コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

夜は処刑されました

 お元気ですか?

 

 ヨーグルト味の水を貰った。一口飲んだがどうも苦手な味だった。最近透明な液体に味がついている商品が多く発売されているが、私にとって恐怖の対象でしかない。色がついていて、何か味があるというのは分かるが、透明なのに味がついているということを、脳が受け止めきれていないため、どうしても買う気がおきない。購入している人は透明なのに味がついているという事実をどう受け止めているのだろうか。しかし、サイダーは例外で、飲むことができる。炭酸が入っているため、区別を付けることを脳が可能にしているからだ。区別できていなければ、毎回サイダーを出してくれる親戚の家が、恐怖の対象になっていただろう。脳のいい加減さに感謝している。

 

 私が友人と会った時、「今日、夜の処刑が行われる」という話を聞いた。一緒に見物に行かないかと誘われたが、その時はどうしても眠かったため、断った。私の住んでいる地域に限ったことではないが、夜になると事件が増える。事件増加の原因を役所は夜があるからと考えたらしく、数十年前から1年に1回、夜が処刑されるのだ。裁判などは行われることはなく、詳しい罪状も発表されない。ただ、夜が処刑される日時だけが発表されるのだ。そして、それを一目見ようと、沢山の見物客が訪れるのだった。

 家に帰り本を読んでいると、遠くで音が鳴った。処刑が始まったらしい。私は食べるものが無いことに気づき、買い物に行くことにした。買い物に行く途中も音が聞こえる。処刑の方法は、初めて処刑が行われたときから一貫して銃によるものだった。夕飯を買い、自転車に乗ろうとすると、大きな音が何回か鳴り、建物の陰から夜が色とりどりの血を流しているのが見えた。更に音が大きくなり、それに比例して血の量も増えた。今頃見物客たちは、処刑を見ながら歓声を上げていることだろう。それだけ珍しいものなのだ。人間が処刑されるよりもよっぽど生々しくなく、情緒にすらあふれている。同じ処刑でも随分と差がある。家に帰ってからも音は鳴り響いた。

 夕食を食べているうちに、音は止んでいた。けたたましいサイレンの音が鳴り響く。処刑が終わったことを知らせる合図だ。おそらく例年通り、夜が死亡したかどうか発表されることは無い。私は夜が死んだのかどうかその目で確認するため、散歩に出かけることにした。

 ドアを開けた瞬間、夜が目に飛び込んできた。どうやら今年も生き永らえたらしい。