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コムギココメコ

忘れてもいいことを書くので不備忘録

水たまりの身分制度

お元気ですか?

 

すごい雨が降った。「バケツをひっくり返したような雨」とはよく言うけれど、あまりバケツ感のある雨を見たことが無い。どちらかというとシャワー感のある雨である。恐らく最初に豪雨を表現しようとした人は、近くに言いあらわすのにピッタリなものが無くて、しょうがなく「じゃあバケツでいいや」と思い、豪雨をバケツで表わしたのだろう。その後表現を聞いた近所の人が「バケツはおかしいでしょ(笑)」と言い、カッとなった表現者は「じゃあお前がやってみろよ!」などといい、一悶着あったに違いない。

 

雨が止んだ後、散歩に出かけた。道路には水たまりが大量発生しており、我が物顔で道路に佇んでいる。自分の正面から車がやってきた。水たまりを踏んづける。水たまりの体液が飛び散った。私は何とか体液をかわした。体液を浴びると、かなり不快な気分になる。どうやら人間の精神に悪影響を与える成分が入っているらしい。踏まれた水たまりは何も言わない。元から何も言わないので、生きているのか死んでいるのかは全く分からなかった。地元の小学校のまわりを歩いていると、校庭に巨大な水たまりがいた。校庭なら車に踏まれる心配もないし、子どもたちも遊べないから誰もやってこないだろう。おそらく校庭に佇むことのできる水たまりは上流階級なのだろう。道端にいるのは身分の低い水たまりで、人間や車が踏みつけてくるのに耐えなければならない。こんなところにも資本主義は存在するのだ。

実家に戻り、自分の部屋に行くと、大量の雨が窓ガラス越しにこちらを見ている事に気づいた。何も言わないのがかえって不気味さを増している。私はカーテンを閉めて、雨の視線から逃れた。今はエアコンがピキピキ音を立ているのを眺めているだけである。エアコンは絶えずため息をついている。エアコンが起動するという事は、エアコン自身にとっては仕事をすることと一緒で、かなり憂鬱な事なのだろう。人間でも機械でも仕事の憂鬱さは変わらないのだ。

 

風呂場で水を出そうとしたら、シャワーがいきなり出てきて死亡した。ちゃんと確認しておかなかったのが悪い。気を取り直して風呂に入ると、何か怪物がいたらしくて、身体を喰われて再び志望した。ちゃんと確認してから入らなかったのが悪い。とりあえず風呂の中は見なかったことにして、服を着た。風呂場から父親の悲鳴が聞こえた。ちゃんと確認しないのが悪い。