コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

掌編トリメチルアミン

【飼い行列と野良行列】

 季節は10月になった。今日は10月にしては寒い日だ。寒い日だろうが暖かい日だろうが月曜日は平等にやってくる。そんな月曜日を僕は嫌いになりそうになる。曜日は七人いて、それぞれ違う顔をして、違う性格をしている。だから、この曜日は好きだけど、この曜日は嫌いだと言うことは別におかしくはないはずだ。

 上着の選択に迷いつつ、暖かいものを着ておけば大丈夫だと思い、モコモコ感の強い上着を選んで家を出る。午後からの講義には、普通に歩いていれば十分間に合う時間だ。僕の家は大学からすぐ近くにある。寒さを飲みこむ前に門をくぐり、キャンパス内を歩く。講義の行われる建物を目指していると、妙なものが目についた。

 行列だった。大体20人くらい並んでいるだろうか。大学の建物の外で行列ができる可能性は少ないが、ゼロというわけではない。健康診断が行われるときは、何も楽しくないのに人々はズラズラと並んでいる。僕は、楽しいこと、面白いことを体の中に取り入れるための手段もしくは、目的の人数に対する許容量が小さい結果が行列だと思っている。でも、今回の行列はどちらにも当てはまらなかったし、それを差し引いたとしても妙だった。先頭と思わしき人物の目の前には何もなかったし、スタッフらしき人もいなかったのだ。

 行列に近づくにつれ、歩くスピードを緩め、まじまじと見てみる。誰かと目が合ったら気まずいなと思ったが、幸い誰も僕に関心を抱く人はいなかった。行列の構成員は子供から並ぶのが辛そうな老人までいる。男女の構成比はちょうど半々くらいだろう。様々な格好をしていて、真冬のように、上着で丸々となった人や、10月の寒い日に、いきなり真夏からワープしてきたような人もいる。老若男女という言葉の模範解答がここにある。人々はみな、前を向いて、ただただ何かを待っていた。いつから並んでいるのだろうか。確か昨日はこんな行列はなかったはずだ。ずっと見ていたかったが、講義の時間も迫っていたので、教室のある建物へ向かった。

 その後は講義が立て続けに行われたので、行列の事はすっかり忘れていた。再び思い出したのは、講義が全て終わって、行列のあった道を通った時だった。行列はすっかり消えていた。講義を受けている間にイベントが終わったのかなと思い、行列があった場所を通り過ぎようとすると。親子連れが通りかかった。この大学は緑が多いので、大学生以外でも散歩にやってくる子供連れの母親がいることも珍しくない。子どもは泣きわめいていた。最初僕を見て泣いたのかと思い、そんな怖い顔をしているかなと顔の筋肉を動かしていたが、どうやら違うようだった。

「行列が逃げちゃった!行列!行列!」

「しょうがないでしょ。ちゃんと面倒見ないからよ」

 子どもが叫ぶのを、母親がたしなめる。

 聞こえてきた会話によると、子どもの飼っていた行列が逃げ出してしまったそうだ。すると、昼に見た行列は逃げ出してきたものだったのかもしれないと僕は思った。しかい、確信はもてなかった。未だに泣き止まない子供を尻目に、大学を後にした。

 家の前の道路に差し掛かると、普段とは違う光景が目に入った。行列が道路の真ん中にできていたのだ。この行列は子供の飼っていたものだろうか。それとも、違う行列なのだろうか。向こうから自動車がやってくる。クラクションの音で、行列はアパートとアパートの間の、人がやっと通れそうな隙間へ逃げて行った。

 

【男、椅子に殺される話】

 今は今、東京に朝からパチンコ屋に行って負けては、親から金をせびるどうしようもない男がいた。

 ある日、この男は、最近金回りの良い友人に呼ばれていたので、何かおごってもらえるのではないかと喜んでいくことにした。タクシーを拾いたかったが、あいにく金もないので歩いていくことにした。

 30分近く歩き、いよいよ坂を登れば到着する所までやってきた。坂を登り切った先に友人の家はあった。日ごろの運動不足のためか、息も切れ切れな男は、ふうふう坂を登りはじめた。

 さて、坂の上ではとある若者が、キャスター付きの椅子を買って、車から運び出そうとしていた。車から椅子を出したとき、手を強かにぶつけてしまい、思わず椅子を手放してしまった。椅子は坂の終わりをめがけて、ごうごうと滑って行った。

 男は下を向きながら、ふうふうと坂を上っていたが、若者の大声で顔を上げた。すると、椅子が迫ってきている。状況を理解する暇もないまま、椅子に突き飛ばされてしまった。男、思いがけず手を上げて、「これは何だ」と言うが、動く力もなく、仰向けに倒れた。若者も「とんだことを」と言って男に駆け寄ったが、後の祭りである。

 椅子が人を突き飛ばし、身を躍らせて坂を下りていくのを、近くにいた子供が、坂の下にいた人々に向かって「人殺しだ。逃げるぞ」と叫んだ。人々は身構えて、椅子を捕えた。男は突き飛ばされた後、しばらく生きたが、ついに死んでしまった。椅子は警察に引き渡された。若者も警察に引き渡された。椅子は尋問を受け、ついには牢屋に入れらてしまった。

 本当につまらないことで、2人と1脚の一生は台無しになった。これは前生の宿報がもたらしたものだろう。しかし、世の人々は貴賎の関係なしに、知らない坂道には、あまり立ち入るべきではないのだ。思いがけないことも起こる。努々止めておくべきだと、語り伝えるべきだろう。

 

 【欠陥³】

「そういえば、レポートは提出できたのか」

「いいや、まだ4時間あるから、何とかなるでしょ」

 Bは『熟成肉が主張する42のルール』を閉じながら、薄笑いを浮かべた。

「余裕そうな顔してるけどさ、前回のレポートの時ひいひい言ってたじゃないか」

「ひいひいなんて言ってないさ、『終わんないよ、全然終わんないよ、こんなことなら前日にカラオケなんて行くんじゃなかった』って言ったんだ」

「比喩だよ比喩」

 Aは吐き捨てるように言った。吐き捨てられた「比喩だよ比喩」は、地面に落ちて、ひしゃげている。続けてAは「今回は助けてやらないからな」と口から吐いた。

「分かってるよ。今回は大丈夫さ、なぜなら秘策を用意してるからね」

「秘策?」

「そうさ、とっておきの秘策。これさえあれば、僕はレポートに困らない」

 Bの言葉を聞いて、Aはうんざりした。あいつの頭にはレポートを正面きってこなすという発想はないのか。Aは体の近くを飛び回る囲碁虫を手で握りつぶそうと試みる。しかし囲碁虫は碁石をあたりにまき散らせながら、嘲笑うかのようにどこかに飛んで行っき、死んでしまった。どこか? こういう曖昧な回答は止めた方がいいのかもしれない。囲碁虫はAとBのいるテーブルからラウンジの入り口へと飛んでいき、ドアの上に飾られたむやみに長針が長い時計の、長針に刺さって死んでしまった。

 「もったいぶらずに話してくれよ」

「それなら言ってやろう。レポートの内容を無限に生成できるプログラムさ」

「プログラム?」

 怪訝な顔をしてAは尋ねた。入口の時計を見てみる。午後の3時51分を指している。しかし当てにならなかった。この時計は長針がむやみに長いほかにも、意地が悪く、嘘の時刻を指し示す。しかし、時計を信じるのであれば、あと15分で大学を出ないと、バイトに間に合わなくなる。

「そうさ、まずレポートを大量に集める。それらをコンピュータに読み込ませると、大量のデータが蓄積されるわけだ。それらを自動的に組み合わせる。すると、内容は空っぽだが、すぐにレポートが書きあがるわけさ」

「小説や漫画の読みすぎだよ。馬鹿」

「もう1つ勝算があるんだ」

 Aは人の話を聞いていないようだ。Bの隣にある生産マシーンは絶えず、泥を吐き出すばかりである。おかげで、足元は雨が降った後のグラウンドのようにぬかるんでいた。

「哲学のレポートだから、答えを出す必要は無い。それらしい専門用語を組み合わせるだけで、レポートの体裁は整うんだ。これはもう、俺の勝ちだろ」

 何が勝ちなのかとBは心の中で毒づいた。そして、自分の中で噴出した疑問を並び替えて、Aにぶつけることした。

「あのさ、大量のレポートってどこから手に入れるの? 頭の良い奴はもう出し終えているだろ。俺ももう出してるからな。あとそもそもさ、プログラムは完成してるの?」

「あー...…。レポートについては考えてなかったわ。何とかしないとな。プログラムについては任せてくれ、今からやればちょうど4時間くらいで終わる」

「出来る頃にはレポートの締め切りが終わってるだろ。馬鹿」

 荷物をまとめながらBは吐き捨てた。潰れた「比喩だよ比喩」と「今回は助けてやらないからな」の上に、「できるころにはレポートの締め切りが終わってるだろ。馬鹿」が覆いかぶさる。

 Bはラウンジの入口に向かった。しかし、注意力が欠けていたのか、時計の長針に思い切り刺さってしまった。全身の力が抜けていく。時計は午後の3時35分を指していた。