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コムギココメコ

忘れてもいいことを書くので不備忘録

20秒遅れ

小説

 ひとりのサラリーマンがいた。どこにでもいるような男であったが、おそろしく時間に正確だった。必ず6時に起き、7時には家を出て車に乗り、8時30分に会社に着く。就職してから19年間、いつも同じスケジュールで動いていた。そのため、会社の同僚は彼を見かけると時刻が把握できるようになっていた。動きは機械じみた正確さではあったが、人当たりの良い性格で、特にトラブルを起こすこともなかったため、誰も気味悪がったり、陰口を言ったりする人はいなかった。

 しかし、この日だけは違った。6時20秒に起きてしまったのだ。男は、普段目覚ましを使っていない。それだけ自分の中の時計に自信をもっているのだ。なぜ20秒の誤差が生じてしまったのだろうか。昨晩夕食をあまり食べなかったせいか、それとも慣れない酒を飲んだためだろうか。理由ははっきりとしないが、とにかく20秒だけ、彼の時計は遅くなっていたのだ。そのことに男はまだ気づいていなかった。

 彼は顔を洗いに洗面所に向かった。洗面台を見たとき、彼は面食らった。なんと水がひとりでに出ているのだ。昨日蛇口を開きっぱなしにしていたのだろうか、それなら相当酔っていたなと反省しつつ、顔を洗うために手で水をすくい始めた。すると、タオルが顔を拭き始めた。そこに水の入った手が顔にきたため、タオルを水浸しにしてしまった。一体今日はどうしたものか。慌ててほかのタオルを取りに行く。洗面台に戻ると、彼は目を丸くした。剃刀が空を切っているのだ。まるで、見えない人間がそこにいて、髭を剃っているかのようである。剃刀はその後元の場所に戻っていった。彼はあっけにとられながら、髭を剃りはじめた。

 彼がリビングで時計を見た時、初めて20秒だけいつもより行動が遅いことに気が付いた。台所にある調理器具は勝手に動いていなかった。おそらく、普段食べている物が一定していないためだろう。

 朝ご飯を作り、テーブルで食べながら、彼は洗面所で起こったことを考え始めた。おそらく、毎日同じスケジュールで動いているから、物側もいつも同じスケジュールで動くようになってしまったのだろう。それだけいつも正確に動いていたという証拠だ。彼は自分が少し誇らしくもあった。いつもより20秒遅れで朝ご飯を食べ終え、トイレに入った。

 彼はまだ気付いていなかった。20秒自分が遅れているという事は、玄関を開けた時には車が無く、会社に向かってしまっていることに。気付くのはあと28分後のことである。