12月1日(日)
柄シャツを買った後、喫茶店に行った。ミートソーススパゲティを注文すると、サラダが付いてきた。なぜ一般的なランチセットは勝手にサラダがついてくるのだろうか、スマートフォンの契約をすると、よく分からないオプションなどを勝手に付けられそうになるのに似ている。
二十数年生きているけれど、一向にサラダが普通に食べられるようになる気配がない。トマトは前まではあっても絶対に食べなかったが、最近は鼻で息をしない状態ならなんとか食べられるようになった。しかし、ぐじゅぐじゅがどうしても苦手だ。生野菜が苦手なのに、スーパーの野菜売り場でアルバイトしたことがあった。敵情視察と言える。
ミートソースは甘めの味付けで、なんだか安心した。
少し散歩をした後、服屋に立ち寄って黒のスキニーを買った。と思ったが、家で開けてみると、店で見た時より黒くないように見えた。光の加減だろうか。
12月4日(水)
会社で客がどうしようもなかったので、帰った後にひとしきり怒った。暴言の産地直送だ。
暴言や愚痴は、その原因となる出来事が起こった直後だとかなりストレートな言い回しになりやすい。その代わり、新鮮な感情を言葉に載せることができる。
時間が経つにつれ、色々頭で考えるようになるため、加工度が高まる。言い回しも皮肉めいてきたり、柔らかくなったりする。しかし、表現で肉付けされた結果、自分の感情が言葉に乗り切らないこともある。
半年に1回くらいのペースで、客が怒鳴る機会に出くわす(自分が当事者になっている場合と、たまたまその場に居合わせてしまった場合の2パターンがある)。
他人に対して怒鳴る、という行為が全く理解できない。怒鳴ることで何か良くなったことってあります? そういう行為でどうにかなってきてしまった人たちが多すぎて、辟易してしまう。
今更社会に期待なんて全くしていない。どこまで個人で抵抗しても、モンスター気質の人は永遠に怒鳴り続けるし、外部との飲み会が楽しくなる瞬間は訪れない。殺されても平日は定時に間に合うように起きてしまうだろう。今の生活が良くなることもないし、抑うつ状態も暫定的に抜け出しているだけで、今後も一生付き合うことになる。
逃げるために自らのスピードを速くしていくか、自主的にドロップアウトを選択するしかない。しかし、社会は私以上にスピードを速めていくだろうし、ドロップアウトした先も社会である可能性は十分にある。
もうどうにもならないのでは?
どうにもならなさを楽しめるようにしなければならない。