コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

ナイス害『フラッシュバックに勝つる』(2018年に読んだ本・冊子)

 人は良い思い出と嫌な思い出を混ぜこぜに積み上げながら生きていく。積み上げたものに光が差したとき、見えるのはいつも嫌な思い出である。

 良い思い出はふとした瞬間に思い出すことが無いように思える。ふわふわすべすべしていて、暖かい思い出たちは心に置いておくと、いつの間にか無くなったように感じる。これは、良い思い出が心地よいものであるため、異物として感じられないからだろう。

 反対に、嫌な思い出はふとした瞬間に蘇る。とげとげした嫌な思い出たちは、ふとした瞬間寝返りを打って、私たちの心に食い込んでくる。そして思い出してしまう。俗に言うフラッシュバックだ。

 どんなに規則正しく足を進ませていても、一度フラッシュバックを起こすと、途端に歩き方はおかしくなり、スピードも遅くなる。

 

ナイス害『フラッシュバックに勝つる』

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『フラッシュバックに勝つる』は、ナイス害(敬称略)による歌集である。作者はなんたる星と言うネットを活動の中心にしている短歌結社の一員であり、大喜利アサラトという民族楽器が好きらしい。一時期私は『大喜利PHP』というネット大喜利のサイトに出入りしていたのだが、そこで見かけたことがある。

 この歌集は去年秋に東京で行われた文学フリマで購入した。代金を渡すときにお金が袖の中に落ちてしまい、「マジシャンみたいですね」と言われたのを覚えている。ありがたいことに私を存じてくれていて、文フリの会場内で本人と挨拶をした。動揺してしまった私はあ行しか喋ることができなかった。

 その後、今年のゴールデンウィークに批評会も行われたのだが、当日は文学フリマがあり、参加できなかった。

 

 タイトルを見ていくと、『フラッシュバックに勝つる』の『勝つる』に目がいく。最近行われていた作者によるキャスでも触れられていたが、『勝つる』はネットスラングだ。しかも、少し前のものである。勝つるという単語を見た瞬間、2010年あたりのインターネットを少し思い出した。フラッシュバックと言う、突然過去のものを思い出す行為に、勝つるという過去のインターネットスラングを用いることで、意識を少しだけ過去に向けようとしているのかもしれない。

 表紙にも目を向けてみる。女性たちが裏表紙も含め総勢7人登場している。輪郭や髪形、服装ははっきりしているのに、顔は乱暴に塗りつぶされている。フラッシュバックに勝つためには、まずあの時の雰囲気を鮮明に再現してしまうであろう、相手の表情を記憶から塗り潰さなければならないのだろうか。

 本歌集では15の連作が載っている。そのうち最後の4つは少し実験的で、女性同士の会話を挟んでみたり、進化した単語を良い声で返す、お笑いコンビのコロコロチキチキペッパーズナダルが特技としている『ナダルリバースレボリューション』をやってみたり、音楽的手法のブレイクビーツを短歌で行ったりしている。作者のサービス精神の旺盛さと短歌で何か違うことをやってみようとする好奇心が見える。

 

 この歌集の中から好きだった歌を3つ取り出してみる。

 

【1】

逃げなさい思い出達よ逃げなさい素敵な人が現れたのよ

(『チュッパチャップスを上手に剥く人』) 

 

 1回読んで、「歌謡曲っぽいな」と感じた。こんな歌詞を誰か歌っていたような気がするが、気のせいだろう。

 主体が生活をしていると、どういった経路を通じてかは分からないが、素敵な人が現れる。素敵な人が現れた時に、一定の人は素敵な人という、前方にある存在にのみ視線が向くと思う。しかし、この主体は後ろを向く。そして後ろにいる思い出達に「逃げなさい」と呼びかける。

 この呼びかけは、言葉だけ見ると柔らかいが、実際はかなり切羽詰まっているのではないだろうか。逃げなさいと1回言う。思い出たちは逃げない。もう一度逃げなさいと言う。それでも思い出は逃げようとしない。最後のダメ押しで、「素敵な人が現れたのよ」と言う。もう思い出達 = 後ろを向いてしまう自分への説得、懇願のように見えてくる。何回も読んでいるうちに、主体が小さく、弱くなっていくように思える。

 

【2】

プロポーズふざけてされたもんだからあれからずっと空洞でした

(『害来たりなば』)

 

 プロポーズというのは、1人に対して基本的に1回しか使うことができない。だからこそ、人々は色々と頭を悩ませながら、プロポーズの最適解を探すことになる。

 主体もプロポーズを受けたらしい。しかし、主体にとってそのプロポーズは「ふざけてされた」ように感じた。相手のプロポーズがどんなものだったのかは分からないのが、この歌の1つめの良いところだ。読み手の頭の中に「ふざけたプロポーズ」を思い起こさせる。ここで、プロポーズをした相手を擁護しておくと、相手は最適解だと思ったのかもしれない。しかし、主体は「ふざけた」ものだと思ってしまった。プロポーズをする/される間柄なのに、とてつもない断絶が生じている。

 そして、「空洞」。空洞がかなり効いている。「最悪」や「灰色」ではなく、「空洞」、つまり何も主体に残っていないのだ。プロポーズをふざけてされたことによって、相手への信頼が自分の中から消えていく。すると主体は空洞になる。主体の中は相手で満たされていたことに気づく。しかし、それが満たされることは再び無いはずだ。とりかえしのつかない断絶が生じている。

 

【3】

 あぬえぬえ 歌はおまえの餌だから次の歌人のところへ行きな

(『害来たりなば』)

 

 あぬえぬえとは、ハワイ語で「虹」を指すらしい。この歌の横に、注釈としてその旨が書かれている。

 この歌は、実験的な連作に入る前の、最後の連作の一番後ろに配置されている。「おまえ」に対して、「次の歌人のところに行きな」と呼びかけている。主体は、もう「おまえ」にあげる歌が無くなったと言っている。

 この歌はこの歌集のタイトルに含まれている、「フラッシュバック」に勝てたかどうかの結末が記されているのではないだろうか。「おまえ」は「フラッシュバックする過去」のことを指していると、私は解釈した。フラッシュバックする過去に歌を投げて、投げて、投げるものが無くなった。そして両手を見せながら、「次の歌人のところへ行きな」と過去を諭す。

 ここで、主体は「フラッシュバックに勝ってないのでは」と思ってしまう。この読みだと、勝ったというより、フラッシュバックする過去に対して、もうあげられるものが無くなったというイメージが強い。それは勝ちなのだろうか? そのもやもやと対比する虹。この虹も、あぬえぬえと書かれているせいで、注釈を読まなければ虹と認識できない。主体の背中がぼやけていくような気がしてくる。

 

 

 ここでタイトルに戻る。『フラッシュバックに勝つる』。勝つるとは、勝利を確信したときのネットスラングだ。ここで注意したいのは、『勝つる』は勝ちを確信しただけで、勝ち切っていない。勝ち切ったなら、「勝つ」になるはずだ。

 この歌集は優しい歌が多い。思い出を題材にした歌の中に、自身の不全感を前面に出したものはほとんどないように思える。それは、作者のフラッシュバックへの戦い方がそうさせているのだとおもう。フラッシュバックを否定するのではなく、肯定して肯定して、フラッシュバックを発生させるもの = 過去を見る自分と和解することで、勝とうとする。優しい戦いの先で、フラッシュバックに与える餌、つまり歌が無くなったとき、作者はこう言うのだ。

「フラッシュバックに勝つる」。

 

 優しい戦いは終わらない。本当に勝てるかどうかは、まだ誰にも分からない。