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コムギココメコ

忘れてもいいことを書くので不備忘録

それでも、私は考えている方が好きかもしれない

小説

 この手紙を読んでいる時、私はどうなっているかなんて分からない。生きているか死んでいるかのどちらかで、それらはコインの裏表のようになっているけれど、決して50%なんてことはあり得ない。あり得ないけど、結局は50%になってしまう。なぜなら、生きている可能性が高いのか、死んでいる可能性が高いのかはキミが手紙を開くまで分からないから。シュレーディンガーの猫。私が今したためている猫は気まぐれにどこかに行ったりはしない。机の中の引き出しに行儀よく座り続ける。

 何を書こうかなんて考えていない。キミのために書くけれど、キミが読みやすいようにとか、キミが感動したり、怒ったり、悲しんだり、喜んだりその他ありとあらゆる感情を引き起こすために書くわけじゃない。そんな書き方をしたら、キミが恥ずかしい思いをしてしまうのは分かっているし。ただ、文面を文面のまま読んでくれるために、意図を捨てて、頭の中の倉庫に眠っているような事を書くつもり。

 今まで自由と不自由を享受してきた。大学生の私は、日々何かを考えている。考えているという書き方は、私があたかも特別みたいな書き方になっているようで心苦しい。私だけが考える、という行為をしているわけじゃない。1422人いれば、1422人が様々なカテゴリーに関して、様々なフィルターを通して、様々な考え方をしている。

 私の考えている事なんて、おそらく誰かのお古だ。私だけの考えなんてきっとない。誰かだって誰か´のお古をあたかも自分の考えだと思って一喜一憂してるだけだ。私は、私の考えを独自の、一言で言い表してしまえば個性なんて言っちゃいけないと思ってる。おこがましい。だって、個性なんてきっと無いから。昔はそんなこと考えなかったけど、いつからか自分が考えたことを嬉々として話すことができなくなってた。嬉々として話しているのを他の人はちゃんと聞いてくれる。けど、その裏で「あいつは、普通の事をあたかも自分だけが考えていると思い込んでいるぞ」なんて言われたりするかもしれない。いや、言われているんだと思う。

 普通でいたい。でも普通が分からない。まともであることを証明するチケットも私にはない。かといって、普通であることを証明しようとすればするほど、証明窓口への行列はどんどん長くなっていっていく。窓口に私は辿り着いたことがない。いや、この目で見たこともない。

 ねえ、変人であることを自称できるってことは幸せなんじゃないかと私は思ってるんだけど、キミはどう思う? 私には到底できないよ。変であることを自称するのは怖くてたまらない。私が私自身を変人の2文字で定義して、どんな行動も、言葉も、思想も全部全部変人という感想に置き換わってしまうなんて、耐えられない。普通だったら目立たないから、道に生えてる雑草と変わらないから、なんて書いてしまうと私は普通も変人も馬鹿にしてるんだなってこと、どちらにも本当はなりたくないんだなってことに気付いてしまって白けてしまう。ああ、早く人間を辞めたい。何も無い場所で壁になって、暮らしていきたい。壁。無機質なものに生まれ変わって、私のどこかに縫い合わされている個性という名のタグを消し去ってしまいたい。

 相変わらず、毎日は不安でいっぱいですか。現実の中に不安があるのか、不安の中に現実があるのか私には全く見当が付きません。私は1人でいる時、常にiPodで音楽を聴いていないと不安で不安でしょうがない。誰かに話しかけられたくないとか、コミュニケーション拒絶のための手段じゃない。コミュニケーションの怖さなんてもう慣れてるし、結局孤独を深めることが、私にとって最悪の結末だってことは5回は気づいてる。

 違う。私が言いたいのはそんなことじゃない。私は私の考えていることに殺されかねないってことだ。私に向かって音が飛んでいない、私が考える無音状態があって、その状態になると、頭の中で考えがどんどん生産されていく。不安な事ばかりがどんどんどんどん生まれていって、倉庫に運ばれていく。無音状態の時、生産されるのはいつも不安な考えだ。他の考えは休んでいるのか、従業員が殺されてしまっているのかは分からない。そのうち不安な考えは倉庫に入りきらなくなる。ついには倉庫が壊れて、不安が血流にのって全身を駆け巡り、私は殺されてしまう。思考死を引き起こして、気づいたときには生き帰ってる。でも、生き帰った後は違和感がある。必須自尊心があるべき場所にない。私は私自身を信じることができない。この繰り返しは痛みはないけども、引き裂かれるような感覚に陥る。それが嫌で嫌でしかたないから、私はイヤホンをして、音楽を大音量で流す。無音状態じゃなければ、思考死もない。

 でも、最近気づいた。音楽に依存している状態だってことに。音楽雑誌を見ると「NO MUSIC,NO LIFE」なんて言葉を見かけることがたまにあるけど、あれはポジティブな依存だ。私のはネガティブな依存だ。安心毛布と一緒で、音楽をまとっていないと、誰かが私の横を通り過ぎるたびに、私を陥れるためだけに言葉を吐き出している気がする。何かに執着していないと、私は動くことができない。早く頭の中にiPodを埋め込む手術を受けたいよ。

 私は今、こんなことを考えています。自意識が憎くて憎くてたまらない。私自身について考えれば考えるほど、私をこの世に1つしかない特別な何かに仕立て上げようとしているだけに思えてしまって、滅入ってしまう。自意識を切除する手術を受けたいといつも願っている。私の自意識はいつの間にか悪性の腫瘍と化してしまったみたい。キミが今何を思っているかは想像できないけど、この手紙を見て、昔を懐かしんでもらっても構わないし、枕に顔を埋めてもらってもいい。

 もう書くことも無くなったので、さようなら。最後はびっくりするくらいあっけないのが普通だと思うよ。

 

P.S 自分から死ぬことは無いと思う。