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コムギココメコ

忘れてもいいことを書くので不備忘録

電車は反芻動物である。

お元気ですか?

 

お盆恒例、帰省を行った。久しぶりに電車に乗る。トイレのマークはあるのに、トイレが壁に覆われていて入れないという、古いRPGにありがちな、「家はあるが中に入れない」という状況が現代に再現された。

電車に食べられた。どんどん終点へと進んでいく、途中会社員や高校生が電車の消化液で溶かされていたが、私は何とか消化液を浴びずに済んだ。終点に着き、電車から降りる。電車から、大量の人々が吐き出される。口から入り口から出るので、おそらく電車は反芻動物だと思う。乗り換えを行うために駅を進んでいく、高校生が横一列になって歩いている。まるで、駅が自らの所有物であるような堂々さである。私もこのような堂々さを高校生の時に持ち合わせていただろうか。今からだと思い出すことができない。電車に再び乗る。今度の電車は消化液が多く分泌されるタイプらしく、私の車両では乗っていた半分の人々が溶かされてしまった。なんとか消化液をかわしつつ、目的の駅へ到着するのを待つ。何とか避け切り、駅に着いた。そしてなんやかんやあり、今実家にいるのである。

 

実家にいると必ず食べている物がある。それがヨーロピアンシュガーコーンである。なぜか実家の冷凍庫にはヨーロピアンシュガーコーンが入っているのだ。予想をたてると、おそらく最近の冷凍庫はヨーロピアンシュガーコーンを無限に作ることができるのだろう。次実家に来た時にはおそらく大量のヨーロピアンシュガーコーンが部屋に生息しているはずだ。現代はすごいことになっている。

 

明日から何をするか。お盆らしいことをしたほうがいいのだろうか。茄子に木の棒でも刺したほうがいいのだろうか。茄子に木の棒が刺さっているのを見るとお盆の雰囲気がある。しかし、茄子サイドの言い分はどうなのだろうか。茄子にも第一志望があるはずである。例えば、

茄子

第一志望 煮浸し

第二志望 麻婆茄子

第三志望 焼きナス

といった具合である。個人的には、志望に「木の棒を刺される」と書く茄子はいないと思う。木の棒を刺すという行為は、おそらく、茄子たちに対する見せしめのために行っているのではないだろうか。悪いことをした茄子に木の棒を刺し、「悪い行いをしているとこうなるぞ」と他の茄子たちを脅しているのだ。こうなると、茄子が気の毒に覚えてくる。しかし、今の社会には動物愛護で騒ぐ人がいても茄子愛護で騒ぐ人は存在しないので、どうしようもない。

明日から何をしようか。それは明日にでも考えることにしよう。