コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

生まれてから一度もペペロンチーノを食べたことが無かった

 お食い初めという儀式がある。

 これは、人間が生まれて100日経過したときに、尾頭付きの鯛や赤飯などを用意する、「一生食べ物に困らないように」という願いをこめて行う儀式のことである。情報の初期アバターこと、Wikipediaから引っ張ってきた。

 Wikipediaに行くと、様々な事柄に関する情報が載っている。それらは一部例外もあるが、基本的な概要のみを載せている場合が多い。詳しい情報に関しては、自分で集めなければならない。そのため、Wikipediaは物事を初めて知るのには適しているかもしれないが、深く知ることができない。

 話が脱線した。ネットに散らばっているサイトの中には、生まれてから結構な日数が経過した人間がお食い初めを行う、『35歳からのお食い初め』という記事も存在する。

 私もつい先日、お食い初めをした。相手はペペロンチーノである。

 

 ペペロンチーノは、個人的に生きていくうえで必要可欠なものである。パスタ屋に行くとき、ペペロンチーノはほとんどの店で置いてあるが、私はミートソース系のパスタを食べることが多い。食べたことのないものを食べて失敗するよりは、味の想像がつきやすいものを食べたほうが生きやすいからだ。ちなみに、カルボナーラも生まれてから一度も食べたことが無い。私は味の想像がしにくい食べ物に関して、かなり慎重な態度を取るため、このような事態がしばしば起こる。

 以前、会話の中で「ペペロンチーノを生きてきて一回も食べたことが無い」という話をしたら、かなり驚かれてしまった。あんなに美味しいものを食べたことが無いのか、という表情をしていた。ペペロンチーノが好き/どちらかと言えば好きな人は結構多いため、アンチペペロンチーノの皆さんは、徒党を組んで革命などを起こしても数の力で制圧される危険性がある。是非一度考え直していただきたい。

 ペペロンチーノは美味しい食べ物らしい。しかし、唐辛子とニンニクの組み合わせは、今まで生きてきた経験則からすると、苦手な食べ物のような気がする。まあ、食べられなくても今後の生活に支障はない(はず)なので、意を決して食べてみることにした。

 ペペロンチーノをせっかく食べるのだから、あまり安いソースを買ってきて、「ああ、ペペロンチーノって予想通りあんまり美味しくないんだな」と早合点してしまうのは惜しい。少し高めのソースを買うことにした。

 スーパーに行くと、行列のできる店のペペロンチーノ、みたいな名前のソースが売っていたので、それを購入した。これが美味しければ行列は本物なんだなとなるし、美味しくなければ、メーカー側の考える行列は、私にとって行列ではないことになる。 

 買ってみたのは良いが、なかなか作る勇気がわかなかった。月曜日に食べておいしくなかったら週初めから鬱々とした感じになるし、週半ばで食べて美味しくなければ後半を乗り切るのが難しくなる。週末に食べてまずいと感じてしまったらせっかくの休日に傷がつきそうだし、休日に食べて口に合わなかったらせっかくの休みを無駄にした気分になる。なかなかペペロンチーノを食べるまでに時間がかかった。

 ソースを買ってから数週間が経った。自分へのご褒美(いかなる労働も苦しみなので、ご褒美を与え続けないといけない)としてクレープを買って帰った。パスタでも食べよう、おそらくミートソースがあったはずと思いながら麺を茹でていたが、肝心のミートソースが見つからない。上から、下から、左から、右から、と様々な視点に立って探してみるが、どこにもない。

 ふと見ると、ペペロンチーノソースが顔を出していた。食べるなら今だろうと思い、私はゆであがったパスタにペペロンチーノソースをかけた。

 よく混ぜて、テーブルに置く。保険その1として、市販のクラムチャウダーを用意した。また保険その2としてクレープもある。失敗してもリカバリーがきく。意を決して、ペペロンチーノを口に入れた。

 結論としては、そこそこ美味しかった。ミートソースを差し置いて食べようとまでは思わなかったが、今後の夕食のレパートリーに入れてもいいと感じた(しかし、今回使ったソースが美味しかっただけで、他のソースは口に合わないかもしれない。ペペロンチーノは食べられるが、ペペロンチーノ´、ペペロンチーノ´´は美味しくないのかもしれない)。

 ペペロンチーノを完食し、食後のデザートとしてクレープを食べた。思ったよりおいしくなく、まさかそっちでダメージを受けるとは考えていなかったので、動揺してしまった。人生は生き辛いものだ。

 

 まだ、カルボナーラは生まれてから一度も食べたことが無い。