コムギココメコ

忘れてもいいことを書くので不備忘録

現実´の展覧会は無料

 お元気ですか?

 先週あたりから寒さのリハーサルが終わり、本格的な冬の季節に入りつつある。シャワーを浴びるのが苦痛になってきたら私にとっては冬なので、もう冬になったと言ってもいいだろう。
 冬になると寒い(当たり前ではあるが)ので、外に出歩くことが少なくなる人も多いだろう。しかし、最低限しか外に出ないとなると、運動不足は否めない。まあ、普段運動をしない私含めたぐうたらに、今更薄着で外を走ったりするのを勧めるのは、普段料理を作らない人間に、手間暇かけた本格的な料理を作ってみると、自炊がすごく楽しくなるよと言っているようなものである。自炊をあまりしないのは、その手間暇が嫌だからである場合が多い。運動をしない人間も、走る事に喜びを見出せなかったり、普段様々な出来事によって疲れ切っているのに、なんでわざわざ更に疲れる行為をするのかと思ってしまう人種である。しかし、全く運動をしないと、日常のちょっとした行為でも疲れてしまう。そうすると元々不足気味だった活力も、井戸の底でカラカラに干上がってしまう。しかし、あまり激しい運動はしたくない。
 では、どうやって体を動かせばいいのだろうか。私なりの答えは散歩である。なんだ、ありきたりじゃないか。そんなことをわざわざ言わなくてよろしい。解散解散。ちょっと待ってほしい。帰りの電車が来るまでの間、少し私の話にお付き合い願いたい。散歩は良いものだ。散歩は良いぞ。歩いて散るって書くんだから。散って歩くかもしれない。
 散歩の良い所は、思考しながら運動できることだ。普通マラソンや球技などは競技自体への思考が主になってしまうので、なかなか自分の事を考えることが出来ない。しかし、散歩はただ歩くだけなので、思考しながらでも可能な運動である。また、座って考えていると、ただ悶々とするだけである。特にウッとなる考えが頭をよぎったとき、実際にジタバタしたり、枕に顔を埋めるか、心の中でそれを行うしかない。しかし、散歩は歩いている。ウッとなる考えが頭をよぎっても、歩いているうちにそれらを置いてきぼりにできる。
 散歩の良いところをもう1つ挙げるとすると、気付きを得られるという事だ。これは個人的な楽しみ方なので、当てはまらない人もいると思う。日常風景には様々なイメージとアイデアの種にあふれている。それらに気づくと、思わぬところでそれが生かされたりする。車で通っていては気づかない風景に出会えたりもする。私の例を挙げる。一昨日散歩をしている時、車のショーケースをふと見ると、鏡の世界では横断歩道が巨大な坂に変化しているのに気づいた。ただそれだけであるが、巨大な坂と化した横断歩道は私の頭の中に焼き付いて楽しませてくれる。現実に寄り添った違う現実(現実´とでも呼んでみようか)が、目の前に偶然現れた時、そしてそれに気付けたとき、私たちは何とも言えない楽しさを覚えるのではないだろうか。私は現実´の発見が楽しみで散歩をしているところもある。
 そんなよく分からない話をされても困る、という人もいるかもしれない。まあ、散歩をしてみると、個人的な楽しみが見つかったりすると私は思う。見つからないなら、運動をしていない罪悪感から逃れるために散歩をしても構わないだろう。散歩をすることに高貴な理由は必要ないのだ。言い忘れましたが、散歩を義務化すると楽しくなくなると思うので、したい時にすればいいと思う。何事もしたい時にするのが一番だ。