繰り返される声のサンプルが特徴的な『Children Are The Phuture』、質感は変えずに落ち着いた雰囲気を醸し出す『Teach Me』などが気になった。

 分かる人だけに分かる説明になって申し訳ないが、Tzusingの『東方不敗』というアルバムが好きな方は、おそらくこのアルバムも好きだと思う。

 

 

【2018年に購入/レンタルしたアルバム】 !!!『Shake The Shudder』

 アルバム紹介の時間です。

 今まで5枚いっぺんにアルバムを紹介していましたが、どのアルバムを紹介しているのか分かりづらいため、1枚1記事にします。1枚につき500~1000字程度書いていければいいと思います。長すぎず短すぎない量だと感じていますが、ことわざに『帯に短したすきに長し』というものもあります。人それぞれです。

 それではやっていきます。

 

!!!『Shake The Shudder』

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  2017年リリース。!!!と書いて「chk chk chk(チック・チック・チック)」と読む。

 余談だが、道に落としたipodが警察に届けられたとき、本人確認のためか「中にどんなアーティストが入っていますか?」と聞かれたことがあって、このバンドの名前を答えたらすぐに本人判定をされた。

 アルバムについて話を戻していく。黒を基調にしたジャケットだが、暑苦しさを感じる。曲もジャケットと同じようなイメージである。

 !!!は野蛮に踊れるバンドという認識があったのだが、4thアルバムの『Strange Weather, Isn't It? 』から徐々に洗練されていって、それに伴い自分の範囲から逸れていった。今回のアルバムもリリース時は買うのを保留したが、Youtubeにアップされている曲を聴いたら割とよかったため、購入した。

 このアルバムも、初期のものに比べると洗練されているには違いないと思うが、「踊れる」という部分は失われていない。上半身はビシッと決めているけれど、下半身は短パンでノリノリみたいな感じだ。

 一番ハマった曲は4曲目の『NRGQ』で、みなさんにも是非聴いてもらいたい。小気味良いカッティングとずっしりとしたベース、ドラムに、パワフルな声が揃うと、こんなにもノれる曲になるのかという、一見当たり前の事実に驚かされる。他の曲も、基本4つ打ちだが聴いてて単調さを覚えなかった。

 野蛮さは年々抑えめになっても、カッコよさは抑えめにならないことを示してくれる良いアルバムである。

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第二十六回文学フリマ東京に行ってきました

 先日行われた文学フリマについて書こうと思う。

 

 5月6日(日)に東京流通センターにて、第二十六回文学フリマ東京が行われた。私は前回と同様、出店者側として参加してきた。前回は『メゾン文芸部』という、大学時代の友人たちで構成されるサークルでの出店だったが、今回は普段参加させていただいている『空き瓶歌会』という、普段歌会を行っている人々の中に混じっての出店だった。

 前回は短歌と小説の冊子をそれぞれ1つずつ頒布したが、今回は短歌の冊子のみを個人としては頒布した。

 本当はフリーペーパーを出そうかなと考えていたのだが、発作的に冊子が作りたくなったため、3日間という突貫工事で冊子を完成させた。名前は『Vapor?』である。

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 普段私のTwitterやブログを見てくださっている方はご存知かもしれないが、私はVaporwaveというジャンルの音楽をよく聴いている。Vaporwaveをモチーフにした連作を1つ作ったため、そのタイトルをそのまま冊子のタイトルにした。また、友人が撮った写真が個人的にかなりグッときたため、それをグリッチ加工ができるサイトで加工したものを表紙にした。個人的にかなり気に入っている。ちなみに裏表紙は飛行機に乗ったときの写真をグリッチ加工したものだ。

 突貫工事の関係上、20首しか入れることができなかった。もう少し新作を入れられると良かったのだが。

 印刷所にデータを送った後はもうどうすることもできないので、ひたすら誤字脱字が無いことや表紙が思い通りに印刷されていることを祈った。

 

 そうこうしているうちにゴールデンウィークが始まった。ゴールデンウィークの前半、私はボウリングや野球をして過ごした。そのため、後半は筋肉がバキバキすぎて上履きになった。

 ゴールデンウィーク後半は石井僚一さんの『死ぬほど好きだから死なねーよ』批評会にも参加した。参加時の様子は以前書いたため、よろしければそちらをご覧いただければと思う。

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 批評会に行った後、そういえばポップを作っていないと思い、慌てて作ろうとしたが眠気に負けてしまったのと、必要以上に通販番組を見てしまったことが祟り、そのまま朝になった。

 

 なんとか目覚め、体を起こし、準備をして電車に乗った。サークル入場が開始する数分前になんとか会場に着き、行列に加わろうとする。意外に列が少なく安心した矢先、建物の角にも列が続いていることに気づき、動揺する。と同時に、沢山の人が文学をやっていて、それぞれにそれぞれの文学があるのだなとも思った。

 10時を少し過ぎたあたりでサークル入場が始まる。チケットを箱に入れ、カタログを貰って自分のサークルの場所を目指す。地図を見ていたため、迷わずに済んだ。

 数分して空き瓶歌会のメンバーである香村かなさんと有村桔梗さんが現れる。私は段ボールに入った自分の冊子をチェックする。自分の思い通りの仕上がりになっていて、安心する。

 準備を終え、ついに一般の方々が入場してくる。入場のアナウンスとともに拍手が起こる。この拍手を聞くと、これから文学フリマが始まるなという気持ちになる。これは私の始まる感なので、皆さんは思い思いのところで始まる感を覚えてくれればいいと思う。

 続々と人が会場に入ってくる。私には前回は短歌の冊子が9冊売れたので、今回は2ケタにのりたいという目標があった。前回もそうだが、1冊目が売れるまでがかなり緊張する。1冊も売れないのではないか、という思いはどうしてもかき消せないからだ。

 人の流れをしばらくは不安げに見ていたのだが、入場から10分あたりで1冊目が売れる。全力で安堵する。その後もぼちぼちと売れる。

 Twitterで交流のある方とも話すことができた。はしごさんという方がいて、その人が作った『父と子と精霊の御名を忘れてくコミュニケーションさよなら帝国』という歌が、私が短歌に興味を持ち始めるきっかけになった。こうして冊子を売っているのもはしごさんの存在があるからだと思う。はしごさんは今回、既刊の小説を頒布していたのだが、そのタイトルが私の紹介したアルバム『群馬ハイヌーン』から取られたと聞いて、驚きがあった。群馬ハイヌーンについては以前紹介しているので皆さんも読んで是非ダウンロードしていただきたい。寝る前に流すのに滅茶苦茶良いアルバムです。

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 また、前回私の短歌冊子を購入してくれた、かみしのさんとも話をすることができた。かみしのさんはつよい短歌を作っている人で、最近はツイートがバズったりしていた。

【私信】かみしのさんすみません、まだ『永遠ごっこ』読めていません。読み終わりましたら感想を書きたいと思います。

 

 前回より良いペースで冊子が売れ、午前中には前回の9冊を超えた。目標を午前中で忘れることができて良かった。

 売り子をしながら、時間を見計らって目星をつけていたものを買いに行く。胎動短歌会のブースで冊子を購入しようとしていたところ、ブースの売り子の方に、「隣にいる人、木下龍也さんですよ」と言われ、右を向いたら木下龍也さんで、ヒエーになってしまった。短歌が範囲外になっている方にはすごさが分かりづらいかもしれない。あなたが好きなジャンルの、一般で流通している作品を全部購入するくらい好きな方が、目の前にいると思ってくれれば想像しやすくなるかもしれない。こういう時どのような行動をとるのが正しいのかわからなかったため、とりあえず握手をしてもらった。

 その他のブースでも、気になった者はどんどん購入していった。行動範囲が狭かったせいか、ほとんど短歌系の冊子や本になった。次回は別ジャンルも見に行きたい。売り子に戻ると、前回も差し入れをくださった方が今回もいらっしゃて、差し入れを頂いた。Twitterのアカウント名をお伺いしておけば、直接感謝を伝えることができるのですが、分からないためこの場を借りてお礼を申し上げたいと思います。見てくれていると良いのですが。

 また、桔梗さんの歌集はかなり売れ行きがよく、ファンの方がサインを申し出る一幕もあった。皆さんはサインをするとき何を書きたいですか? 私は「こんにちは!」です。

 その後再び売り子をしながら、時間の空いた時にインドカレーの出張販売の店に昼ご飯を買いに行った。前回はバターチキンカレーを食べたので、今回はナッツの入ったナンとジャンボチキン串、タピオカの入ったチャイを買った。ジャンボチキン串は食べ応えがあって美味しかった。ナッツの入ったナンは、食べた瞬間に私の食べ物というフォルダの中に新しいファイルが作成された。タピオカ入りチャイはスパイスが効いていた。インドを舌で感じていたが、私はインドに一回も行ったことが無いため、感じたのは架空のインド感である。

 その後、木下龍也さんが空き瓶歌会のブース近くを偶然通りかかったので、たまたま持っていた『きみを嫌いな奴はクズだよ』にサインをお願いした。了承してもらえたので、サインペンを取り出そうとしたが、動揺してサインペンを探す才能を無くしてしまった。かなり焦ったが、なんとか売り子をしていた桔梗さんにサインペン貸してもらったため、事なきを得た。また、歌集になぜか他人の名刺が挟まっていた。なぜだ。

 その後、売り子をしながら立ったり座ったりお金を受け取ったり冊子を渡したり言葉を発したりしていると、16時半になっていた。段ボールに残った冊子や買った冊子を入れて、受付に持っていき、17時前に片づけをした。こうして今回の文フリが終了した。

 

 今回は15冊をその場で売ることができた。前回は9冊なので少し増えた。また、通販なので購入してくれた方もいたり、友人も購入してくれた(まだ発送できず、申し訳ない)ため、当初の予定よりは早く在庫が減っている。

 今回、私の作った冊子はかなりページ数が短く、短歌の収録数も20首しかないため、立ち読みで全容が明らかになってしまうことに気づいた。そこに良い短歌が入っていれば、あらためて読み返してくれるかもしれないが、良いと思う歌が入っていなければおしまいである。次回はもう少し、ボリュームを増やしつつ、連作のクオリティを上げていきたい。

 文学フリマは、作者の最新作を購入できる場所である。その人がここ最近どんなものに興味関心があり、それがどのように作品へ反映されているのかを知ることができる。こういった場は文学系なら文学フリマ、漫画やイラストならコミケコミティアなどの同人誌即売会でないとなかなか触れ合う機会がない。また、読者と作者、作者と別の作者、読者と別の読者が交流できる場も同人誌即売会ならではの利点だと思う。こういった場があることに感謝しながら、良い作品が作れるように努めていきたい。

 

【宣伝】

BOOTHにて、文学フリマで頒布した短歌冊子『Vapor?』を販売しています。値段は200円+送料180円で計380円となっています。よろしくお願いいたします。

komugikokomeko.booth.pm

 

【予告】

第27回文学フリマ東京で、『メゾン文芸部』として出店を予定しています。小説と短歌の冊子を頒布予定です。よろしくお願いいたします。