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備忘録と不備忘録を行ったり来たり

【一首評】いい路地と思って写真撮ったあとで人ん家だよなと思って消した/鈴木ちはね

いい路地と思って写真撮ったあとで人ん家だよなと思って消した

/鈴木ちはね『スイミング・スクール』(『ねむらない樹 vol.4』、書肆侃侃房、2020.2.1)

 

 街中を歩いていると、<いい路地>と思えるような場所に遭遇することは時々あるように思える。いい路地がどういうものかはこの歌からは判断できないが、とりあえずは各々が思っている<いい路地>像を当てはめていく。
 良い風景を写真におさめるという行為も、よくあると思う。良いと思った風景をあとで見返すことができるように、良い瞬間を固定するように、写真を撮る。短歌の中の主体も写真を撮る。
 しかし、主体はその後に写真を消してしまう。<人ん家だよな>と思ったためだ。


 この歌の好きな部分は、社会が要請するモラルではなく、主体が独自に持っている価値観が見えるところだ。もし人の家の中を撮っているのであれば、プライバシーという社会が要請するモラルによって、消したほうが良いと判断することができる。しかし、<路地>ではプライバシーが損なわれるようなものはないかもしれない。車のナンバーが映る可能性もあるが、この歌では<人ん家だよな>という理由で写真を消しているため、そういったものでは無いと感じる。

 <路地>には何かしらの建物・非建物があって、それらによって多種多様な<路地>の味わいが形成されていく。<人ん家>も<路地>の味わいに寄与している。その味わいに良さを感じて主体は写真を撮るのだが、ただ良い風景と思うだけではなく、<人ん家>を一方的に撮ってしまったところに考えが及ぶ。その考えを自らの価値観に基づいて判断を下している。

 社会の要請ではなく自らの価値判断が歌の中で行われていて、それが押しつけがましくないところに魅力を感じた。

OB・OG、栄養のレーダーチャート、ドレッシング

3/14(土)

 最近はよくサラダを食べるようにしている。

 生きていると時々老いだったり、死に対する不安みたいなものが絡んでくる。そういった概念は私たちよりはるかに長い年月を生きていて、いわば大先輩のようなものだ。時々私たちのところに来て憂鬱な気持ちにさせるのは、部活などであんまり人望が無かったOBやOGがやってきて、勝手に主導権を握りはじめる現象とどこか似たところがある。

 私は野菜全般があまり得意ではなく、火を通してかさを減らせばなんとかなるものの、生野菜はどうにもならない。食感や味がどうにもならないのだ。

 そういった生活を送っていると、栄養のバランスが偏ってくる。栄養をレーダーチャートにすると、おそらく上級者向けのキャラクターみたいになるだろう。このような生活はどこかの時点でゲームオーバーになりかねない。まあ、人生は思いもよらない時点でゲームオーバーになることは多々あるのだが。

 死や老いに少しでも対抗するために、気乗りはしないがサラダを食べることにした。キャベツならなんとかなるため、カットキャベツを買って3日に分けて食べることにした。

 キャベツだけだとどうにも味気ないため、豆腐を1パック(1人分になっているもの)をのせて、大量のドレッシングと胡椒をかけることにした。ドレッシングに含まれる塩分や油分という問題はあるが、そこは目を瞑るしかない。

 よく、素材の味が生かされているという言い方を目にする。私にとって、野菜は素材の味を殺さないと食べられない代物である。つまり、野菜を美味しいドレッシングで塗りつぶす必要があるのだ。皆さんのサラダライフを思い返して欲しいのだが、野菜が好きで食べていますか? ドレッシングの味が好きで食べているんじゃないですか? 家に帰ったら、ご家族と話し合ってみましょう。

 ドレッシングの中では和風ドレッシングが好きなので、もっぱらそれを使っている。和風ドレッシングのおかげでどうにか野菜を食べることができている。胡椒を大量にかけることでさらに素材の味を塗りつぶしている。映画やドラマで、確実に相手を殺すために倒れている相手の頭部を撃つというシーンが時々あるが、それとやっていることはほぼ同じだ。

 キャベツばっかり食べているとそれはそれで栄養バランス的にどうなのか、という問題が生じてくるが、野菜を食べているだけで実績は解除されるため、種類については今のところあまり関心がない。


 本当は、1日分の野菜が取れるお札などがあると嬉しい。

【一首評】遠距離の恋愛すべてつまらない 心のなかにワニ飼えよ ええよ/青松輝

遠距離の恋愛すべてつまらない 心のなかにワニ飼えよ ええよ
/青松輝『VS松永・VS世界』(Q短歌会『Q短歌会 機関紙創刊号』、2018.11.23)

 

 <遠距離の恋愛すべてつまらない>という強い断定から、短歌は始まっていく。

 <すべて>という言葉が出てくると、本当にすべてなんだろうかという警戒感を抱く。本当にすべてなのか。作中主体、もしくは作者がうっかり言ってしまった(書いてしまった)だけで、実はすべてではない時もあるからだ。

 この歌の<すべて>は<つまらない>にかかっている。この<すべてつまらない>は主体の一時的な気分によって出された結論のように思えるけれど、ここまで断定口調だと気になって足をとめてしまう。そこまで断定的できてしまう主体に興味がわいてくる。

 その後の「心のなかにワニ飼えよ」は、個人的には「すべてつまらない」ことに対する対処法のようなものと解釈した。「遠距離の恋愛すべてつまらない」から「心のなかにワニ飼えよ」、2つのフレーズを同じ人が発しているという解釈もできると思うが、今回は前者の解釈で話を進めていきたい。

 <心の中にワニ飼えよ>という提案は割と奇抜だと思う。提案された側は困ってしまいそうだ。心の中にワニを飼うって、どうやって? <飼う>だからある程度の期間は一緒にいることになる。どうやって心の中で飼い続けるのが気になってくる。

 この歌の好きなところは、目を引く提案に対する返答があることだ。提案だけで終わらないで、<ええよ>が入ることで、途端に会話めいてきて人と人の空間が現れる。謎めいた提案に対する、<ええよ>という軽い肯定の仕方も、会話として自然だと思う。

 

 上句から下句への飛躍の中に会話の軽さが入っていること、目を引く提案だけで終わらずにそれに対する応答がある部分が、この歌の魅力的なものにしていると思う。 

行ったことのない喫茶店、OMY、いき延びるたび

3/12(木)

 行ったことのない喫茶店に行った。駅ナカだが建物の奥にあるため、なかなか行く機会がなかった。何回か横を通ったことがあるが、なかなか雰囲気が良さそうだったので、今回意を決して行くことにした。 

 席に案内される。座席の背中が柔らかい生地になってて、背を預けるのにちょうどいい。メニュー表を見て一番上に書かれているブレンドコーヒーを注文した。メニュー表の一番左もしくは上に書かれているメニューは、お店のおすすめであることが多い。

 数分して、コーヒーが届いた。苦みがある程度あって、酸味が少ない。飲みやすい味だと思う。ブラックでもまあ飲めるが、基本的に甘いもののほうが好みなので、砂糖やガムシロップを使った。基本的に甘いものは美味しい。そういうチップが生まれた時に脳に組み込まれるのだ。

 喫茶店に数十分滞在した後、近くにあるBOOKOFFに立ち寄った。邦楽・洋楽のCDコーナーをあ行から確認していく。OMY(Oriental Magnetic Yellow)の『弱気なぼくら』が売っていて購入を検討したが、7000円以上したので断念した。Amazonのページを見たら15000円もした。プレミアになっている。

弱気なぼくら/NERVOUS

弱気なぼくら/NERVOUS

  • アーティスト:O.M.Y.
  • 発売日: 2001/06/06
  • メディア: CD
 

  名前やジャケットからしても、YMOのパロディだということは分かる。曲も原曲の雰囲気が残っているため、メロディを口ずさむときに原曲とごちゃ混ぜになりそうだ。

 他にはあまり収穫もなく、家に帰った。

 

3月14日(土)

 家に帰ると、中村佳穂『きっとね!』の「いき延びるたび いき延びるたび」というフレーズが頭の中で鳴り響く。

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 前後の文脈やフレーズは消えていき、「いき延びるたび いき延びるたび」とひたすらに鳴り続けている。

 死ぬという行為は、体力や気力をかなり消費すると思っている。生から死という別の世界へ飛んでいくのに、何も必要としないというのはあり得ないだろう。

 そんな体力も気力もないので、もう少し現実的な選択肢として、とりあえず生き延びるという行為を選ぶ。1日をどうにか終えること、住んでいる部屋に戻ってこれること。それが今のところの目標だ。

 部屋に戻ってくると、「いき延びるたび いき延びるたび」が頭の中で鳴る。曲は続きのフレーズがあるけれど、いったん私の中で消化された「いき延びるたび いき延びるたび」は、次のフレーズをもたない。同じところをずっと繰り返し、後ろに戻ることも、前に進むこともしないのだ。

殴られるような、血管迷走神経反射、生卵

3月1日(日)

 近所のBOOKOFFに行った。最近は邦楽・洋楽CDコーナーをア行から順に見ていってピンときたものを買うようにしている。TSUTAYAでも同じことをしている。

 欲しい物を購入するときとは異なる、思いもよらぬところから殴られるような驚きがある。思いもよらぬところから殴られてたことはありますか。私は小学校の頃鬼ごっこをしていたら、思いもよらぬところから柱が現れて、ぶつかったことがある。殴るとぶつかる、前後賞だと思う。

 今回はgroup_inou『FAN』、world's end girlfriend『ending story』を購入した。

FAN

FAN

  • アーティスト:group_inou
  • 発売日: 2008/04/09
  • メディア: CD
 
ending story

ending story

 

 

 何か色合いが似ている気がする。

 group_inouの色として、哀愁があるような気がする。このアルバムの”coming out”しかり、『_』の” HEART”しかり。

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 『ending story』は、サンプリングされた素材が印象的で、時々攻撃的に耳に刺さってくる。

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 数か月に1回くらい見に行くと、品ぞろえが少し変わっているのかもしれない。

 

3月5日(木)

 仕事が休みだったので、家からあるいて3分ほどの場所にある喫茶店に行く。今の土地に住んでから約3年経つが、1回だけしか行ったことが無かった。確か健康診断を受けたあとに行ったような気がするが、採血を受けてかなりテンションが下がっていたためあまり覚えていない。

 私は採血がとても苦手で、座った状態で採血を受けると血圧が思い切り下がって立っていられなくなる。1回座って受けた時は急に目の前が真っ白になってしまい、1時間ほど病院の待合室に寝かせられた。健康診断をやるとその日の体調が崩れるという現象、何らかの寓話みたいだ。

 後で調べてみると、血管迷走神経反射という症状らしいことが分かった。気を失いかけてからは、必ず横になって採血を受けるようにしている。すると気を失うことはなくなり、テンションが下がるだけで済む。テンションが下がること自体があまりよろしくはないが。

 前に来た記憶があまりないまま喫茶店に入る。お昼を食べていなかったのでキーマカレーを注文した。生卵がのっかっていて、辛さがマイルドになっていた。ロッキーがいくつもの生卵を飲み干していたのは、もっとマイルドな性格になるためだったのかもしれない。

坂本龍一『async』

Async

Async

 

  2017年リリース。前作『out of noise』以来、8年ぶりのアルバム。ちなみにタイトルは「非同期」という意味である。

 

 かなり実験的なアルバムだと思う。ドラムなど、リズムがはっきりするような音は使われておらず、大半の曲はこれがメロディだと言えるような部分が無い。プリペイドピアノのようなものが使われていたり(”disintegration”)、フィールドレコーディングが用いられていたり(”walker”など)と、様々な音が取り込まれているところも、実験的な要素を強めている。

 アルバムを一聴して感じたのは、メロディを形成しない音の存在感だ。”andata”のゆっくりと通り過ぎていくノイズは、メロディを隠しきらない程度に空間を覆っている。”ZURE”にいたっては、無音という音が曲の後半部分で緊張感を生み出している。

 全体的に悲しげなトーンで統一されているのだが、メロディや音が悲しさを生み出しているというよりは、音の余韻や間などが悲しさを生み出しているのかもしれない。音楽が構成する空間、耳を介して感じるアルバムなのだと思う。

 

 ちなみに、アルバムのリミックス版もリリースされている。Alva NotoやFennesなど、コラボレーションの経験があるアーティストや、Oneohtrix Point NeverやArca、Yves Tumorといった、電子音楽の先頭を走るアーティストたちが名を連ねている。

 

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毎日がニュース、生きてて恥ずかしくないの、私のことを

2月16日(日)

 神聖かまってちゃんの『毎日がニュース』をよく聴いている。

 きっかけはYoutubeの関連動画だ。ここから様々な曲を聴いてアルバムなどを購入・レンタルしているので、非常にありがたい存在である。最初は『るるちゃんの自殺配信』が関連動画にあがってきた。

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 神聖かまってちゃんは『ロックンロールは鳴り止まないっ』しか知らなかったので、他にどういった曲があるのだろうと気になり再生した。

 この曲も自殺配信という重いテーマをファンシーな曲調にのせていて面白かったのだが、関連動画に出てきた『毎日がニュース』に心を揺らされた。

 

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 疾走感のある曲と少年・少女期の不能や絶望の真っ只中で光るような歌詞だと思う。

 特に2番のBメロの『生きてて恥ずかしくないの 勉強中よ』という部分で心をぐらぐらにされる。生きてて恥ずかしいというのは20代後半になっても時々思うし、そういった気持ちに対してまだ勉強中なんだという、抗うような気持ちもある。

 この文章を書いているのは5月末だが、時々シャワーを浴びている時などに『生きてて恥ずかしくないの 勉強中よ』を思い出す。恥ずかしくないと思わない日のほうが少ない気もするが、勉強中であることにしておきたい。

 人生をどこまでモラトリアムにできるかで、生き延びることができる期間が変わってくる気がする。社会への実践みたいなところからどうやって離れていくか、が今後のポイントなのかもしれない。

 他にも『Girl2』という曲にハマった。 

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  怪しいポップさが魅力的だ。おそらくシンセのリフレインが怪しさを引き立てているのだと思う。PVも曲の雰囲気に合っている。

 上記で紹介している曲は『児童カルテ』というアルバムに収録されている。

児童カルテ

児童カルテ

 

  20代後半でここまで心を揺さぶられるのだから、もっと多感だった10代あたりに聴いていたら狂っていたのかもしれない。高校生の頃、精神がウワーになった時に倉橋ヨエコの『夜な夜な夜な』を聴いて、「これは私のことを歌っている」と本気で思った。「夜は自己嫌悪で忙しい」というフレーズは初めて聴いてから約10年経っても全くホコリを被ることなく、頭の中に存在している。

 高校生~大学生あたりの精神で、ずっと生き続けてしまうような気がする。