コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

髪をまかせる

11月29日(日)

 引っ越しをするということは、その土地で付き合いのあった人との関係にいったん区切りをつけることでもある。強弱はあれど繋がっていたという事実だけは確かな関係の中に、いつも髪を切ってくれた美容師の方がいる。

 引っ越しをしてくると困ることの一つに、美容室がある。評判などを調べつつ、相性の良いところを見つけなければならない。考えているうちにどんどん髪は伸びていき、視界を少しずつ黒い線で埋め尽くしていく。

 会社の同僚に話をしたところ、普段行っているお店の美容師を紹介してくれた。美容師の方を仮にSさんとしておこう。今回はイニシャルをSにしているが、何を入れても構わない。読んでいる人が好きなアルファベットを入れてほしい。

 紹介してもらい、1回髪を切ってもらってから、髪を切る/切られるという関係が3年ほど続くことになった。

 私は癖毛で、湿気の多い時期だと髪をセットしてもすぐに甲斐がなくなってしまうのだが、そういった癖に合わせたカットをしていただいた。途中からはストレートパーマをかけるようになったのだが、その際は不自然にまっすぐにならないようにしていただいた。二十数年髪の毛と共に生きている私ですら、自分の髪がどういう癖なのか分かりきっていないのに、他人の髪をその人に合った切り方をしていくのは結構なプレッシャーなのではと思う。 

 

 また、音楽の話をちょくちょくさせていただいた。良さそうなアーティストも教えてもらったし、知っているけどちゃんと聴いたことのないアーティストについて話していただいた。CDやDVDをお借りしたこともあった。

www.youtube.com

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 Youtubeなどで聴いたことの無い曲を探していると、どうしても私向けにカスタマイズされていき、観測できる範囲が狭まってしまう。人からおすすめのアーティストやアルバム、曲を教えてもらうと、観測範囲では出会えないものと遭遇できることがある。一人ひとり違った音楽のルーツを持っていて、違った音楽の積み重ね方をする。これは本や映画など、様々な文化でも同じことが言えるだろう。

 小学生の頃、近くにいろんな物事を知っている5歳ほど年上の先輩がいて、格好良さを感じたことを薄く覚えているが、同じような感覚なのだと思う。今思い返すと小学生の時、先輩という言葉を使っていなかった気がする。どんな言葉を代用していたのだろう。

 

 引っ越す直前に髪を切っていただき、いくつかの会話を交わし、最後に握手をした。握手もコミュニケーションであり、そこから私たちは何かを推し量る。大抵は都合のいい解釈であるが、そういうときくらい都合良く解釈をしてもいいんじゃないだろうか。

 

 一般的にはここで関係が途切れるものだが、私もSさんもTwitterをやっていて相互フォローであるため、生存確認をすることができる。数少ないTwitterのいいところだと思う。