コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

即興小説「被せる人々」

随分高い所まで来た、と私自身は思っている。ビルの5階と私自身が平行になっているのは初めての体験だ。

私は空飛ぶものだと人々は考えているらしいが、それはご主人が空をとばそうと考え付き、実際に行動しなければならない。いわば受動的な飛行なのだ。事実、今まで見てきたのは、多少ホコリっぽい床と、殺風景な部屋ばかりだった。今、私が空を飛んでいるのも受動的なものだが、高いビルの壁、建物の屋根、隙間から見える空の青を見ていると、能動的に飛んでいるのではないかと錯覚するようになる。人間だって大体同じようなものだろう。能動的に行動していると思っているのは自分だけで、結局は家族か、上司か、それとも別の何者かが動かしているだけなのだ。

 人も米粒、とまではいかないが、服同士の色の境界線が曖昧になってきている。どこに行くのかはご主人が決めるのだが、今飛んでいる場所は東京なのだ、どこに降りようが観光地である。

 視界にぼんやりと、頭一つ抜けた建物が目に入ってくる。あれが噂のスカイツリーというものか。私は人間ではないが、それくらいの知識はある。ご主人が垂れ流していたテレビの映像に何度も映っていたのだ。折角ならスカイツリーも目的地にしたかったが、逆の方角を目指して飛んでいる。少し口惜しい気分になったが、仕方のないことだろう。人間は自分たちと違うものを見ると、困惑し、排除する傾向がある。人間ではない私を見れば、すぐに排除しようとするだろう。私のどこかに行ってみたいという望みを叶えるべく、飛ばしたのでないのは明白だ。私に何かを載せている時点で、ご主人自身のために私を飛ばしたのだ。何が入っているかはわからないが、厳重に固定しているあたり、よほど大事なものなのだろう。

 東京タワーがはっきり見えるようになってきた。私は人間よりいささか視力が良い。おかげで、東京タワーの骨組みの細かいところまでよく見える。しかし、視力が良いのも考え物だ。見たくないものがくっきり見えるのは、決して気分のいいものではない。今も近くのビルでは誰かが怒られているのが見えた。相手からすれば、私など無関係であるし、存在も認識していない。しかし、私は見てしまった。この時点で、私からすれば無関係ではなくなってしまったのだ。関係は自分の意思を無視してやってくるし、関係をもつことは、面倒事を1つ抱えてしまったのと同じことだ。それなのに人間は関係を数えきれないほどもっているらしい、面倒臭さを感じたりしないものなのか。いや、多分誰も顔に見せないだけで感じているのだろう。

 国会議事堂が見えてきたあたりから、急に私の高度が下がった。目的はわからないが、私としてはある意味では日本の象徴を間近で見ることができるので気分は良かった。あの建物の中で、日本は動いているのだ。おそらく人間という者は大きな事を小さな部屋で、で決めたがる習性があるのだろう。

 少しずつ高度を下げていく。建物と平行になっていく。地面まで10m、5m、3m……。着地に成功すると、私は動かなくなった。

 辺りを見回してみる。これが日本の象徴か。色々な思いを巡らせていると、近くにスーツを着た男が通った。私を見るや否や、小走りで近付いてきた。そして、動揺を示した後、どこかに電話をかけ、遠くに行ってしまった。やはり、人間は見慣れないものを見ると困惑する習性があるらしい。

 しばらく経つと、けたたましいサイレンとともに、人が増えてきた。やれやれ、野次馬かと思っていると、パトカーが数台やってきて、その中から警察官があくせくと出てきた。どうやら私を見つけた男は、警察に通報したらしい。人間の解決方法で多くの割合を占めるのが排除だ。排除をすれば、表面上問題は解決される。どこまでも人間は自らのマニュアルに忠実である。

警察がブルーシートを被せた瞬間、私の視界は真っ青になった。