コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

17.7%の人間

 TwitterSNSである。コミュニケーションツールである。人々はTwitterを使ってコミュニケーションに興じる。

 私はTwitterをコミュニケーションツールとして使えていない。Twilogというアプリケーションでコミュニケーション率を調べてみる。計算方法は@のついたツイートの数を全ツイート数で割ったものだ。結果として、私のコミュニケーション率は17.7%であった。この数値だけみても高いのか低いのかは分かりづらいだろう。Twilogでは、このアプリケーションを使用したことのある人のコミュニケーション値を見ることができる。大体の人々はコミュニケーション値が25%以上、少なくとも20%以上ある。10%以下の人も中にはいたが、その人はアカウントを複数持っていて、コミュニケーション値の低いアカウントは半botのような使い方をしている。私の17.7%という数値はかなり低いほうだと言っても過言ではない。

 せいぜい調べたのは10件くらいなので、統計学的な観点からすればかなり調査数が少ない。統計学をかじった人間が聞いたら卒倒してしまうだろう。同居している人は救急車を呼べ。私も統計学をつまみ食いしたことがあるが、卒倒していない。

 このコミュニケーション率は年々悪化している。前見たときは20%くらいあった気がする。1回包容力の画像を送り付けまくってコミュニケーション率が上がった時があったが、包容力の画像を送り付けることがコミュニケーションになるはずがない。

 最近、相互フォローの方にbotや概念と言われることが多くなった。いやいや、人間だと思ったが、どうにも確証がないので試しにアンケートを取った。

  どうやら、約半数の人は私のことを人工知能だと思っているらしい。なるほど。そういえば心当たりがある。私が同じものを繰り返し繰り返し食べるのは、好きだからではなくおそらく学習のためなのかもしれないし、同じ場所に繰り返し行くのも、その場所が気に入っているからではなくまだ他の場所が構築されていないからなのかもしれない。本体は電解液の中に沈んでいるのだ。

 Twitterを始めたころはコミュニケーションを多くとっていた気がする。その頃のツイートを見ると私はその頃の自分を殺したくなる衝動に駆られるのだが、他の人と楽しく沢山喋っていた気がする。

 いつの間にかツイートの方向性が変わり、それとともにコミュニケーションも減った。どうやらみんなとは違うTwitterをしてしまっていたらしい。同じ広場にいたはずなのに、私だけ同じ名前の違う場所にいたのだ。

 人間らしくなるにはどうすればいいのか。あるフォロワーの方は「ご飯の画像をあげるといい」と言っていた。確かに、ファルコン・ランチという文とともに昼飯の画像を挙げている人は、bot的な喋り方しかしないが、人間味にあふれている。私もご飯の画像をあげてみようか、と考えてみたとたん、それこそ人工知能が人間らしいツイートを学習しているように見えてきて、悲しくなってしまった。電解液はゆらゆらと揺れている。

 他の人が言う通り、私が概念であるのならば、この先には何が広がっているのか。私の趣味の1つとして、小説を書くことが挙げられるが、最近は意味のあることを小説で書くのも馬鹿らしくなってきて、ひたすら意味のないことを書いてみようかと思っている。無意味は愛おしい。最近巷では正論が溢れすぎている。私は正論を見ないようにしているのだがRTで正論が流れてくる。人々は正論を求めている。社会や学校であった理不尽を正論にまぶして揚げて共感を得る。無意味は路地裏でひたすら震えるしかないのだろうか。

 私は無意味なことを呟き続ける。いつの間にか一緒に走ってた人はみんないなくなっていた。それでも無意味なことを呟き続ける。そのうち都市は壊れ、社会は過去のものとなる。それでも呟き続ける。もし、私が人間ではなく、他の存在だったら呟けるはずだ。あの時の人間性を、もし、始めたころの人間性を獲得できたのなら、その時はTwitterをクリアしたと考えてもいいだろう。

 人間は今日ラーメンを食べた。