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備忘録と不備忘録を行ったり来たり

個人的文学フリマレポート

 お元気ですか?

 先日、文学フリマ(以下文フリ)という展示即売会に行った。そもそも文フリって何だよという方は、以下に公式サイトのリンクを載せておくので、そちらを参考にしてほしい。私が話すよりはよっぽど内容をつかめるだろう。

 

文学フリマ - 文学フリマとは?


 私は、文フリはおろか展示即売会に行ったことがなかったので、どういう雰囲気で行われているか全く知らない状態であった。しきたりや暗黙のルール等があるにもかかわらず、のこのこ出向いていって、無言の帰宅になってしまうのではどうしようもない。この表現は大げさかもしれないが、イベントにいった事が無い人は、どうしても具体的なイメージをつかめないものである。私も実際に行くまでは、文フリに対してぼんやりとしたイメージしかつかめなかった。
 そこで今回、初めて文フリに行った私が感じたことを書いてみることにする。来場者としての視点のみになってしまうのは否めない。しかし、文フリに行ってみたいけど、どういうところか分からないからちょっと、という人の参考になれば幸いである。なお、以下の文章は個人的なレポートなので、行き方などについては個人個人で調べてほしい。

 朝起きる。予定より約1時間遅い動き出しになった。この時点でモチベーションが下がる。しかし、何のために交通費を捻出したんだか分からなくなるため、家を出て、最寄り駅までバスに揺られ、電車に乗った。
 馬鹿正直に自宅の最寄り駅から流通センター駅まで電車で行くと、交通費が馬鹿にならないため、「休日お出かけパス」を使う事にする。これはエリア内のJR線、東京臨海高速鉄道線(りんかい線)、東京モノレール線が2670円で乗り降り自由になる切符である。しかし、自宅の最寄り駅はそのエリア内からも外れているので、いったんエリア内ギリギリにある駅で降りて、そこで休日お出かけパスを買って、また電車に乗ることになる。エリアが拡張されるか、最寄り駅が動いてエリア内に入ってくれることを切実に願う。ハワイだって日本に向って少しずつ動いているらしいし、最寄り駅だって東京に向かって少しずつ動いても構わないだろう。
 再び電車で浜松町駅まで向かう。東京の不思議な所は、電車の座席に座ってうたた寝をした後、目覚めると足が増えていたり、変わっていたりすることだ。東京にはたくさんの足があるのだなとしみじみ思う。
 浜松町駅に着くと、東京モノレールに乗り換えて、流通センター駅を目指すことになる。モノレールにほとんど乗ったことが無いので、すごいと思いたかったが、乗っていると案外普通の電車と変わらないもので、期待していたすごい感は得られなかった。
 流通センター駅に着くと、目の前に流通センターがあって驚く。駅名になるほどだし、近くて当たり前である。
 会場に入ると、最初にカタログを貰う。カタログには、文フリの出店団体名と団体の内容、会場マップなどが載っている。会場は流通センター第二展示場の1階と2階で、大体ジャンルごとに場所が分かれている感じである。正直カタログだけ見てもあまり想像が湧かない。ネットカタログを少し見ていた自分でもそういう感想を抱いたのだから、何も見ないで会場に来た場合、もっと内容の想像がつかないと思う。
 内容の想像がつかないことに関しては、2階にある見本誌展示スペースが非常に役に立った。そのスペースには、出店団体の出している作品が展示されていて、参加者は自由に読むことができる。ここで気になった作品をパラパラと見て、買いたい作品を選ぶことができるのだ。自分の欲しいものがありそうなジャンルの見本誌をパラパラと読んでみたり、表紙に惹かれた作品を読んでみたりするのもいいだろう。
 表紙だけ見ても、色々な顔があるのだなと思う。まるでクラス写真を見ているようだ。だが、表紙だけでは中身は分からない。そこも人間とそっくりである。様々な顔と性格をもった作品が机の上に一堂に会する。一口に文学といっても様々な解釈があるのだなと改めて実感させられた。
 見本誌を見て、いよいよブース内に入る。行く前は、歩くのも苦労するのではないかと戦々恐々としていたが、歩くのに苦労はしなかった。人が多すぎると人酔いしてしまうタイプなので、一安心である。
 ブース内を歩いてみると、見本誌展示スペースとはまた違った作品の見え方がある。ブース毎に宣伝(大声を出したりはしない所が良い)をしているが、宣伝の仕方が上手いところは興味を惹かれる。自分の作品を売らなければいけないので、みんな目が血走っているのかと偏見を抱いていたが、そういう人は私が歩いた中では見受けられなかった(静かな闘志というのはあるのかもしれないが)。
 私は買う作品を大体決めておいたので、ブースで試し読みだけをするということはしなかったのだが、割と試し読みだけしている人も多かったので、ブース参加者側は展示即売会とはそういうものだと割り切っているのだろう。試し読みをしたら買わなければいけないという、強制イベントだと厳しいものがあるので、来場者側としては大いに助かる。
 ブース内をうろちょろして、結局3つのブースで作品を購入した。作者が直接作品を売っているブースが多いので、「顔の見える作品」状態になる。ああ、小説や詩、俳句、短歌は人が作っているのだなと改めて実感する。商業的な作品は顔を見ながら買えないので、もしかしたら、「○○(ここには商業デビューしている作家名が入る)」は人間ではないかもしれないという不安が個人的には存在する。作者が見える文フリという空間は、作品の身体性、人間性を再確認できる場所でもある。ちなみにTwitter相互フォローになっている人に挨拶に伺ったところ、「電子の海に漂っている米粉さん……」という印象を貰った。もしかしたら私も存在していないのかもしれない。
 最後に会場内で販売しているカレーを食べた。バターチキンカレーだった。「あーインド!」となったが、本場のインドカレーを食べたことが無いので、私が感じたのは想像上のインド感である。
 
 個人的には割と楽しい経験になった。しかし、割とイベント自体が内向きなものなのかなという印象ももった。割とブース参加者同士や、ブースの知り合いの人々が和気藹々としている光景は何回も見た。あまり人のつながりをもたない状態で文フリに行くと、常連の人が多い居酒屋のように、アウェーな気持ちを抱くのではないだろうか。別に和気藹々としているのは良くないという意見を言いたいのではない。ただ、あまり繋がりの無い人は、人に会いに行くのではなく、文学の多種多様な側面の再認識や、作品との一目惚れ(一読み惚れ)を期待して文フリに行った方が満足度は高いと思う。内向きなことに関しては、サブカルチャーが共通して持つ問題だとは思うが(サブカルでなくサブカルチャーだということに注意してほしい。現代の人々がサブカルと口にする場合、そこには嘲笑の意味合いが込められていることが殆どだからだ。私が違いを強調したのはその点を考慮しての事である)。
 文学は一人一人が定義するものだと個人的には思っている。文フリは多種多様な文学があり、ブース参加者側、来場者側のそれぞれ一人一人が違う文学の定義をもっている、それこそ今回一来場者として参加して、強く思ったことだ。次はブース参加者側として、文フリに行ってみたい。