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【読書感想文】平田オリザ『演劇入門』

 皆さんは普段演劇などを見に行くことがあるだろうか。ちなみに私は高校生の時に『十二人の怒れる男』という作品を市民ホールで見たことがあるだけで、劇場に行って演劇を見たことは一度もない。

 そんな演劇に対する経験値が皆無に等しい私であるが、今回は演劇に関する本である、平田オリザ『演劇入門』について感想を書いていければと思う。

 

演劇入門 (講談社現代新書)

演劇入門 (講談社現代新書)

 

 

 

 ちなみに、私は平田オリザ氏が制作した演劇を見たことがない。名前だけどこかで聞いたことがあるような、というくらいの知識である。

 数年前、今と同じように演劇について知識がほとんどなかった頃、『演劇入門』と書かれたこの本を見かけて、これを読めば少しくらい演劇について知識を得られるかなと思って購入した。それから数年が経ち、職に就き、職を休み、元号が変わり、元号のおかげで少し安くなったソフトクリームを食べた2019年5月になって、小説を書くときの参考になるのではと思いこの本を読み始めた。

 

 

【以下、本のネタバレがあります】

 

 

 この本では、はじめに「リアルとは何か」という問いかけが行われる。そして、「リアルな台詞とは何か」という問題について、多くのページが割かれている。この「リアル」という問題は小説にも当てはまってくるように思う。会話文が演劇でいうセリフに該当する部分で、この会話文があまりにも芝居がかっていると小説に上手く乗ることができない。

 著者はリアルではない台詞、つまり「説明的な台詞」を回避するためには、以下の方法が効果的だと述べている。

 

・「遠いイメージから入る(p.12)」

・「セミパブリック的な空間(p.48)」を設定する

・「セミパブリック的な時間(p.52)」を設定する

 

  1つ目に関して著者は、美術館を例に挙げている。舞台にいる登場人物が美術館にいることを自然に伝える場合、美術館という「遠いイメージから入る」ことが原則だと述べている。静かな空間であることを登場人物間の会話で伝え、少しずつイメージを近づけて、ようやく絵の話をする。そうすることでいきなり絵=美術館について説明する台詞が始まらないため、不自然にならないという。これは小説でも使えるテクニックかもしれない。会話文で説明要素が多いと、NPCっぽさが出てしまうので、気を付けていきたい。

 2つ目に関しては、「戯曲を書きやすい」場所の話である。あまりにもプライベート的な空間(家のリビング)だと、第三者の介入がほとんどないため台詞で必要な要素(登場人物がどういった人となりをしているのか、立場に置かれているのかなど)を伝えることが難しくなる。逆に完全にパブリック的な空間だと他人は他人として通り過ぎて行ってしまい、そもそも話を交わすことがない。そのため、第三者の介入が行われる、セミパブリック的な空間が「戯曲の書きやすい場所」だと著者は主張する。この本では大学の研究室や温泉宿のロビーが挙げられている。

 3つ目の「セミパブリック的な時間」に関しては、先ほど挙げられたプライベート的な空間でも、背景や状況によっては戯曲に適した空間になるということだった。例として著者は通夜の晩や引っ越しなどを挙げている。要するに第三者の介入が戯曲を書く上で重要になってくるようだ。

 

 なぜ、第三者の介入が戯曲には必要になってくるのか。それは「人は、お互いがすでに知っている事柄については話さない。話をするのは、お互いがお互いの情報を交換するため(p.85)」である。家族内の会話の場合、すでに知っている事柄が多いため、なかなか観客に必要な情報を与えることができない。確かにと納得した。

 小説の場合、地の文である程度カバーはできるが、あまりにも地の文で説明をしすぎると、露骨に思えてしまう気がする。小説を書く際の参考にしていきたい。

 

 本はその後、話し言葉や俳優に関する話へと進んでいく。そこでは「コンテクスト(p.150)」という言葉が何度も登場する。コンテクストとは、「一人ひとりの言語の内容、一人ひとりが使う言語の範囲といったもの」と著者は定義する。

 そして、終盤に著者にとって「優れた演劇」とは何かが提示される。著者は「特に優れた演劇作品においては、表現者と鑑賞者の間で、『内的対話』とでも呼ぶべき特殊な対話行為が行われているのではないだろうか(p.190)」、「さまざまな情報の中から、鑑賞者が主体的、能動的に、個々人にとって有効な情報を選び出し、表現者と一対一の、独立したコンテクストの共有が行われることが望ましい(p.191)」と主張する。そして、「演劇においては、コンテクストの摺り合わせがなされない段階で、表現者の側が鑑賞者に、仮想のコンテクストを押しつけるとき、台詞はリアルな力を失うのだ」と述べている。

 鑑賞者がコンテクストの共有を自ら選んでいくというのは、なかなか実践していくのは難しいかもしれない。しかし、これは演劇だけでなく小説でも当てはまるのではないか。作者のコンテクストを読者が共有できていないため、台詞や展開に乗っていけないという現象は結構起こりうると思う。時々小説を書く私としても、身につまされる話だった。

 

 戯曲に関する話が、この本では多く割かれている。俳優に関する話は後半に、舞台装置に関しては中盤に少しだけ書かれている。『演劇入門』というよりは『戯曲入門』と思っていたほうが読む際にイメージがしやすいように感じた。また、<演劇を見る側>の入門というよりは、<演劇を作る側>に向けた入門である。

 戯曲だけでなく小説で、特に会話文を書く際に参考になりそうな箇所がいくつもあったので、今後小説を書く際に思い出していければと思う。