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【一首評】いくつになっても円周率を覚えてる いくつになっても きみがいなくても/阿波野巧也

いくつになっても円周率を覚えてる いくつになっても きみがいなくても

/阿波野巧也『レモン』(『羽根と根』9号 2019.11.24)

 

 上記の短歌で提示される<円周率>について考えた時、3.14という一般的な桁数で覚えているのか、それともある程度の桁数まで覚えているのかで少し立ち止まった。ここでは前者を採用する。

 円周率はあるタイミングで習った後、人生を進めるたびに生活では使わなくなってしまう。しかし、記憶には結構残っているように思える。ルート2のごろ合わせやその他の数字を含んだ公式に比べても記憶される期間が長い。

 <いくつになっても円周率を覚えてる>と上句がきたあとに、一字空けが現れる。その後の<いくつになっても>という繰り返しは、時間を感じさせる効果がある。作中主体も人生のとあるタイミングで何度か円周率を思い出すのだろうし、そのたびに<いくつになっても>と思うのだろう。

 その後、結句に入る前にまた一字空けがあり、<きみがいなくても>でこの歌は締められる。ここで、先ほどとは違った時間が現れる。<いくつになっても円周率を覚えてる いくつになっても>の時間があり、きみがいなくなった瞬間に、<いくつになっても円周率を覚えてる いくつになっても きみがいなくても>の時間にとって代わる。この先はずっと、円周率を思い出すたびに、<きみがいなくても>と感じてしまう。

 <きみ>がいるときの時間と、<きみがいなくても>になった後の時間という、2つの時間を感じさせてくれる短歌だと思う。