コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

幸福の液体は自販機で売られている

 私は同じ食べ物・飲み物を毎日摂取する人間である。

 学生の頃はひたすらポカリスエットを飲んでいた。アクエリアスではダメだった。時々、運動をしていないのにやたらとスポーツドリンクを飲む人があなたの周りにもいなかっただろうか。それはたぶん私である。

 また、ある時は団子をひたすら食べていた。毎日毎日団子。みたらしとこしあんをひたすらにループしていた。時々三色団子も食べていたが、あれはローテの谷間みたいなもので、結局はみたらしとこしあんに落ち着いた。

 団子を同じ店で毎日買うため、たまに団子を買わない時があると、「あれ、団子は買わないの?」と言われるようになった。おそらく団子を食べないと死ぬ病気にでもかかっていると思われていたに違いない。今はあまり団子を食べなくなったが、死んでいない。

 定期的にある食べ物・飲み物を執拗に飲んでいる私が、ここ1年くらい飲んでいるものは、濃いめのカルピスである。自分で作るのではなく、自販機やコンビニで売っている、雪塩を使っているものである。

 もともと私は、カルピスは濃ければ濃いほど上手いと考えている人間だった。そのため、市販のカルピスは薄く、味気なかった。しかし、去年の夏ころに濃いめのカルピスが発売され、生活は一気に華やいだ。私は見かけるたびに濃いめのカルピスを買った。世界は私を中心に動いているようだった。

 そんな生活も長くは続かなかった。夏が終わると、店頭や自動販売機からは濃いめのカルピスが消えていた。おそらく私のアンチの仕業に違いない。世界は私を中心に動かず、前と同じように太陽を中心に回っていった。

 失意をひきずったまま秋が終わり、冬が来た。ある日、自販機を見かけると濃いめのカルピスと言う文字があった。テンションがぐぐぐっと上がっていく。しかし、よく見ると雪塩ではなくはちみつが入っていた。テンションは上り坂から平坦な道へと変わった。試しに買って飲む。違う。美味しいけど何かが違う。テンションは下り坂を進んでいた。憧れの人が見ない間に変わってしまったような気持ちを覚えた。

 やがて春が来て、はちみつ入りのカルピスも姿を消した。私は照りつける社会の中をひいひい歩いていた。

 幾度目かの夏。自販機を見ると、憧れていた文字が目に飛び込んできた。

『濃いめのカルピス 宮古島の雪塩使用』

 憧れの人が憧れのまま、帰ってきたのだ! 世界が色を帯びていく。すぐに買って飲む。味も変わっていない。むしろ、はちみつ入りを経験したことで、さらに美味しく感じる。幸福を液体にしたら、こういう味なのだろうと思う。

 幸福はいつ終わるか分からないので、見かけるたびに濃いめのカルピスを買っている。どの自販機で売っているのかも、自分がよく通る道は全て把握している。コンビニであれば、セブンイレブンに売っている可能性が高い。

 雪塩を使った濃いめのカルピスは液体の幸福である。幸福をペットボトルに詰めて売っているのであれば、どこかに幸福が湧き出る泉があり、そこから汲み取っているのだろう。このまま汲み続けると、泉は枯れるかもしれない。そういう後ろめたさを感じながらも、私は飲むのをやめることができないのであった。