コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

サラダ、産地直送、どうにもならない

12月1日(日)

 柄シャツを買った後、喫茶店に行った。ミートソーススパゲティを注文すると、サラダが付いてきた。なぜ一般的なランチセットは勝手にサラダがついてくるのだろうか、スマートフォンの契約をすると、よく分からないオプションなどを勝手に付けられそうになるのに似ている。

 二十数年生きているけれど、一向にサラダが普通に食べられるようになる気配がない。トマトは前まではあっても絶対に食べなかったが、最近は鼻で息をしない状態ならなんとか食べられるようになった。しかし、ぐじゅぐじゅがどうしても苦手だ。生野菜が苦手なのに、スーパーの野菜売り場でアルバイトしたことがあった。敵情視察と言える。

 ミートソースは甘めの味付けで、なんだか安心した。

 少し散歩をした後、服屋に立ち寄って黒のスキニーを買った。と思ったが、家で開けてみると、店で見た時より黒くないように見えた。光の加減だろうか。

 

 12月4日(水)

 会社で客がどうしようもなかったので、帰った後にひとしきり怒った。暴言の産地直送だ。

 暴言や愚痴は、その原因となる出来事が起こった直後だとかなりストレートな言い回しになりやすい。その代わり、新鮮な感情を言葉に載せることができる。

 時間が経つにつれ、色々頭で考えるようになるため、加工度が高まる。言い回しも皮肉めいてきたり、柔らかくなったりする。しかし、表現で肉付けされた結果、自分の感情が言葉に乗り切らないこともある。

 半年に1回くらいのペースで、客が怒鳴る機会に出くわす(自分が当事者になっている場合と、たまたまその場に居合わせてしまった場合の2パターンがある)。

 他人に対して怒鳴る、という行為が全く理解できない。怒鳴ることで何か良くなったことってあります? そういう行為でどうにかなってきてしまった人たちが多すぎて、辟易してしまう。

 今更社会に期待なんて全くしていない。どこまで個人で抵抗しても、モンスター気質の人は永遠に怒鳴り続けるし、外部との飲み会が楽しくなる瞬間は訪れない。殺されても平日は定時に間に合うように起きてしまうだろう。今の生活が良くなることもないし、抑うつ状態も暫定的に抜け出しているだけで、今後も一生付き合うことになる。

   逃げるために自らのスピードを速くしていくか、自主的にドロップアウトを選択するしかない。しかし、社会は私以上にスピードを速めていくだろうし、ドロップアウトした先も社会である可能性は十分にある。

 もうどうにもならないのでは?

 どうにもならなさを楽しめるようにしなければならない。

第二十九回文学フリマ東京に参加しました

 年に1回、バターチキンカレーを食べるイベント。それこそが文学フリマ東京だ。このイベントが無いと、バターチキンカレーを食べないまま1年が終わってしまうかもしれない。文学フリマ東京のおかげで、私とバターチキンカレーの縁は切れないで続いている。

 第二十九回文学フリマ東京の感想文を書いていくことにする。

 

前日まで

 とりあえず昨年の販売数は超えよう、という目標のもと、第二十九回文学フリマ東京に向けた戦いが始まった。毎年余裕をもったスケジュールを組もうという話をしていて、当然今年の春頃にも同じ話をしていた。結論から言うと、余裕をもったスケジュールにはならなかった。はたして本当にそんなものが存在するのだろうか。都市伝説かもしれない。

 申し込みをしないと文学フリマ東京には出られないので、お金を支払いに行く。無事に申し込みが完了したことを確認し、さらに数か月寝かせる。カレーだったらとっくに腐っている。

 9月ごろにそろそろ動き出さないとまずい、と言う話になった。1つでも作品を出しておきたいと思った私は、友人に連絡をとり、卒業式の際に披露した謝辞を借りた。

 謝辞のリミックス、というアイデアが浮かんだためである。

 もともと既存の文章の単語をほとんど違うものに置き換えて、全く意味のない文章に作り替えるのが好きだった。謝辞という固い文章で置き換えを行った場合、どうなるのかが気になったのだ。

 ちなみに、いくつか同じ手法を使って書いた文章があるので、リンクを掲載しておきたい。

komugikokomeko.hatenablog.com

komugikokomeko.hatenablog.com

komugikokomeko.hatenablog.com

kakuyomu.jp

「帯分数 独占インタビュー」は、確かClarkのインタビューを基にしたように記憶している。そろそろアルバムを出してほしいと願っている。

www.youtube.com

 

 とりあえず1つ完成したが、これだけでは寂しいしあまり書いた気もしなかったので、あと2つほど小説を書くことにした。

  1つ目の小説では、会話文をできるだけ普段話しているような形に近づけようと試みた。会話文で状況の説明がすぐにされてしまうと、不自然だ。会話は仲が良い間柄であるほど、文脈の共有がされているため、説明はされず外から聞いていると虫食いになっているようなイメージになるのではないだろうか。虫食いの会話について考えながら小説を書いた。

 また、派手なことをしないというのもテーマにした。生活は少し熱が上がったり下がったりするだけで、基本的にはずっとフラットなまま進む。そういう気持ちが小説に反映されているのかもしれない。そういう時期だったんだと思う。

 生活に即したものを目指した結果、結局アルバイト体験記のようになってしまった。今まで教授が学生を殺す小説や、遺灰を投げる大会に出場する小説などを書いていたため、今回の小説はかなりあっさりした仕上がりになった。

 2つ目の小説は、普段ブログで書いているような感じにしようと決めてから取り掛かった。また、1つ目が割とフラットで実際の生活に即したものだったので、反動でずっと嘘を書こうと思った。その結果「くしゃみが大きい人は、くしゃみを大きくする手術を受けている」というテーマになった。

 手術の流れについて調べるために、様々な病院のホームページを見た結果、割とグロテスクな画像を見てしまい、精神がグラついてしまった。

 

 11月の初めを締め切りにしていたのだが、くしゃみの小説が思ったより進まず、他のメンバーも終わっていない。各々が地獄のようなスケジュールをこなしつつ、なんとか参加表明をしていたメンバー全員が小説を提出することができた。

 しかし、いっせいにメンバーの大半が小説を提出したため、校正が間に合わなくなってしまった。校正をしながら校正を受けた箇所を直すという、ながら作業を行う羽目になり、母親がいたら怒られていたと思う。

  その合間にも会社の人を駆り出して表紙の写真を撮りにいったり、組版をしたりなど、かなりの作業をこなした。一太郎を導入した結果、楽になった作業も多々あったが、ソフトに慣れていないこともあり、スピードはそこまで上がらなかった。来年は締め切りを1か月早くしようと心に誓いつつ、なんとか締め切り1時間前に印刷会社に入稿した。

 その後は当日のブース設営で必要なものを適宜購入したり、お品書きを作成したりした。ありがとう東急ハンズキンコーズ。あなたたちのおかけで文フリに使う物品が揃いました。そして雨。お前のせいで髪の毛がぐちゃぐちゃになった。

当日

 ブース設営で使用する道具を用意して、8時半前に実家の最寄り駅から電車に乗った。電車の中ではFlying Lotus『Los Angeles』を聴いていた。

Los Angeles (WARPCD165)

Los Angeles (WARPCD165)

 

  Flying Lotusの中で一番好きなアルバムだ。1曲1曲が短いので、目まぐるしく音が変わるような印象。その中でビートは一貫して存在感を保っている。

 乗っていた車両が階段から遠い位置で停車したため、乗り換えを失敗してしまった。予定より5分ほど遅れて、流通センター駅に到着。駅を出てすぐのところ(というより駅の一部に取り込まれていたように記憶している)にゆで太郎が出来ていて驚く。今年はインドカレーを食べるとして、来年はそばという選択肢もできた。

 設営を手伝ってくれる友人と合流し、第一展示場へと向かう。サークル入場の列に並んでいる間、今年の反省点や、来年どういう小説を書くかという話をしていた。まだ出来上がった本を見ていなかったが、入稿してしまうと今年よりも来年の話をしたくなる。「来年はKawaii Future Novel」を作るぞとその時は言ったが、今は分からない。

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 元ネタの『Kawaii Future Bass』におそらくカテゴライズされる曲。ボーカルやピアノのカットアップが特徴的。良い曲ですね。

 

 10時15分頃に会場に入る。会場のほぼ中央に私たちのブースがあった。

 ブースを設営する前に、作成した本を見ることにした。

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 まず短歌。少し構図が思い通りにいかなかったところもあったが、なかなか良い出来上がり。情報量が少ない表紙にしたかったので、目的は達成できたと思う。来年はタイトルと作者名を表紙に入れなくてもいいかな、と思っている。

 次に小説。カバーを付けたことにより、自分で言うのもなんだが見栄えが格段に良くなった。本棚に入れても遜色なさそうだ(実際にメンバーが本棚に入れてみたところ、遜色がなかったとのことだった)。かなり思った通りの仕上がりで安心する。強いて言うなら、表紙は別にマット加工(ツヤが出ないようにする加工)にしなくてもいいのかなと思った。

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 本を確認した後は、設営をひたすら行った。意外に時間がかかってしまい、見本誌を出しに行く頃には、一般入場まで残り十分を切っていた。

  Y軸を意識することにより、机の上に本が多すぎて収拾がつかなくなる事態は避けることができた。

 

 11時。一般参加者が入場してきた。毎回1冊売れるまでは、かなり緊張する。会場内に人がどんどん広まっていく。我々のサークルに1番最初に来る人はいないのは重々承知しているが、早く1冊売れてくれ、と思う。

 スタートから十数分後、1冊売れた。しかし売れたのは既刊のほうだった。今までにないパターンだったので、肩透かしを食らった。その後もやきもきする時間帯があったが、スタートから30分経たないうちに短歌・小説の新刊が1冊売れ、安心することができた。

 その後もぽつぽつと短歌・小説が売れていく。昼頃には2冊しかなかった小説の既刊が売り切れた。初めて売り切れという文字を書いた。

 昼過ぎにタピオカを買いに、インドカレー屋(ターリー屋)のブースに行ったが、お目当てのチャイは既に売り切れていた。売り切れを突き付けられたのは、文学フリマでは初めてかもしれない。代わりにナッツなどが入った甘めのナンを食べた。

 店番を友人とローテーションしながら、欲しい本を買う。今回は9割が短歌関連の本になった。

 13時過ぎに昼ご飯を食べることにした。友人たち数人とともに再びターリー屋に向かう。並んでいると別の友人が後からやってきて、「あんバターナンはいいぞ」とひたすら勧めてくる。前に、あんバターナンが美味しいらしいという話をしたので、おそらく実際に食べてみたのだろう。しかし、あまりにも機械的に「あんバターナンはいいぞ」と言っていたため、真偽を一緒に並んでいた友人たちに問い詰められる。結局、「甘いものが好きだったら食べても良いと思うが、個人的にはしんどかった」と白状した。自分はすでに甘いナンを食べていたため作戦を変更し、いつも通りバターチキンカレーとジャンボチキン串を購入した。

 毎回バターチキンカレーを食べるたびに、「インドだなー」と思うのだが、1回もインドに行ったことがないため、自分が感じているのは架空のインド感である。

 昼ご飯を食べながら、来年の小説案を出した。オフハウスに行くと憤死してしまう小説というアイデアが出て、友人たちとかなり盛り上がったのだが、今考えると一体何だったのだろうか。

 その後は基本的に店番をしていた。ぽつぽつと小説・短歌は売れ、Twitterを見て購入してくれた方や、相互フォロワーの方もわざわざいらっしゃってくれた。湿気のせいか髪の毛がぐちゃぐちゃで申し訳ないと思う。大学の後輩も来てくれたとのことだったが、ブースを訪ねてきたとき、自分は昼食を食べていたため残念ながら会うことはできなかった。

 あっという間に17時になり、片付けを行う。17時20分頃に流通センター駅を出て、上野でメンバーとお疲れ様会を行った。来年も参加する方向で話は進んだ。ひとしきり喋った後、20時頃に解散した。こうして、今年の文学フリマが終了した。

これから

 結果として、小説は10冊、短歌は17冊売ることができた。今までの当日販売数の推移としては、小説が2→6→10、短歌が9→15→7→17なので、両方とも過去最大の数値になった。小説に関しては、1年に1回、しかも文フリでしか発表していないのに2ケタ売れたのは大健闘と言える。

 今のところは、来年の秋に行われる文学フリマ東京に出る予定で、さらなる販売数アップを見込むために、広報・宣伝活動をしたほうがいいという話になった。ペーパーカンパニーではなく、実体のある部として動き出す。Twitterアカウントとホームページのリンクを以下に記載する。

twitter.com

maisonlc.home.blog

 定期的に更新できればいいなとは思っているが、人間や文明はいつの日か滅ぶと考えているので、そのうちウェブ上にひっそりと佇む廃墟になるだろう。その時、少しでも味わい深い廃墟になっていることを願うのみだ。

 3年間活動を行っているわけだが、年々メンバーのモチベーションが高くなっている気がする。とても良いことだと思う。さらに言えば、私のモチベーションも今のところ、高い状態で維持できている。思考を自分の中で反芻せずに、アウトプットしたほうが色々捗ることに気がついて、実行に移せている。このモチベーションを保てれば、来年の秋頃には今年をはるかに超える、ものすごいものができているんじゃないかという、ただぼんやりとした希望がある。毎日文章を書いたり、短歌を作りたいと思うので、そのうち反動がくるか、最悪の場合死ぬんじゃないかとも思えてくる。それか、今自分は最悪の状態で、そこから抜け出す手がかりを探すためにひたすら何かを作っているのかもしれない。

 

 廃墟になるときに、味わい深いものになれているといいですね。  

持続可能、長谷川白紙、柄シャツ

11月29日(金)

 チョコレートなどのお菓子を机に置いておくと、すぐ食べてしまう。食べると無くなるので買いに行くことになる。食べる。消える。買う。食べる。消える。買う。そのうち破産するんじゃないだろうか。

 最近、飴が一番コスパがいいのではと感じている。美味しい食べ物はすぐ消えてしまうので、口の中で美味しさを持続させるためにどんどん口に放り込むことになる。結果、破産する。対して、飴はしばらく口の中にとどまってくれるため、美味しさが持続する。飴を買う量もそこまで多くならない。結果、破産しない。

 持続可能な美味しさ。飴のキャッチフレーズとしてどうですか?

 

11月30日(土)

 昼ご飯に喫茶店でカレーを食べた。サフランライスを初めて食べたような気がする。スパイスが複雑に混ざり合った味がして、じんわり汗をかく。

 夜に麻婆麺を食べた。ピリ辛感がちょうどいい麻婆豆腐だった。デザートでライチを貰ったのだが、一度も食べたことが無かったため、食べ方が分からない。とりあえずかじってみたが、固い。色々試行錯誤してみて、皮をむいて食べることが分かった。実績の解除。

 ライチを食べてみて、「ソルティライチっぽいな……」と思うのはバカっぽい。「ソルティライチのほうが美味しいな……」と思うのはさらにバカっぽい。

 長谷川白紙「あなただけ」を聴いた。

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  リズムが取りにくいけれど、トランペットとピアノが明るく(タッタッタッとなるところが好き)、ボーカルがあまり耳に張り付いてこないので、すごくポップだ。

 これを聴いた後、一度聴いて面食らって以降そのままにしておいた『草木』を改めて聴きなおしてみたら、かなりハマった。身体に馴染んできたのだろうか。

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 とりあえずアルバムがまだ買えていないので、『草木萌動』と『エアにに』の両方を購入したい。

 曲の感想を書くとき、音楽の知識と文章力が無いことにずっと絶望して生きていくのだろうか。

 

12月1日(日)

 色んな人に「古着屋によく行ってそう」と言われる。想像の私に追いつくために、古着屋に行くことにした。

 電車に乗り、20分ほど歩いて調べておいた古着屋に到着する。入ってみると、普段来ている服の傾向と店にある服が一致しないことに気づく。

 端から見ていくと、柄シャツがいくつかあるゾーンに突入する。柄シャツを1回くらい着てみたいなと思ったので、まじまじと見ていると、店員さんに声を掛けられた。試着室もできるとのことだったので、1つシャツを手に取って試着室へと進む。

 柄シャツを初めて着て鏡を見てみると、「いそうだな」という気持ちと「ちょっと派手だな」という気持ちが同時にやってきた。店員さんがもう少し落ち着いた柄シャツ(落ち着いた柄シャツなんてあるのか? 二律背反ではないのか?)を持ってきてくれたので、そちらも試着する。いがいにしっくりきているような気がする。一回くらいなら、という気持ちになり、購入する。なんか薬物みたいな動機だな。

 店員さん曰く、私は「家でメッチャお香焚いてそう」とのことだった。次はお香を焚く必要が出てきた。 

山階基『風にあたる』批評会に行きました

 山階基『風にあたる』批評会に参加した。今回は『前日まで』『当日』『以降』の3つに分けて話をしていきたいと思う。

 

前日まで

 山階さんの歌集が出る、という話を聞いたのは、確か今年のゴールデンウィークに伝右川伝右さん主催で行われた『路上歌会』の時だったように記憶している。上野恩賜公園だった。「パンダは先に並んだ人が見られます」という看板が面白くて、でも面白さを共有できる自信が無かったので参加していた人には誰にも言わなかった。

 今年の5月に行われた文学フリマ東京で情報が公になり、その後いつだったかは覚えていないが、批評会が行われるという話がTwitterに流れてきた。いつ流れてきたかは覚えていない。その日のうちに参加申し込みをしたことは覚えている。

 それまで批評会は1回しか出たことがなく(その1回は、石井僚一『死ぬほど好きだから死なねーよ』批評会である)、その批評会がスタンダードなものなのかは分からなかった。よくある批評会ってPowerPointを使いますか? そもそも批評会のスタンダードとは何ですか? そもそもの繰り返しになり、ループし、停止します。

 普段は新潟に住んでいるので、普通の土日だとなかなか予定が合わないことがあるのだが、たまたま文フリ東京の前日で、出店者側で参加予定だったことも幸いした。新潟って知ってますか? 武器にするとリーチ面で優位に立てる県です。

 いくら1回行ってるからといえ、まだ批評会について分からないことも多かった。しかし、あまり批評会に行ったことが無い人向けに、批評会とはどういうものかしっかり説明していたので、割と心理的な抵抗感(どういったところか分からなくて怖い、といった気持ち)は和らいだ。批評会ではどういったことをするのか、をあそこまで丁寧にやっている会はなかなかないような気がする。メールの送り方についても、Twitterに記入例を載せていて、分かりやすかった。

 また、批評会のあとに第2部として、ライブ1首評を行うとのことだった。批評会にプラスして何か企画を行うのは一般的なのだろうか。参加表明した批評会は全て批評会+企画といった形式だが、母数が2なので統計としては全く役に立たない。

 その後は生活を百数十セット行い、当日になった。

当日

 5時半に起床。前日は飲み会だったので寝不足だ。今年の2月に精神がぐにゃあ……となって以来お酒は全く飲んでいない。それと関係があるのかは分からないが、飲み会があった日はあまり早く寝ることができない。

 いそいそと支度を済ませ、新幹線に乗る。2時間ほど寝て、睡眠の補填を試みた。

 一度埼玉にある実家にトランジットして、荷物を置く。お菓子を食べた。

 

 実家とはいつ帰ってもヨーロピアンシュガーコーンのある家のこと

 

 という短歌を作ったことがある。しかし、この時に限ってはヨーロピアンシュガーコーンが冷凍庫に入っていなかった。実家ではなかったのかもしれない。まあ、地球に生まれたということは、地球が大きな実家みたいなものであるので、その中に1つでもヨーロピアンシュガーコーンが存在していれば実家という定義は揺るがない。

 30分ほど滞在し、会場がある池袋に向かった。霧雨で傘があまり役に立たない。駅から出たとたん、髪が終わってしまった。天然パーマ特有の悩みだ。これ以上この苦しみを味わう人を増やさないためにも、私で末代になるしかないのでは。

 1時間ほど時間があったので、文フリの買い出しを東急ハンズにて行う。ついでに来年の手帳も買う。今のところ2年連続で挫折しているので、今年こそはと思う。皆さんは「三度目の正直」と「二度あることは三度ある」、どちらを信用していますか。

 割と買い出しに手間取ってしまい、昼ご飯を食べる時間が10分ほどしかなくなってしまう。立ち食い蕎麦があったので慌てて入り、あたたかい蕎麦を頼んだ。かき揚げ蕎麦だったような気がする。

 昼ご飯を食べ終え、早足で会場にたどり着く。会場にはエレベーター以外にたどり着く手段がなさそうに見えた。外からエレベーターの中がモニターで見えるようになっていて、恐怖を覚えた。

 会場で参加費と懇親会代を払い、席に着く。レジュメを軽く読んでいると、開始時刻になった。

 パネリストは乾遥香さん、黒瀬珂瀾さん、染野太朗さん、平岡直子さんの4人。乾さん→黒瀬さん→平岡さん→染野さんの順で歌集などに関する批評が行われていった。4人の継投なので、野球だと5回あたりで投手がマウンドを降りているだろう。

 ここからはレジュメごとに線を引いた文章、青ペンで付け足した文章を羅列していきたい。そこが個人的に気になった部分だと思われる。線を引いた文章と青ペンで付け足した文章が区別できるように、線を引いたものに関しては下線を引く。

 

乾さん

マイノリティ側からの違和感(≠批判)

「個人の今」らしきものが描写されている。にも関わらず、個人的なことが書かれているようには処理されていない

クイズっぽさ

山階基は分かりやすくない

短歌は誰のもの? 歌は作者のものである。歌は作者のものではない

・「船」の多さ

 

黒瀬さん

・自分の身体との対話

・自分の身体をポエジーに捧げない

・自分の身体を基点にして世界を見ている

 

平岡さん

<関係性>

・経験を呼び起こさせる<ボタン>を押すのが上手い→読者の気持ちいいツボを押しすぎてる?

「読者に望まれる歌をつくる」→そのサービスだけが歌ではないのではないか

・作者のコントロールが強すぎて、偶然の美しさがあまりないように見える

 

染野さん

みんなして

つもり やや→本人の意識

・自分のものに回収していく

ほっといた

おたがいのあらすじ

つっかけ

よそさま

 

 山階さんの連作で今まで語られてきたことの、さらに先に行く(もしくは横にずれる)ような話だったように思える。

 一番心に刺さったのは、歌というよりも評に関する話ではあるが、乾さんが言っていた、一言で言い表せる、批評できてしまう用語への警戒感といった旨の話だった(もしかしたら記憶違いがあるかもしれない)。何かを評するときに、使い勝手のいい用語が出てくると、そちらに引っ張られてしまう、何も考えずに使ってしまうことはやりがちだ。しかし、使い勝手のいい用語がその人の魅力・本質的な部分を包括できているかというと、そんなはずはないと思う。絶対にこぼれてしまった何かがあるはずだ。評することの難しさを再認識させられた。

 平岡さんの言っていた「作者のコントロールが強い」といった旨の発言は、乗っかっていきたい気持ちがあるのだけれど、先述した話もあり、もう少し自分で考えてみる必要があると感じる。

 

 第2部ではライブ一首評が行われた。申し込みの時に「時間があれば話したい」といった旨の意思表明をしていたので、時間の都合上自分が指名されることはないだろうな、と思っていたので、名前が呼ばれた時は動揺してしまった。また、自分が選んだ歌の評が行われた直後の指名だったため、慌てっぷりが加速した。

 私が選んだ歌は以下のものである。発表時はしどろもどろになってしまったので、文章にしておこうと思う。

 

梨の皮うすくへだててあかときの指とナイフはせめぎあうだけ

(山階基「秋の手前に」、『風にあたる』p.116)

 

「せめぎあう」という言葉は、例えばレースなどで車同士が抜きつ抜かれつを繰り返しているような場面など、パワー・熱量を感じる場面で使われているような印象がある。しかし、この歌での「せめぎあう」は、個人的には落ち着いた印象を受けた。

 落ち着いた印象を抱かせた要因は、おそらく「あかとき」という時間帯によるものなのではないだろうか。明け方近くの、おそらく外も静かな時間帯に、梨が剥かれていく。「うすくへだてて」「せめぎあうだけ」とあるように、梨の皮を剥いている人は、かなり上手なのだろう。淡々と薄く剥かれていく皮と、指やナイフの動きだけがそこにはあって、それを邪魔するものがこの瞬間には存在していない。歌が切り取っている静かさが、「せめぎあう」という言葉を落ち着かせつつも、印象的なフレーズにしているのだろう。

 こういったことを言いたかったのだが、「自分が踏み入ることのおそらくできないであろう領域で好きな歌を作られてしまった、という気持ち」「何の疑いもなく好きな歌としてカテゴライズしてしまった、本当にそれでよかったのかという気持ち」「好きな歌について、それを伝えきることの不可能さ」などが入り混じった結果、「悔しい」と言ってしまった。短歌をやっていると悔しいことばかりだ。唯一良かった点は、おそらく2分以内に評をおさめた、というところだ。

 1人2分程度とのことだったが、結構時間を大幅にオーバーしている人もいて、その結果一首評を発表することが叶わなかった人もいたと思う。時間は有限なので、定められた時間でできるだけ伝えられるように、努めていきたいと思った。

 

 第2部の後、山階さんから挨拶があり、批評会はお開きとなった。懇親会まで45分程度空いたので、キンコーズにて文フリで使用するPOPやお品書きを印刷しに行った。結構時間がかかってしまい、印刷が終わったのが懇親会開始3分前だった。足元が悪い中、急いで会場へと向かった。試練が多すぎる、私が天然パーマだからか?

 懇親会会場にたどり着くと、すでに始まっていた。荷物を置いて、飲み物を注文する。ジンジャーエールの辛口があって嬉しい。そればかり飲んでいた。

 イタリアンだったので、あまり見慣れないメニューも多かった。なぜブロッコリーが一列に並んでいるのか、たまたま近くにいた伝右川さんと不思議がった。

 その後は何人かとお喋りをしていたのだが、あまりコミュニケーションポイントが無かったため、面識がない人のところには行くことができなかった。立食パーティは私にとって難易度が高い。

 懇親会の後半にデザートが出たのだが、名称が分からなかった。近くにいた左沢さんと北虎さんも名称が分からないとのことで、食感などからムースが一番近いのでは、という結論に至りかけたが、店員さんに聞いたところパンナコッタと返ってきた。パンナコッタを食べたことがないので詳しいことは分からないが、イメージと違った。短歌の話を何人かとしたのだが、パンナコッタ的な何かが一番印象に残っている。

 懇親会が終わり、お腹が空いているような気がしたので、帰りにラーメン屋に寄ったが完全に悪手だった。悪いお腹の膨れ方だった。

以降

 前に行った批評会は、「よし、頑張るぞ」という気持ちになった。今回は、「頑張らないと」という気持ちを覚えた。頑張ろうという気持ちは共通ではあるが、今回は、考えていることをできる限りそのまま言葉に変換していくことの難しさの再認識や、キラーフレーズに乗っかっていくことへの警戒、自分がこれからも作っていくであろう短歌についてなど、課題が増えたことへの焦りもある。しかし、悔しい思いができたことで短歌に対するモチベーションは上がった。短歌が分かることはこの先訪れることはないと思うが、それでも進んでいきたい。

 批評や歌を通して、こういう気付きを与えてくれたことだけでも、『風にあたる』批評会に参加できて良かったと思う。

 

予防接種、文学フリマ、ペーパーカンパニー

11月2日(土)

 インフルエンザの予防接種を受けに行く。ここ数年はインフルエンザになってはいないが、おまじないのようなものだ。

 この時期から予約をしようとしても、なかなか取れないことが多い。新潟では2件断られて、結局両親が通っている病院で受けることになった。

 診察室に入ると、先生が来るまで少し待たされる。隣に本棚があり、医療関係の本と一緒に、ポケモンのフィギュアがあった。ラグラージ、ルンパッパ、ケッキングなど、ルビーサファイアで出てくるポケモンが多かった。一緒のパーティ扱いされているくまモンが少し肩身が狭そうだったが。そういう班編成は現実世界でも時々あったりする。

 医者がぱっと現れ、かなりのスピードで診察をした後に「よし行ける」と言われ、そのまま予防接種をされた。その間僅か数秒。恐ろしく速い予防接種。オレでなきゃ見逃しちゃうね。

 注射をする際に「結構痛いですよ」と言われた。実際に今まで受けたインフルエンザの予防接種の中で一番痛かったので、有言実行だ。

 その後は友人とラジオの収録を行った。今回が5回目(プレ収録を含めると6回目)だ。11月中に出せればいいが、文フリの作業もかなり極まっており、気力があるかどうかは不明。

 

11月26日(火)

 文フリの作業に全身を持っていかれた結果、ブログの更新が滞ってしまった。文フリ自体は過去最高の販売数で終わったのだが、これ以上販売数を増やすにはアウトプットをしっかり行っていかないと頭打ちな気もしている。詳しいことは個別の記事で書こうと思っているが、もっとやりようがあると思う。

 文フリにサークル側で参加するたびに悔しい気持ちになる。これは良い傾向で、こういう気持ちにならなくなったらもう文フリに出す意義は無いのかもしれない。本が出来上がるまでが一番幸せで、出来上がったのを手にした瞬間に、次どうするかという気持ちになるし、自分の中では新刊ではなく既刊だと思ってしまう。売り子をしている時も反省会をしている。他サークルの新刊を買うたびに打ちのめされていく。

 私はメゾン文芸部という、大学時代の友人たちと作った文芸グループの暫定的な代表者だ。しかし、このサークルは1年に1回、秋の文フリ東京の時しか動かさないため、ペーパーカンパニーと化している。これではいけないな、と他のメンバーも思っていたらしく、Twitterとブログを作ることになった。

twitter.com

 生きているうちは更新するようにしたい。明日死んでいる可能性がある。

カービィ、カロリーメイト、負けず嫌い

10月6日(日)

 休日出勤。お腹いっぱいになるとその後の作業に支障が出ると分かっているのに、たくさん食べてしまうことがある。今日がそういうパターンだった。口が寂しくなると、すぐ何かを食べたり飲んだりしてしまう。前世はカービィなのかもしれない。では、今いるカービィは一体?

 

10月7日(月)

 ペポ~

 

10月8日(火)

 ポヨ~

 

10月11日(金)

 かなり大きい台風が来るという話だったので、慌てて養生テープを購入し、窓に貼る。万が一飛来物によってガラスが割れても、散らばりにくくなるらしい。養生テープに関してはTwitterで貼ったほうがいい、貼らないほうがいい、みたいな話が延々とされていて、やはり正しい情報を伝えるツールとしては使いづらい。

 本当は3連休の日曜日に仕事関係の用事があり、東京に行く予定だったのだが白紙になり少しホッとする。

 近くのスーパーに買い出しに出かけてみると、パンと水が全滅だった。とりあえずお茶やカロリーメイトなどを買う。

 カロリーメイトを見かけるたびに、千種創一さんの

 

煙草いりますか、先輩、まだカロリーメイト食って生きてるんすか

 

という短歌を思い出す。思い出せる短歌は私にとって良い影響を及ぼす短歌だと思う。

 買い出し後、ラーメン屋にいって特盛りを食べた。食い溜めみたいな考えが働いたのだと思う。お腹いっぱいでドラッグストアに寄ってみると、パンが売っていたので購入。なんかただ金遣いが荒くなっているだけな気もしてくるが、対策は打っておいたほうが良い。

 

10月12日(土)

 近くのスーパーにもう一度買い出しに出かける。水が入荷されていたので買っておく。食パンも置いてあったので買う。

 外に出ることもできないため、大人しく小説を書いたり、本を読んでいたりした。

 夜中になるにつれ大きくなっていく風の音に不安になりながらも眠る。

 

10月13日(日)

 私が住んでいる地域は風もすごいから強いになり、大きな被害はなかった。しかし、実家はあと少しで川が氾濫していた可能性があったらしく、避難をしたらしい。台風が落ち着いてから連絡を取り、無事を確認した。

 夕方からは友人たちとオンラインで大富豪を行った。次週は大富豪の大会だったからだ。決して小さくない参加料を払って大会に出るわけだから、できるだけ長く戦っていたいという気持ちがある。

 根が負けず嫌いなので、何事にも負けたくない。人生を左右しない物事ほど、負けず嫌い度が増える。負けると面白くないので、できるだけ最善を尽くす。それが社会に向けば、もう少し偉くなっていたのかもしれない。 皆さんはどう思いますか?

CDショップ、孤高、オリジナリティ

10月5日(土)

 大宮にあるセレクトCDショップ、more recordsに行った。大宮で時間が少し余っているときは寄るようにしている。

 こういった店の良いところは、自分の記憶の片隅にしまいこんでいたアルバムに出くわすことだ。Bandcampなどで手に入れるとCDで購入するより割安な場合が多いが、その時点で頭に残っている、もしくはウィッシュリストなどに登録しているアルバムしか購入できないという弱点がある。CDショップは記憶の片隅を刺激する役割も兼ねていると思う。今回購入したNicola Cruzというアーティストの1stアルバムも、以前気になっていたものだ。

 また、more recordsではお店にあるCDが視聴可能なので、ジャケットや宣伝文で気になったものを聴いて購入することができる。そういった買い方をすると、普段自分があまり聴かないジャンルなどでも、好きなものが見つかったりする。Youtubeだけだと、自分の好みに沿ったおすすめになっていくため、見つかりにくくなるものもある。

 今回購入したアルバムは以下の2枚。

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 Nicola Cruz『Prender El Alma』は、民族的な音像にシンプルなビートが乗っかっていくアルバムだ。聴くのに体力や気力をそこまで要さず、純粋に気持ちが乗ってくるので、普段使いもしやすい。2ndアルバムもいずれ購入したいと思う。

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 Thom Yorke『ANIMA』は直近リリースされたRadioheadのアルバムや映画『サスペリア』のサウンドトラックから、ピアノやストリングスなどが前に出てくる静かなアルバムだと勝手に思っていた。実際に聴いてみると暗めの音像というベースは統一されているが、曲によって様々な変化が見えるエレクトロミュージックに仕上がっていて、良い意味で裏切られた。

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 ラショウ、香山哲『少し低い孤高』を読み終えた。 いつ購入したかは覚えていないが、中野のタコシェで購入したことは覚えている。

 この本は『孤高の存在』よりも少し手が届きやすい『低い孤高の存在』についてゲーム、絵、二人が共同で営んでいたお店など、様々な視点から対話をしている。ラショウさんの文体に癖があたり、誤字脱字がけっこう多いためうむーとなる場面もあったが、全体的には創作の心構えとして納得できる部分も多くあった。一番印象的だったのは、『オリジナリティ』という章の、以下の文章である。

 

香山 あえてすごい雑に言うと、オリジナリティがあるか・弱いんじゃないかって悩んでいるうちは、オリジナリティ大した事ない。そういう段階では、悩んでないで気にしてないで、手を動かして作れって感じ。

(ラショウ、香山哲『少し低い孤高』p.53より引用)

 

 創作全般は、すべての道が「まず作れ」に行きつくのだなと思った。今読んでいる塙宣之『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』でも、なかなか芽が出ない若手芸人に対するアドバイスとして「とにかく一本でも多くのネタを書きなさい」と述べられている。作らなければどこにもたどり着けないのだ。

 10月に入ってからは短歌を1つも作っていない。そろそろ動き出そう。