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コムギココメコ

忘れてもいいことを書くので不備忘録

ひとことカードのユーモアは主食にはならない

主張

 お元気ですか?

 大学の食堂や購買には、ひとことカードが置いてあることが多い。例えば、「ドレッシングの種類を増やしてください」や、「○○(商品)を復活させてください」といった商品等への要望や、「昼食時に席が空いていなくて困っています」「ゴミをそのままにして帰る学生がいて困っています」といった、食堂や購買という場所そのものに対する要望が書かれている。返答が書かれているひとことカードは、食堂や購買のどこかに貼ってあることもある。
 ひとことカードは要望のみが書かれる場所では無いことは、Twitterを見ているとよく分かる。時々購買や食堂とは関係のない要望が書かれて(描かれて)いて、それに対して職員がユーモラスに返答をしているひとことカードは、時々誰かのRTによってタイムラインに流れ、大体の場合沢山のRT数を付随している。見ていて微笑ましいものである。
 一昔前に、「生協の白石さん」という本が話題になった。これは生協の職員である白石さんという人が、学生からくる少し変わった要望(要望になっていないものも多々ある)をユーモラスに返したものをまとめたものである。
 以上がひとことカードに関する説明である。
 今回言いたいことは、ひとことカードに求められるものが変容していないかという事である。今現在大きく話題になっているひとことカードはない。もしかしたらあるのかもしれないけれど、おそらく町内会的な規模の話題だと私は推測しているので、今回は放っておく。
 ひとことカードは最初の方にも書いてあるが、食堂や購買に対して要望を行う手段である。勘違いしないでほしいのは、決して大喜利をするために提供された場所ではないという事だ。
 昔も大喜利的な要望を書いていた人はいるかもしれない。しかし、それは話題になったとしてもせいぜい大学内だけだったはずだ。しかし、「生協の白石さん」がメディアで紹介され始めると、大喜利的な要望は全国に認識されるようになった。
 極め付けはSNS、特にTwitterの普及である。大喜利的な要望に対するユーモラスな回答を見つけた人々が、実際の画像付きで投稿しはじめた。秀逸なものは話題になり、RTをかっさらっていく。現在でも「このひとことカードがヤバいwww」みたいな文章と一緒に、「ヤバい」ひとことカードが画像として投稿され、RTされまくっている。
 こうして、大喜利的な要望の存在は全国の学生に知られるようになった。
 大喜利的要望は、ひとことカードの認知度の増加に貢献しているだろう。しかし、気をつけなければいけないのは、本来の使い方とは違うという、極々当たり前の事実である。 書くのは3回目だが、ひとことカードは、食堂や購買に対して要望を行う手段であり、決していかにユーモラスな要望を書くか(描くか)競う場所ではない。ひとことカードが話題になっても、中身としては、原則を無視した故の面白さに視線が集まるだけで、至極全うな要望に関しては人々の目がいくことはほとんどない。人々が普段感じている不便さを実直に書いたひとことカードに対する、職員側の要望は、不便さが改善されるのかそれとも耐えなければならない事情が存在するのかを知るために、重要なものである。しかし、それらはユーモラスを謳ったどうでもいい要望に埋もれてしまう。
 最終的に、真面目な事を書くのは恥ずかしいことなのではないかと思ってしまう人だって出てくるようになる。こうなったら、ひとことカードはもはや違う物になってしまったと言わざるを得ない。大喜利的な回答をするのは構わないが、それ一辺倒になるのは考え物だし、目的が違っている。ユーモラスさの中に実直な要望を入れるなど、配慮をしなければならない。

 

 もう1つひとことカードに対する意見を書く。どっちかといえば今から書くことの方が怒り度は高い。
 先日、ひとことカードの画像がTwitterのタイムラインに流れてきた。要望と共に頑張って描いたであろうイラストが載っていた。ここまではいつもと変わらない。問題は画像に付随されていた文章だ。
「こっちがせっかく頑張って描いたのに、普通に回答してきた。つれないな(意訳)」
 いまさら元をたどるのも馬鹿らしいので、意訳とした。このツイートをみた瞬間、全身に寒気が走ったものだ。熱があるのではないかと思い、体温計を使った。35.9℃だった。
 大喜利的な回答は、本来要望者側が好きでやっている事であり、職員側はどう回答しても構わない。当たり前である。「生協の白石さん」的な人々が例外なだけで、本来ユーモラスを謳った要望に対して、ユーモラスに回答する必要は全くない。
 例に挙げた学生は、ひとことカードを履き違えている。ユーモラスの強制は、絶対にやってはいけない事である。ひとことカードをただの自己表現の道具にして、職員の回答を自分の作品の一部にしてやろうという魂胆が見え見えである。そして、それが果たされなかったから文句を言う。私が法律だったら終身刑レベルである。
 上手いイラストを描いたのは要望者側の勝手である。別に職員側は望んでいない。「はいはい上手いですね」で済んでいいものだ。それに文句を言うのだったら、相手側がユーモラスで凝った回答をしたくなるような文章やイラストを添えればいいのだ。
 例に出しているひとことカードには、ある漫画のキャラクターが作者そっくりに描かれていたのだが、キャラクターの模写なんぞ、もう手垢がべっとりとつきまくったパターンである。結局、要望者側も、目を引くようなものを、ちゃんとした要望と共に書いて(描いて)やろうなんて微塵も思ってはおらず、ただただ既存のパターンを引用すればいいやなどという思考停止状態に陥っている。
 つまり、ユーモラスな要望を書いて(描いて)やろうという考えをもっているにしては、やっていることがえらく中途半端なのである。

 

 ひとことカードは本来真面目な要望を真面目に返す場所である。ユーモラスさはカレーに添えられた福神漬けのようなものであって、メインになることは無い。むしろ福神漬けが主体になってしまったら、もはやカレーではなくなってしまう。本当に要望があって書いたひとことカードが、凝っているわりにはしょうもないことしか書かれていないひとことカードに淘汰されないことを祈るばかりである。だが、祈りもむなしく、もう淘汰されているのかもしれない。