コムギココメコ

忘れてもいいことを書くので不備忘録

コミュニケーションツールとしてのアニメとこもごも

 お元気ですか?

 私はあまりアニメを見ない。最初に断っておくが、別に気持ち悪い、オタクがどうのこうの等の、時々見かける停止した思考と短絡的な言葉でアニメを批判する輩と同じような話をしたいのではない。アニメは市民権をほとんど得ていると言ってもいいし、面白いものや、考えさせるような奥深いものも沢山あるのだろう。私はただ単に、見ていないという事実だけがあり、そこに批判や嘲笑といったものは存在しない。
 なぜあまりアニメを見ないのかというと、毎週同じ時間に見るのが苦手なだけである。録画をすればいいじゃないかと思うかもしれないが、私の家には録画ができる機械が存在しない。直接頭の中に叩き込まなければいけない。ならば、ネットの黒い海に漂っているものがあるはずだ、それを見れば録画をしなくても大丈夫だろうと言う人がいるかもしれない。私は黒い海に潜って、違法漁業をしてまで見ようとは思わない。疑問を片付けたので先に進もう。毎週同じ時間に見るという行為は途中から義務化してしまい、絶対に見なければいけないと、楽しみで見ていたものが変化してしまうのだ。こうなると、純粋に楽しい気持ちで見られなくなり、もはや何のために見ているのか分からなくなる。また、1回見逃してしまうと、次に見るときに話についていけなくなる。特に連続もので、見ていない話の時に人が死んだりしていると、もうどうしようもない。画面の中の登場人物はもう死を整理して新たな段階に進んでいるが、私は置いてきぼりにされている。最終回まで見たとしても、パズルのピースが何個か足りていないのに、完成したという違和感をもちながら、エンディングを迎えることになる。そのため、1回見逃すと、途端にモチベーションが消え去り、もう見なくていいかなという気になってしまう。つまり、私の思考と、毎週連続して放映されるアニメは相性が悪いのである。
 さて、最初にも言ったように、アニメは市民権を大体得たといっても過言ではない。しかし、それは大人になって、精神がある程度確立されてからの話である。小学生の時はドラえもんポケモンといったアニメを見ていた人々は、中学生になるとアニメと急に距離を置き始める。そしていつの間にかアニメを見る人々を嘲笑し始める。他人が楽しいだけで害は何もないはずなのに、特定の趣味を病原菌のように毛嫌いする人も中にはいたりする。そういう人々はなぜか学年間のカーストで上にいることが多かったりするので、自然と学年間でも特定の趣味を毛嫌う風潮が漂う。特にアニメは嫌われることが多かったように感じられる。国民的に有名な漫画がアニメ化されたものはあまり嫌われることはない。しかし、現在アニメの多くは深夜に放映されている。深夜に放映されている物はいかがわしいものが多いという、両親の影響でも受けたのだろうか、深夜アニメは中学生、もっと正確に言うと学年カーストの高い中学生に嫌われてしまう。結果、アニメの話は、まるで警察に見つからないように取引をする麻薬密売人と購入者のように、こそこそと行わなければいけない状態になる。(これはあくまで私の経験則に基づいた話なので、ぼくたちわたしたちの学校は違うぞという人々はいるかもしれない。しかしそれを私に言われても困るので、その拳は静かに下ろしてもらいたい)。
 高校になると少しアニメ嫌いの風潮は薄れるが、それでも根強く残る。そして大学生になるとあまり気にしなくなる人が多くなる。例え嫌いだとしても、あまり顔に出さなくなる。これは精神の成長と関連しているだろう。もしかしたら社会人でもアニメを嫌っていて、それを顔や言葉に出す人々がいるかもしれない。それは精神の未熟さではなくステレオタイプ的指向が原因であり、本人の心の核まで既に根付いている事が多く、あまり治療法は無いように思われる。
 先ほども言ったが、一定の年齢になるとアニメの話は別にタブーでもなんでもなくなる。特に最近では、アニメの話がコミュニケーションツールの1つとして、手札に加わる事も多くなったように思われる。このアニメはどうこう、今期始まったアニメはどうこうという会話が楽しげにされることになる。アニメを見る人々はオタクだと決めつけられていた一昔前とはえらい違いである。
 アニメの話がコミュニケーションツールの1つとして確立された事は良い結果をもたらしたと思う。しかし、アニメをあまり見ていない人々は時として、コミュニケーションをとれなくなってしまう場面がちらほら事例として挙げられるようになったのではないだろうか。
 私の体験した話になってしまうが、飲み会の場で、アニメを見るかという話になった。見ていないと言うと、ああそうと返答された。会話は途切れた。また、別の場面でどれどれというアニメが面白い、これも面白かったという話があり、その話題に加わっていた人々は大いに盛り上がったが、私は相槌を打つほかなかった。2つの場面で思ったことは、こんなにアニメの話ができる人々が多いのかということだ。私のようなあまりアニメを見ない人々はいないのかもしれないとさえ思った。まあ私のコミュニケーション能力がよろしくないというのもあるが、知らない話についていき、知っている風に話す方が難しいと思う。
 コミュニケーションツールの開拓のため、知らない分野について見たり聞いたりする人はいるかもしれない。それについて私は文句を言う資格は無い。その人は自分を高めようとしているので、偉いのだ。しかし、興味がわかないものを無理やり見たり聞いたりすることを苦痛に感じる人はいるはずだ。私がいるので、少なくとも日本に1人はいる。もう、アニメというコミュニケーションの武器は、私にはうまく扱えないのだ。今までの文章が、アニメの話を人前でするなというしょうもない主張をするためのものではないという事が、皆さんに伝わるのを私は信じている。
 アニメが人々の間であまり良い扱いを受けていなかった時代があった。この事実が少し私には不安要素として残る。虐待を受けた子が大人になり、結婚して子どもができたとき、親にされた虐待をそのまましてしまう事があるという話は有名である。アニメが完全に市民権を得た時、以前迫害されたときのように、アニメを見ていない人々を見下す風潮ができてしまわないか、私は少し恐れている。そうなった場合、私はどこに身を隠せばいいのだろうか。身を隠すことができないとしたら、大多数の人々に殴られないように装うことができるだろうか。アニメが好きな人々が、不当に扱ってきた昔の空気と同じ道を歩かないよう、ただ祈るしかない。