コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

近所の範囲、人工的な褒め、コナンの映画

2月7日(金)

 100円均一ではない寿司を食べに行った。近所でも評判のお店だ。

 いったいどこまでが近所なのだろうか、というのを考えた時にこの店は近所ではないような気がしてくる。どこまでが近所で、どこからが近所ではないのだろう。同じアパートに住んでいる人全員とある地点に立ち、少しずつアパートから遠ざかりながらここが近所がどうか判定したとき、みんな違う地点で近所ではない判定をするような気がする。3年以上住んでいるが、アパートの住人の顔はほとんど分からない。分からないままこの間、住人が一人出ていった。サイレントでもう一人出ていった。私から数m先で、生活が営まれているのは何だか奇妙に思える。このアパートには現在、総勢6パターンの生活が存在している。

 

ここまでは近所の範囲 その先の外ではためいている唐揚げ

 

 こういう短歌を作ったことがある。

komugikokomeko.booth.pm

 こういう冊子を作ったことがある。上記の歌も載せてある。

 

 寿司屋に到着して様々な寿司を頼んだ後、そういえば褒めのサブスクなんて話をしたな、というのを思い出した。寿司を1貫おごって、褒めてもらった。褒めは自然発生されたものでないと全く嬉しくないということが分かった。人工的な(養殖された)褒めだと気づいてしまうと、途端に空しくなってしまう。私は何事もできるだけ褒めたいと思っているので、人工的にならないように意識している。意識している時点でもう人工的な気もするが。怒りや貶しは私が別にやらなくても誰かがやってくれるはずだ。

 「トロ3種盛り」というメニューがあり、値段について葛藤しつつ頼むことにした。数分後、中トロ・大トロ・カマトロの3種類が皿にのったものが登場した。

  脂がすごいものと、ものすごいものと、えげつないものという感想が生じた。胃がボコボコにされてしまった。

 その後は同僚の家でゲームなどをした。BGM・BGV的な役割としてコナンの映画を流れていた。コナンの映画を見るのは2回目で、そのどちらとも人の家だ。原作を病院でしか読んだことが無いため、登場人物も少ししか分からない。私にとってコナンとは、人の家で体験するものなのだろう。