コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

断片思考がいっぱい

 お元気ですか?

 

 脈絡が死んでいるので、今日は長文が書けません。

 

 最近私は茹でられると死んでしまう事実に気が付いたのですが、結構な時間がかかりました。みなさんはいつ頃茹でられると死ぬという事実に気が付きましたか? 幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、社会人。各々が各々のタイミングで気づいているかと思います。今まで茹でられなかったことが奇跡なのかもしれません。9回裏2アウトの場面で飛んできたフライを取るくらいの大事さで生きていきましょう。

 

 銀シャリのネタを多く摂取したら夢の中に銀シャリが出てくるようになりました。

 

 水彩画みたいに相手の顔が見える場合、目や口などは書かれていることは少なくて、ただただのっぺりした肌色があるだけなので怖い、という感覚。

 

 「愛は祈りだ。僕は祈る」って、すごい書き出しで、時々ふとした瞬間に思い出してしまう。

 

 Mr.ピンチが城の中にある鏡を見て、「今日も災難」と呟いている。

 教室にはズボンとスカートだけがくっきりと見えていて他はぼんやりと擦りガラス越しになっているので、誰かに「おはよう」と言われても相手は分からない。性別は分かるけども。

 チャイムは3日連続で鳴らない。気まぐれな性格だってことはこの学校にいる人々はみんな知っているけども、チャイムは定期的に鳴ってくれないと困るのは事実だ。

 

 思考が分散しているからまとまった文章が書けなくなる時が時々ある。今日がその日に当たる。前日寝た時の記憶が無い。起きた時から、思考が分散しているような感覚に陥っている。

 

 変わっていると評価されるのがとても苦手だ。絶対嘲笑しているだろ。こっちは普通に考えて、普通に言ったり書いたりしているだけだ。それを変わっていると言われると、自信を無くしてしまう。ああ、今馬鹿にされているのだなと思ってしまう。普通を定義するための定規は目盛りが人によって違うから、測るのには適していないはずなのだ。でも、測ることに適していない定規なんて存在するのだろうか。

 

 難しい。全てが難しい。

 

 クリスマスになると急に独り身の人々は悲しくなったり寂しくなったりする。私もその1人である。しかし、クリスマスやカップルを恨むのはおかしい。もうそんな時代はとっくに過ぎてしまった。クリスマスやカップルを祝福しなければならないのだ。拍手で迎えなければならない。クリスマスの夜は、拍手をしよう。拍手の音が寒空にのぼっていき、静かな夜に吸い込まれていく。全てが正しいのだ。だから、「クリスマスは中止になりました」なんて、古い言葉はごみ箱に捨てなさい。もう賞味期限は切れているよ。