コムギココメコ

忘れてもいいことを書くので不備忘録

意味・無意味・超意味

 最近の動きについて話します。あと自分がどんな文章を書く人なのかを再確認したいと思います。記憶喪失だと思われます。

 

 私は糸ようじを使ってハープを作るのを生業としている。ビッグサイトで展示会があり、その関係で東京に行くことになった。新幹線をつかったのだが、初めて乗ったときのような感動はなくなってしまった。慣れると感受性がどんどん薄れていく。ただただ悲しい。

 新幹線に乗った時はグミを食べる。そういう宗教だからだ。コーラアップを食べながら、体は何もしなくても東京へと進んでいく。

 普段ならストレートに東京に向かうのだが、今回は友人と会う約束があるので途中で降りる。ラーメンを食べるのだ。降りようとしたとたんにイヤホンが断線する。世界が右耳だけになってしまい、テンションが下がる。

 駅に向かうと友人が車で迎えに来てくれた。友人の話だと第一候補は定休日だという。第二候補に向かうが、そこも定休日で、第三候補へと向かう。人生である。

 第三候補は開いていたので、中に入る。当然の結果としてラーメンを食べる。美味しかった。

 突然だが、食べログの中高年レビュアーあるあるを発表する。どの曲に乗せるかは各自で決めてください。

 

「一人称に小生使いがち」

 

 以上です。

 ラーメンを食べ、電車で東京に向かう。ほぼ寝ていたので、気が付いたら新宿にいた。とりあえず新宿付近のビジネスホテルにチェックインを済ませる。部屋に着き、とりあえずテレビを点けた後、トートバッグを取り出し、必要なものを詰める。腸詰めをしている人はどういうことを考えているのだろうか。分からない。全てが分からない。

 ホテルを出て、新宿の紀伊国屋に行く。短歌集1冊と、短歌に関する本1冊と、現代詩手帖を2冊購入する。好奇心はあるので、詩も頭に詰め込んでみようと考えている。腸詰めをしている人はどういうことを考えているのだろうか。分からない。全てが分からない。

 9月に入ってから短歌を見直しを図った。惰性で作ってしまうことが幾度となくあったので、しっかり時間を作って詠むようにした。また、何かしら個性をつけようと無理にはりきっていたが、個性というものは自分ではなく他人が判断するものだと気付いたので、変に狙いに行くのはやめた、そうしてできた短歌は8月までと何かが変わっているかもしれないし、何も変わっていないかもしれない。Twitterに貼り付けている短歌を見てほしい。文フリまであと約2か月半だ。

 友人と夜ごはんを食べるため、待ち合わせ場所に向かう。友人はお腹一杯でほとんど何も入らないとのことだった。晩御飯とは何か考えさせられる。

 友人と合流し、適当に彷徨った後、友人が知っていたレストランに入る。私はハンバーグを食べた。じゃがバターが美味しかった。友人は申し訳なさそうにアイスを食べていた。アイスは申し訳なく食べたらいけないと思う。

 友人と別れ、ビジネスホテルに戻る。寝るまでの間、ひたすらテレビショッピングを見る。ここ1,2年、テレビショッピングばかり見ている。毒にも薬にもならず、何も考えないで良い時間。ただひたすらに意味のない時間。テレビショッピングを見ることは、私にとって意味のない行為ことだ。しかし、1番楽しい行為の1つでもある。見すぎて寝不足で仕事をする羽目になると、うっすら分かっていながらもやめられない。

 社会は意味にあふれていて、苦しい場所である。意味を超える何かが欲しい。意味を超えた世界、超意味の世界に行きたい。しかし、行き方が分からない。分からないので、短歌なり小説なりを作っている、小説は最近作っていない。時間が欲しい。意味を超えるための時間と、無意味に浸る時間が欲しい。1日が200時間になれば良いと思いかけたが、そうしたら意味のある時間も何倍にも増える。しまったな。