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備忘録と不備忘録を行ったり来たり

デペイズマン実践編 + 体の中の翻訳ツール

 お元気ですか?

 

 シュルレアリスムという思想がある。その思想をもった人々が使った手法に「デペイズマン」というものが存在する。デペイズマンとは、あるものを他の環境に移し、見るものに違和感を起こさせる表現である。この手法を使った人々で有名なのは、ルネ・マグリットだろう。私はこの手法が大好きである。

 大好きなので、文章で活用できないか考えている。今まで小説のアイデアでデペイズマンを使った作者はおそらく山のように存在するだろう。それが意識的か無意識的かは分からないが。しかし、文章そのものにデペイズマンを、意識的に何回も使うということに熱を上げている人はそんなにいないのではないか。文章を積み重ねていくと、記号の塊になる。それはどのカテゴリーにも属することができる、気がする。これからデペイズマン的な書き方を試行錯誤していくことにしよう。人の意図的な考えが入ると、シュルレアリスム的にはいけないことだが、今やろうとしていることはシュルレアリスムを厳密に実践するというものではないので、良しとしよう。

 1つ疑問に思ったのは、短歌などの文字数に制限があるものでもデペイズマンが使われているのだろうか。私は現代短歌が今どうなっているか全く知らない。そこらへんに詳しい方、誰かこっそりと私に教えてくれませんか?

 

 図書館の休憩ルームにいる。適当に新聞をとってみる。普段読まない灰色の活字の塊は、事件の写真で彩られていた。また人が死んだらしい。17人。普段事件や事故で人が死にすぎて、もはや死んだ人は数字にしか見えなくなっているような気がする。いや、既に死者は数字になってしまったのだ。17人は工場の爆発で死んだらしいけど、1人1人を思い浮かべることは到底僕にはできない。ただ、17人という文字だけが目に飛び込んでくるだけだ。

 知り合いがやってきた。疲れた顔をしている。僕は距離を置きたかった。疲れを共有する羽目になりそうだったからだ。しかし、相手はそんな僕の考えを読み取ることなどなく、話し始めた。その話は僕じゃなきゃいけなかったのだろうか。そういうわけではないだろう。何も検査はなかったのだ。どうせ大した話じゃないと、彼女自身でも分かりきっているから。5分くらい彼女は一方的に話をしていたが、耳に薄い膜が貼っていたので、声は回りを漂っているばかりだ。そのうち地面に墜落して、何も意味はなさなくなる。彼女は満足したのか、笑顔を向けて、

「ありがとう!」

と言いながら、図書館を去っていった。あの笑顔を見ると、引き出しにしまいたくなるような気持ちになる。おそらく、僕は彼女に恋をしているんだ。来たときに、距離を置きたくなったのは、心の翻訳ツールの精度が悪いせいだろう。そんなものを頼んだつもりはないのに、勝手にアップデートを繰り返し、いつしか搭載されていた。次のアップグレードでは、翻訳ツールが無くなっているか、精度を見直してほしいと思いながら、大体読み終わった新聞を戻しに行った。

 

休日は久しぶりに新幹線に乗る。楽しみだ。