コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

Several Seven

【木曜日】

 秋雨はしとしとしとしとと降り続いている。白線も連日の雨で、溶けだしてきている。横断歩道は白と灰色が混ざり合ってもう原型をとどめていない。それらはスープになっているような気がした。私はアパートからコップを持ちだして、横断歩道を渡る時に道路のへこんだ部分にできた水たまりを掬ってみる。灰色の水がコップを半分ほど満たした。コップの外に雨がくっついた。雨と水たまりの水に覆われたコップは水の星に1番ふさわしいものになった。

 自宅に帰る途中に手から砂を吹きだし続けている女子中学生に出会う。彼女は砂を出していることに気づいていないのか、それとも気にしていないのかは分からないけれど、真っすぐどこかに向かっている。それは今まで見た事のなかった足取りで、まるでどこか別の星に帰っていくように思えた。砂は雨に濡れて黒く変色している。私は砂を手で掴んでみる。何の変哲もない砂だった。彼女も手から砂を出していて、足取りが別の星から来たように見える以外は普通の少女だった。

 この世は全て普通だ。皆が皆普通に生きている。けれど、私たちは普通であることを嫌がってしまう。誰もが理想の普通を求めて日々を自由形で泳いでいく。変人と言われた人々は、とうの昔に絶滅してしまって、今はどこかの博物館に展示されているらしい。自らを変人という人は時々現れるが、みな風に巻き込まれて消えて行ってしまう。そうして吹き飛ばされた自称変人が、どこかの山に落ちていき、芽を出し、成長していって、春になると綺麗な花を咲かせるらしい。

 家に帰ってコップの水に、ひとつまみ持ってきた砂を混ぜてみる。砂はコップの中でぐるぐると回り、やがて沈殿していった。

 砂が沈殿しきったのを見てからコップの水を飲み干す。横断歩道と砂が混じり合った味だ。昔、どこかのレストランでこれと同じ味の水を飲んだことがあった。

 しばらく部屋の中でまどろんでいると、座布団が砂でまみれていることに気づく。手を見ると砂が次々と出ている。何の痛みもかゆみもないから確かに気づくのは遅くなるし、気が付いたとしても気にとめないのかもしれない。

 座布団の砂を払おうと、窓を開ける。座布団が雨で湿ってしまう前に手早く砂を落とす。窓の外では2人の男がゴドーを待っていた。傘も差さないから雨を避けることもできない。再び窓を閉め、まどろむことにした。

 ガタガタという音で目が覚め、窓を開けてみると、男はいなくなっていた。遅く来たゴミ収集車に回収されていったらしい。

 

【金曜日】

 一週間近く天気は悪いままである。遠くに行く用事があったため電車に乗った。

 東京に向かっていくと、時々日が差すようになった。雨も止んでいるらしい。そのためだろうか、電車から降りる時に傘を忘れる人がしばしばいた。

 傘はどこに向かうのだろう。

 誰にも所持されていない状態の傘は、帰属意識を持つことはできない。ビニール傘はぞんざいに扱われる傾向があり、もともと帰属意識が薄いとのことだが、普通の傘はどこかの家に属している。

 傘は雨が降った時に使うものだ。傘を差さなければ、雨に濡れ続けることになる。雨に濡れることを良しとする人はあまり存在しないように思える。無くてはならない、と言うと言い過ぎかもしれないが、できれば持っておきたい道具だ。

 しかし、傘はよく忘れ去られる。私たちは傘を忘れたという事実に、うろたえることは少ない。

 財布やスマートフォンを忘れた時、私たちはうろたえる。どうにか探そうとする。思い当たる場所に行き、思い当たるところに電話を掛けたり、忘れ物はなかったかと尋ねる。でも傘の場合はその手順が雑になる。

 使う時と使わない時が明確になっている物は、忘れてもあまり気にしないのではないか。本当に忘れたら困るものは、ダラダラと使い続けているものなのではないか。適当に使っているうちに自分と物が同化していくから、忘れてしまうと自分の一部分まで忘れてしまう気がするのだろう。

 電車が次の目的地を告げる。

「次はカサステ、カサステ」

 そんな駅は目的地に行くまでにあったっけ、などと考えているうちに電車は駅に着く。ドアが開くと、忘れられた傘は一斉に降りて行った。私もなんだかここで降りなければいけないような気になって、後に続いてホームへ降りた。

 傘は改札を通って、東口を出ていく。そのまま住宅街を通りぬけ、高台になっている場所へと進んでいく。駅から20分ほど歩いて、ようやく高台まで辿り着いた。

 町を一望できる、なかなか良い高台だ。住宅街がタッパーに詰め込まれたご飯のようにひしめきあい、わずかな隙間に緑が押し込まれている。遠くには海も見える。傘は高台の柵を通りぬけ、下へと飛び降りて行った。

 ここが忘れ去られた傘の帰る場所なのだろうか。下は緑に囲まれてハッキリ見えなかった。もっとよく見ようと柵に乗り出した瞬間、体が軽くなり、そのまま落ちてしまった。

 落ちて行く間に私の体は傘に変わっていった。落ちた先がどんな場所なのか、まだはっきりとしなかった。

 

【火曜日】

 四角錘の中で、癖毛の長髪に眼鏡をかけた男がシタールを弾いている。三角錐の頂点には液晶テレビが置いてあり、画面からは光を放っている。男の服は世界中の要素を少しずつもちながら、どの国にも当てはまらない民族衣装のようだ。

 男の前では、深さがありすぎて目まで隠れてしまっている赤い帽子をかぶった4人の女が踊っている。

 突如液晶画面から男が映し出される。男はレストランのテーブルに座っていて、そこにはワイングラスが置かれている。男の後ろには2つの穴が開いていて、その穴からハイヒールに網タイツを履いた女の脚が伸びている。女の脚はひたすらに動き、男にぶつかったり、ワイングラスを倒したりしている。

 中国人のように見える女が画面下から現れ、無表情で手拍子を打ち、画面下に引っ込む。

 女の脚はテーブルで地団駄を踏んでいる。そのたびに太ももが揺れ動く。

 今度は耳まで金髪で隠れている男が画面下から現れ、先ほどのように無表情で手拍子を打ち、画面下に引っ込んでいく。

 画面は切り替わり、中国人に見える女がトランペットを吹いている。女は男と同じような民族衣装を着ている。後ろでは4人の女がモノトーンの箱をかぶって踊っている。

 トランペットを吹く女は途中でピタリと動かなくなり、4人の女はムーンウォークをしながら後ろに下がっていく。

 少し下がった先には先ほどの金髪の男がいて、ベースを弾いている。箱を被った女は8人に増える。女たちは踊りながら箱を脱ぎ捨てる。しかし、まだ目まで隠れる赤い帽子を被っているため、顔は分からない。

 画面は90度右に回転した癖毛の男のアップに切り替わる。液晶を目が隠れる赤い帽子をかぶった3人の女が持ち上げ、90度左に回転させていく。その前で赤い帽子をかぶった2人の女が腕を大きく振り回している。男が視線を下に向ける。2人の女は前方転回をしている。

 再び画面が切り替わる。中国人風の女がトランペットを吹き、その横で2人立ちの獅子舞が踊っている。時々獅子舞は口を開け、そこから癖毛の男が顔を出し「ヨイショ!」「アソーレ!」と叫ぶ。

 獅子舞の後ろを担当していた男が外に出る。ベースを弾いていた金髪の男だった。金髪の男は仮面をしているため、顔が分からない。

 癖毛の男が「ガッテンダ!」と叫ぶと、獅子舞の口が液晶画面になり、そこに「ガッテンダ」と映しだされる。

 画面が切り替わり、赤帽子の4人の女が猫背になって歩きながら......

 

【水曜日】

  じゃんけんに新しい選択肢が追加されました。長らく3種類の手で行われてきたじゃんけんの大きなルール変更は様々な議論と犬を呼びそうです。犬はワンワンとバウバウの2種類の鳴きかたをします。レトルトカレーには、沢山の種類が存在していますが、カレー味という点では統一しています。

 彼は昼過ぎに起きました。外に出ないと何かをしくじってしまった気がするので、とりあえず昼食でも買いに行こうと家から出て、アパートの駐輪場に向かうと綿棒が落ちているのを見つけました。外は昨日の夜から今日の夕方まで雨が降っていて、外にある様々なものは濡れていました。綿棒も例に漏れず、濡れていました。

 水分を沢山含んだ綿棒は膨らんでいました。彼は身をかがめて尋ねました。

「普段綿棒は家の中にいるじゃないか。おそらく外に出るのは初めてだろ? 外に出た気分はどうだい?」 

 綿棒は答えません。

「僕は今まで何回も外に出たし、今も外にいるし、これから何千回も外に出ることになる。もう初めて外に出た時の気分は思い出せないよ。でも君は初めて外に出たろ? どういう気分なんだい?」

 綿棒は答えません。

「答えたくない時もあるよな。気持ちの整理がついていないのかもしれない。じゃあ、はいかいいえで答えられる質問にしようか。外に出て良い気分だと思う?」

 綿棒はやはり答えません。当たり前です。綿棒は無機物なので話せないのです。最近はロボットやスマートフォンなど、無機物でも話せるようになりましたが、綿棒はまだ話せません。 綿棒が話せるようになるまで、あと何年かかるのでしょうか? そして綿棒が話せるようになった時、未来はどんなふうになっているのでしょうか?

 いくら待っても綿棒が答えてくれないので、彼は自転車にまたがり、敷地の外に出ました。敷地と外の境界線あたりには、「駐車禁止」と書かれた赤のカラーコーンが置いてありました。しかし、駐の部分が欠けていて、どうみても「車禁止」としか読めません。彼を含む我々は駐車禁止を沢山見かけているから、なんとなく予想がつきますが、駐車禁止と触れ合った事のない人は分からないかもしれません。

「駐はどこに行ったんだい?」

 彼はカラーコーンに尋ねました。やはりカラーコーンは答えません。

 彼はあきらめ、自転車でコンビニへと向かいました。コンビニに入り、飲み物とおにぎりを選び、レジに並びました。

 レジでは駐が会計をしていました。駐はコーヒーとドーナツを買っていました。甘いものが好きなのかもしれません。

 

【月曜日】

 家にいるとなかなか作業に集中できない。家はご飯を食べたり寝たり起きたりする場所である。そのため、作業をする場所というよりはくつろぐとしての意味合いが私の中では強い。家で作業をしようと決意しても、すぐに眠くなってしまう。

 地べたに座るのもよくない。私の家にはテーブルと座布団とビーズクッションとその他もろもろが存在するだけなので机に向かって作業ができない。ご飯を食べるのと同じ格好と場所で作業をすることになるし、すぐ横になることもできる。ゴロゴロ状態にすぐトランスフォームできてしまうのは作業の進捗を妨げる要因の1つである。

 喫茶店やファミレスで作業をするのもいいのかもしれないが、私の家の周りにはそれらの店がない。なぜかラーメン屋ばかりである。喫茶店やファミレスを作れば結構人が入るのではないかと思うが、増えるのはラーメン屋のみである。何が私の住んでいる土地にラーメン屋を引き寄せるのだろうか。

 私の住んでいる場所は地方都市だ。正直これといった特徴はない。国道にはたくさんのチェーン店が連なり、少し細い道に入ると住宅街ばかりになる。どこにでもある光景だ。ほかの地方都市と違うのは、元ヤクルトのユウイチにそっくりな人がいるというところだが、最近見かけないので、唯一の特徴がなくなってしまった。

 入り浸れる店がないこの地方都市(熱心に入り浸れる場所を探していない自分が悪いのかもしれないが)で、私が作業を行う場所はもっぱら図書館だ。ある程度の秩序があるので、集中して作業を行うことができる。ついでに本を読むのにも快適だ(図書館は本来、本を借りたり、読んだりする場所であるらしいですよ)。

 私は積極的に窓際の席を利用するのだが、窓にはブラインドがついていて、その近くに紐がぶら下がっている。これは自殺用の紐だ。図書館の秩序に耐えられなくなった人間が自らシャットダウンできるように付けられているのだ。社会の秩序に耐えられなくなった人間は死にたくなるが、膨大なエネルギーがかかる。図書館のシステムを見習ってほしい。

 私も先日利用してみた。ぶらさがっている紐を首にかけると一気に上へと引っ張られ首吊りが完成することになる。天井近くから見る図書館は意外にも迫力があり、絶景である。

 良いことずくめのこの紐の唯一の欠点は、たまに死ねないことだろう。私はぶら下がった状態で3日過ごしている。もはや図書館の飾りの一部だ。この文章はポケットに入っていたスマートフォンを使って書いている。文明が生み出した利器は素晴らしい。

 

【火曜日】

「詠うフランケンシュタイン

 充電を空に投げ出す禁煙席ハンドソープより生きていたい

 コーヒーに諸行無常を2杯入れスカートを気にせずうたうきみ

 空白の歩行者信号メイドインセブンイレブンメメントモリ

 気まぐれに天動説を肯定し月光から月光へと走る

 真夜中のメトロポリスでゴドー待つ体育委員を引き受けたまま

 キャンディを吹き飛ばす電車の中で気まぐれなさよならを見る

 傘を閉じ積乱雲をごみ箱に捨てる 現代文75点

  ポケットの中身は何もわからないあなたをすべて知っているのに

 この席は終日禁煙となります私終日高橋麻由美

  フランケンシュタインの志望校よ合格通知を気にせず眠れ

 

【水曜日】

  この手紙がちゃんと文字という形で残るかはわからない。細心の注意を払って日本列島から離れ、今は船の中でこの手紙を書いている。文字は船の中に持ち込まないように何度も確認をしたし、船の中にあった文字はすべて削り取って燃やした。ウイルスが入る余地は無かったはずだ。

 これを読んでいる誰かに向けて、今日本で起こっている大規模な災害を伝えたい。この手紙は瓶に詰めて海に流すつもりだ。海外に流れ着いてくれることを祈っている。まだ飛行機という手段があったのだが、ウイルスを世界にばらまいてしまう危険性を考えるとかなりリスキーな話だ。まだウイルスは発症して間もないし、政府は日本語にしか感染しないと言っているが、いつ突然変異したり、パンデミックを起こしたりするか誰にもわからない。今までにない病気なんだ。俺は早く空港を閉鎖してほしいと考えているが、そうなる気配はないし、俺には何の権力もない。

 他の言語まで感染するようになってしまえば、日本はおろか世界の文化はずたずたに壊されてしまう。特に文学はなかったことになってしまうかもしれない。日本人の中には文学なんて何の役にもたたない研究だと言っている奴もいるが、役に立つ立たないですべてが決まってしまうのなら、人間は今までの行いから見て何にも地球の役に立っていないのだから全員死ぬのが正しくなってしまう。

 私は日本に生まれてきたのだから、日本の文化を守りたいと考えている。文化は絶えず変わり続けるが、変わり続けた過程も文化の一部だ。

 話が脱線してしまった。日本語を書けるだけ書こうと思っているからかなり回りくどい文章になってしまっている。これを読んでいる誰かには申し訳ない。日本で何が起こっているのかを真っ先に書かなければならないことは重々承知しているのだけれども。

 今、日本から漢字・ひらがな・カタカナなどの文字が消えようとしている。これだけ聞いても何を言っているのか分からないだろう。しかしこれは紛れもない事実だし、何も脚色していない。

 読んでいる誰かは、どうしてそのような事態が起こったのか知りたいと思う。日本から文字が消えてしまう原因を、今から書き記す。おそらく理解できないと思う。俺も全然理解できていない。多分日本人は誰一人として理解していない。大丈夫だ。

 日本では、『君の名は。』という映画が上映されている。その映画の「。」の部分がほかの日本語を食らいつくしているのだ。日本の映画館では『君の名は。』はとっくに浸食されて、『。。。。。』になってしまっている。

 意味が分からないだろう。俺だって分からない。

(ココマデ)