コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

「シュール」を定義したい

 2016年の目標を立てた。前々回のブログにも書いたが、

・中 or 長編小説を書く
・文フリに行く
・本を年間で80冊読む
百人一首を覚える

の4つである。私はもう1つ追加することに決めた。それは、
「シュールを定義する」
である。
 シュルレアリスムに関しては、去年ブログに思うところを書いている。

komugikokomeko.hatenablog.com

 今思うと、もう少し深くまで突っ込んだ文章を書けるのではないかと感じている。シュールはおそらくシュルレアリスムの略称だと思うが、意味合いは同じではない。シュールのほうがもっと幅広い意味で使われている。シュルレアリスムの意味に関してもう一度記しておく。
「心の純粋な自動現象であり、それにもとづいて口述、記述、その他あらゆる方法を用いつつ、思考の実際上の働きを表現しようとくわだてる。理性によって行使されるどんな統制もなく、美学上ないし道徳上のどんな気づかいからもはなれた思考の書きとり」
 対してシュールはどうだろう。「この画像がシュールすぎるwww」というタイトルがついた記事はそれこそ腐るほど存在するが、実際シュルレアリスムの意味合いに合致した画像はひとつまみ存在すれば良い方だろう。もはやシュルレアリスムとシュールは違う言葉なのだ。
 ではシュールとは何を指すのだろうか。私はシュルレアリスムにとどまらず、カオス・不条理を言い表す言葉として機能していると考えている。
 カオスとは「混沌・無秩序」という意味で、物事の正しい順序や筋道を壊す方向性のものと捉えていいだろう。
 不条理は「不合理・常識に反していること」で、一般的な常識や考えを壊す方向性のものだ。カオスと不条理は親和性が高い。
 それにシュルレアリスムが加わり、シュールは大きな意味をもった単語になったのだ。 
 私は、訳の分からない画像、文章等に対して「シュール」の一言で済ませてしまう昨今の風潮が嫌いだ。感想ならともかく、雑誌等で何かを評論している時にこの言葉が出るとうんざりしてしまう。
 ならば、定義してみたい。磨りガラス越しにしか見ることのできないシュールという概念をこの目ではっきりと見たい。誰も定義しないのなら、私が定義する。その意気込みをもって、今年はしっかりとシュールと向き合ってみたい。
 もう1つ言うとサブカルチャーとサブカルも別の言葉になってしまっていると感じる。時間があれば、サブカルも定義していきたい。
 ふわふわとしている言葉を定義してしまうと、言語の多様性が失われるかもしれない。しかし私は言語学者ではないので定義したところでそれは私自身が定義したものだ。気に入らなければ各々で定義したりしなかったりすればいい。それでいい。それがいい。

 と、言うわけでうおー頑張るぞ。