愛は祈りだ。僕は祈る。
上の文章は、舞城王太郎の『好き好き大好き超愛してる。』の書き出しである。インパクトのある書き出しだよなと毎回思い出すたびに感心してしまう。しかし、今回は舞城王太郎の話や、『好き好き大好き超愛してる。』の話をするわけでもない。
みなさんは普段どのような場面で祈りという言葉を聞くだろうか。何か不幸な出来事があった時に、人は祈るかもしれない。しかし、特定の世代は、祈りという言葉を耳にタコができるほど聞くことになる。
「ミニにタコができる」と言ったのは田代まさしだっただろうか。最近、東京に行く機会が増えた。つまり、人と通りすがる機会が増えたのだ。人を見る機会が増えると、芸能人のそっくりさんと出会う機会だって増える。最近見たそっくりさんだと、上で話題にした田代まさしや、ラーメンズの片桐仁、ハマ・オカモト、ラバーガールの飛永翼(ツッコミですね)などがあげられる。東京はそっくりさんの宝庫である。今拠点にしている群馬だと、元ヤクルトのユウイチくらいしかそっくりさんを見かけた事がない。地方と都市の格差である。
ここ最近、祈られることが多い人々は、就活生という人種である。選考で不合格になった人々は大体の場合、お祈りメールを貰う。なぜお祈りメールかと言うと、「今後のご活躍をお祈りしています」などの文章がメールに含まれているからである。
お祈りメールを貰うということは、つまり会社に入れるには性格が適さないか、能力が適さないということだ。この事実にショックを受け、自分を全否定されたと思い込み、へこみ、寝込み、鬱々となる人も時々見受けられる。
しかし、鬱々となったところで、合格に覆ることもないし、鬱々選考などといって、気分が憂鬱な人だけが受けることのできる選考も聞いた事がない。もちろん、その憂鬱さは落とした会社に伝わることもない。会社側は淡々と、粛々と落とすのだ。あまりに嘆き悲しみ、就活メンヘラになってしまってはどうしようもない。
それでも割り切れないのなら、舞城王太郎理論を使うべきである。「愛は祈りだ。僕は祈る」という言葉を就活に当てはめて行くのだ。すると、お祈りメールを貰うという事は、愛されているということになる。
愛しているならなぜ落としたのか、と思う人もいるかもしれないが、会社側は、愛している人を会社に入れることで、傷つけてしまうことを恐れているのだ。だから、あえて遠ざけた。愛する人を守るために、わざと遠ざけるというのは、よくドラマやアニメ、漫画などで登場する光景である。
お祈りメールをたくさんもらったという事は、それだけ愛されているという事だ。くよくよする必要は無い。落ち込むのを止めて、美味しいものを食べたり、映画を見たり、小説を読んだりすると良い。小説でオススメなのは、舞城王太郎の『好き好き大好き超愛してる。』だ。
舞城王太郎はいいぞ。