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備忘録と不備忘録を行ったり来たり

ガルマン歌会200回記念歌会に参加しました

 何かしらの集まりを200回行うのはとてつもない道のりである。月1回ペースだと16年近くかかる。仮に毎日行った場合でも約7か月弱かかる。7か月あったら何ができますか? 私は衣替えができます。

 

 3月の初めに、ガルマン歌会200回記念歌会に参加した。この歌会について参加レポートを書いていきたい。

 ガルマン歌会について簡単に説明しておくと、谷川由里子さん、堂園昌彦さん、五島諭さんの三人が中心となって始められた歌会で、月1回ほど行われている。

 歌会でトップになると、ガルマンという称号が手に入る。そして、次の回の司会を担当することになる。開催場所や選(良いと思う短歌を選ぶ)の方法も決められるらしい。私も去年2回参加した。トップになって新潟にガルマンを持って帰ってしまい、取り戻しに行こうとする人々がみんな上越新幹線のトンネルの長さに辟易して参加できず、ガルマンを永遠に確保できると思っていたが、2回ともトップは取れなかった。

 今、この文章を書いている私のことを知らない人もいるかもしれないので、自己紹介をしておくと、橙田千尋(とうだちひろ)と言います。短歌や小説を作っていて、新潟とインターネットによくいます。Twitterでは米粉というアカウント名で存在しています。

 

 ある日、ガルマン歌会200回記念歌会に関するメールが届いた。場所は阿佐ヶ谷ロフト。阿佐ヶ谷ロフトってライブやトークイベントなどをするところだというイメージだったが、歌会もできるのか。確かに、歌会はモラルに反していない場所ならばどこでやってもいいはずだ。海の中でプカプカ浮き輪につかまりながらやっても構わないのだろうし、指がしわしわになりそうだが。

 チケットアプリで参加申し込みを行い、その日から短歌を考える。当日はまず予選歌会があり、そこでトップを取った人が決勝歌会に進むことができる。決勝は壇上で行い、そこでトップだった者がガルマンオブガルマンの称号を得るのだ。ガルマンオブガルマンになりたかったので、短歌をうんうん考えることにした。

 しかし、2月中旬に精神がきびし~いになってしまい、短歌を考えられる状態ではなくなってしまった。それでも何とか考えて、締め切りギリギリに提出した。その後当日までに決勝歌会用の短歌を作った。

 

 当日、電車で阿佐ヶ谷へと向かう。1時間ほどかかるので、バッグの中にある筒井康隆の小説を読むか、SCP-261(異次元自販機)の実験記録を読むか迷い、結局SCPの記事を1時間読む。

ja.scp-wiki.net

 電車は東京に向かうにつれどんどん混みあってきて、ほぼ満員になる。息苦しくなってきてしまい、体調が下り坂になっていくのが分かったが何とか新宿までたどり着く。改札を抜けて、東急ハンズでバインダーを購入する。阿佐ヶ谷ロフトでは机のスペースを確保するのが難しいため、持ってきておくと便利だと事前に通告されていたためだ。

 中央線で阿佐ヶ谷駅へ向かう。ここでもSCPの記事を読んでいた。

 受付開始10分前あたりで阿佐ヶ谷駅に到着。昼ご飯を食べておかないと夕方まで持たなそうだと思ったがあまり時間もないしお腹も減っていない。緊張で気持ち悪くなってくる。どうにかこうにかマクドナルドでハンバーガーを食べる。私はいつもピクルスを抜いてもらう。ハンバーガーを食べていて、いきなりピクルスに出会うのは自分にとって好ましくない出来事だからだ。ポケモンでスムーズに洞窟を抜けようとしているのに、出口付近でいきなりバトルが発生して、相手がズバットばっかり出して来たら何か嫌じゃないですか。ピクルスはズバット

 歩いて数分で阿佐ヶ谷ロフトに到着。受付を済ませ、先に二次会代を支払い名札を受け取る。大人数だと誰が誰だか分からないので、名札があるとかなり助かる。その後参加する予選グループが告げられる。6つのグループがあるうち、私はAだった。 

 Aグループの詠草を受け取って、テーブルへと向かう。メロンソーダを注文した後に、ウィルキンソンジンジャエール(辛口)があったらしいことを知り、そっちにすればよかったかなと少し後悔する。始まる前にざっと詠草に目を通す。私の短歌は予選を通過できるだろうか。しかし、Aグループのメンバーを見ていたら、あ、これは厳しいのではないかと思ってしまう。メロンソーダを持つ手も震えてくる。ガルマン歌会に参加すると毎回手の震えが生じるのだが、どうすればいいのでしょうか。ゆるやかに助けてください。

 私のことを知っている人が話しかけてくださったりしているうちに、会場は参加者でいっぱいになり、開始時刻になった。

 

 司会の吉田恭大さんから歌会の説明があった後、予選歌会がスタートした。予選歌会の司会は記念歌会のスタッフが行う形だった。Aグループは吉田恭大さんだった。

 最初の15分は詠草を読む時間だった。じっくりと読み、2首を選ぶ。その後、票数が伝えられた。頼む、トップであってくれ、うわ、1首目そこそこ入ったな、ああ、2首目もかなり入った、3首目も入ってる、雲行きが怪しくなってくる。ついに私の歌の票数が吉田さんの口から発せられた。2票。この時点で決勝歌会への道は閉ざされた。ショックではあったが、この場に集まった歌のためにしっかりと評をしなければならない。気を取り直して評をしていった。

 歌会には何回か参加しているので、話すこと自体には慣れてきたのだが、歌から感じ取ったことを相手に伝わるように言う、自分が票を入れた短歌の良い部分を、他の人にも共有してもらえるように話すのにはまだまだ難しさを感じる。また、その場では読み取りきれない歌も存在するので、その時は歌に申し訳ないなと思う。最初はそこまで印象に残らなかった歌でも、他の人の評を聞いたあとに読み取れなかった部分が接続されて行って、後々良い歌だったとなるときがある。そういった評ができるのは一体いつになるのかは分からないが、努めていければと感じた。

 予選歌会が終わり、各グループのトップが決勝歌会へと進む。決勝歌会の準備が行われている間休憩が入り、以前歌会でお会いした人や話しておきたかった人と少し会話をする。気さくさが足りないので全く面識のない人と会話をするのをためらってしまう。気さくさはみんなどこで手に入れているのだろう。地元のホームセンターで尋ねてみたところ、そこに無いのなら無いですねと言われてしまった。気さくになることはとても難しい。

 決勝歌会は壇上で行われ、予選で敗退した人たちはオブザーバーとして参加することになった。決勝に進出した6人が1首選を行い、さらにオブザーバーによる投票で1位だった人がプラス3票、2位が2票という形だった(1位がプラス2票、2位が1票だっただろうか。そこに関しては少し曖昧です)。

 決勝なのでかなりバチバチピリピリとした歌会になるのではと予想していたが、かなり和やかな雰囲気だった。司会の染野太郎さんもタイムキープを行いながらも和やかな雰囲気で歌会を進行していた。オブザーバー投票が6首目中3首目で締め切りになってしまったので、評を聞けたものと聞けなかったものが出てしまったが、タイムスケジュール上なかなか難しい部分もあるのかもしれない。

 決勝に上がった皆さんは、詠草を読み込む時間が少なかったのにもかかわらずしっかりと評を行っていて、しかもあまり緊張している様子もこちらからは窺えなかったので、さすが決勝に上がった人々だなと感じた。私がもし決勝に上がっていたら、アガッてしまって要らないことまで言ってしまいそうだ。

 決勝歌会の結果の集計されている間に、下北沢・高円寺を中心に活動を行っているバンド、『のっぺら』のライブが行われた。

 のっぺらについては全く情報を持っていなかったので、一体どういうバンドなのだろうと思いながらライブの準備が行われていく。珍しかったのはギター、ベース、バンドの他にアコーディオンがいたことだ。自分が今まで聴いてきたバンドやアーティストの中に、アコーディオン担当のメンバーがいなかったため、どういう音楽性なのだろうと興味を持ちながら待機していた。

 ライブが始まると、アコーディオンが曲に牧歌性を与えていて、でもボーカルが結構声を張って歌っていたのでメリハリがあった。特に最後の曲を歌っているときの声の張り上げ方が良かった。普段CDはそこそこ購入するのだが、ライブはほとんど行ったことがなかったので、生で聴いてみるとドラムやベースの迫力、ボーカルの力強さ、アコーディオンの情緒のある音色が全身で伝わってくる。お金が存在したらライブも色々行ってみると楽しいなと感じた。アルバムもその場で販売してくれるとのことで、歌会が終わった後購入した。

 ライブが終わった後、いよいよ決勝歌会の結果発表になった。結果、睦月都さんと御殿山みなみさんの歌の票数が同点ということになり、最後はじゃんけんでの戦いになった。1回目はふたりともチョキであいこ。2回目もふたりともチョキであいこ。同じ手であいこが続くと、運というよりは心理戦の要素が強まっていく。3回目、睦月さんは手を変えてパー。対する御殿山さんは……チョキだった。

 この瞬間、ガルマンオブガルマンが決定した。

 勝った後、ステージで立ち尽くす御殿山さんを見て、私はM-1とろサーモンが優勝した時の村田さんを思い出した。あの時も一瞬、自分の身に何が起こったのか頭の認識が追い付いていない様子で、大舞台で勝った時、喜びが頭に入ってくるまで人は立ち尽くしてしまうのだな、という気付きがあった。睦月さんには直接お話を伺ってはいないが、相当悔しかっただろうなと思う。ガルマンオブガルマンに指がかかりかけていたのだから。

 最後に主催である谷川さんと堂園さん、そしてスタッフの方が壇上にあがり、谷川さんと堂園さんが締めの言葉を行った。私たちは何も頑張っていないと谷川さんはおっしゃっていたが、記念の歌会に60人以上も参加者が集まるような、行きたくなる歌会を運営し続けているのはとてつもなくすごいことだと思う。一参加者として頭の下がる思いである。

 

 その後、近くの居酒屋で懇親会が行われた。諸事情で現在お酒が飲めないので、私はソフトドリンクを飲んでいた。私の座っていたテーブルには、最初法橋ひらくさん、渡辺アレハンドロさん、決勝歌会に進出した杉本茜さん、のっぺらのドラムを担当しているグレート橋本さん、鈴木ちはねさんがいた。窓からパン屋さんが働いているのが見えた。私側のテーブルは人の入れ替わりがちょこちょこあり、途中谷川さん、私、堂園さんという私の肩身がぎゅんぎゅん狭くなる場面があったり、私の両端が一旦いなくなり面接みたいなフォーメーションになったりしたが、楽しく会は進んだ。

 私を短歌の世界に引っ張ってくれた歌集が2つあり、そのうち1つの作者である伊舎堂仁さんとも話すことができた。しかし私があまりに緊張してしまい、うまく口が回らなかった。口、ギュインギュイン回るように話してみたいものだ。

 懇親会も後半に差し掛かったころ、渡辺さんに、「目の形良いですね」と唐突に褒められた。今まで目の形を褒められたことが一度もなかったため、困惑してしまった。さらに「目の形がクジラみたいでいいですね」と褒められた。これで褒められたのは2回なので、12年に1回ペースである。次は2031年に目の形を褒めてくれる人が目の前に現れると思う。

 杉本さんと法橋さんはクジラに少し同意していて、伊舎堂さんと私はピンと来ていなかった。もしピンときていないのが私だけだったら、四面楚歌になってしまうところだった。今回の場合はだと四面クジラ目でしょうか。分かりません。目の形を、クジラを引用して褒めてくれた人に会ったことがなかったので、この例えは家帰って風呂場で鏡見た時に思い出すだろうなと感じた。今度お会いした人は、私の目を見て大海原を感じてほしい。

 その後も話がはずみ、惜しまれながらも懇親会が終わった。デザートに出てきたアイスキャンディーが余っていたのだが、どうなったのだろうか。様々な味があったらしいが、私はパイン味しか食べていないのでその真偽は不明である。世の中にはまだまだ知らない味がたくさんあるのだ……。

 帰り際、決勝歌会に進出したシロソウスキーさんに挨拶をする。嬉しいことに名前を認識してくださっていた。

 その後三次会などがあったのかもしれないが、私は二次会が終わった後帰宅したのでどうなったかは分からない。

 体力をかなり消耗していたらしく、帰りの電車では9割5分寝ていた。実家に戻って風呂に入り、体を洗っているときに鏡を見て、クジラみたいな目かあと思った。その後も時々その喩えを思い出している。

 

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ガルマン歌会で使用した名札。返却するのを忘れてしまった。返したほうがいいのだろうか。あと、ガルマン歌会に関する写真がこれしかなかった。看板の写真とか撮っておいたほうが行った感がぐっと出てくる。

 

 200回記念歌会はとても楽しかったのだが、やはり決勝歌会に進出して優勝してみたかったなとしみじみ思った。優勝した時はどういう視界になるのかとても気になる。

 また、短歌に関してももっと精進しないといけないなと感じた。1月に水沼朔太郎さんが主宰しているネットプリントに参加して以降、精神的な問題もありほとんど短歌を作っていなかった。最近少しずつ穏やかになってきたので、自分がこれだと思う短歌・連作を作って発表していければと感じた。改めてこういう気持ちにさせてくれたガルマン歌会に感謝している。

 

 次は2026年頃だろうか。ガルマン歌会300回記念歌会に向けて、今からウォーミングアップを始めていきたい。