コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

生まれて初めてスキーに行きました

 スキー場って行ったことありますか? 致死量の白が見られる場所です。

 

 2月はじめに友人たちとスキーに行こうという話になり、たまたまその日は空いていたので参加することにした。しかし、私は二十数年生きてきて1回もスキーをしたことがなかった。埼玉に住んでいたためだろうか。確かに埼玉には大きなスキー場もなければ海もない。しかし、同じ埼玉出身の友人がちょくちょくスキーに行っているため、その説はおそらく間違いなのだろう。

 スキーを全くしたことがなかったため、何を用意していけばいいのかも分からない。友人曰く、スキー板とブーツ、ウェア上下はレンタルできるらしい。しかしニット帽とゴーグル、手袋、ネックウォーマーなどのいわゆる小物類は買う必要があるとのことだった。休日を利用して小物類を用意した。Loftでニット帽とネックウォーマーが安くなっていてかなり助かった。ゴーグルは眼鏡の上から付けられるもの、手袋は撥水性があるものをスポーツ用品店で購入した。ざっと1万円ほどかかり、坂をすべる準備をするだけでこんなにかかるのかと驚いてしまう。土手をすべるのなら、安いそりを買うだけでいいのに。

 なんやかんやあって当日になり、電車でスキー場へと向かう。ボストンバックに荷物を入れていこうと思ったのだが、普段スーツケースを使っていたため、ボストンバックはロフトの上でほこりを被っていた。掃除をする気力もなく、結局スーツケースを転がしていく。遊びに行く前は大体寝不足で、今回もひたすら電車の中で寝ていた。

 自分以外は全員東京から来るため、新潟から来た自分だけ早く目的地に着いてしまう。外で待っているは厳しい寒さだったため、近くの軽食店に避難し、ココアを飲んで待っていた。

 友人がやってきて、スキー用品のレンタルショップへ向かう。スキーブーツを履いてみたが、かなり歩きにくい。小学生の時に老人体験という授業があったのを思い出した。スキーウェアはリフト券を入れるスペースがあるものがいいらしい。

 私服からスキーをするための服に着替え、いよいよスキー場へと向かう。スキー板とストックを担ぎながら、歩きにくい靴で歩いているので滑る前からかなり疲れてしまう。何とかスタート地点にたどり着き、ここからすべるのかと思いきや、リフトに乗る必要があるらしい。位置エネルギーを補充しに行くのだ。

 友人からスキー板の取り付け方の説明を受け、何とか板を装着する。しかし上り坂を全く歩けない。歩いても歩いても同じ位置にいる。そういう地獄か? 結局スキー板を外してリフトに乗ることになった。

 リフトで上まで登り、スキー板を装着する。どうやらリフトはいくつもあるらしい。敵の一人を倒したら、そいつは四天王の中では最弱だった、という展開を思い出した。緩やかな坂を下ってみるが、よく分からない。そしてそのまま中級コースへと連れていかれてしまった。

 リフトでもう一段階高くまで登る。リフトは降りるときが少し曲者で、ある程度滑らないとリフトが追い付いてきてぶつかる危険性がある。リフトのないところまで来ても、次から次へと人は降りてくるため、安全な場所まで移動する必要がある。これがなかなか難しく、タイミングがつかめない。この時点で、スキーの才能がないのではと思ってしまう。

 最初に滑ったコースが中級者コースだった。これが運の尽きで、そこそこの急斜面であるためハの字で滑ることもままならない自分では、スピードが出すぎてしまう。すると怪我をするのではという予感が出てきて、自ら転んでしまう。1回坂で転んでしまうと、なかなか体勢を立て直すのが難しく、立ち上がる→スピードが出てしまう→自ら転ぶを繰り返すことになる。坂を転げ落ちるのも体力がいるため、なぜこんなことをしているのだろう、中学の運動部かよと感じてしまう。この時点では、なぜ人は坂を転げ落ちるのにお金を払っているのかが全く理解できなかった。

 中級者コースに無理があることを悟った友人の一人が、かなり緩い坂道での練習に付き合ってくれた。何回か繰り返すうちにハの字の感覚をある程度つかんできた。

 そうこうしているうちにお昼の時間になったため、ご飯が食べられる場所を探すことになったのだが、一番低い場所にあるレストランは人でごった返していたため、少し上のほうにあるレストランに行くことになった。しかし、このレストランに行くためにも、中級者コースをすべる必要があった。どうにか坂を転げ落ちながらレストランへとたどり着いた。

 レストランはラーメンや丼、カレーなどを食べられる、よくデパートや学食などで見受けられるタイプだった。そこでチャーシュー麺とメロンソーダを注文した。体力を使いまくったあとに飲むメロンソーダはとてつもなく美味しい。体力をつかいまくったあとに食べるチャーシュー麺は普通だった。

 昼食後、スキーを再び滑ることになった。友人たちの一部は上級者コースへ行くらしい。待ち合わせ場所を決めて、各々散った。

 どうやら上のほうへ行くと林間コースというものがあるらしく、初級コースでそこまで斜面も急ではないらしい。私と付き添いの友人はとりあえず、そのコースへチャレンジすることにした。リフトを乗り継いでどんどん登っていく。降りるのにもようやく慣れてきた。実際、途中まで滑ってみたが、あまり急な斜面はなかったように思えた。

 その後、目的地へ向かおうとしたのだが、一つ問題が発生した。どのルートでも中級コースを通らなければ目的地へとたどり着けないのだ。まあなんとかなるだろうと、中級コースへ足を踏み入れたのが、悲劇の始まりだった。

 最初は良かったのだが、途中でとんでもない急斜面が現れた。何とか滑ろうと試みたのだがどうにも上手くいかない。蛇行しながら滑ったほうがいいと言われたが、蛇行を試みる前に加速がついてしまい、どうにもならなくなる。結局途中で断念して、お尻で滑ることにした。お尻のほうが断然早かった。なぜこんなに滑れないのか、お尻ですべるのにお金を払っているのかと思うと、腹が立ってしょうがなかった。

 最後に友人たちと2チームに分かれ、上から一番下まで滑ることになった。私と友人2人は、林間コースをすべることにした。

 途中までは難なく滑れていたのだが、途中で急な坂が現れた。蛇行して進もうとするのだが、すぐに加速がついてしまい、転んでしまう。滑っては転び、滑っては転び、転び、転び、滑っては転びを繰り返し、最後は転んだ拍子に勢いがついて柵に突っ込みそうになった。しかし、柵のギリギリ手前でなぜか90度ターンして、衝突を回避することができた。もうお尻で滑るほうが才能がある気がしてきていた。

 その後も何とか滑り、途中の急斜面は転び落ちつつ、終盤では左右移動がある程度スムーズになった。どうにかこうにか滑れるようになったところで、スキーは終わった。

 腕はバキバキ足はガタガタで、滑った当日でこんなに痛いのに寝て起きたらどうなるのだろうという不安を抱きつつ、新潟へと戻った。

 帰り道、自分が滑っているところを撮影していた友人がいたので見せてもらったが、あまりにスピードが出ていなかっため、一瞬静止画と勘違いしてしまった。同じ動画を見た別の友人は一言、

「牛車」

とだけ答えていた。

 

 案の定、翌日は体がバキバキすぎて範馬刃牙になった。

 

 秋田書店より、『バキ道』第1巻が発売中です。

 

 角力(相撲)の「祖」であり日本最古の公式試合の勝者である野見宿禰。その「宿禰」の称号を継ぐ者が現世にいることを知らされる刃牙
脆くて壊れやすい炭素の塊をこの世で一番硬い物質であるダイヤモンドに変える超絶握力を持つ男が…、日本最古にして最強の「相撲」の神が…、バキの前に立ちはだかる。

(秋田書店ホームページ『バキ道 第1巻』より引用)

www.akitashoten.co.jp

 

 ちなみに第2巻が2019年3月8日(金)に発売予定です。私は『グラップラー刃牙』を途中までしか読んだことがありませんが、興味のある方は是非どうぞ。

 

 

ネプリ・トライアングル(シーズン3)第三回を読みました

 2019年は2018年よりも参加する年にするぞと思い、水沼朔太郎さんが主宰する『ネプリトライアングル(シーズン3)』の第三回に参加させていただくことができた。『通常営業』という10首連作が人の手に渡った。この記事がアップされたときには既にネプリの配信期間が終了しているため、このブログを見て興味を持ったとしても申し訳ないがネプリを印刷することができない。頭を下げながら文字を打っている。私はブラインドタッチが若干できるのだ。

 ネプリが発行された後、連作から私の歌を引用してツイートしてくれる方もいて、かなり嬉しかった。労働は相も変わらず精神に厳しく、ペンを投げたりしたくもなるが、励みになる。そういえばスマートフォンを投げる動画がツイッターで少しだけ話題になっていた。

 

 今回は参加させていただいた『ネプリトライアングル(シーズン3)』の、私以外のお二方の歌を紹介していきたい。

 

汚なさと行かないととを天秤にかけている最寄り駅のトイレ/水沼朔太郎『泡のゆくえ、ぼくのゆくえ』

 

 名詞ではないものを名詞にしてしまう、が登場すると目と気持ちを持っていかれる。この歌では『行かないと』が『とを』の前にくっ付くことによって、『行かないと』は名詞へと変化している。

 その変化は我々を一瞬立ち止まらせるほどの違和感を与えるため、なかなか使い方が難しいように見える。違和感だけが浮き上がってくる短歌になってしまうような気がするのだ。

 この歌では『行かないと』に気持ちが持っていかれるのだが、描かれているシチュエーションがこの違和感を寸前のところで押しとどめているように思える。トイレを我慢して我慢して、戦いが激化したときに思い浮かぶのは最寄り駅のトイレなのだが、綺麗ではない。しかしそこを通り過ぎた後、トイレを我慢できるかは分からない。ここで行っておかないと、どうにもならない事態へと悪化するかもしれない。

 どちらへ重きを置くか、焦燥感に駆られながら考える。少しだけ冷静さを失う便意の上昇が、その人の言葉をずらしていく。冷静に考えたいけど便意によって阻まれてしまうこの瞬間に、『行かないと』の名詞化は合っているように思える。『行かないととを』の、二文字『と』が続くところも、前のめり感が出ていて、急いでいる主体が見えてくる。

 結局主体がどうしたのかは分からないため、読んでいる私の中で天秤がずっと揺れ動いているような感覚になるのが、この歌の余韻になっている。

 

世の中よ。むだに喋ってばかりいる人から先に月になりぬる/大橋弘『今、夢想することの手堅さと引き換えに』

 

 句読点の歌が効果的に決まっているときは、何となくヒップホップの、音が一瞬消える瞬間を思い出す。音が消えることによって、音以上に印象的な瞬間を生み出される。

 この歌の句点も、同じようなカッコよさがあると思う。初句の呼びかけで音が一瞬消えて、二句からまた歌が流れ出す。

 二句以降の読みに関しては、正直読み取れていない部分も多いのだが、『むだに喋ってばかりいる人』という、おそらくあまり良い印象を持たれていない人が結句で『月』という、どことなく静かな印象のある月へ生まれ変わっている。この部分に、「悪い子はサーカスに売られてしまう」のような、遠い世界へ行かされてしまうような恐ろしさを感じてしまう。『むだに喋ってばかりいる人』が、何か大きな力によって物言わぬ月にされてしまったような、何が起こったのか分からないゆえの恐怖。

 初句の大きなものへの呼びかけと、『むだに』という上からの目線、通常ではありえないものにされてしまったことが判明する結句が合わさって、何か大きな力がどこかにいるような気になるのだ。

 

 一通り読んでみて気づいたことは、私や水沼さんは自分に近い範囲のもの、大橋さんは大きなものを詠み込む歌が多かったように思える。そういった連作ごとの比較がしやすいのも、連作が横に3つ並んだレイアウトになっている、ネプリ・トライアングルの良さだと思う。

 

空気系『simple life』

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 2018年リリース。空気系の1枚目の作品。

 Vaporwaveの中には、signalwave(あるいはbroken transmission)というカテゴリがある。音楽性としては、昔のCMやテレビ番組の一部をスクリューしたものにフィルターをかけて、ループさせている作品が多い。1曲1曲がかなり短いものが多く、あっという間に次の曲、次のループへ移行するのでテレビをザッピングしているような感覚にさせられる。今回紹介するアルバムも以上の例に当てはまっている。17曲で19分と収録時間は短い。

 曲名を見てみると、朝起きてからの行動が時系列的に並んでいる。まるで朝の行動をダイジェストで見ているかのようだ。フィルターやスクリューのかけ方が露骨ではないため、ドロドロと溶けていくような曲は無く、穏やかでのどかな、少しだけ眠たいような雰囲気が曲全体に漂っている。晴れた休日の朝に、少しだけ早起きできた時のイメージが浮かぶ。

 全体的に使っているサンプルが古いのも特徴的である。7曲目の『congratulations』で出てくる『小林ゆかり』という人物は、1960年代に子役として有名だったらしい。また、10曲目の『simple』で外人(?)が歌っている曲は『どこまでも行こう』という、1960年から70年代にかけて愛された曲だったりと、よくあるsignalwaveで使われるサンプルより10年~20年ほど古い。現在とかけ離れればかけ離れるほど、サンプリングされる素材は牧歌的な性質を帯びるのかもしれない。

お守りは神の物販

 数年にわたり年末に楽しい予定を入れてみると、その想いがピークに達するのが、実は12月22日あたりだってことが分かった。楽しい予定は12月29日から始まったので、大体1週間前くらいだ。大体ピークは前にやってくる。遊んでいる最中は何も考えないので、気が付いたころには、楽しいではなく、楽しかったに変わっている。自分の家に帰っているときの電車では、良い思い出も大体咀嚼しつくしていて、後は平日をいくつかのパターンで恨んでみたりするだけだ。

 

 12月29日に中学の友人と居酒屋に行った。中学は生き方の方向性がバラバラな人たちが集まれる最後の場所で、そういう友人と話していると、予想外の角度から言葉が飛んできて楽しい。

 楽しさで計算が狂ってしまい、鶏の半身揚げのボリュームを大幅に間違えて、人数分頼んでしまった。後々メニューを見てみると1皿で2~3人前らしい。テーブルがアメリカになってしまった。前日の飲み会でお腹を爆発させていた自分は、鶏を食べまくったから味噌汁しか飲めない体にされてしまった。

 

 次の日は大学時代の友人と居酒屋に行った。もつ鍋を食べた後、時間があった人々でサイゼリアに行った。時間がなかった人は急いでマックへ行ったらしい。どちらを選んでも高校生っぽかった。今の高校生もマックやサイゼリヤに行っているのだろうか。もう、高校生が分からないものになってしまっている。

 サイゼリアでは、クールポコのネタでせんちゃん部分だけを抜き出すとどうなるのかという話が出た。普段何気なく過ごしていると気が付かないかもしれないが、せんちゃんだけ抜き出すと、嘆いて、餅をこねて、また嘆く人になっている。ダメ押しで嘆いている事実を、なかなか正面から受け止めることはない。気付きだった。

 

 大みそかは家でフワフワしていて、2階から1階を行ったり来たりしていた。父親がテレビでオートレースだかボートレースの中継を見ていた。オッズが画面に映っているときに流れている音楽が、かなり聴き流せる音楽で、こういうところを掘っていくと案外面白いのではと感じた。オッズ・ミュージックとでも名付けておこう。その後は紅白歌合戦を見て、2019年に無事移行したことを確認した後、眠った。

 

 元旦は5時くらいに起きて、友人と初日の出を見に行った。かれこれ7、8年ほど友人と初日の出を見に行っているが、毎回集合時間が早く、2019年になるまで誰も不思議に思わなかった。初日の出ポイントには約1時間前に着いたため、住宅の輪郭さえ曖昧だった。初日の出を無事に見て、地元の神社でお参りをした後、来年はもっとゆっくり来ようと誓い合って別れた。

 

 

  その後は昼過ぎまで寝て、友人と神田明神へと向かった。人が結構並んでいたが、お賽銭を投げて拝むだけなので、回転率は良かった。その後は物販コーナーに行き、お守りを買った。

 

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 乾燥する口の開け方だ。

 別の日には、友人とボードゲームカフェに行った。1人遅刻していたので、最初にすぐ終わりそうな『ストライク』というゲームを行った。さいころを投げ合ってぞろ目を作るのが目的のゲームで、すでに場に出ているサイコロに投げて、目を変えても良い。力加減を考えないと場外に出てしまう。友人にバーサーカーがいるので、何回も場外へはじき出していた。

 その後は、『ベガス』『テストプレイなんてしてないよ』『カルカソンヌ』『ドミニオン』を行った。運要素が強いゲームはごり押しができたが、戦略的なゲームは戦い方に気づく前に負けてしまった。5時間ほど遊んで帰宅した。

 その後はごろごろぐだぐだふわふわもちもちして、気が付いたら正月が終わった。成果物としては、弟のプロスピで「なるほどね」という一塁手を作成したくらいだった。

 

労働「おひさー!」

私「😂」

 

 新潟へと戻った。 

 

【好きな短歌⑥】全員で死に方さがした日の えっ?えっ、えっ?打ち上げが、あったんですか?/直泰

 

全員で死に方さがした日の えっ?えっ、えっ?打ち上げが、あったんですか?

直泰『刑務所のみんなで歌ったふたつのJ-POP』(稀風社『墓には言葉はなにひとつ刻まれていなかった』収録)

 

 好き/嫌いや、愛という大きな概念を持つ単語は、自分の感情をストレートに表出することができて、使い勝手に優れる。特に死という単語は、大きい単語の中でもトップクラスにポピュラーな言葉だ。誰だって一度くらいは死にたいと言ったことがあるだろう。
 使いやすさは、擦り減りやすさと言い換えることができるかもしれない。みんながこぞって使うことによって、かえって感情がぼやけてしまうことがある。愛しているや死にたいに耳が慣れてしまった私たちは、それらの言葉を重く受け止めずに流してしまうようになってしまっているのかもしれない。
 今回引用した歌でも、死という単語が使われている。しかし、この歌では死という単語を使うことをゴールとはせずに、むしろ死という単語を踏み台にして、死だけでは表しきれない絶望を生み出すことに成功している。
 何人かで集まって死に方を探しに行く。SNSなどを通じて集まったのだろうか。集団自殺がニュースになっていた時期があったが、この歌はその前段階である。いわば下見のようなものだ。全員という、集団で死というゴールに向かっている、一種の仲間意識のようなものがちらついてしまう。あまり悲愴感が感じられないように思えてしまうのだ。主体も、その仲間意識に動かされながら、死に方を探しているように感じられる。
 なんというか、この<死に方さがし>に参加している人々は、すぐには死なないんじゃないかなという気持ちにさせられるのだ。
<死に方さがし>が終わって、主体は一旦生活へと戻る。しかし後日、主体は何かの拍子に、その後打ち上げがあったことを知ってしまう。死に方を探した人々は、ある程度やり遂げた達成感からか、打ち上げをしていたのだ。やはり、彼らに死ぬ気なんてなかったのだ。
打ち上げは物事を締めるような働きをもつ会なので、<死に方さがし>はいったん終了する。死に方さがしの終わり=実際に死へと向かう、と考えられなくもないが、打ち上げを企画しようとする、あるいは声がかかる人間は、社会にいてもなんとかやっていけそうで、つながりを断ち切ることができないように思えるのだ。
 対する主体は、打ち上げに誘われていない。<死に方さがし>をしたグループから断絶されてしまっている。なんて残酷なのだろうか。<死に方さがし>をしたグループで、主体はいなかったもの、存在を認められなかったものとなっている。もう、そのグループで主体は死んでいる。
 その動揺が一字空け後の、「えっ?えっ、えっ?打ち上げが、あったんですか?」という部分からも伺える。読点が入ることで、思考がまとまらない様子が出ていると思う。
 死ぬことを考えている人間からも断絶されてしまう、これは死ぬことよりも怖いことのように思える。死んだ後も、同じ死者たちの歓迎会に呼ばれないように思えてしまう。前にも後にも断絶が見えてしまうような気がする歌だ。主体はもう生きることも死ぬこともできないのではないだろうか、
死を使って、死を超えた絶望感を生み出せる短歌は、そうそうないと思う。

空中泥棒『Crumbling』

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 2018年リリース。韓国の宅録アーティスト、空中泥棒による2ndアルバム。正確に言えば、前名義の公衆道徳で1stアルバムを出しているため、空中泥棒名義としては初のアルバムになる。

 

 公衆道徳名義で発表された前作では、アコースティックギターを中心に構えた、ノイズが時折織り交ざる、宅録の空気を生かした温かみのあるサウンドが持ち味だったように思える。

 今作では、前作で大活躍したアコースティックギターは少し後ろに下がった。変わりに温かみのある電子音が前作以上に散りばめられている。この電子音が、アルバムに様々な顔をもたらしている。

 弾けるような電子音が、アルバムの始まりを告げる『なぜ?』、アコギと電子音が遠くの暖かな世界へ連れて行ってくれるような『鉄鎖』、空気の中で揺れながら現れるイントロが特徴的な『曲線と透過性』と、アコギと電子音を美味く織り交ぜながらアルバムは進んでいく。前作に比べると、音世界はドリーミーなものになっているように思えるが、夜ではなく、冬の晴れた朝に聴きたくなる。

 また、女性ボーカルとして、同じく韓国でプロデューサーとしても活躍している、シンガーソングライターのsummer soulを起用している。柔らかな歌声は、空中泥棒の世界観に溶け込んでいる。

 前作と違う顔を見せながらも、ゆるやかな音の世界で楽しませてくれるアルバムだ。

 

 ちなみに、日本盤のCDには、アルバムの最後に隠しトラックが収録されている。

 

【トラックリスト】

1. なぜ?
2. 鉄鎖
3. 閉じたように
4. 曲線と透過性
5. 共に崩れる
6. 守護者
7. 泥
8. 消息無し

 

金沢に対してやや尖っていた友人と旅に出る

 基本、旅行に行くときはあまり計画を立てないタイプである。

 生活の外に出ていくのが旅行だと思っているので、計画という生活で何べんもやらされるようなことをあまりしたくない、というのが本音だ。だから、行く県や街だけ決めて、後は当日歩きながら決める。そうすることで、視点や思考が観光地以外の街並みや、生活の外にある生活に目が向いて、面白いものが発見できたりする。これは私の感覚なので、計画を決めて観光地をどんどん巡るのも、別の楽しみ方があるのだろう。

 12月中旬、友人の誘いで金沢へ行った。大体1か月前くらいに行くことが決まったのだが、当日まで何も考えないことにした。私のイメージとしては、金沢と言えば兼六園だったのだが、友人としてはあまり興味がないとのことだった。金沢に対して尖っている人を初めて見た。

 なんやかんやで当日になり、私は新潟から金沢へ向かった。皆さんは新潟を知っていますか? 寝ぼけながら見ると怪獣に見えなくもない県です。

 ほとんど寝ていなかったため、電車ではほとんど眠っていたが、信越本線にあるトンネルを抜けると海がばーっと広がる瞬間は記憶に残っている。突然海を見せられると人はワクワクするらしく、乗客の中には写真で海を取っている人もいた。

 その後は新幹線に乗り換え、出発から5時間で金沢に着いた。新潟から金沢はそこまで離れていないのではと思う人もいるかもしれないが、乗り合わせが悪いとかなり待たされることになる。私は途中の駅で1時間以上待った。ポケモンで登場するマサラタウンとグレンタウンは地理上は近い(分からない人は各自ググってください)が、ゲームではかなり遠回りをする必要がある。そういう感覚に近い。近いのかな。近くないかもしれない。いや近くない。いらん比喩を生み出してしまった。忌み比喩だ。

 金沢に集合時刻の1時間ほど前に到着したが、気力が無かったため待合室で居眠りしていた。やがて集合時刻に近づいたので改札を出て、友人と合流した。どうやら友人も行きたい場所が決まっていなかったらしい。金沢でいきなり宙ぶらりんになってしまう二人。とりあえずひがし茶屋街に向かうバスに乗る。500円出すと特定のバスが乗り放題になるチケットがあり、友人の勧めでそれを買うことにした。

 バスに乗っている間、資格の話をした。世の中には強い資格と弱い資格があり、それらを組み合わせて最強の資格を作ることもできそうだ。

 ひがし茶屋街にあるビストロで昼食をとることにする。二人とも一番安いカレーを頼んだ。旅行をするときはあまりお金をケチらないほうがいいというのは、様々な場面でささやかれているが、単純にビストロというあまり聞きなれない場所にビビってしまい、こういう結果になった。

 その後は金沢城公園を見に行った。とにかくだだっ広い。昔はかなり栄えていたのではないだろうか、ということが身をもって体感できる。ただし、城自体に高さはない(火事で焼失したらしい)ため、城に高さを求めている人は拍子抜けするかもしれない。

 城の中も見学した。

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「ボタンを押すと3分間音声がとまりません」の言い方が怖い。

 城はムーンウォークができる場所があったり、降りるのが怖い階段があったりと、エンターテイメントに富んだ場所だった。

 その後は兼六園に向かった。観光地だったからだ。

 見ごたえのある庭というのも存在するらしい。友人もしきりに「最初から行けばよかった」と悔しがっていた。観光地に対して尖ってもあまり意味は無い。雪が降るともっと見ごたえがあると思う。

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 新旧揃い踏みの杭があった。

 

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 左手のやり場に困っている像もあった。

 兼六園を見終わった後は、甘いものが欲しくなったので再びひがし茶屋街に向かった。景観に配慮したカフェに入り、コーヒーと大福を食べた。

  その後は駅に向かい、夜食の買い出しをした。二十数年生きているのに夜食のコツをつかんでいない私は、蒲鉾と生ハムを買うことにした。

 やることも無くなったので、宿へと向かうことにした。宿がカプセルホテルだったので、どうなんだろうと思いつつ了承したが、友人はどうやら併設されているレストラン的な場所をかなり気に入っているらしい。

 実際、友人は夕食を食べ呑みしている数時間、かなり口角が上がりご機嫌だった。気兼ねなく過ごせる友人が上機嫌な状況は、見ていて気持ちが良い。仕事の話、プライベートの話、普段自分が作っている短歌の話をしていたが、後々聞いたところ後半は覚えていなかったらしい。料理は美味しく、ブリは炙ると強くなるという知見を得た。

 その後は夜食を食べたのだが、お喋りは楽しかったものの、蒲鉾と生ハムは完全に蛇足だった。気力で蒲鉾を食べるという行為はあまりしたくない。

 その後は詠草参加の歌会の詠草について評を書こうとしたが、寝落ちしてしまった。

 

 2日目。起きるという行為が苦手な私は、かなりぐったりしながら朝食が提供されるレストランへと向かう。友人は元気だった。

 宿をチェックアウトして、近江町市場へと向かった。鳥のフンがすさまじい道路を越え、10時半頃に到着したが、人でわんさか賑わっていた。私たちはホタテの貝柱や鰻の蒲焼、コロッケを食べた。新鮮なホタテの貝柱には、のどごしという概念があるらしい。

 その後、少し時間をとってもらい、歌会の評をスタバで書いた。友人が友人でよかったと思う瞬間だった。

 お昼になったので、色々悩んだ結果回転寿司に行くことになった。20分ほど並び、寿司を食べた。寒ブリノドグロは暴力だし、あら汁は格闘だった。美味さで体力を消耗した結果、あまり量を食べることができなかった。

  昼食を終えた後は、他の場所に移ることにした。

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 金箔の巻き方がかなり雑なソフトクリーム。金沢旅行で一番グッときたものかもしれない。

 特に行きたい場所は思い浮かばなかった(金沢に対する知識が足りない)が、検討の結果金沢21世紀美術館に行くことになった。

 展覧会一覧を見ていくと、「DeathLAB:死を民主化せよ」というフレーズが目についた。二人で行ってみると都市と死に関する展示が行われていた。自分が先に飽きてしまい、近くのグッズ売り場へ移動した。良いアウターがあったのだが、結局買わなかった。今は少し後悔している。

 美術館を後にして、金沢駅に向かった。各々でお土産を買った後、本屋へ向かって簿記は取ったほうがいいかという話をした。旅行で簿記の話をするとは思わなかった。簿記だってそう思っているに違いない。

 その後は少し立ち話をした後、私は電車で、友人は飛行機に乗るため別れた。帰りの電車ではひたすら眠っていて、あまりにも眠りすぎていたためか、途中で乗る電車を間違え、詰んでしまうところだった。何とかタクシーを拾える駅で降り、家の近くまでバスが出ている場所まで向かい、帰ることができた。

 

 気兼ねせずに済む友人と行く旅行は、何もしない状況を楽しむことができる。だから楽しいのだと、1泊2日の金沢を通してしみじみ思った。