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備忘録と不備忘録を行ったり来たり

『死ぬほど好きだから死なねーよ』批評会に行きました

 初めて何かを行おうとするとき、人はかなりのエネルギーを必要とする。行っていない、という領域から行っている、という領域に向かって飛び越えるのはいつだって勇気と行動力とその他諸々の経費を必要とする。

 

 先日、歌集の批評会に行くという初めての経験をしてきた。今回行った批評会は、5月5日(土)に行われた、石井僚一『死ぬほど好きだから死なねーよ』批評会だ。

 普段私は新潟に住んでいるため、休みに遠出をすることは頻繁にはできない。また、お金もかかるため、1回東京に行くとしばらく行くことができない。ポケモンの技で言うならば、はかいこうせんみたいなものだろう。今回は、ゴールデンウィークでなおかつ文学フリマと日程が被っていなかったため、参加できた。

 批評会に参加者としてどう臨めばいいのか分からなかったため、とりあえず歌集を読むことにした。しかし、なかなか読む時間が取れず、ゴールデンウィークに入ってしまった。ゴールデンウィーク前半は友人とボウリングをしたり、日が沈むまでカラーボールとカラーバットを使って野球をしてしまったため、全部読み切れないまま当日を迎えてしまった。

 友人宅で起きて、体がバキバキなことに気づく。普段運動をしていない状態で、野球をしないほうがいいらしいことに気づかされる。前日に買っていたワッフルを食べて、中野に向かった。

 中野駅を降りて、会場である中野サンプラザに向かう、まだお昼ご飯を食べていなかったため、軽く食べておいたほうが良いなと考えながら歩いていると、空き瓶歌会(新潟で定期的に行われている歌会です)でご一緒させていただいている香村かなさんに声を掛けられる。お昼を食べていないことを話して、会場近くのカフェに向かう。

 オレンジジュースとホットドックを注文し、批評会について話をしていると、2つ隣のテーブルにいる方々が、批評会のパネリストだということを教えてもらう。私は短歌をしている人の顔をほとんど知らないため、頭の中に名前しか浮かばず、名前が歩いたりご飯を食べたり短歌を作ったりしていると思っていたが、どうやら実在するようだった。ホットドックはパンがフランスパンっぽいもので、自分のデータベースには存在しないタイプのホットドックなので、少し動揺してしまった。

 お昼ご飯を食べ終え、会場へと向かう。受付はまだ始まっていなかった。待っていると、同じく空き瓶歌会でご一緒させていただいている有村桔梗さんがやってきた。ちょこちょこ話していると、受付が始まる。どっと参加者が受付に並ぶ。短歌を作っている人は実際に肉体を持っているのだなと再び実感する。大学の時に短歌を一人で作っていた頃には考えられなかったことだ。受付を済まし、二次会にも参加すると伝える。私はインターネット人間なので、会場に面識のある方はほとんどいなかった。面識がほとんどない人が集う二次会に参加する。この判断が正しいかどうかはまだこの時点では分からなかった。

 席に座って参加者一覧を見ていると、短歌界で有名な人もかなり参加していることに気づく。自分は何かするわけではないのだが、こちらまで緊張してきた。あまり面識のない親戚の家に行った時のような気分になる。会場には石井僚一さんもいた。歌集のタイトルが入ったTシャツを着ていた。

 そうこうしているうちに批評会の第一部が始まった。司会は吉田恭大さん、パネリストは荻原裕幸さん、服部真里子さん、小原奈実さん、情田熱彦さんの4人だった。4人とも異なるテンション、意見で話は進んでいった。少し距離を置いて冷静に歌集や歌を分析していく荻原さん、圧倒的な熱量で石井氏のレトリックに対する考えを放っていく服部さん、「上手く読み取れなかった」と言いながらも、丁寧に歌集に見られる要素を拾っていく小原さん、パワーポイントを使いながら、石井氏の歌と人について述べていく情田さん。様々な要素が入れ替わり顔を出す歌集に、4人が様々なアプローチを用いて挑んでいた。

(批評会の後ようやく歌集を読み終えたのだが、同じ人が作ったのか分からなくなるほど、連作ごとに違ったものが見えた。『のりもの2015』のような、服部さんの言葉を借りると「レトリックの過少」、反対に『エデン』では「レトリックの過剰」と、連作毎のレトリック、テンションの差に頭がくらくらした。成分はほぼ一緒だけど様々な色や匂い、味の原液を飲んでいるような感じだった)

 その後、短歌界ではおそらくベテランと思われる方々が、石井さんの歌集について意見や感想を述べていた。その中に「借金を返す、払う」という表現が出ていたが、私にはよく分からなかった。見えている景色が違うのかもしれない。個人的には、借金を今までの通貨で払う必要があるのかなと感じた。別の通貨を生み出して、借金と踏み倒すことも可能なのではと思った。

 一番興味深かったのは、情田さんがおっしゃていた「不安定な韻律により祈りが切実になる」という部分だ。祈りをどうにかこうにか定型におさめることによって短歌が生まれる。しかし、定型に収めることでこぼれる祈りがあるようにも思える。韻律をはみ出ていくことによって、祈りのリアリティが増すように見えるが、短歌からは遠ざかるようにも思える。難しい問題だと思う。

 

 第一部と第二部の間の休憩中、窓ガラスの外からテニスをしている人々が見えた。屋外コートがあるのだろう。薄いブラインドがかかっていたため、ぼんやりとしか見えなかったが、すぐ近くで2つの全く異なった行動がお互いに影響を与えずに動いているところに、淡々とした現実を覚えた。

 第二部は石井は生きている歌会だった。事前に参加者が短歌を送り、当日一部の短歌に評をしていくという形だった。第二部は石井僚一さん、伊舎堂仁さん、谷川電話さんの三人だった。三人の歌集を持っていたが、実際に生きているかは分からなかったため、「うわー生きてるな」と感じた。

 3人が一選から四選、それ以外に2、3首を事前に選び、それらについて三人で評をする形で始まった。どういう歌が選ばれたのかはここでは掲載しないが、個人的には37首目の歌が一番好きだった。石井さんの『マザー・テレサ、どれだけ人を愛したら布団はふっとんでくれるでしょう』とどこかで繋がっているような歌だった。

 第二部では伊舎堂さんが一番印象に残った。伊舎堂さんは普段の文章を見ていると、少し気難しい人なのかなと思っていたが、実際はハキハキとした面白い人だった。私は伊舎堂さんの短歌が好きなのだが、短歌だけではなく、普段の会話の中でも面白さを発揮できる人なのではないかと感じた。

 

 第二部が終わり、中野サンプラザからぞろぞろと二次会の会場へと進んでいった。人が多すぎて本当に正しい方向を進んでいるか分からなくなる。会場では短歌が好きな人々、興味がある人々というカテゴリーに皆が属していたはずなのに、外に出たとたんそのカテゴリーはどっかに消えて、ただただ人が多い。なんとか二次会の会場にたどりついたが、階段でキャリーバッグを担ぎながら6階まで上がったため、腕が死んでしまった。早すぎる死だった。

 死んだ腕を引きずりながら中に入る。ダーツバーだったためダーツの機械がいくつかあるが、二次会は人が多かったため使われていなかった。普段ダーツをしていたら立ち入らない、投げる場所からダーツの的の間に人が何時間もいて、ダーツ的にも新鮮な経験だったと思われる。

 ウーロン茶を貰い、二次会がスタートする。知り合いはほとんどいなかったが、短歌用の名刺を持っていたため、私の事を知らない人にも身分を証明できた。名刺は便利である。

 石井さんとも話せた。名前を明かすと、「あー! ファンファーレの!」と石井さんは言っていた(以前、毎月歌壇に出した『喋るとき出る「あ」が丁度一〇〇〇回目俺の頭上で鳴れファンファーレ』を石井さんに取っていただいたことがあった)。どうも、ファンファーレです。

 また、情田さんとも話すことができた。Twitterではじょーねつというアカウント名で、結構前からフォローしていた。嬉しいことに、自分のアカウント名を明かしたところ覚えてもらっていたらしく、「米粉さんじゃん! 硬派なネタツイッタラーの」と言っていた。どうも、硬派です。

 二次会では、時々トークが挟まれた。すごい人が何人も出てきて、芸能人のパーティーにいるようだった。芸能人のパーティーには出たことがないので経験に基づいた気分ではなく、想像に基づいた気分だが。

 一番二次会で印象的だったのは、谷川由里子さんが喋っていた時だ。会場のマイクの調子が悪く、途切れ途切れになってしまう。谷川さんの時もプツプツと音声は途切れた。マイクの調子、全然良くならないなと思いながら聞いていたが、最後で、谷川さんは「人に頑張れと言うのはあまり良くない風潮だけど、石井さんにはあえて頑張れと言いたいと思います」と言い、マイクを使うのをやめて、大声で「頑張れ!!」と石井さんに向けて叫んだ。

 頑張れが物凄い力とスピードで放たれていくのが見えるようだった、いや、確かに見えた。石井さんに向けられた頑張れだったが、こちらにもその衝撃が届いていた。この衝撃を、自分も与えることができたらと思った。

 帰り際に、本多真弓さんに歌集をいただいた。初対面の私は施しを受けた時に、動揺しすぎて「あー! ありがとうございますー! あああー!! ああー!!」と上手く声を出せなかった。水戸黄門が印籠を出した後の町人みたいになってしまった。

 自分は二次会で帰ったため、三次会以降はどうなったかは分からない。

 

 『死ぬほど好きだから死なねーよ』批評会に参加して良かったと思う。パネリストの4人が互いに言葉を尽くして歌集や歌を批評していくところ、第二部で出てきた様々な短歌、二次会で短歌を作っている人と交流出来たところ、最後の谷川さんが石井さんに向けた物凄い力の頑張れ、それら全てが自分の短歌へのモチベーションにつながったような気がする。頑張らないとな、と思う。

 批評会に参加することで得ることはかなりあると思うので、参加したことの無い人は参加してみてほしい。歌会は生き物、というフレーズを聞いたことがあるが、批評会も生き物だと思う。

 こういった瞬間をこれからも味わいたいので、まだまだ死なねーよと強く思う。