コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

ペットボトルのためのサイコキネシス

6月21日(日)

 冷蔵庫から焼肉のタレを取り出そうとしたら手が滑ってしまい、床へと落下した。
 キャップが落下の衝撃で緩み、タレがこぼれてしまう。落下することで液体が出てくる現象、何らかのメタファーな気がしてあまり良い気分にならない。
 幸いなことにタレはフローリングに落っこちてくれたため、拭き取るだけで済んだ。もし近くに敷いてあったカーペットに落ちていたら、処理に数倍の時間がかかったことだろう。運が良い。
 しかし、ここで運の良さを消費してしまったことで、他の場面で運が悪くなるのではとも思う。確率は基本的にある数値へ向かって収束していく。
 かといって運が悪いと、この後運が良くなるとは思えない。これ以上話を進めていくと人生観に関する話になってしまうため、やめておきたい。

 焼肉のタレを発端に、最終的に人生観について話をもっていけるとは思わなかった。Wikipediaの記事は6回遷移していくと基本的にどのページにも辿り着けると言う話を聞いたことがあり、それらと同じ原理なのだと思う。

 

6月28日(日)

 普段部屋で作業をする際、飲み物を用意している。コップに市販のお茶を注いで作業中に飲んでいき、無くなったら冷蔵庫からお茶を取り出して再び注ぐ。飲み物が近くにないと不安になるため、私の近くにはいつも飲み物が置いてある。
 自分の作業スペースから冷蔵庫までは何歩か歩かなければならず、億劫なことも多い。一度座ってしまうとなかなか立ち上がるのには気力を要する。
 気力をいちいち使いたくなかったため、お茶の入ったペットボトルを近くに置いておくことにした。冷たさは冷蔵庫に入れっぱなしにしている時よりは劣るが、いちいち立ち上がらなくて済むようになる。
 これは画期的な案だと思いながら、数日を過ごす。すると、新たな問題点が浮かび上がってくる。ペットボトルを置いていることを忘れてしまうのだ。自分の後ろに置いているため、記憶からペットボトルの存在が薄れていってしまい、結局冷蔵庫にある水の入ったペットボトルを取り出して注いでしまう。
 作業が終わり、さあ寝ようと思って立ち上がったときにようやくペットボトルの存在に気づく。当初の目論見は外れ、ただただ部屋の中にぬるいお茶を鎮座させているだけだ。

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「鎮座」で検索をかけると、何かが座っている画像や寺関係の画像はほとんどなく、代わりに鎮座DOPENESSがたくさん出てくる。ライフハックとして是非ご検討いただきたい。
 その後も何回かぬるいお茶を部屋に鎮座させただけの日があり、結局は冷蔵庫から都度お茶を取り出して注ぐ従来のパターンに戻った。
 今のところの解決策は、サイコキネシスを使ってお茶を取り出す方法を身につけるしかなくなったため、通信教育などで学べるところがないか探していきたい。