コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

すばらしい現代文の解き方

「現代文がどうしてもできないんです」

 とある高校の職員室で、女子高生が相談にやってきた。先生はコーヒーを飲むのをやめ、女子高生と向き合う。

「できないだと、抽象的すぎてアドバイスがしにくいから、もっと詳しく言ってくれないか」

「作者の言いたいことがどうしても理解できないというか、問題の選択肢が全部当たっているような気がしてしまうんです」

「なるほどね。それだったら言いたいこともわかる」

「他の科目はどうとでもなるんです。同じ国語でも古文と漢文は苦手だと思わないし...。でも、現代文だけはどうしてもできないんです。このままじゃセンター試験で失敗して、第一志望に行けないんじゃないかって思うと、不安で不安で......。あと一ヶ月しかないのに...」

 今にも泣き出しそうな声だった。先生はコーヒーを机の奥に動かしながら言った。

「それなら、先生流の現代文の解き方を教えられなくも...」

「教えてください!」

 食い気味に女子高生が答えた。藁をもすがる気持ちとは、こういう状態をさすのだろう。

「でもな、先生の解き方はだいぶクセが強いらしくてな、今まで何人かに教えたんだが、誰一人として理解できなかったらしい。かえって点数が下がってしまった学生も多くてなあ」

「それでもいいので教えてください!私のやり方じゃ、全然点数が伸びる気がしないんです」

「そこまで言うなら教えるが......。ちなみにお前、普段現代文で何点くらいとれるんだ?」

「八点です」

「え?」

「だから、八点です」

 

 職員室の前に置いてある机に、先生と女子高生は座った。手元にはセンター試験の過去問をプリントしたものが置いてある。先生はコーヒーを一口飲んだ後、話し始めた。

「じゃあ今から教えるからな。言っておくが、この方法を実践して仮に点数が下がったとしても、俺のせいにはするなよ。一般的な解き方じゃないらしいんだ。まあ俺はこれが究極の方法だと思ってるし、一番理にかなっていると思うんだがね。どうだ、約束できるか?」

「はい!」

 女子高生が答えた。ずいぶんと軽い約束である。

「じゃあ始めよう。まず、第一問を開いてみてくれ。分かっているとは思うが、第一問は論説文と呼ばれるものから基本的に出題される」

「論説文ってよく聞くんですけど、いまいちピンとこないんですよね」

「じゃあ論説文とは何かから説明する必要があるな。論説文っていうのは、硬くて冷たくて重いんだ」

「硬くて冷たくて重い?」

「そう、硬くて冷くて重いんだ。殴られるとかなり痛そう、冬場肌と触れ合うとビックリする、持ち運びに不向き、そんな文章が論説文だ。小説にも硬い文章、冷たい文章というのは存在するんだが、重い文章は少ない。なぜなら、小説の中身は虚構、つまり実際には空っぽだからだ。そういった文章は見た目が重そうに見えても、実際そうでもなかったりする。対して論説文は3つ全て備えている。文章も漢字が多いだろ? そういうものは硬く見える。あと、淡々と筆者の主張に進んでいく。冷たそうなイメージだ。そして重い。筆者の主張には何らかの理由がついていたり、例を出して主張を補強していたりする場合が多い。そうすると主張が重くなるんだ。主張自体が軽いのにもかかわらずだ。分かりにくかったら、携帯の契約をイメージしてくれ。あれも携帯の使用料自体はそんなに高くないのに、変なオプションが付いてくると、意外に高い料金を支払わされることがあるだろう?そんな感じだ。まあ、先生の話が分かりづらいのであれば、論説文は硬くて冷たくて重い、ということだけ覚えていればいい」

「分かりました。論説文は硬くて冷たくて重いんですね」

「そういうことだ。じゃあ問題の中身へ進もう。まず本文を読む前に、著者名が書いてあるページを開く。そしたら鉛筆で見えないように塗りつぶすんだ」

「意味あるんですかそれ?」

「意味はあるとも。論説文にはたまに有名な著者が出ていたりする時がある。そうなると、高校生ってのはまだ心ができあがっていないから、名前に押しつぶされてしまうんだ。この作者の時は点数が悪かったな、とかね。そうすると問題を解く前から負けてしまう。それを防ぐためにも最初に鉛筆で著者を塗りつぶしてしまうんだ。すると、誰が書いたか分からなくなる。分からなくなるから、文章だけに向き合うことができるようになるんだ。騙されたと思って塗りつぶしてみろ」

「分かりました」

 女子高生は佐々木敦を黒く塗りつぶした。 

「そうしたら初めて本文を見る。一回全部読んだら、線が引いてある部分があるだろ。そこから前後三行を別のページに書き写す。ちょっとやってみろ」

 言われるがままに、女子高生は書き写した。

「できたか? そしたら、本文を見えなくなるように鉛筆で塗りつぶすんだ」

「そんなことしたら問題に答えられないですよ」

「そうならないために、文章を書き写しただろ」

「一部だけじゃないですか」

「一部だけで良いんだよ。全部は必要ないから。文章には問題に関係ない部分も多々ある。具体例がそうだ。あそこには主張は書かれていない。そういうところまで考えてしまうと最後のほうで時間が無くなってしまうんだ。問題に関係のある文章は、線が引いてある所から前後三行で十分なんだ。それに、文章が少ないほうが、集中して読めるだろ?」

「まあ、そうですけど......」

「そしたら問題の選択肢をよく見る。問題はだいたい線が引いてある部分のいずれかと対応している。一つ選択肢を見たら、対応しているところを読む。次の選択肢を読む、対応しているところを読む、次の選択肢を......という感じで、最後の選択肢まで読んでいく。ここで重要なのは、選択肢に情を抱かないことだ」

「選択肢に情なんて抱きませんよ」

「ところがそうとも言えない。パッと見で正解っぽいなと思った選択肢に引っ張られていく事は多々あるんんだ。二択に絞り込んだけど、間違った方をマークして不正解というパターンは良く聞くだろう? こういうのは殆どの場合、間違った答えに情を抱いてしまったからだ。そういうのを防ぐために、フラットな気持ちで答えを見ることが必要なんだ。そしたら、選択肢を絞る作業に入る。まずは、全部の選択肢に難癖をつけろ」

「どうしてそんな事をするんですか?」

センター試験を作っている奴は、パッと見正解に見えるような問題を作ってくる。正規品と混じっているのが誰の目から見ても明らかな不良品だったら、すぐに見破られてしまうだろ? 美術品の贋作を作っているような気分で、あちらは不正解の選択肢を作っている。こちらも目を凝らして、少しでも本文と違っている物があったら難癖をつけてやるんだ。だがな、この方法だと正解にも難癖をつけかねない。それを防ぐために難癖がつけられる、つけられないではなく、いくつつけられるかで判断をする。難癖の数が少ない二つに答えを絞るんだ」

「なるほど。で、その後はどうするんですか?」

「最後の二つは心の中で問題に語り掛けるんだ。『あなたは○○と言っていますが、本当にあっているんですか』とね。何回も繰り返していくと、間違った選択肢はボロを出す。そうしたら正解が分かるだろ」

「もっとわかりやすく説明をしてくれませんか? 意味がよく分かりません」

「これに関しては何回も練習を重ねないと会得できない。先生も数百問解いてやっとこれを自分のものにできたんだ。最初は二択を選ぶのに主観が働いてしまう。そうすると間違った選択肢を選んでもおかしくは無い。だが、百問、二百問と解いていくうちに、主観は消え去り、客観的に問題を見ることができる。二つの選択肢を対等に見ることができる。その時、正解に化けている選択肢が自然と導き出せるようになるんだ。まあ、今日から論説文の問題を一日五回は解きなさい。そうすれば、一ヶ月後には百問以上問題を解いていることになる」

「分かりました。先生の言うとおり、沢山問題を解くことにします」

「じゃあ、次は小説だな。小説も最初は作者を黒く塗りつぶすんだ。たまに知ってる作者が出てきて、考え方を小説やエッセイなどで知っていたりするかもしれない。だがそういう前知識はセンター試験の問題では全く役に立たない。なぜなら、問題を作っている人は作者ではないからだ。だから、作者はこういう考え方をしなそうだよなという選択肢が正解だったりする。センター試験では作者独特の感性よりも一般的な考え方が正解になる。最初に作者名が見えないようにして、あくまで問題作成者との戦いにもちこむんだ」

 女子高生は小池昌代を黒く塗りつぶした。

「小説は本文を書き写したり塗りつぶしたりはしない。どこに問題のヒントが隠れているか分からないからな。じゃあ選択肢を見ていくとするか。選択肢を絞るうえで重要な事は、自分を捨てることだ」

「それって論説文と同じことなんじゃないですか?」

「論説文よりも徹底的にやるんだ。論説文はだいたい論理的に文章は進んでいくから、選択肢に私情を挟むことはあっても本文はそこまで情が移らない。でも小説は表現を勝手に解釈してしまう事が多々ある。そうなってしまえば、到底正解にたどり着くことはできない。本文をただの単語の羅列だと思え。単語の意味を一つずつ拾っていって、最終的に辻褄の合う選択肢を選ぶんだ。戦う相手は問題作成者だ。作者じゃないのだから、文章の意図を掴んじゃいないんだ。自分で表現の解釈を作りだす、なんてことを間違ってもするんじゃないぞ。その解釈は必ず間違ってるからな」

「分かりました。あ、質問なんですけど、小説の時に二択で迷ったらどうすればいいんですか。心の中で語り掛けるんですか?」

「今回は語り掛けない。小説でも語り掛けた事は何回かあったんだが、どうも上手くいかなかったんだ。まあ、小説の場合、二択で迷う時点で、自分を捨てることができない証拠だよ。そういう場合は必ず間違った方を選択することになる。自分で考えて答えを決めるより、鉛筆でも転がしたほうが正解するだろうね。まあ、小説も毎日何問も解くといいよ。そうすれば自分を捨てるということが分かってくるはずさ」

「なるほど。小説の問題も今日から沢山解くことにします」

「これで大体解き方は教えたつもりだ。何か今までのところで質問はあるかい?」

「今のところは大丈夫です。先生、今日はありがとうございます。また何か分からないところがあったら教えて下さい」

「考えておくよ。じゃあ、ちゃんと勉強しろよ」

「はい!」

女子高生は階段を上がり、教室へと向かっていった。コーヒーは冷めきっていた。

 

 一か月後センター試験があったが、女子高生はなんと現代文で二十四点も取ることができた。それが努力の賜物であったのか、それとも単純に運が良かっただけなのかは分からない。しかし、しっかりと漢字の勉強をしておけば、更に十点は上乗せできたはずである。先生も女子高生もその点については全く考慮していなかった。女子高生、もとい女子予備校生は、来年までに漢字の勉強も行うべきだろう。