スープバーをお付けしないでご注文されている方もおいで 水だよ
/新上達也『放水路』(『穀物』第6号、2019.11.24)
スープバーのあるところなので、おそらくファミレスなどの飲食店なのだろう。
<お付け><ご注文>などの言葉が上句で出てくるため、ファミレスの店員なのかなと思っていると、四句目の最後で<おいで>が現れる。マニュアル的ではあるけれども丁寧な言葉遣いから急に親しみのある口調の出現に少しおっ、様子が変わってきたぞとなる。
そして一字空けからの<水だよ>。隠していたものがオープンになったような感じを受ける。しかし、オープンになった結果が<水>。脱力してしまう。
この歌で現れる<スープバー>は有料で、こちらが対価を支払わないと得られないものだ。当たり前ではあるが、それを付けなかった人はスープを飲むことができない。そんな人をわざわざ<おいで>と呼びよせる。読んでいる側も<スープバー>を頼んでいない側にいつの間にか入っている。そして、満を持して<水>は現れる。<水>は無料で、客であれば誰もが貰うことができる。そんな<水>が結句までもったいぶって現れた時、軽く笑いながら「なんだよ」と思ってしまう。
短歌の中で<水>を出した人の呼びかけに応じてしまうし、もったいぶった挙句現れた水に読者側も脱力して、「なんだよ」と言ってしまいそうになる短歌だと思う。