コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

本屋に行くとき、私は生きのびる必要がなくなる

 時々本を買う。

 私の家の最寄り駅から、電車に20分ほど乗ると大きな駅がある。その駅を出てすぐに本屋が存在している。

 その本屋は地方にしては品ぞろえが良く、引っ越してきてから本を買うときは、いつもその本屋に行くことにしていた。

 私は本屋に行くと本を買ってしまうことがある。本屋に行ったからといって、本は買わなくてもいい。今すぐに必要のないものであれば、出来るだけ買わないほうが世界で生きのびるためには良い。

 しかし、本屋に行くと生きのびる必要がなくなる。我々は食べるためにスーパーに出かけたり、賃金を貰うために職場に出かけたりする。これらの行動は言わば生き抜くために必要なものである。しかし、生きのびるために本は必要ない。そのため、本屋に入ると武器を外して安全に歩くことができる。言わば精神のセーフティーゾーンとも言える。

 生きのびる必要がないのであれば、今すぐ必要ではないものを買っても何ら問題はない。問題がないから本を何冊も買ってしまう。まだ読んでいない本は沢山あるのにも関わらずである。

 私は様々なことに興味があるし、様々な事を身に着けたい。コントロールフリークとまではいかないものの、できることなら全て自分で行えるようにしたい。

 世界中にバラバラになって散らばっている知識の破片を拾い集めるように、本を買っていく。気になったら買う。目を惹いたら買う。心に引っかかったら買う。買う。そして買う。

 こうして数十冊のまだ出番を迎えていない本が山のように重なっていく。少しずつ本を読んでいきたいのだが、精神が赤点を回避しないと本が読めないので、あまりペースが上がらない。そうしている間にも興味のある本が増え、それらを購入し、また山が高くなっている。いつしか私は、私の興味に殺されてしまうのかもしれない。

 山を整理しようと考え、本棚を購入した。カラーボックスとも言うらしい。6段あるものを買ったため、持つとかなりの重量があった。死体を背負って旅に出るのはかなり難しいと思う。皆さんは死体を背負って旅をしたことがありますか。

 30分くらいで完成すると説明書には書いてあったが、実際には60分かかった。雪の日のバスみたいだ。途中板を反対にしてしまうミスがあったのも要因の一つだろう。そのまま続行してもいいかなと一瞬思ったが、私の右手と左手が逆のまま、神に「まあいっか」と言われて誕生させられたらどうしよう。怖くなったので直す。

 今は立派な本棚が建っている。墓標にしたい。上から4段目を積読エリアにしているが、まもなく入りきらないほどの量になる。少しずつ他の本棚を侵食していって、やがて全ての本棚が埋まり、別の本棚を侵食し始め、衣装ケース、床、押し入れ、冷蔵庫、電子レンジ、トイレ、風呂、洗濯機、口、臓器、血管……とどまることを知らない。