コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

Life In The Time Of Lexapro(休職日記)

 Twitterなどでは『カイリキーはどの手でお尻を拭くのか』や『ソリティアのクリア画面みたいに飛び跳ねて過ごしていたら膝を痛めた』、『週3回おもしろフラッシュ倉庫の検品をして生計を立てている』などあることないことを書いているので、記憶の整理のためにここ数か月のパーソナルな話を書いていこうと思う。

 

 NUMBER GIRLの再結成でTwitterが沸き立った2019年2月15日(金)、私は東京の精神科に来ていた。状態について思い当たることを全て記入して、診察を受けた。結果、抑うつ状態と診断された。

 

 気づいたら俺は なんとなくうつだった

 

  抑うつ状態とうつ病は違うらしく、抑うつ状態が改善されずに長期間続くとうつ病と診断されるらしい。その時は自分の状態について正しい判断ができていなかったため、本当にそうなのかなとも思ったが、その際に受けたテストで中等度の抑うつ状態という結果を見て、やっと客観的に受け入れることができた。

 

 話は年末あたりに戻る。私は人間に対して接客を行っているのだが、ある日理不尽に客に怒鳴られた。私は人に対して理不尽に怒鳴るという行為が全く理解できないため、呆然としてしまった。私の思考としては、怒鳴るという行為は通常の生活時では必要がなく、どうしても必要な時(誰かの身に危機が迫っているときなど)くらいしか行わないものだと思っている。社会を感じた瞬間だった。これを境に歯車が狂っていったように思える。

 仕事に関してもよく分からなくなっていた。何がよく分からないのかも分からない。よく分からないまま出勤し、業務をこなし、残業をして退勤した。ぜんぜんわからない。俺たちは雰囲気で労働をやっている。

 どうにか年末になり、そこそこ長い休みに入る。休みの中で唯一楽しい時間は退勤から寝るまでの数時間で、後はどこか視界の片隅に休みが終わるまでのカウントダウンが表示されているようだった。休日は良い眼鏡をつけているからそういう機能があるのかなとも思ったが、裸眼でも消えなかった。

 年始になり、さらに業務は忙しくなった。最初からフルスロットルで仕事をしなければ間に合わない。失敗もできない。多分仕事のスピードはそこまで遅くはないし、大きな失敗もしていないはずだったが、どうしても失敗しているのではないか、ほかの人よりかなり業務処理のスピードが遅いのではないかと思ってしまう。これは他の人にも指摘されたのだが、労働に対する自己評価が低すぎるらしい。

 

 話が重くなりつつあるので、以前作った『入院されしエグゾディア』の画像を貼っておきます。

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 寝る前も業務についての上手くいかなかった部分、明日行わなければならない業務の段取りと、その段取りが上手くいかないのではという不安が頭を占めていた。倉橋ヨエコの『夜な夜な夜な』という曲に『夜は自己嫌悪で忙しい』というフレーズがあるが、その時も忙しかった。自己嫌悪の復習と予習をしている状態だった。そんな状態なので、朝になった瞬間日差しよりも先に仕事のことが思い起こされ、なかなか布団から起き上がれなくなっていった。

 今となっては悪手だったなと思うが、こういったことは誰でも感じていることなので、自分だけが弱音を吐いてはいけないと考えていた。私はみんなより社会性が無いのだから、他の人以上に頑張らなければならないと強く思った。ミスをしてはいけない。ミスだけは絶対に避けなければならない。人より仕事ができないのに、ミスなんかしたら人様に迷惑がかかってしまう。メールの文章も、どんなに短くても最低5回は見直すようになった。書類を作っているときも、2-3分に1回ペースで最初から確認し直さないと間違えるように思えてしまい、結果作業効率が下がっていった。会社の戸締りも怖くなっていき、3-4回ほどドアを実際に確認しないと不安でたまらなかった。

 知らない人と話すのにはかなりのエネルギーが必要だが、1月末には人と話しているのが疲れる状態になりつつあった。コミュニケーションは使える回数が決まっていて、それを使いきると呻き声に似た何かしか発せなくなる。ポケモンのPP(技を使用できる回数)みたいなものなのかもしれない。

 正直1月中旬から休職にいたるまでの1か月ほどは殆ど記憶が無く、黒いもやもやで頭が覆われている感じである。具体的に思い出そうとすると脳のチェーンがかかり、締め付けられるような気分になる。

 

 2月くらいになると勤務中に吐き気を催すようになった。実際に嘔吐してしまうことはなかったが、もし嘔吐してしまったら自分の不調を自覚してしまい、弱い人間になってしまうのではないかという恐怖があった。また、死にたいと思うことが増えてきて、以前購入していた『刑務所の中』という漫画を読んだ時に、あっちの世界のほうがいいなあと感じるようになった。

刑務所の中 (講談社漫画文庫)

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 どこかで感情を小爆発させたほうがよかったとも思ったが、私が社会で作ってきた穏やかなキャラクターが崩壊してしまうのではないかという懸念が頭をよぎった。このブログへと流れついた新社会人の皆さんは、あまり穏やかで真面目なキャラクターになってしまうと、後々しんどくなるかもしれない。気を付けてほしい。

 友人とも遊びに行ったのだが、慣れないことをしたのでかなり感情的になってしまう場面もあった。友人には対面で謝ってはいるが、もう一度この場を借りてお詫びしたい。自分の機嫌は自分で取らないといけないのに。

 

 そして2月の中旬、お客さんに無茶ぶりをされた瞬間、頭の中で糸が切れてしまった。限界だ、限界だ、限界だと思いながら休憩に入り、先輩の社員さんと話した瞬間、涙が止まらなくなってしまった。その後上司と話し合いがあり、そこでも涙が止まらなかった。子どものころから過呼吸的な泣き方が抜けきらないので、泣くと自己嫌悪に陥るのだが、それでも止まらなかった。

 結局、病院に行くためにお休みをとることになった。

 

 重い話が続いているので、金沢で見つけた金箔の貼り方が雑すぎるソフトクリームの模型を貼っておきます。

 

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 地方にいる方は気を付けてほしいのだが、近くの精神科もしくは心療内科の予約を取るのは、かなり時間がかかる場合がある。自分の場合は3件ほど電話して2件は予約が取れない状態、1件は3週間後だった。また、紹介状がないと受け付けてくれない病院もあった。それだけ疲れている人が日本には多いのだ。

  結局東京の病院に行くことになった。実家が関東にあるのは大きかったと思う。

 病院に入るとまず問診票を書いた。今までの症状を書けるだけ書く。その後診察を受け、医者に症状と今の環境について話すと、抑うつ状態になっているという診断を受け、今はその仕事から離れたほうがいいだろうということになり、診断書が出された。

 

 

 1月上旬の私、かなり勘が鋭いな。だだっ広い土地は見に行っていないけれども。 

 その後2つほどテストを受け、カウンセリングの予約をして薬を処方してもらった。貰った薬の中にレクサプロというものがあり、私はその単語に見覚えがあった。そうだ、Oneohtrix Point Neverのシングルだ。『Love In The Time Of Lexapro』という名前で、『抗うつ薬時代の愛』とでも訳せばいいだろうか。印象的だったので覚えていたのだ。ちなみにOneohtrix Point Neverの『Replica』というアルバムが好きでよく聴いている。亡霊のようなサンプリングで構成された曲たちが、何とも言えない気分にさせるのでぜひ聴いてほしい。

 

Love In The Time Of Lexapro 日本独自企画盤CD [解説 / ボーナストラック2曲収録 / 数量限定盤] (BRE58)

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Replica [帯解説 / 国内盤] (BRC502)

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 こうしてレクサプロ時代の生活が始まった。

 

 1人暮らしをしていたため、生活リズムはぐちゃぐちゃになっていた。深夜3時過ぎに寝て、昼すぎに起きる。仕事のコミュニティ内にいる人に合ってしまったらと考えると恐ろしく、人がそこそこいるところだと鳴っている音のどれか1つが私を呼びとめているのかもしれないと考えると気が休まらない。誰も知っている人がいなさそうな夜にご飯を買いに行って、それ以外は寝ているかスマホをいじっていた。Twitterくらいしかやることがない、というかできることがないのだった。結局、会社からの提案で実家のある関東で療養することになった。

 2回目に精神科へ行ったときにテスト結果を渡された。抑うつ度のテストで、60点満点中大体20点以上だと抑うつの可能性が高いらしい。結果は大体40点で、中程度の抑うつ状態だった。また、もう1つのテストではコミュニケーションで多大なストレスを抱えていて、それを発散できていない傾向があると言われた。テストの結果が出て初めて、私の精神は今健やかな状態ではないと認識することができた。自分で自分を追い込んでしまうと、精神状態を客観的に判断することがいつも以上に難しくなる。また、発散する媒体もほとんどなかったのだろう。人には心配をかけたくないし、SNSはそういう使い方を全くしていなかった。精神の話を長々と文章にするのはこれが初めてだと思う。

 

 話が重いので、1回『ゲームキューブの起動画面に轢かれる男の子』の画像を貼っておきます。

 

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 2月下旬ごろから、生活リズムを整えるために毎日同じようなスケジュールで動くようにした。朝8~9時に起きて朝食を食べた後、読書や最近興味があるHTML/CSSなどの勉強(いずれかは自分が作ったものが見られるサイトを作ってみたいと思っている)をする。昼ご飯を食べたらまた同じ作業をして、14時くらいに30分ほど散歩に行く。その後も上記の作業をして、19時前にお風呂に入りその後夕食、それらが終わったらブログを書いたり、短歌を考えたりして日付が変わる前に眠る。非常に穏やかな生活だが、老後っぽく感じることもあった。

 生活リズムが整っていくと不思議と不安感や焦燥感に捉われることも少なくなっていった。また、散歩中などにオッと思ったものや状況が合ったら短歌用のメモに入力しているのだが、その回数も増えた気がする。

 こういう社会の動きとは違う生活をしていると、曜日感覚がしだいに消えていく。どんどん社会への適応力が消えている感覚になる。また、乗車率の多い電車や人の多いところに行くと気分が優れなくなったり、急に体がだるくなったりすることもあった。最近は体力を少しでも取り戻すために筋トレをしている。

 

 私は有意義にカテゴライズされる作業が思い通りに進まないとすぐ自己嫌悪に陥ってしまう。これだけ作業を進められたのだという肯定感を数値化するために、『 ポモドーロ・テクニック』という方法を導入することにした。これは25分間(1ポモドーロ)作業に集中して、その後5分休憩をする。これを3~4回繰り返したら15~30分ほどの長い休憩を取るというテクニックである。

 私は『Focus To-Do』というアプリを使っている。これはポモドーロの数をカウントして、どれくらいの時間どの作業をしていたのかが可視化されるので、今日はどれくらい頑張った/頑張れなかったかを客観的に見ることができる。これは自己肯定感を高めるのに貢献しているような気がする。以前記事にした寿司打の記録など、私は自分のしていることを数値化したがる癖がある。

komugikokomeko.hatenablog.com

 寿司打の記事、よろしければどうぞ。

 

 また、友人たちがたびたび私を外に連れ出して、話をする機会を設けてくれたのも助かった。どういう感情で労働を行っていたのか、人に話す機会がほとんどなかったからだ。限界を迎えてからすぐ病院に行けたので、外出も早い段階からできるようにはなっていた。体力ゲージの減少具合は元気なころよりかなり激しかったが。

 こうして、少しずつ頭が働くようになり、創作活動も以前よりアイデアが出るようになって、作業が捗るようになった。もうそろそろ復職をしてお金を得なければと考えられるようにもなってきた。

 

 休職してから大体2か月ほどで安定してきたのだが、メンタルが崩れてからの行動が早かったのと、環境に恵まれていた(会社内の人のサポートが厚かったというのと、会社内の人間関係が原因ではなかったのも幸いした)ので、取り返しがつかなくなるところまで行かなくて済んだのだと思う。

 また、私は血液恐怖症(包丁や献血など血を想像させるものが苦手、見たり聞いたりするだけで気分が優れなくなり、体の力が抜けてしまう。採血も横になった状態で行わないと、血圧が急低下して倒れてしまう)なので、精神が崩れてもリストカットを行えなかった。痛さにも弱い。そういった自分の弱さがかえって自分を助けたのかもしれない。

 精神が安定してもぼんやりとした不安は絶えずつきまとっているが、みんなそういうものなのだと思う。Twitterを見ていてもみんな不安そうだ。

 

 話は少し変わるが、最近The Caretakerの『An Empty Bliss Beyond This World』というアルバムを改めて聴いた。

 

  

 かっこいいジャケットだ。
 埃を被ったような音楽がノイズの中から現れるような曲たちが特徴的な、個人的に好きなアルバムだ。

 The Caretakerにはどうやら認知症という設定があるらしい。それは、The Caretakerのトリビュートアルバムである『Memories Overlooked: A Tribute To The Caretaker』にも反映されている。

 

 

 このアルバムのジャケットは、曲が進むにつれて、どんどんと暗くなっていく。そして最後には黒く塗りつぶされてしまう。まるで思い出が1つ1つ欠落していくかのようである。

 幸せな思い出が1つずつ欠落していくのはかなり恐ろしそうだ。確かハリー・ポッターに出てくるディメンター(吸魂鬼)は、幸せな思い出や希望を吸い取っていく存在だった。黒いマントのようなものに覆われ、ゆらゆらと近づいていく様は、こちらに恐怖を与える。

 逆に、不安が1つずつ欠落していくのはどうなのだろうか。全ての嫌な思い出や不安が消え去ったとき、本当に幸福な気持ちになれるのかは分からない。精神が落ち着いてからそういったことを考えるようになってきた。良い傾向か悪い傾向かは分からない。

 

 休職直前に、木澤佐登志氏が執筆した『ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち』 という本を読んでいた。

ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち

ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち

 

 私たちが普段利用している表層ウェブの外で存在しているダークウェブ。そこで暗躍する人々やコミュニティについて詳しく紹介されている本で、非常に面白かった(今度感想文を書いてみたい)。

 その中にマーク・フィッシャーという人物が出てくる。イギリスの批評家で、2017年に自ら命を絶った。音楽にも造詣が深く、この人物はどうやらThe Caretakerと交流があったようだ。ちなみに、先述したトリビュートアルバムに収録された曲名にも、マーク・フィッシャーの名前が使われたものがある。

 マーク・フィッシャーの著書は『資本主義リアリズム』と『わが人生の幽霊たち――うつ病、憑在論、失われた未来』が日本語にも訳されて発売されている(他にも訳されたものが発売されているのかもしれないが、見つからなかった)。現在、これらの本をとても読んでみたい気持ちになっている。この状態が精神的に良いものかどうかは分からない。

 

 まだレクサプロを含め、数種類の薬を毎日飲んでいる。これを処方されなくなった時、私はどういう状態になっているのだろうか。そして今現在分からないものが、少しでも分かるようになるのだろうか。少し楽しみでもあるし、不安でもある。

 

 そういえば精神科に行っているときに思いついたなぞなぞがあるのだが、自虐が過ぎるので、仲の良い人には今度会った時に教えたい。