コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

ここ数年、温かいそばを能動的に食べていない

 時々そばを食べる。

 時々って言うと皆さんはどれくらいの頻度を想像するだろうか。時々の尺度は一人ひとり違うだろう。皆さんが思う時々の頻度を、私の文章にも当てはめていただきたい。

 数年前までは家でよくそばを食べていたのだが、引っ越しをしてからは家でそばを食べることはほとんどなくなり、大体立ち食いそば屋が主になった。最寄りのスーパーであまりおいしそうなそばが無いためだ。

 少し話は変わるが、冷凍のうどんはかなり美味しいのに、冷凍のそばはなぜあんなに微妙(個人的に)なのだろう。冷凍技術が麺類間で共有されていないのか、麺を構成している物の違いか。そういうもやもやとした思いを抱きながら、日々生きている。

 皆さんはいつもどんなそばを食べるだろうか。盛りそば、天ぷらそば、カレーそば、たぬきそば……など様々なそばがあるだろう。温かいものと冷たいものもある。今の季節だと温かいそばを食べたくなるだろう。

 私は冷たいそばしか基本的に食べない。季節も関係ない。

 別に温かいそばが苦手だったり、冷たいそばこそ至高と考えているわけでもない。なんとなく冷たいそばしか食べない。能動的に温かいそばを食べたのは、ここ10年くらいで片手で収まる数だと思う。一番最近だと、大学生の時にかきあげそばを食べたことだろうか。美味しくなかったことだけ覚えている。

 大みそかには年越しそばという風習があり、その時期実家に帰っている私は家族と一緒にそばを食べるのだが、わたしだけ冷たいそばである。ちなみに弟はそばをいやいや食べている。おそらく前世でそばを食べすぎたのか、そばに殺されたかに違いない。そばに殺されるとすると皆さんはどういう死因を思い浮かべるだろうか。私はそばが首に巻かれたことによる絞殺である。皆さんもそばに殺されるとしたらどういう死因か、家族と話し合ってみましょう。

 よく降りる駅には立ち食いそば屋があり、値段もそこそこ安いため頻繁に利用するのだが、そこでも私は冷たいそばを食べ続けている。1回食券のボタンを間違って押してしまい、提供されるまできづかず、動揺うどん(動揺うどんとは、意図せずうどんが出てきたために動揺しながら食べるうどんのことです)になったのだが、それ以外は冷たいそばを食べていた。冷たいそば好きの男に憑りつかれているのかもしれない。

 日本海側に住んでいるため、関東より寒く雪も降る。それでも冷たいそばを食べる。体は温まらないので、店から一歩外に出ると寒さが体を刺す。それでも食べ続ける。

 そんな生活を続けていたある日、お昼ご飯を食べようと立ち食いそば屋に入った。比較的新しい店で、一回も入ったことが無かったため開拓のつもりだった。食券の前に立つ。数秒後、恐ろしい事実に気が付いた。この店、冷たいそばがないのだ。

 

 私の眼は食券を一目ひとめ見るや否や、あたかも硝子で作った義眼のように、動く能力を失いました。私は棒立に立ち竦すくみました。それが疾風のごとく私を通過したあとで、私はまたああ失策ったと思いました。もう取り返しが付かないという黒い光が、私の未来を貫いて、一瞬間に私の前に横たわる全生涯を物凄く照らしました。そうして私はがたがた顫え出したのです。

 

 どうにか気力を保ちながら、代替案を考える。かきあげそばが安かったため、かきあげそばにする。数分後、そばがやってきた。食べてみるが、あまり味が分からない。動揺しすぎているのかもしれない。かきあげも、あるなあという感想しかなかった。頭が真っ白になりながらそば屋を後にした。そばでこんなに怖い思いをしたのは初めてだった。

 ちなみにうどんは冷たいのを好むが、温かいものも食べる。家では大体温かいうどんだ。なぜそばだけ、と思う方もいるかもしれないが、個人的な感覚なので説明ができない。

 今日はサーモン漬け丼を食べた。