コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

【感想文】『稀風社の水辺』

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 2019年11月24日(第29回文学フリマ東京)に刊行された、稀風社による短歌の同人誌。連作4つと散文2つが載っている。

 同人誌の中から、各人の連作について、感想を書いていきたい。

 

三上春海『献本御礼/論(二〇一六)』

 詞書が多用されていて、さらには詞書が短歌としてピックアップされていたり、注釈が多用されている形式は、斉藤斎藤を思い出すなと感じながら読んでいると、注釈の最後に斉藤斎藤を参考にした旨が記載されていて、先回りされた気になった。

 短歌の営みの中には、献本という文化めいたものがある。短歌の作者同士で歌集を送り合うらしい。基本的には歌集はそこまで多く刷られないため、手に入りにくいものも多い。Amazonには中古で1万円を超える歌集も存在する。

 読みたくても読めない人がいる中で、献本された本をBOOKOFFに売る人もいる。富める者はますます富むし、何もない者は何もないままだ。

 

「【追記あり】著者謹呈の歌集をブックオフに持ち込んでいる著名な歌人が誰なのか判明した」

 

 この連作では序盤から中盤にかけて、献本とそれを取り巻くものによって生み出される格差が浮かびあがり、それは生活とリンクしていく。

 

こんなわたしはよくないのかもしれなくてラボの夜食にもやしを選ぶ

 

 歌集の献本から権力や社会契約の話へと広がっていく後半は、正直数回読んだだけでは噛み砕くことができていない。いつか噛み砕ける日がくるのだろうか。

 連作を読み進めていくと、肌寒くなっていくような気持ちになるのは、経済的な部分にシンパシーを感じてしまっているからかもしれないし(奨学金という言葉が詞書に出た時、自分の奨学金の残高を少し想像してしまった)、作中に登場する札幌という土地の持つ効果なのかもしれない。

 光森裕樹氏が述べるように、歌集がもし<貨幣>なのだとしたら、多くの人が期待している感想は何になるのだろう。心付けだろうか。

 

水沼朔太郎『飛び込んでくる』

 120首とかなりのボリュームの割にあまり疲れないのは、短歌を構成する素材が読者側の生活にも根付いていたり、こちらを違うところへ飛ばしていくような比喩がないからなのかな、と感じた。

 連作中に <母親>と<兄>、そして<トイレ>が出てくる回数が多いように思えた。

 

母親が入院してから母親に似ている人が増えたんだよなあ 

 

<母親>が出てくる短歌は負の感情が滲み出ているが、憎み方の温度が低い。1首目の「だよなあ」という終わり方は、<母親>と<母親に似ている人>への嫌な気持ちを読み手に置いていく。母親が増えていって、そのうち人に対して良い気持ちを抱かなくなるのでは、と思ってしまう。

 

ステテコを兄から2000円で買う 500円玉貯金で払う

 

対して<兄>の出てくる短歌はジャージやステテコといった身に着ける物の中でもインドアなものとくっ付いて、家らしさを強調させる。

 

南海のトイレも良くはなっている実家のトイレへ歩いて向かう

 

 どの歌もトイレへ向かっているか、向かっていることを思い出している。<トイレ>そのものより、<トイレ>に向かっている主体のほうが、一首の中で大きく映っているように思える。

 

ガルマンオブガルマン、ベテラン中学生、水沼朔太郎で乾杯

 

 ウッ、となった歌。この歌を通して登場人物の説明を読者側がしなければいけない感じと、説明をしても特にどうにもならない感じが、個人的には息が詰まった。

 

暖房の24度と冷房の24度はどうして違うの

 

 連作中で一番好きな歌。確かに、と思う。調べれば謎はすぐ解明されそうではあるが、初見ではどうしても言いよどんでしまう生活の不思議。四句目までずっと24度の話をしているところが面白い。結句の問いかけで、読者をどうしてだろうと立ち止まらせる力を持たせていると感じた。

 

鈴木ちはね『失業給付』

 第1回笹井賞の応募作(もしかしたら応募時のものから手を加えているのかもしれない)。最終選考候補作だったため10首しか確認できていなかったが、今回ほぼフルバージョンを読むことができた。

 東京という場所に何かしらの意味付けがされていないところや、自分/他人の感情があまり出てこないように統一されているところが読む側として負担にならず、変に立ち止まることなく読めて良かった。

 

地下鉄の駅を上がってすぐにあるマクドナルドの日の当たる席

 

「地下鉄」も「マクドナルド」も多くの人が出入りしているものなのだが、この歌では人にスポットが全く当たっていないこともあってか、空間だけが浮きあがっていくようなイメージだ。読み進めていくと、自分も「地下鉄」から出て「マクドナルド」の店内へ入っていくような気持ちになる。

 

母が自分の余生を自分の資産から逆算してみせるその手つき

 

 水沼さんの「母」と比べると、主体は「母」に対してどういった感情なのかはほとんど読み取れない。

 ゆっくりと折られていく指と、(おそらく)頭の中で計算しているときの、自然と目線が上にいってしまうような感じを読み取った。「余生」や「資産」が関わる計算は、生々しさがある。

 

新幹線はかっこいいという直観を忘れないまま育ってほしい

 

 連作中で一番好きな歌。直感ではなく「直観」である。

 まず、「新幹線」が「かっこいい」という本質を構成する部分について1回考えた。速さかフォルム、そのどちらもだろうか。しかし、そういったところを考えていくほど、「直観」から外れてしまう難しさがある。そして、「忘れないまま育ってほしい」のは誰なのだろうか。私は「不特定の誰か(もっと言えば誰かでもない、ぼやっとしたもの)」だと解釈した。特定されない/できないことによって、こちらの想像の余地が十分に残されていて、楽しく読めた。

 

鈴木ちはね『ずっと前』

  10首連作。過去にフォーカスが当たっている連作だと感じた。

 

 老人の主語がでかくて笑っちゃう春の大きなバスに揺られて

 

 バスの中で、老人が主語の大きい会話(「日本人は~」などだろうか)をしているのだと思う。こちらまで聞こえるということは、ある程度声量もあるのかもしれない。

 話の内容よりも細かな部分に注意がいってしまうのは個人的に分かるような気がする。この主体は話よりも、話をしている老人の主語が大きかったことだけに興味が引っ張られている。話の中身には焦点を合わせていない。

 少し、春はどちら(「老人の主語がでかくて笑っちゃう」なのか「大きなバスに揺られて」なのか)にかかっているのか判断するのに迷ったが、私は「老人の主語がでかくて笑っちゃう」にかかっていると解釈した。

 「でかくて」というくだけ方はどうなのだろうという気持ちがある。「でかくて」だとくだけすぎな気がするが、大きくてだとリズムが悪いし丁寧過ぎる気がする。中間あたりの言葉がどこかで発明されないかと思う。

 

 

 散文に関しては、鈴木さんが「増幅」「圧縮/解凍」「沈黙」に考えを、三上さんが短歌から離れた石井僚一さんについて文章を書いている。3回しか会ったことはないが、石井さんは元気にしているだろうか。

 その中でも鈴木さんの文章に出てくる「あえてを排する(実際の文章には『あえて』に傍点がついている)」という部分は個人的に気になるところがあって、もう少し自分でも考えてみたい。

(個人の話になってしまうが、生活の中で見かけた文章を、感情的になりそうな部分をできるだけ排除しながら、短歌の中でサンプリングさせることができないか、ということを最近は考えている)

 

 今回も面白く読ませていただいた。次の文フリも何か出すのだろうか。

家計簿の才能、やっていく、コーヒーフロート

1月18日(土)

 ここ1年ほど家計簿をつけているのだが、平気で2、3万円ほどずれる。給料が出たタイミングで全財産がどれくらいあるのかチェックをするのだが、理論上の全財産よりも現実のほうが足りない。昼ご飯のときにレシートを捨ててしまったり、レシートが出ないようなイベント(飲み会など)で記録を付け忘れていたり、寝ている間にふらふら家を出て、近くにあるどぶ川にお金を投げたりしているのかもしれない。

 家計簿の才能が無いなと、つくづく思う。義務教育を一応は受けているのだが、家計簿について全く学ぶ機会が無かった。そういう学部を出ていないからかもしれない。

 

 午後から小瓶歌会に行った。歌会とは、ざっくり言うと短歌を持ち寄って評や感想を言い合う集まりのことだ。新潟の砂丘館という場所で行われていて、風情~となる。

www.sakyukan.jp

 今回はテーマ詠(テーマに沿った短歌を作る)と自由詠の計2首を持ち寄った。

 ここ数か月は歌会に出ていなかったため、改めて他の人の短歌を評することの難しさを感じた。これに関しては回数をこなさないと力が付かないような気がする。あらゆることが、「結局、やっていくしかない」に収束しているような気がする。やっていくことに関して、なかなか高い水準で気力を保つのは難しいなと最近はずっと思っている。短歌についても、数年前のように毎日作れなくなっている。

 他の人の評を聞き、改善できる部分に関しては改善していく。今回出した歌は2月~3月に出そうと思っている短歌連作に載せるか、しばらく寝かせようと考えている。

 会場にある別の部屋では、アンビエント系のアーティストがリハーサルをしていた。その日の夜に砂丘館でコンサートを行うらしい。ノンビートで、会場に合った音楽だと感じた。

 歌会が終わった後は懇親会があった。デザートの欄に「コーヒーフロート」と書いてあった。普通ドリンクの部分に記載されるのではないか。しかし、デザートのようなコーヒーフロートなのかもしれないと思いつつ、注文してみると普通のコーヒーフロートだった。しかも量が多い。食べる・飲むたびに身体が冷えていくのを感じる。一体何が悪いのか、居酒屋か、コーヒーフロートか、頼んでしまった自分か。いや、お前か? 

 すっかり身体が冷えてしまったため、解散後にラーメン屋に行った。衛生面があっあっ一般的なあっという感じで、記憶から削除していたのだが、ブログを書いている途中で思い出してしまった。ブログもメリットとデメリットがある。

椎名林檎、変身願望、サプリメント

1月14日(火)

 世間は平日だったが、私は休日出勤による振替休日だった。せっかくだからしてみたかったけどなかなか実現しなかったことをやりにいこうと、カラオケに向かった。椎名林檎の『加爾基 精液 栗ノ花』を1曲目から順に歌ってみたかったのだ。なぜこのアルバムかというと、暫定的に椎名林檎がリリースしたものの中で1番好きなアルバムだったからである。『勝訴ストリップ』が1番の時期もある。

 してみたいけどなかなか実現しないことは結構あって、ボルダリングや和装、「『勝訴ストリップ』のジャケットの椎名林檎」「Tommy february6」「『平凡』をリリースしたころの志磨遼平」になる、などが挙げられる。参考画像もアップしておく。

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 私は変身願望が強いので、こういうしっかりとしたコンセプトの基に成り立っている格好を見ると、つい真似したくなってしまう。自分の顔が嫌いなので、鏡で見ても自分だということが分からないくらい、化粧や仮装をしてみたいと思っている。女装も何回かしたことがあるが、自分を形成している顔が隠されていくような感じがして嬉しい。ガチガチな女装や異装って、みなさんどこでしてるんですかね?

 話題は逸れてしまったが、カラオケボックスに入った。何曲か普通に歌った後、『加爾基 精液 栗ノ花』を1曲目から順に歌っていった。アナログ盤でボーナストラックになっていた『映日紅の花』もしっかり歌った。

 自分の声も嫌いなので、ボイスエフェクト機能の1つであるテクノボイスで加工しながら歌った。自分の声ではないものがスピーカーを通して出てくると少しテンションが上がる。自分である・自分がしているのに、自分ではないように見える・聞こえることに快感を見出しているのかもしれない。そのうち心霊スポットにでも行くのではないだろうかはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれたはいれた

 一通り歌ったら疲れてしまい、その後は家でゴロゴロしていた。気が向いたら『勝訴ストリップ』を1曲目から順に歌ってみたい。

 

1月18日(土)

 サプリメントが底を尽きたのでドラッグストアに行った。1日に必要な摂取基準量が1粒で摂れると書かれたマルチビタミンを購入する。私は生野菜が苦手なので必然的に栄養が偏りがちになってしまう。シャキシャキ感という概念に対してテンションが上がらないのだ。栄養が摂れている実感は全く無いが、一種のおまじないだと思って飲んでいる。家に飾るだけで1日分の栄養が摂取できる免罪符とか売ってないだろうか。

 サプリメントを買うたびに思うのだが、何費として計上すればいいのだろうか。食費か日用品か。食という感じはしないが、日用品を経口摂取することもない。この疑問に対して政府はどのように回答しているのか、知っている人がいたら教えてほしい。

ドレスコーズ『平凡』

 2017年リリース。志磨遼平による流動的なソロプロジェクト、ドレスコーズの5thアルバム。

平凡【TYPE-B(初回限定盤)】CD+DVD

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 ドレスコーズのアルバムを聴くのはこの作品が初めてなので、それ以前のアルバムがどういった音楽性なのかは分からないということを最初に書き記しておきたい。

 

 このアルバムは『ごくごく近未来の世界で発表されたとあるバンドの作品』というコンセプトで、個性と平凡の価値が逆転した世界観が描かれている。

 個性的であろうとすることで、かえって「個性的である」というテンプレートに嵌め込まれてしまうある種の逆転現象によって、かえって平凡であることのほうが個性として浮き出ていってしまう世界と、その反動としての平凡への希求が歌詞の中で何度も現れる。<平々凡々こそ我らの理想>と高らかに告げる『common式』はその世界観を端的に表している。

 音楽的にはファンクが土台になっている。前に乗り出してくるベースや、歯切れの良いギターのカッティングギターなどが印象的だ。ホーンとともに平凡を高らかに宣言する『common式』、かと思えばすぐさま逆の思想へと歌詞が向かう『平凡アンチ』。Bメロのメロディが民謡的に聴こえる『人民ダンス』、前面に出たスラップベースと歌謡曲チックなストリングスが特徴の『エゴサーチ&デストロイ』、レゲエまで取り込まれた『静物』など、聴きどころは多い。個人的にはバスドラムと重なり続けるギターがサビで解放され、踊り狂う『マイノリティーの神様』が一番好みだった。

 ディストピア的な世界観は、先人たちの多くのアイデアがあるため、このアルバムに収録された曲の歌詞が、そこから一歩先を行っているかは正直分からない。しかし、暗くなりがちなディストピア的世界観にファンクの快楽性を混ぜ込めたのは、結構すごいことなのではないだろうか。

 

 以下は直接アルバムと関係はないが、このアルバムをリリースしたときの志磨遼平が心を揺さぶられるほどに格好いい。

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 2020年はこういう感じになりたい。

 

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ヒートテック、ジャムサンドクッキー、ぬいぐるみ

2020年1月13日(月)

 前回の日記が12月22日(日)だったので、約3週間空いたことになる。思い返して書こうと思ったのだが、そんなに思い出せない。年末は人に何回か会ったが、話した内容はあまり覚えていない。笑っていたのは覚えているので充分だと思う。

 ユニクロヒートテックを買いに行った。家にヒートテックが3つあるのだが、洗濯を忘れてしまうと着ることができなくなってしまう。平日分あればどうにかなると思い、2つ買う。サイズという概念を忘れていて、レジで大きいサイズを取っていたことに気づく。こういった経験は初めてだ。 

 その後、無印良品に行く。カレーコーナーをひとしきり見た後、ジャムサンドクッキー2つとジャムサンドクラッカーを1つ購入する。カレーは意外に値が張るので今回は躊躇した。

 私はジャムサンドクッキーが大好物だ。私の家から半径3キロ以内に住んでいる人の中で一番好きだと思う。いやいや我こそはという、私の家から半径3キロ以内に住んでいる方、今度勝負しましょう。

 少し歩いた後、喫茶店に行って短歌を2首を作る。年々短歌をどうやって作っているのか分からなくなっているような気がする。短歌研究新人賞や笹井賞に出した連作を見返しても、もうこういうのは作れないなと思ってしまう。

 2月あたりに10首連作を出せればと思っているが、どうなるかは分からない。分かりたい人は神にLINEでもして聞いといてください。私はブロックされているのでどうしようもないので。

 駅ビルに、人が発した声を真似して発音するぬいぐるみ、みたいなものが置いてあるお店がある。どういった趣旨のお店なのかはまだ分かっていない。

 ぬいぐるみの前で、子供がうるさく感じない程度の声で話しかけている。どうやらぬいぐるみを面白がっているらしい。子供が笑い声をたてると、ぬいぐるみも低音質の笑い声を返す。そこまでは良かったのだが、途中で別のぬいぐるみが子供とは全く違う笑い声を出し始めた。狂ったようにガーガー笑いだしたため、怖くなってしまい歩くスピードを速めた。

  夜は髪を切った。いつも髪を切ってくれる方は私がネット上でどういうことをやっているのか知っている。ブログをやっているのもおそらく知っているはずだ。途中でアウトプットをやっていく必要がある、という話をした。ネット上に何かしら発信しないと私は存在が消えていってしまうので気を付けていきたい。

 途中で救急車がかなり近くまできて一時騒然となったが、無事に髪は切り落とされた。2、3月は忙しいので、ある程度間隔が空いても大丈夫な短さになった。

個人的に良かったアルバム(2019年)

 毎年行っている、良かったアルバムの紹介を行っていこうと思う。今までは、自分が2019年に購入・レンタルしたアルバムというくくりで行ってきたが、今回は2019年にリリースされたアルバムに限定する。また、今まで10枚紹介していたが、今回は数を決めないで紹介していきたい。

 2019年に購入・レンタルしたアルバムの枚数は80枚だった。枚数の推移は以下の通りである。

 

2016年:149枚

2017年:207枚

2018年:145枚

2019年:80枚

 

 今までに比べると、今年はかなり少ない。精神的に不調だと、色々CDを探してみようという気も起きないらしい。また、2019年リリースのアルバムが少なかった。来年はもう少しアンテナを伸ばしてアルバムを探していきたい。

 過去の記事は以下の通りである(その年にリリースされていないアルバムも多々含まれている)。

komugikokomeko.hatenablog.com

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柴田聡子『がんばれ! メロディー』

がんばれ!メロディー

がんばれ!メロディー

 

  シンガーソングライター、柴田聡子の5枚目のアルバム。

 前作よりもキャッチーさがかなり上がっているように思う。アルバムの大半がバンド編成になったからなのか、それとも本人がインタビューで『〈勝手に幸せになるぞ、私もみんなも勝手に幸せになるぞ〉って。それだけを旗印に頑張っていこうと思うようになりました』と話しているように、心境の変化が関係しているのだろうか。

 対して歌詞は、今まで柴田聡子に感じてきた、こういう状況を歌詞にするのかという驚きを今作でも保っている。(おそらく)近所の家の犬が逃げた話で1曲もたせたり(『ワンコロメーター (ALBUM MIX)』)、本人曰く流しそうめん大会の歌(『セパタクローの奥義』)だったり、歌詞のモチーフをどこから引っ張ってくるのかと思う。

 このアルバムの個人的なハイライトは、キャッチーさと切なさが噛み合った『涙』だ。ベースとドラムが中心のAメロ、Bメロから、空間にやさしく響くギターが印象的なサビ。そして、最後の自分とあなたを対比させる歌詞。どん底の時に何十回も聴いて、すごい救われたからか、今でもこの曲を聴くと泣きそうになる。

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Tempalay『21世紀より愛をこめて』

21世紀より愛をこめて

21世紀より愛をこめて

 

   3人組ロックバンド、Tempalayの3rdアルバム。

  『SIKEI-MUSIC』というブログをよくチェックしていて、そちらでこのアルバムも紹介されていた。かなりの頻度でアルバムレビューを更新していて、そのバイタリティに敬服する。記事だけ読んで視聴もせずにレンタルした結果、好みにどストライクで、初めて聴いてから半年ほど経つが、いまだにコンスタントに聴いている。

 1つ前のアルバムである『from JAPAN 2』よりもサイケデリック、というより奇怪な音世界に磨きがかかったように思える。『そなちね』や『どうしよう』のような、終盤に向かって世界が広がっていくように聴こえる曲(キーボードによる効果が大きい)も好きなのだが、途中で展開の変わるような曲たち(『のめりこめ、震えろ。』『人造インゲン』『Queen』)がアルバムに散りばめられていることで、何が起こるか分からず、聴いている側が注意深く聴くような効果をもっていると思う。サイケデリックな音を土台としながらもバラエティに富んでいて、途中で飽きたりだれたりすることもない。個人的には2019年の後半、1番聴いたアルバムだった。

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Ogawa & Tokoro『Planetary Exploration 惑星探査』

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  名古屋の宅録デュオによる1stアルバム。

 ゆるやかなシンセサイザーとギターが特徴の『Crystal Meditation』で始まるこのアルバムは、どこか懐かしさを帯びているように感じる。どこかで聴いたことがあるような気がするが、気がするだけだと思う。そう思わせる力を持っているのだろう。教材ビデオや会社紹介などで流れている音楽を高品質にしたようなイメージだ。

 全体的にラウンジ・ミュージック風味だが、R&Bやディスコ的な要素もときおり顔を覗かせる。BPMが全体的にゆったりしているからか、聴き疲れしないのでどんな場面でも流すことができる。普段使いしやすいアルバムだと思う。

 

 天気予報『ひまわり画像』

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 天気予報によるアルバム。かなり多作であるため、何枚目のアルバムになるのかは分からなかった。

 Vaporwave(去年12月にユリイカで特集されましたね)内のサブジャンルに、signalwave/broken transmissionがある。1980年~90年代のCMなどをサンプリングし、スクリュー・ループを行うのが特徴だ。このアルバムもsignalwave/broken transmissionに属する。

 以前リリースしていた『雰囲気』は100曲入りのアルバムだったが、今作はなんと360曲、収録時間は6時間18分にも及ぶ。自分も1、2回しか通しで聴けていない。寝る前に聴くのだが、途中で眠ってしまうのだ。

 あまりループが執拗ではなく、曲によってはループさせずほぼそのままサンプリング素材を使っているようにも思える。半分近くの曲は1分以内に終わり、次のサンプリング素材(CM)へと移る。夜中、永遠に終わらないCMを、布団をかぶりながら聴いているような気持ちになる。

 Bandcampのリンクを貼ろうと思ったのだが、つい最近(2020年1月20日)、天気予報は突如活動を終了し、Bandcampからアーティストページは削除され、現在はごく一部のアルバムがリリース先のレーベルのページに存在するくらいだ。寂しい気持ちになるが、蒸気のように空気に混じって消えてしまうのも、おそらくこのジャンルの特徴なのだろう。

現在残っているアルバムのリンクを以下に貼っておくことにする。


 1曲目の『早朝放送「Introduction」』のサンプリング元が、土曜ワイド劇場のOPだということを正月に知り(『志村&所の戦うお正月2020』で流れていた)、なぜか感動してしまった。

 

 結局4つにとどまってしまった。2019年に購入・レンタルしたアルバムの中に、2019年リリースのものがほとんどなかったことに、この記事を書いたことで気が付いた。お金も限られているため、どうしても好きそうなアルバムばかり購入してしまう。もう少し気軽にアルバムを聴くために、Spotifyなどに加入しようかと考えている。

 2020年も様々な音楽と触れることができればと思う。ライブなどにも行ってみたい。

外部、シュラスコ、ウロボロス

12月20日(金)

 心療内科に行く。2月中旬から通い始めているので、かれこれ10か月になる。人だったら出産している。ちなみに私が抑うつ状態と診断を受けた日は、ナンバーガールが再結成した人同じなので、容易に検索が可能だ。

 医師との話し合いの結果、薬を飲むことをやめる。最近は忘れてしまう日も多かったので、まあ大丈夫だろうということだった。一応お酒も解禁になった。まあ、飲み会くらいでしか飲まないので、変化は少ないが。

 外部の人(外部とは、素性をよく知らない人を指す)との飲み会に参加するたびに、社会でやっていけないなあと落ち込む。お酒を飲んでもテンションが上がらないので、周りの人とのテンションの差を感じてしまう。何かテンションのあがる薬を、飲み会が始まる前に飲んでいるのだろうか。ウコンの力などを飲んでいる私は何周か他の人より遅れている可能性がある。

 

12月22日(日)

 友人たちとシュラスコを食べにいく。シュラスコとは、『鉄串に牛肉や豚肉、鶏肉を刺し通し、荒塩(岩塩)をふって炭火でじっくり焼く、ブラジルをはじめとする南アメリカの肉料理』とのことらしい(Wikipediaより引用)。友人からシュラスコを食べてみたいという提案があり、乗ることにした。その友人は数日前にお腹をウイルスにボコボコにされ、当日は不参加になった。神よ……。

 当日は上野にあるシュラスコの店にいった。

tabelog.com

 オープンして数日だったため、キャンペーンで安くなっていた。

 昼頃から貸会議室に集まり、各々作業をしたり適当に遊んだりした。年末になると遊ぶことのできるお店は混むし、年末料金という名目で値段がぐんと上がる。トランプや小さめのアナログゲームを持っていて、4人以上で遊ぶのであれば貸会議室は選択肢の1つになると思う。

 夕方になり、お店に向かう。時間が早かったこともあり、店内はまだ余裕があった。

 席に座ると、店員から説明があった。いる/いらないと書かれた(実際はもう少し気の利いたことが書いてあったと思うが、忘れた)コースターみたいなものが置いてあり、どちらかの面を向けてテーブルの端に置いておくことで、店員がシュラスコを持ってきたりこなかったりするというシステムだ。その他にも一通り肉がやってきたら、アプリを使って好きなものがお替わりできるとのことだった。

 説明を聞き終え、各自飲み物やシュラスコ以外の食べ物を持ってくることにする。飲み物コーナーにはビールサーバーがあった。私はビールがそこまで得意ではないので、どういった種類があったのかは分からない。カクテル系は店員に頼むとその場で作ってくれた。

 食べ物コーナーにはサラダバーやオムレツ、ブラジル料理であるフェイジョアーダなどがあった。私はフェイジョアーダを食べなかったが、友人が食べていたのでどういう味がするのか尋ねた。食べたことのない味がするとのことだった。食べたことがないということだけが伝わってきた。

 席に戻ると、シュラスコが次々とやってきた。運が悪かったため、最初は肉が来なかった。シュラスコレベルが足りないなどと話をしていたら、肉がやってきた。レベルは関係ないらしい。

 切り分けられた肉をモッモッと食べていく。モッモッモッ。大きい肉を食べてるなという感じがする。途中でエビが来たり、リンゴやパイナップルなどが来ることもあった。エビは殻を向くのに失敗し、グロテスクな感じになった。LiveLeakとかにそういう映像がアップされていそうだ。見たことが無いのであくまで想像ではあるが。

 1時間ほどすると大音量で音楽が流れてきた。会話禁止タイムかと思ったが、サンバの衣装を着た2人組がやってきたので、そういうパフォーマンスタイムらしい。ダンスを披露した後、何人かがサンバに連れ去られた。私は真ん中のソファー席にいたので連れ去られることはなかった。連れ去られた人は足が縛られていないムカデ競争みたいな感じで、店中をぐるぐる回っていた。ウロボロス

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 ウロボロスタイムが終わった後は、もう一度サンバの人が踊り、幕を閉じた。それと同時に、お客さんの何人かが飲み物や食べ物を取りに行く。人が踊っているときは食べ物を取りに行くのは確かに難しいと思う。

 いっぱい肉を食うぞ! と思っていたが、意外に食べられない。アゴや胃へのダメージが割と大きい。歳をとったのかもしれない。大学生の頃だったらもう少し食べられたような気がする。胃が小さくなったのか、耐性が無くなってきたのか、どちらだろう。

 あっという間に新幹線の時間になり、慌てて上野駅まで行った。なんとか間に合い、新潟へと戻った。

 人生であと何回シュラスコが食べられるのだろうか。