コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

【好きな短歌②】「下剤飲んだからかな・・・」って話してる人がいたんだけれど そうだろ/伊舎堂仁

「下剤飲んだからかな・・・」って話してる人がいたんだけれど そうだろ/伊舎堂仁

(伊舎堂仁「100万」、2018年)

 

 電車に乗っている時や、外食をしている時、ふと他人の会話を受信してしまう時がある。だいたいの場合、それらの会話は進行中のものであるため、脈絡などを置き去りにした言葉だけが頭の中に入る。

 この歌では、誰かが言った『「下剤飲んだからかな・・・」』という会話の断片を主体はキャッチしている。その断片だけを頭の中に入れて、少し考えてみた結論が『そうだろ』である。

 『下剤』はお腹の中にある便を強制的に排出する薬である。『整腸剤』と比べると、効き目がかなり強い。単語としても『下剤』は強制力を持っていて、この単語が来た瞬間、お腹の中に溜まった便が排出されるイメージをどうしても持ってしまう。

 この会話の断片の前には、「腹が痛い」や「腹がすっきりしている」のような、お腹に関する話題が他者同士でされていると思われる。この歌では明示されていないが、『下剤』が強制的に腹というイメージを連れてくることによって、読んだ人は会話の様子を理解することができる。

 強制力が導き出す結論は、『そうだろ』という投げやりな肯定である。下剤を飲んだという前提が他に考えられる理由を消してしまう。ただただ強力な前提を肯定するしかない。この話が耳に入った人は皆、『そうだろ』という結論に至ってしまう。至らせる力がこの歌には宿っている。

 結句は大幅な字足らずになっているが、一字空けが入ることにより、他者の会話が耳に入る→脳に伝わる→解釈する→結論を出すという過程が結句を補い、リズムを崩さない。

 会話が耳に入った時に起こりうる反応の1つを、そのままの状態で歌にしていて、感嘆してしまった。

 

 この歌が入っている連作「100万」は、人が何かをした/言った時の空気や思考をそのままこっちに送ってくる。パッケージを整えすぎて、空気や思考が原材料名の一番後ろに入るような状況を、しっかりと回避している。是非読んでいただきたい。 

 

note.mu

 

 

 

SAYOHIMEBOU『卡拉OK♫スターダスト東風』(2018年に購入/レンタルしたアルバム)

 今年聴いたアルバムの紹介をしていく。アルバムを買う/借りるペースと、ブログを書いていくペースが全く合っていないため、どんどん溜まっていく一方である。今回紹介するアルバムもおそらくまだ雪が降っていた頃に購入したものである。

 結構時期によって購入するアルバムのジャンルが偏る時期があり、この頃はBandcampでVaporwaveに属するアルバムを多く購入していた。今後、Vaporwaveに属するアルバムの記事が全体の半分近くを占めていくだろう。Vaporwaveというジャンルは、多くの存在がかなりの速度でリリースするため、休みの日にいくつも聴いて、気になるものを購入している。

 Vaporwaveに属するものの多くは、大まかなカテゴリー分けをすることができるのだが、今回紹介するアルバムは、カテゴリーで捉えきれないものになっている。

 

SAYOHIMEBOU『卡拉OK♫スターダスト東風』

f:id:komugikokomeko:20180717220417p:plain

『卡拉OK♫スターダスト東風』は、SAYOHIMEBOUの2枚目のアルバムである。

 ジャケットを見ると、怪しさが漂ってくる。やけにけばけばしい色合いに日本人形のような髪形のキャラクター(ツノが生えている)、ジャケットの縁や漢字は中国を連想させる。

 このごちゃまぜ感はアルバムに収録された曲にも当てはまる。基本的にテンションが高く、目まぐるしくリズムやメロディが変わっていく。ドリルンベースが投げ込まれたと思えば、別の曲ではゆったりとした蒸気のような音楽に変わり、落ち着く暇もなくバッキバキのアシッドが展開され、最後はアーメンブレイクをサンプリングする( 曲名からして、『DEEPWEB拉麵ブレイクWWW』である)。Bandcamp内につけられたタグからして、『experimental』『hardstyle』『ambient』『electronic』『chillwave』『electronic』『experemental』『future funk』『idm』『nu disco』『plunderphonics』 『vaporwave』と、まるでおもちゃ箱やごった煮のようである。SAYOHIMEBOUのすごいところは、それらのジャンルを1曲単位で行うのではなく、1曲の中に全部詰め込もうとしているところだ。一聴するとVaporwaveとタグのついたアルバムでよく見られる、スクリューや執拗なループで作り上げるぼんやりとしたノスタルジーは薄めだが、曲のタイトルの滅茶苦茶さを見ると、Vaporwaveだなと思う。

 前述しているが、基本テンションが高いため、聴くと耳がバッキバキになる。朝起きてこのアルバムを聴いて外に出たら、世界がやけにすっきりして見えるかもしれない。

 個人的に好きな曲は、アルバムの中では比較的落ち着いた曲調に、やけに主張してくるドラムが印象的な『HOTELプレタポルテ1987』、最序盤の比較的乗りやすいリズムから、様々な音が耳を所狭しと飛び回る『卡拉OK♫スターダスト東風(feat.MCヘブンズドア&ヘルズエンジェル)』、いきなりバッキバキのアシッドを耳に浴びせる、謎のボイスが耳を襲う『スナック広東303号室 (飲茶ブリーチmix)』である。

 めくるめく飛び出してくる万華鏡サウンド、是非聴いてみてほしい。

 

 

The Caretaker『An empty bliss beyond this World』(2018年に購入/レンタルしたアルバム)

 寝る時に音楽をかけていないと安心して眠れない。無音、なおかつ眠る前は頭の中で反省文を書くのに最適な時間だからだ。音楽があったほうが気持ちよく眠れるのだが、歌詞やリズムが耳につくことがあるため、専らアンビエントを聴くことになる。

 今回は寝る前に聴くのに丁度良いアルバムを紹介したい。

 

The Caretaker『An empty bliss beyond this World』

f:id:komugikokomeko:20180711220238p:plain

『An empty bliss beyond this World』はThe Caretakerの8枚目のアルバムである。どんなアルバムなのかと言われると、おそらくアンビエントに属するだろう。アメリカの音楽メディア、Pitchfork内の『The 50 Best Ambient Albums of All Time』という記事に載っていて、そこでこのアルバムを知った。

 このアルバムの特徴は、埃っぽさである。家の奥底で、埃をかぶって何十年も開けられていないレコードを流しているようなアルバムだ。ブチブチとしたノイズが絶えず聞こえてくる。また、1900年前半のサイレント映画のサウンド版で流れてそうな音楽をサンプリングしている。こもったような音質が、埃っぽさをさらに感じさせる。後半になると、さらにレコードノイズがひどくなり、ノイズの雨の中からぼんやりとピアノや金管楽器が現れてくるように思えてくる。

 目を閉じながら曲を聴いていると、頭の中で白黒映画が上映されたような気分になる。どんどん身体が白黒になっていくような気がしてきて、いつの間にか眠っている。

 このアルバムに関しては、曲に着目するよりも、アルバムを通しで流して、雰囲気に浸るほうが合っているように思える。聴いていて耳が疲れないのも夜に聴くのに適している。

 寝る前に、レコードノイズと埃をかぶった音楽が流れるこのアルバムを、小さめの音量でかけてみてほしい。

 

 

 ちなみにこの人はいくつか名義を持っていて、その中のひとつにV/Vmという名義がある。この名義では結構癖のある曲(人によっては曲と言うのをはばかるかもしれない)を作っていて、上のアルバムを作っている人とは思えない。

 

www.youtube.com

 かの有名な『Imagine』をサンプリングした曲で、曲名もそのまま『imagine』である。『Imagine』を歪ませまくったこの曲は、歌謡曲をスクリューするVaporwaveに似た雰囲気を感じさせる(ちなみに、Vaporwaveのアーティストが集まってThe Caretakerのトリビュートアルバムを作っていたりするので、親和性はあるように感じられる)。

 

保坂和志『カフカ式練習帳』(2018年に読んだ本・冊子)

 基本的に文章と言うものは、完結する。どこか作者の意図するゴールに向かって文章は進んでいく。

 小説も同じだ。基本的には結末に向かって進んでいく。まるでチャンネルを回したかのように、文章の意味、設定、空気が途中で違うものになることはほとんどない。

 今回はそのほとんどから漏れ出した小説を紹介したい。

 

 うどんはコシがあるものが好きだ。コシが無いものは私の中のうどん判定機がうどんと認識してくれない。

 今日のお昼はうどんを食べたのだが、うどん判定機は認識しなかった。目や舌はうどんのデータを脳に送り込むのだが、判定機が動いていないため、「確実にうどんとは言えない何か」を食べていることになる。

 

保坂和志カフカ式練習帳』

f:id:komugikokomeko:20180710211754j:plain

カフカ式練習帳』の一番の特徴は、様々な長さの文章が立ち現れては消えていく点だ。隣の家の話、猫やカラスの話、友人の話、子どもの頃の話、さらにはカフカの小説の一部分や天声人語が引用されることもある。

 また、いくつかの断片をまとめたものには、タイトルがついているが、一番最初に出てくる断片の冒頭が、そのままタイトルになっている。

 それだけではない。文章が最後まで終わらないこともある。まるで曲が終わり切っていないのに、他の曲の再生ボタンを押すか

 

   「心の純粋な自動現象であり、それにもとづいて口述、記述、その他あらゆる方

   法を用いつつ、思考の実際上の働きを表現しようとくわだてる。理性によって行

   使されるどんな統制もなく、美学上ないし道徳上のどんな気づかいからもはなれ

   た思考の書きとり」

        (アンドレ・ブルトンシュルレアリスム宣言・溶ける魚』 岩波文庫)

 

 全ての断片が全然違うものなのかと言われると、そうとも言えない。引用される文章はカフカが多く(作者はあとがきで、カフカが書き遺した断片から、この小説の発想を得ている旨を述べている)、作者の嗜好が垣間見える。また、猫の『マーちゃん』に関する話が何回か出てくるほか、ゆるやかに断片同士が繋がりをもっているように思えるものもある。『マーちゃん』の話に代表されるように、作者は猫に思い入れがあるらしく、猫に関する断片は何回も登場する。

 

 最近の定義は人によって違うらしく、2、3日前の事を最近と呼ぶ人もいれば、数年前のことを最近と言う人もいる。最近の範囲は人によって様々である。誰かが「最近できたお店のラーメンがすごい美味しいんだよ!」と言ってきた場合、もしかしたら10年前にオープンしたラーメン屋であるかもしれないので注意が必要である。まあ、地球にしてみれば100年や1000年という単位は最近の出来事であり、最近は伸び縮みが容易な物体として認識されることになる。

 

 この本を読み終わったとき、1冊の本を読んだはずなのに、いくつかの短編小説を読んだような気持ちになった。しかも、それらの短編小説は空気感を共有している。全く違う場面が次々と出てくるのに、本の世界に入っていけるのは、断片たちが空気感を共有しているおかげで、断片が変わっても生活が頭をよぎらないためだろう。

 少し変わった小説なので、意図を求めたくなる人もいるかもしれないが、作者も「おもしろいと思うところを拾い読みしてくれればいい」とあとがきで述べているので、この断片は特段面白いなあ、くらいの気持ちで読むのが一番この小説に合っているのかもしれない。やっていることは結構特殊なのに、読んだ後に疲れないのは、断片たちの世界が無理のないものだからだろう。

 

 「胸のつかえ」に「目薬」をさすという比喩に一瞬引っかかりを感じる。胸のつかえに目薬をさすことは正しいのかと思う。しかし、心にすっきりしない何かがあり、それを取り除いてすっきりとした気分にしてくれるという感情を表すのに目薬は最適解だと思う。胃薬とかだと何も引っかからない。

石井は生きている歌会@福島に参加しました

 遠足感、というものがあると私は考えている。

 楽しみなものかつ、まだ何が起こるか分からないものが近づいてきたとき、頭の中でずっとカウントダウンの数字が刻まれていて、ずっとカチカチ鳴っているような気がする。何か別の作業をしていても、ふとした瞬間にカウントダウンの存在を思い出す。当日に近づくにつれてカウントダウンの音は大きくなって、当日になると急に音が消えて正気に戻る。すると何が起こるか分からないものに対して、少し不安になる。

 最近は遠足感を味わえるような経験はあまり無かったが、久々に味わえるような経験をした。遠足感を引き起こしたイベントは、石井は生きている歌会@福島である。

 

 石井は生きている歌会を主催している石井僚一さんとは、ゴールデンウィークに行われた、石井僚一『死ぬほど好きだから死なねーよ』批評会後の二次会で1回話したことがあった。気さくな方だった。石井さんは歌会活動家と名乗っているため、次は一緒に歌会をしてみたいと感じた。

 

批評会の感想は以下の記事にまとめています。よろしければお読みください。

komugikokomeko.hatenablog.com

 

 少し経つと、石井は生きている歌会@福島が開催されるというツイートが目に入った。ゲストは井上法子さんだ。井上さんは書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズより『永遠でないほうの火』を出版している。良い歌が揃った歌集なので、是非手に取っていただきたい。

www.shintanka.com

 

 私の住んでいる新潟から福島は高速バスを乗り継ぐ必要があったが、お金を工面し、労働も回避できたため、参加することにした。

 歌会当日まで残り一週間になった頃に、提出する自由詠を考え始めた。選あり(歌会では選といって、良いと思った歌を選ぶシステムが採用されているところが多い)の歌会は参加したことがなかったため、どういう気持ちで臨めばいいのかわからず、ひたすら肩に力が入った。私は結構な負けず嫌いなので、どうしても選が欲しいとついつい考えてしまう。しかし、誰が来るのかほとんど分からないのに顔色を伺えるわけがないし、本当に詠みたいものを変えてまで選を取りに行くのは今後の自分のために良くないと思い、いくつかできたものの中から、一番納得がいったものを提出することにした。締め切り数分前だった。

 

 前日は早く寝たほうが何事も良いのだが、遅刻をすると死ぬシステムだったため、寝るのをためらう。結局あまり眠れなかった。まあ高速バスでずっと寝ていれば大丈夫だろうと思い、電車に乗った。そしていつの間にか眠っていた。

 目を覚ますと、電車の中に誰もいなかった。終点に到着したことに気づかなかったらしい。幸い、高速バス乗り場の最寄り駅と終点が一緒だったため、事なきを得た。立ち食いそばを食べ、新潟のお菓子を買い、高速バスに乗った。

 高速バスの中では、初めにKIRINJI『愛をあるだけ、すべて』を聴いた。その中の『時間がない』がかなり良かった。2018年にリリースされた曲の中で今のところ一番聴いている。しかし眠気には勝てず、眠りと目ざめの反復横跳びを繰り返した。

 2時間弱で会津若松に到着した。新潟から福島市に直接行けるバスは無く、会津若松を経由する必要がある。新潟駅から放たれたバスを、会津若松がヘディングして、福島市に叩き込むのだ。高速バスの待合所ではソフトクリームなどが売っていたが、眠気で頭が働いていなかったため、ソフトクリームの美味しさに反応することができなかった。

 1時間半ほどまたバスに揺られ、昼前に福島駅に着いた・ラーメンを食べ、ドトールで時間をつぶしていると、開始時間が迫っていたので、慌てて会場に向かった。

 会場内で迷い、開始1分前に歌会を行う和室に到着する。急いで座布団の数だけお菓子を置いて、空いていた座布団に座った。

 

 全員揃ったところで、主催の石井さんから挨拶があった。前に会った時も思ったのだが、似たような眼鏡を私は持っている。その後、詠草一覧が配られる。そのまま15分程度、13首に目を通す。そして、自己紹介を兼ねて選を発表していく。私は、楽しみと緊張で一週間ほど仕事が手につかなかったという話をしたが、いつも仕事が手についていない可能性もある。参加者の一人であったナイス害さんは、お土産で打順を組んでいたのだが、どんな打順だったのか見るのを忘れてしまった。

 その後、得点の高いものから評を行っていった。最初は様子見をしていたのだが、せっかく福島まで歌会に来たのだから、積極的に評をしていこうという気持ちになり、そこそこ喋ったとは思う。

 私は歌の中の空気感に目がいくことが多く、他の参加者の方が韻律や助詞について評をしていると、そういう視点ももっと持っていく必要があるように感じた。もっと歌の良さをできるだけ取りこぼさないような評の仕方をしていければと思う。

 全部の歌の評を終え、作者が発表された。発表している途中に、井上さんが首席の方にお菓子のプレゼントがあると、ちょっとしたサプライズを発表していた。

 結果として、私はお菓子を貰うことができた。仕事が手に着かなかった甲斐があった。首席を取ることが歌会の目的ではないけれども、初めての選ありの歌会で首席をが取れると嬉しい。お菓子の話があった後、左手が震えだしたので、私はポーカーの才能が無い。

(後日、石井さんから、お菓子を貰っている自分の写真が送られてきたのだが、すごい小物感が出ていた)

 歌会が終わった後は、井上さんと石井さんの即席サイン会になった。井上さんにサインを貰い、喋ろうとしたのだが、緊張しすぎてア行しか話すことができなかった。緊張するとア行しか話せなくなる癖をどうにかしていく必要がある。

 

  その後、懇親会があった。刺身やから揚げ、馬刺しなどを食べた。あとおしぼりもあった。歌会に提出された歌についても感想を言い合った。

  その後、二次会もあり、齋藤芳生さんが参戦した。山田航『桜前線開架宣言』に載っていた方なので、ひえーとなった。二次会ではメロンソーダを頼んだり、ずっしりとした短歌の話をしたりした。

 二次会が終わった後は、石井さんとラーメンを食べに行った。最初に狙いを定めたラーメン屋は、Googleに裏切られ休みだった。二度目に狙いを定めたラーメン屋は空いていたため、そこでラーメンを食べた。そこではやはり短歌の話がメインだった。

 石井さんと別れた後、ホテルに到着し、ワールドカップアイスランド vs アルゼンチンの試合を途中まで見て、力尽きた。

 次の日はまたラーメンを食べて、高速バスを乗り継いで家に戻った。時間の都合上、福島観光ができなかったのが残念である。やはり、三連休で無いと色々動くことができない。二連休は私にはまだ使いこなせそうにない。

 

 歌会が違うと、システムも違い、人が違えば評も違うのだが、今のところ参加した歌会は全て和やかな雰囲気なので、主催の方や参加者の方には頭が上がらない。これからも続いていってほしいし、可能ならば参加していきたいと思う。

V.A.『WEB / そ の 意 味 で』(2018年に購入/レンタルしたアルバム)

 深夜、寝落ちしそうな時に流れているテレビのCM。スーパーなどで流れている曲名があるかどうかも怪しいフュージョン。建物の中で流れる頭にのこらない音楽。それらに耳を傾けてみると、案外面白い発見があったりする。

 Vaporwaveというジャンルがある。昔の曲やCMなどをスクリューしたり、執拗にループした音楽というざっくりとした定義はできるものの、最近は多様化が進み、一概には定義できないジャンルになったように思える。

 Wikipediaには、「2010年代初頭にWeb上の音楽コミュニティから生まれた音楽のジャンルである。大量生産の人工物や技術への郷愁、消費資本主義や大衆文化、1980年代のヤッピー文化、ニューエイジへの批評や風刺として特徴づけられる」と書かれているものの、本当にそこまで考えて行われていたのかは、各個人の頭の中にしか正解が無いため、分からずじまいである。

 今回はそんなVaporwaveを味わうことができるアルバムを紹介したい。

 

V.A.『WEB / そ の 意 味 で』

 

f:id:komugikokomeko:20180626234927p:plain

 このアルバムでは、Vaporwaveに関わっている人の曲が収録されている。このジャンルに揺られているとよく見かけるアーティストの猫 シ Corp.や 豊平区民TOYOHIRAKUMINや、海外の音楽レビューサイト『RA』でも作品をレビューされているNmeshも参加している。個人的にはCMを執拗にループさせた曲が好きなので、
OSCOBや天気予報の参加は嬉しいものがある。

 ジャケットはもうごちゃごちゃで、Vaporwaveではもはやマスコットキャラクター的扱いの胸像や、パソコンの画面、なぜか64版のスマブラのキャラクター選択画面も左上に存在している。右下にはカラフルな色で「週末」と書かれているが、おそらく何も意味は無い。

 曲を聴いてみると、サンプリングした素材をグズグズになるまで煮込んだような曲がたくさんある。

 3曲目の猫 シ Corp.『楽しい』では、スクリューされた素材とディレイのかかったドラムで溶けていくような感覚になる。8曲目のOSCOB『AGES』はメガドライブのCMが執拗にループされる。このCMはいとうせいこうが出演しているが、スクリューしてスピードを下げているため、声の主が誰だか分からない。14曲目の天気予報『不明な送信機』では、テレ玉(テレビ埼玉)のCMや天気予報を聴くことになる。音楽プレーヤーで天気予報を聴くのは、なかなか無い体験かもしれない。

 一番良かった曲は9曲目の海岸『すてきな階段』である。何かの曲の一部分が靄がかかった状態で約7分間続くのだが、どんどん輪郭がぼやけていって、しまいには最初に聞こえていた歌は溶けてしまう。眠る前の感覚にそっくりだ。

  

 このアルバムからVaporwaveのドアを開けてみるのも良いと思う。ちなみに私は寝る前によく聴いている。アルバムを聴いてみて、興味を持った方は、このアルバムに参加している捨てアカウント氏のTwitterや記事を見てみると良いかもしれない。

themassage.jp

 比較的最近(と言っても去年だが)のVaporwaveがどんな動きをしていたのかがうかがい知れる良い記事。

 

 このアルバムは、BandcampにてName your price(自分で価格を決める)で購入できるため、視聴して良いと思ったら購入してみると良いだろう。

 

 

ナイス害『フラッシュバックに勝つる』(2018年に読んだ本・冊子)

 人は良い思い出と嫌な思い出を混ぜこぜに積み上げながら生きていく。積み上げたものに光が差したとき、見えるのはいつも嫌な思い出である。

 良い思い出はふとした瞬間に思い出すことが無いように思える。ふわふわすべすべしていて、暖かい思い出たちは心に置いておくと、いつの間にか無くなったように感じる。これは、良い思い出が心地よいものであるため、異物として感じられないからだろう。

 反対に、嫌な思い出はふとした瞬間に蘇る。とげとげした嫌な思い出たちは、ふとした瞬間寝返りを打って、私たちの心に食い込んでくる。そして思い出してしまう。俗に言うフラッシュバックだ。

 どんなに規則正しく足を進ませていても、一度フラッシュバックを起こすと、途端に歩き方はおかしくなり、スピードも遅くなる。

 

ナイス害『フラッシュバックに勝つる』

f:id:komugikokomeko:20180618231328j:plain

 

『フラッシュバックに勝つる』は、ナイス害(敬称略)による歌集である。作者はなんたる星と言うネットを活動の中心にしている短歌結社の一員であり、大喜利アサラトという民族楽器が好きらしい。一時期私は『大喜利PHP』というネット大喜利のサイトに出入りしていたのだが、そこで見かけたことがある。

 この歌集は去年秋に東京で行われた文学フリマで購入した。代金を渡すときにお金が袖の中に落ちてしまい、「マジシャンみたいですね」と言われたのを覚えている。ありがたいことに私を存じてくれていて、文フリの会場内で本人と挨拶をした。動揺してしまった私はあ行しか喋ることができなかった。

 その後、今年のゴールデンウィークに批評会も行われたのだが、当日は文学フリマがあり、参加できなかった。

 

 タイトルを見ていくと、『フラッシュバックに勝つる』の『勝つる』に目がいく。最近行われていた作者によるキャスでも触れられていたが、『勝つる』はネットスラングだ。しかも、少し前のものである。勝つるという単語を見た瞬間、2010年あたりのインターネットを少し思い出した。フラッシュバックと言う、突然過去のものを思い出す行為に、勝つるという過去のインターネットスラングを用いることで、意識を少しだけ過去に向けようとしているのかもしれない。

 表紙にも目を向けてみる。女性たちが裏表紙も含め総勢7人登場している。輪郭や髪形、服装ははっきりしているのに、顔は乱暴に塗りつぶされている。フラッシュバックに勝つためには、まずあの時の雰囲気を鮮明に再現してしまうであろう、相手の表情を記憶から塗り潰さなければならないのだろうか。

 本歌集では15の連作が載っている。そのうち最後の4つは少し実験的で、女性同士の会話を挟んでみたり、進化した単語を良い声で返す、お笑いコンビのコロコロチキチキペッパーズナダルが特技としている『ナダルリバースレボリューション』をやってみたり、音楽的手法のブレイクビーツを短歌で行ったりしている。作者のサービス精神の旺盛さと短歌で何か違うことをやってみようとする好奇心が見える。

 

 この歌集の中から好きだった歌を3つ取り出してみる。

 

【1】

逃げなさい思い出達よ逃げなさい素敵な人が現れたのよ

(『チュッパチャップスを上手に剥く人』) 

 

 1回読んで、「歌謡曲っぽいな」と感じた。こんな歌詞を誰か歌っていたような気がするが、気のせいだろう。

 主体が生活をしていると、どういった経路を通じてかは分からないが、素敵な人が現れる。素敵な人が現れた時に、一定の人は素敵な人という、前方にある存在にのみ視線が向くと思う。しかし、この主体は後ろを向く。そして後ろにいる思い出達に「逃げなさい」と呼びかける。

 この呼びかけは、言葉だけ見ると柔らかいが、実際はかなり切羽詰まっているのではないだろうか。逃げなさいと1回言う。思い出たちは逃げない。もう一度逃げなさいと言う。それでも思い出は逃げようとしない。最後のダメ押しで、「素敵な人が現れたのよ」と言う。もう思い出達 = 後ろを向いてしまう自分への説得、懇願のように見えてくる。何回も読んでいるうちに、主体が小さく、弱くなっていくように思える。

 

【2】

プロポーズふざけてされたもんだからあれからずっと空洞でした

(『害来たりなば』)

 

 プロポーズというのは、1人に対して基本的に1回しか使うことができない。だからこそ、人々は色々と頭を悩ませながら、プロポーズの最適解を探すことになる。

 主体もプロポーズを受けたらしい。しかし、主体にとってそのプロポーズは「ふざけてされた」ように感じた。相手のプロポーズがどんなものだったのかは分からないのが、この歌の1つめの良いところだ。読み手の頭の中に「ふざけたプロポーズ」を思い起こさせる。ここで、プロポーズをした相手を擁護しておくと、相手は最適解だと思ったのかもしれない。しかし、主体は「ふざけた」ものだと思ってしまった。プロポーズをする/される間柄なのに、とてつもない断絶が生じている。

 そして、「空洞」。空洞がかなり効いている。「最悪」や「灰色」ではなく、「空洞」、つまり何も主体に残っていないのだ。プロポーズをふざけてされたことによって、相手への信頼が自分の中から消えていく。すると主体は空洞になる。主体の中は相手で満たされていたことに気づく。しかし、それが満たされることは再び無いはずだ。とりかえしのつかない断絶が生じている。

 

【3】

 あぬえぬえ 歌はおまえの餌だから次の歌人のところへ行きな

(『害来たりなば』)

 

 あぬえぬえとは、ハワイ語で「虹」を指すらしい。この歌の横に、注釈としてその旨が書かれている。

 この歌は、実験的な連作に入る前の、最後の連作の一番後ろに配置されている。「おまえ」に対して、「次の歌人のところに行きな」と呼びかけている。主体は、もう「おまえ」にあげる歌が無くなったと言っている。

 この歌はこの歌集のタイトルに含まれている、「フラッシュバック」に勝てたかどうかの結末が記されているのではないだろうか。「おまえ」は「フラッシュバックする過去」のことを指していると、私は解釈した。フラッシュバックする過去に歌を投げて、投げて、投げるものが無くなった。そして両手を見せながら、「次の歌人のところへ行きな」と過去を諭す。

 ここで、主体は「フラッシュバックに勝ってないのでは」と思ってしまう。この読みだと、勝ったというより、フラッシュバックする過去に対して、もうあげられるものが無くなったというイメージが強い。それは勝ちなのだろうか? そのもやもやと対比する虹。この虹も、あぬえぬえと書かれているせいで、注釈を読まなければ虹と認識できない。主体の背中がぼやけていくような気がしてくる。

 

 

 ここでタイトルに戻る。『フラッシュバックに勝つる』。勝つるとは、勝利を確信したときのネットスラングだ。ここで注意したいのは、『勝つる』は勝ちを確信しただけで、勝ち切っていない。勝ち切ったなら、「勝つ」になるはずだ。

 この歌集は優しい歌が多い。思い出を題材にした歌の中に、自身の不全感を前面に出したものはほとんどないように思える。それは、作者のフラッシュバックへの戦い方がそうさせているのだとおもう。フラッシュバックを否定するのではなく、肯定して肯定して、フラッシュバックを発生させるもの = 過去を見る自分と和解することで、勝とうとする。優しい戦いの先で、フラッシュバックに与える餌、つまり歌が無くなったとき、作者はこう言うのだ。

「フラッシュバックに勝つる」。

 

 優しい戦いは終わらない。本当に勝てるかどうかは、まだ誰にも分からない。