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備忘録と不備忘録を行ったり来たり

ネプリ・トライアングル(シーズン3)第三回を読みました

 2019年は2018年よりも参加する年にするぞと思い、水沼朔太郎さんが主宰する『ネプリトライアングル(シーズン3)』の第三回に参加させていただくことができた。『通常営業』という10首連作が人の手に渡った。この記事がアップされたときには既にネプリの配信期間が終了しているため、このブログを見て興味を持ったとしても申し訳ないがネプリを印刷することができない。頭を下げながら文字を打っている。私はブラインドタッチが若干できるのだ。

 ネプリが発行された後、連作から私の歌を引用してツイートしてくれる方もいて、かなり嬉しかった。労働は相も変わらず精神に厳しく、ペンを投げたりしたくもなるが、励みになる。そういえばスマートフォンを投げる動画がツイッターで少しだけ話題になっていた。

 

 今回は参加させていただいた『ネプリトライアングル(シーズン3)』の、私以外のお二方の歌を紹介していきたい。

 

汚なさと行かないととを天秤にかけている最寄り駅のトイレ/水沼朔太郎『泡のゆくえ、ぼくのゆくえ』

 

 名詞ではないものを名詞にしてしまう、が登場すると目と気持ちを持っていかれる。この歌では『行かないと』が『とを』の前にくっ付くことによって、『行かないと』は名詞へと変化している。

 その変化は我々を一瞬立ち止まらせるほどの違和感を与えるため、なかなか使い方が難しいように見える。違和感だけが浮き上がってくる短歌になってしまうような気がするのだ。

 この歌では『行かないと』に気持ちが持っていかれるのだが、描かれているシチュエーションがこの違和感を寸前のところで押しとどめているように思える。トイレを我慢して我慢して、戦いが激化したときに思い浮かぶのは最寄り駅のトイレなのだが、綺麗ではない。しかしそこを通り過ぎた後、トイレを我慢できるかは分からない。ここで行っておかないと、どうにもならない事態へと悪化するかもしれない。

 どちらへ重きを置くか、焦燥感に駆られながら考える。少しだけ冷静さを失う便意の上昇が、その人の言葉をずらしていく。冷静に考えたいけど便意によって阻まれてしまうこの瞬間に、『行かないと』の名詞化は合っているように思える。『行かないととを』の、二文字『と』が続くところも、前のめり感が出ていて、急いでいる主体が見えてくる。

 結局主体がどうしたのかは分からないため、読んでいる私の中で天秤がずっと揺れ動いているような感覚になるのが、この歌の余韻になっている。

 

世の中よ。むだに喋ってばかりいる人から先に月になりぬる/大橋弘『今、夢想することの手堅さと引き換えに』

 

 句読点の歌が効果的に決まっているときは、何となくヒップホップの、音が一瞬消える瞬間を思い出す。音が消えることによって、音以上に印象的な瞬間を生み出される。

 この歌の句点も、同じようなカッコよさがあると思う。初句の呼びかけで音が一瞬消えて、二句からまた歌が流れ出す。

 二句以降の読みに関しては、正直読み取れていない部分も多いのだが、『むだに喋ってばかりいる人』という、おそらくあまり良い印象を持たれていない人が結句で『月』という、どことなく静かな印象のある月へ生まれ変わっている。この部分に、「悪い子はサーカスに売られてしまう」のような、遠い世界へ行かされてしまうような恐ろしさを感じてしまう。『むだに喋ってばかりいる人』が、何か大きな力によって物言わぬ月にされてしまったような、何が起こったのか分からないゆえの恐怖。

 初句の大きなものへの呼びかけと、『むだに』という上からの目線、通常ではありえないものにされてしまったことが判明する結句が合わさって、何か大きな力がどこかにいるような気になるのだ。

 

 一通り読んでみて気づいたことは、私や水沼さんは自分に近い範囲のもの、大橋さんは大きなものを詠み込む歌が多かったように思える。そういった連作ごとの比較がしやすいのも、連作が横に3つ並んだレイアウトになっている、ネプリ・トライアングルの良さだと思う。