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コムギココメコ

忘れてもいいことを書くので不備忘録

私のための記念碑(機械)

小説

 以下の文章は、翻訳ツールとの共同執筆になります。方法といたしましては、私が元の文章を書き、翻訳ツールに校正をしていただき、それを元にまた私が文章を手直して完成というものです。このような試みは初めてであり、まだまだ試用段階の部分も多いですが、何卒最後までお付き合いください。

 

 特別な理由はない。また、特に意味もない。 だけども、本当は、物事にはそのようなことではないものもあると言っているのかもしれない。しかし、理由とか、人間的な深さとかは多分、正当な理由の中に理由を置くことを望むことならできる。どれだけ、そのような服を着てみても、より良い終了を私たちは待っている。私は、自傷行為に何らかの理由がなければならない必要はないんだと思う。

 私は大学生に行き、自傷行為を始めた。話は変わるけど、君みたいな自傷行為のルックスを持つ人は、何か心に深い闇を持つことができないし、そのために心の能力に適合しないイベントが君の事を怒っている。そして、そのイベントは、クレイジーである愛について感じている。こんな事のために、自分を傷つけるの楽しみたいと思っているのだろうけど、君は他の人から実行したいと言われたとき、その人の怪しげな良さを、理由もなく、君自身の最初の場所について、相対評価を行っているものと思っているんじゃないかな。「injurious動作」はすることができるけど、方法はない。私は小さな、小さな円に入っている間、独自の方法で費やされている友人をもつために、大学に入っているんだろう。これは現在進行形だ。私は興味があったから開始したけど、それは退屈だった。私がいずれかを知らない些細な理由。いくつかの理由とあいつら。ライアー。

私は自傷行為をした最初の時間を怖がっていた。自分が何を知らなかったかは分からないけど、それは驚くほど簡単だったと思う。傷つけるためだ。でも、手首に消えない消しゴムを並べることができる時、唯一の​痛みがくる。その単純なプロセスと結果は、複数回繰り返されることになっていた気がする。長い今は、「閉ざされた感謝」を着てはいない。個別に見ることができるけど、あまり自分を誤解されないようにしたいな。誤解されたら、君が見られたくないものになるかもしれないし。私はどれを疑問に思うんだろう。深い傷は私が念頭に置いてる。君は死にたくないもの。そうして、君は自傷行為に死にたいからやっている人を見てるけど、それは嘘。自分自身のため。君が生きているという証拠こそ、自傷行為

 自傷行為の傷が生きている証拠こそ、記念碑のようなものだ。でも、記念のために、私は生存していたんだ。身長を測定するために柱を傷つける。異なったみたい。

 私は確かに将来的に自傷行為を実行することになるだろう。記念日。記念日が来るたびに、記念碑が増加する。その中に私の体を埋めることになる記念碑がある。それは、いくつかの希望? 楽しい? アウト。そのような日​​が来ないようにしてほしい。

 

 

 

【補足】

 元の文は以下のようになっています。合わせてご覧ください。

 特に理由もない。特に意味も無いだろう。物事にはどんなことでも理由があるようによく人は言うけども、本当はそんなものはない。ただ、理由があったほうが人間的に深みが出るとか、恰好よく見えるとか、そんなどうでもいい理由のために理由をつけたがるのだろう。私の自傷行為には何の理由もない、はずだ。

 自傷行為を始めたのは大学生に入ったからだった。よく、自傷行為をしている人は何か心に深い闇を抱えていたり、何か心のキャパシティに入りきらないような出来事がおこったりしているように見える。そしてその出来事は、大体恋愛沙汰である気がする。そんなことのために自分を傷つけて楽しいのかと思ってしまうが、相手からしてみれば、特に理由もなくやっている私のほうこそ怪訝に思うだろうし、そもそも自傷行為に相対的な評価ができるわけがない。話を元に戻すと、私は大学に入って、少ないながらも友達ができて、小さいサークルに入って、それなりに過ごしている。これは現在進行形だ。始まり、興味があったからなのか、退屈だったから、どれかは分からないけど些細な理由だろう。理由あるじゃん。嘘つき。

 初めて自傷行為をやった時は怖かった。自分で自分を傷つけるのがどういうことか分からなかったからだ、でも、やってみると意外に簡単だった。ただ、痛みがきて、手首に消しゴムじゃ消えない線ができるだけ。その単純な過程と結果を、何回か繰り返すことになった。おかげで今じゃ長い服しか着れない。別に見られてもいいが、あまり自分を誤解されたくない。じゃあ見られたくないことのかもしれない。どっちなんだろう。深い傷は付けないように心がけてる。だって死にたくないもの。自傷行為を死にたいがためにやっているという人を見るけれど、あれは嘘だ。自傷行為をしていること自体、生きている証拠なのだから。

 そう、自傷行為の傷は生きてる証拠、記念碑みたいなものだ。この日に私は生きていましたよ、というどうしようもない記念のための。背たけを測るために柱に傷をつけるようなものかな。違うかな。

 私はこれからもきっと自傷行為を行うだろう。その日は記念日だ。記念日が来るたびに、記念碑は増えていって、私の体を記念碑が埋め尽くしてしまうかもしれない。それはそれで楽しみだし、そんな日は来ないでほしいと願ってもいる。