コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

『もじ イメージ Graphic 展』を観た

『もじ イメージ Graphic 展』が面白そうだったので観に行った。

www.2121designsight.jp

 

 最寄り駅である六本木は2つあり、自分は日比谷線六本木駅から会場を目指した。地下を5分以上は歩いたように記憶している。初めて降り立った駅なので、会場までの距離感がつかめない。

 どこか知らない場所に行くとき、いつもより時間が長く感じることがある。道に迷ったことで実際に長い時間歩く羽目になるということももちろんあるが、ここで言いたいのは体感だ。

 初めて見聞きするものを処理する必要があるので、脳の処理時間の長さが体感にも影響を与えているのかもしれない。2回目以降は脳がキャッシュを読み込むため、時間は長く感じない。同じ道を帰るときに行きより短く感じることが多いのもキャッシュが働いているためだろう。

 脳にキャッシュがない状態に加え、地下を進んでいるため視覚情報も少ない。少し不安になりながら歩いていると途中で無印良品やスーパーが現れ、砂漠のオアシスのように感じながら通過した。

 しばらくすると矢印は階段を指差し、そこを上ると公園の入口に出た。幼少期の噴水に沿って進んでいくと、会場である『21_21 DESIGN SIGHT』が見えた。入口の写真だけ撮っておく。

 

 展示に関してはほとんどの箇所で撮影可能だったが、自分は全く撮っていないので、思い出せる範囲で振り返っていきたい。

 前半あたりでみふねたかしが紹介されていて、『いらすとや』でおそらく素材になっている人物のイラストが目まぐるしい速さで次々と映し出されていた。『いらすとや』の素材に速度を組み合わせるとなぜか面白みが出てくるのは、素材が速度と関わる場面が少ないため新鮮味があるからかもしれない。

 書物に関するテーマでは、名久井直子寄藤文平が手がけた装丁の一例として歌集や短歌関連の書籍が紹介されていたり、水戸部功が装丁を手がけた新装版の『生誕の災厄 』が飾られていた。企画展で見かけたり読んだりしたことのある書籍に出会ったときに心の動きは、知らない土地で見慣れたものを見かけたときとどうやら似ているらしい。教科書に出てきた作品の実物を見た時とは少し違う。後半でThe Designers Republicの展示を見た時も書籍に関するときと同じような心の動き方をした。

 展示の最後では葛飾出身による『今日の日記』が流されていた。日常では見かけない/見かけなくなったデザインで日常のちょっとした呟き/出来事が映し出されると、なんか笑ってしまう。ニコニコ動画で「壮大に何も始まらない」というタグがあるが、『今日の日記』も日常のちょっとした後悔や気温に関する感想など、物語の始まらなさが凝った形で現れている。

 

 先述の通りほとんどの展示が写真撮影可だったが、自分は1枚も展示の写真を撮らなかった。美術館などに行く機会は多くないが、こういった企画展や美術展では作品を見ながら自分の中で色々考えをかき混ぜるところに面白さがあると思っていて、写真を撮ると都度考えが中断されるからだ。何かを考えているときはできるだけ動作の種類は少ないほうがいい。そのため、後々作品を思い出すときには作品ごとに記憶の濃淡が生じてしまい、よく覚えていないものも結構ある。日記と相性が悪い。

 1つ準備をしておけばよかったと思ったこととしては、耳栓の存在だ。途中から人が結構増えてきて、話し声で考えが中断されることや展示に集中できない場面が時々あった。こちらで対策できることは対策しておきたい。

 

 会場を出ると入口に15人ほどの列ができていた。13時以降は混み合うとのことだったので、もし明日明後日のいずれかで見にいく場合はできるだけ午前中のほうがゆっくり観られると思う。

 六本木に来たのは初めてだったため、帰りは地上を歩きつつ別の駅から電車に乗った。展示会場は上着が必要ないくらいだったのに、外はまだまだ寒い。上着を羽織ったり抱えたりを繰り返す日々はもうしばらく続きそうだ。

餅の数を早めに決める/2024年の目標

 昨年の元日は餅が3つ入った雑煮を食べた。その結果、胸焼けに悩まされながら神社への道を歩くことになってしまった。

 その反省を踏まえ、かなり前から元日の雑煮は餅を2つにすることを決めていた。年始は来年の元日の0学期であり、早くから雑煮に入れる餅の数を考えておくことで、他の人たちより一歩早く元日対策をすることができる。

 対策に沿う形で、今年の元日は餅が2つ入った雑煮を食べた。その結果、2年連続で胸焼けに悩まされながら神社までの道を歩く羽目になった。受験に関しても、いくら対策してもその日のコンディションが悪ければ全てが水の泡になってしまうこともある。年末の寝不足もあって、コンディションが良くなかったのかもしれない。

 毎年元日の午前中に神社へ初詣に行き、お参りを済ませておみくじを引いて、お守りを買って帰るのがいつものパターンだったが、今年はおみくじを引かなかった。おみくじに関しては少なくとも過去3年は良い結果だったので、凶を引く前に勝ち逃げしようという気持ちが昨年からあり、今回実行に移した形だ。これからは人付き合い以外でおみくじを引くことはおそらくないだろう。

 

 この文章は2月5日に書かれている。2024年が始まって既に1ヶ月が経った。毎年目標をブログで書いていたのだが、今年は先延ばしにしてしまっていた。

 ちなみに昨年の目標は以下の通りである。

 ①本を35冊以上読む

 ②小説を5本以上書く

 ③短歌のネットプリントを2回以上配信する

 

 結果として、どれも達成することはできなかった。上半期は生活が大きく変わり、生活を安定させるために時間を費やしたのも大きい。

 創作活動を振り返っていくと、小説は文学フリマ用に書いた短編が1つだけに留まった。ここ数年小説を書くペースが年1になってしまっている。

 短歌に関しても例年に比べ発表頻度は下がった。それでも秋ごろには1年半ぶりに歌会に参加することができたし、第6回笹井宏之賞にて小山田浩子賞をいただくこともできた。短歌に関する集団にはどこにも属していないため、不特定多数の人に連作を見てもらえる機会をいただけるのはとてもありがたい。

 昨年も踏まえつつ、今年の目標を決めた。

 ①本を30冊以上読む

 ②短歌連作を5つ以上発表する

 ③小説を2つ書く

 

 本に関しては、少しずつ読んでいければと思う。最近はTwitter(X)に対して気持ちが離れつつあるので、空いた時間を読書などに充てていきたい。

 短歌連作に関しては、個人冊子やネットプリントなどで発表することはあったが、今後は基本的には15首〜20首くらいまでの連作はブログで発表していこうと思う。1月上旬に15首連作を1つ発表しているので、まだ未読の方はぜひ。

komugikokomeko.hatenablog.com

 

 小説に関しては、今年は文学フリマ東京に2回参加する予定なので、そこで1つずつ新作が出せれば良いなと考えている。

 

 時間を曖昧に浪費してしまい、精神を擦り減らすようなことがしばしばあるため、何に時間を費やしたかを明確にしていければと思う。浪費の影響もあり、文章を書く機会は年々減っている。ブログの年別ごとの投稿数を見てもらえれば一目瞭然だ。毎年似たような話をしているため、ずっとリハビリをしている感覚になってきているので、今年は前に進んでいきたい。

長袖の暗号(短歌15首)

 

長袖の暗号   橙田千尋


モニュメントの銀を両目に流しこみ今は時間に色を付けたい

ホーム中に散らばった人 音ゲーをとうの昔にあきらめている

パトカーが交番のある方向へ曲がっていくのを見ていたはずだ

羽織らずに歩けてしまう冬の昼 でも盗作の疑いがある

やみくもに速度を借りているだけのカーブミラーから飛び出す車

看板の英語が読めてしまったら日本語はすぐ追いついてくる

翻訳の後ろではためく万国旗のどれもが少しずつ嘘っぽい

願い事でべっとりな手をおしぼりで拭ってホットコーヒーを持つ

駅と駅の間に落ちてきた雨は画家の用いる手法の一つ

落ちているゴミのゆくえがもし仮に象形文字でもリサイクルだよ

お客様の(インナーカラーを近くから見るのに多分そっくりな)声

室外機が動いたときだけまだ誰も踏み入れてない国の打楽器

町中のホースリールが一つずつずれればどうしても笑ってる

半分になったジュースは玄関でさらに一晩冷やされていた

閉じた目の裏でふくらむいくつもの気持ちにさかなへんを付けたい

文学フリマ東京37に参加しました

 たまにインドカレーを食べたくなることがあり、年に数回インド料理の店に向かうことがある。どの店に行ってもチーズナンは美味しく、そして手で掴めないほど熱い。

 数年前まではそのうちの1回を東京流通センターで済ませていた。文学フリマ東京にカレー屋が出店していたからだ。バターチキンカレーを休憩スペースで食べていると、文学フリマとインドが混ざりあって、カレーを食べるのも文学なのかもしれないという気分になった。しかし、コロナウイルスの影響で飲食のブースが消え、今年春に復活したと思ったらまた消えていた。もう文学フリマ東京でインド感を味わうことはないのかもしれない。

 

 2023年11月11日(土)に行われた文学フリマ東京37に、メゾン文芸部というサークルで参加したので振り返っていきたい。

 

 今年も小説合同誌と短歌冊子を頒布することは早々に決まっていたが、入稿までは結構バタバタになってしまった。去年は比較的余裕があったので何が変わったのだろうと考えていると、1つ思い当たることがあった。去年は無職だったのだ。

 フルタイムで働いていると創作に時間と気力を割くことが難しくなる。仕事をしながら創作活動にリソースを今以上に割ける方法を考えているのだが、最終的に睡眠時間を確保することに着陸してしまう。創作活動に力を入れるため、能動的に何もできない睡眠時間を増やすというのはなんだか矛盾を感じる。

 

 たとえば 早く寝るだけで 心が強くなれること

 

 替え歌が頭の中で響き続けている。カールスモーキー石井の顔はあまり思い出せない。なので石井竜也の顔も同様に思い出せない。米米CLUBにはヴァイキングっぽいフォルムの人がいた気がするが、名前は分からない。

 

 当日はまず品川のキンコーズへ向かった。ここ数年は行きの電車でThe Chemical Brothersの『Dig Your Own Hole』を聴くことにしている。気合いが入るような気がするのだが、毎回寝不足からか途中で眠ってしまう。

 

 品川のキンコーズでお品書きなどを印刷し、時間が余ったのでドトールで休憩をしてから会場へ入る。

 会場では準備に手こずり、開場にギリギリ間に合わなかった。毎年設営をしているはずなのに、一向に上手くなる気配がない。放置しておいたゲームボーイのカセットのように、設営のたびにデータが失われているのかもしれない。

 開場してからは15時過ぎまでひたすら店番をする。時間帯によっては立ち止まるのが困難なほど通路に人があふれていて、来場者数が増えていることを座っているだけでも実感できた。同時にキャパシティという側面では、もっと大きな会場が必要になるのもなんとなく分かった。

 店番を交代し一通り買い物を済ませた後、近くにあるゆで太郎に向かった。本当は大井競馬場駅の近くにある商業施設でうどんをゆっくり食べようと思っていたが、駅を1つ越える気力が無かった。密度の高さは確実に体力を奪っていく。一緒に店番をしていた友人は羽田空港まで行ってうどんを食べたらしく、溢れんばかりに体力があるのか、それとも体力を忘れさせるほどうどんが食べたかったのかは分からなかった。

 基本的には冷たいそばが好きなのだが、その日は辻褄を合わせるように寒く、結局エビのかき揚げが入った温かいそばを注文した。期間限定らしい。

 着席してから10分弱でそばが出来上がり、別添になっていたかき揚げをそばの中に沈めていく。かき揚げはエビがたくさん入っていて、結構食べ応えがあった。しだいにふにゃふにゃになっていく衣が時間を視覚化する。

 近くでは店員と出入り業者の人が話をしていて、朝10時からひっきりなしにお客さんが来ていることが分かった。自分が入った時は15時を過ぎていて、その時はすぐに着席できたが、すぐ待ちが発生していた。本来15時は飲食にとってはアイドルタイムだと思うので、イベントが大きくなっていることが飲食店からも伝わってくる。

 その後ブースに戻り、最後まで店番をした。17時ちょうどに片付けを始め、20分ほどで会場を後にした。駅に向かう道は人でごった返していて、とてもじゃないがその塊の一部として加わっていく気になれない我々は、バスを使って流通センターを出発した。夜ご飯をサークルのメンバーと食べ、電車で一人になってからはDeerhunter『Halcyon Digest』を聴いていた。

 

 

 フラっとブースにやってきた方が小説合同誌を購入してくださったり、いつも作品をチェックしている方がブースで短歌冊子を購入してくださったりすると、作って良かったなという気持ちになる。また、新刊を買いに行った先で笹井賞に出した連作を直接評価いただく機会もあった。嬉しさと驚きがぶつかった結果、口から意味のある言葉があまり生まれなかったことは反省したい。

 広報宣伝の遅れや、短歌・小説の発表をほとんどしてこなかったことも影響したのか、売り上げは昨年より下がった。今年発表したは短歌連作は1つ、小説は断片が2つほどだった。側から見るとほとんど活動していないようなものだろう。もう少し発表の機会を増やしていきたい。つまり、今よりもたくさん眠りたい。

 来年の秋は会場が大きくなり、ブース数もおそらく増えると思われる。入場料が発生するため来場者がどう増減するのかは正直読めないが、ふらっと会場に来て、見本誌を読んでピンと来たものを買うようなパターンはこれからも減り続け、あらかじめチェックしたものを買いにいくパターンは増え続けるだろう。自分もここ数年は出店者側として参加していることもあり、事前にチェックしたものを買う形になっている。そういった変化の中でサークルとしても策を講じていく必要はありそうだ。

 現在のところは来年もブースを出店し、サークルとして何らかの新刊を出す予定である。今よりも面白いものを作っていければと思う。

 

ラーメンへの戦略変更

7月 その3

 いわゆる二郎系と言われるラーメンを、年に3、4回のペースで食べている。しかし、年々食べられる量が減っていき、それに反比例するように食後のダメージは増え続けている気もする。最後に食べたのは昨年の夏で、中盤からは美味しさは遠くに追いやられ、もはや作業だった。かなり苦しい思いをしながら帰途に着いたのを覚えている。

 もう、美味しく二郎系ラーメンを食べられないのではとも思った。しかしその日のコンディションが悪かっただけの可能性もある。美味しく食べられるかどうかを判定する機会を作り、判断をしたい。そう思い、友人を誘ってラーメン二郎に行くことにした。

 

 今回向かったのは「ラーメン二郎 大宮公園駅前店」だ。ここは小ラーメンだと250gなので、量的には優しい部類に入りそうだ。tabelog.com

 

 店に行くまでに今までの食べ方を振り返っていると、今まで適切な食べ方をしていなかったのではという疑問が生じてきた。

 今までの食べ方は「野菜をほぼ全部食べる」→「麺、時々豚を食べる」→「麺を食べ切ったら残っている豚をたいらげる」だった。しかし、この食べ方にはいくつか問題点が存在する。

 まず、麺はスープを吸う。スープを吸うと質量が増える。質量が増えると苦戦する確率が高まる。対して野菜は麺と比べてスープを吸わないため、質量が増えにくい。大食いでない人間がたくさん食べるには、できるだけ途中で質量が増えるような事態を避ける必要がある。野菜もそこそこに、麺を早めに食べるべきなのだ。また、豚を最後に残しておくと、麺と違ってよく噛まなければならず、野菜と違って密度がある。麺や野菜を食べている途中でテンポよく食べるべきだろう。

 食べ方を今までのセパレートタイプから、三角食べのような形に変えることで、ある程度量があっても美味しく食べ切ることができるかもしれない。友人に考えたことを伝えると賛同してくれたが、なぜ今まで質量が増えやすい食べ方をしていたのかという疑問の色が見えた気もした。

 

 天気が良くなかったためあまり並んでいないと予想していたが、店の前には10人以上並んでいた。30分ほどで店内に入り、「小ラーメン」の食券を購入した。

 カウンターに座り、調理を眺める。器は見えないが、スープや麺を入れているのだろうなというのは手つきで何となくわかる。前に並んでいた人がトッピングを聞かれはじめ、心の中でどういったコールを行うか反芻する。声が私に向けられ、「野菜少なめ」と発した。できるだけ質量は減らしておきたい。

 野菜が盛り付けられ、カウンターの上に自分のラーメンが置かれた。盛りは少なめに見える。目がお腹いっぱいにならずに済んだのは幸いだった。

 とりあえず野菜を少し食べて、すぐ麺を引っ張り出す。俗に言う天地返しをしようとしたが、やったことがないせいか上手くいかない。拙いなりに野菜と麺の位置関係を逆転させて麺を食べはじめる。豚も忘れずに食べ進める。

 しばらくすると麺を食べる時に口に入ってくる野菜の比率が増え始め、終盤に入ったことが分かった。スピードを落とさず食べ続けていると、やがて固形物は消えた。最後に少しだけ水を飲み、店を後にした。水を一気に飲むと後々お腹の中で麺が膨らみ、苦しい思いをする気がしたからだ。

 麺が伸びない食べ方をしていけば、まだある程度二郎系のラーメンを食べられることが分かったのは収穫だった。今回は250gだったため300gはどうか試してみたい。

 

 友人は豚を増やした状態で野菜も増やしたため「失敗した……」と呟いていた。まだまだ学ぶべきことはいっぱいありそうだ。

 

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散りつつ歩く(2)

※前回

散りつつ歩く(1) - コムギココメコ

 


 川に沿って並んでいた工事用フェンスが無くなると、サッカー場が現れた。試合ができそうな広さだったが、すぐ横が川だ。ボールが川に飛び込まないようにネットが張られているが2〜3メートルほどの高さしかない。また、ネットは川沿いを全て覆っているわけではなく、コーナーの少し奥でネットは途切れ、1メートルほどの柵があるだけになっていた。川の方向へ思い切り上に蹴り上げてしまったらボールを1つあきらめなければならないだろう。

 あきらめざるを得なかったサッカーボールはいくつ海までたどり着いたのだろうか。そもそもサッカーボールは水に浮くのだろうか。この世ではサッカーボールを川に入れる機会があまりにも少ない。

 サッカー場を通り過ぎると野球場が2つ現れた。さらに奥のほうにも野球場のようなものが1つ見えた。手前の2つは内野に当たる部分に雑草がところどころ生えていて、もしかしたらあまり使われていないのかもしれない。

 手前の2つのグラウンドとも、一塁側と三塁側に黄色いベンチが3つずつ並んでいて、ベンチは鉄パイプでできた藤棚のようなものに覆われていた。しかし藤はおろかなんの植物も鉄パイプを這っておらず、飽きっぽい人が途中で投げ出した、出来の悪いジャングルジムのように見える。シートを上から覆い被せれば日除けにはなりそうだったが、今は何もないため何のために意図が読めない。

 バックネットの近くには濃緑色の箱が二つ置かれていた。左側は「ベース」と白い字で書かれているが、文字の先端が勢いよくかすれた形になっている。もう1つの箱は「石灰 ラインカー」と白字で書かれていて、私の脳内で「お手本」という三文字が浮かび上がってくるほど整っている。どちらかが先に書かれたのだろうか。どちらの字の白も濃いため、見た目では判断できる材料がない。

 

 一、二分歩くと奥のほうに見えた野球場がはっきりと目の前に現れた。こちらも雑草がところどころ生えていて、ベンチと藤棚のようなもの、濃緑色の二つの箱がある。先ほど見たときと同じように、「ベース」は勢いよく書かれていて、「石灰 ラインカー」はお手本みたいだ。もしかしたら文字を書く際に「ベース」担当と「石灰 ラインカー」担当がいたのかもしれない。

 野球場を越えると、右手に階段が現れた。土手もお腹いっぱいになりつつあったので上がってみる。横断歩道を渡ると道路の向こう側にスロープが見えたのでそちらに向かう。だらだらと下っていくと、スロープの終わりのほうで植木鉢が並んでいるのに気づいた。まっすぐ並べようという意志と、とりあえず隙間があったら埋めようという意志が混ざり合っているような並べ方だ。

 だんだんと、植木鉢の並び方がマラソンや駅伝のときの沿道みたいに思えてきた。観客は車道へはみ出ないように並んでいるため、ある程度秩序は保たれているものの、皆ランナーを見たいがために沿道自体はごちゃごちゃとしている。そのまま歩いていると、左手にまた植木鉢が道の端に雑然と置かれているのを見つけた。こちらもランナーを応援する観客たちのように思えた。

採血でポケモンみたいにならないために

7月 その2

 健康診断のせいで朝から何も食べられない。水を飲みながら空腹をごまかしつつ、健診センターへ向かう。

 会場は割と新しい建物で、ホテルのフロントのような受付で用件を伝える。提出物の提出と簡単な説明が済むと更衣室に案内された。着替えを済ませてスマートフォンと本を持って待合室で待機する。何かを待っている時に本を読もうとしてもあまり集中できず、結局ほとんど読めないことがほとんどなのだが、持っていると落ち着く。お守りのような役割なのかもしれない。

 最初に血圧と採血をやる予定だったのだが、一度採血を終えた後に目の前が真っ白になったことがあったため、採血は最後にしてもらう。ポケモンが全滅したときに似ている。ポケモンでは目の前が真っ暗になるパターンが多いのだが、金銀クリスタル版(リメイクも)では真っ白になるらしい。私の世界は金銀クリスタル版なのだろう。

 その後、あまり待つことなく胸部X線、聴力、視力、心電図、診察を行っていった。健康診断を受けている時はゲームでおつかいをさせられている気持ちになるのだが、今回は1つ1つの待ち時間が少ない。別の病院で健康診断を受けた時は半日近くかかって疲弊したため、時間がかからないだけでもうれしい。

 1時間かからずにほとんどの項目を終え、いよいよ採血を行うことになった。簡単に説明を受けている最中、採血で使われるケースを見てしまい具合が悪くなっていくのを感じる。血を連想させるものは私の体調を無条件で悪化させていく。横になれるスペースがあったため、そこに仰向けになる。アルコールの冷たさの後に、痛みがやってきた。

 血のことを考えるとみるみる体調が悪くなっていくため、何か他のことを考えようと頭の中で歌を探した。毛皮のマリーズ 『愛のテーマ』が近くに転がっていたため、頭の中で再生する。

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 しばらく(体感としては長かったが、おそらく1分もかかっていないのだと思う)経つと採血が終わり、念のため5分ほど立ち上がらずに様子を見ることになった。 

 以前採血後に失神しかけたのは、血管迷走神経反射というものらしい。数年前に医学部の学生にその話をした際、初めて本物を見たようなリアクションをされたのを覚えている。なぜ血管迷走神経反射が起こるようになったのかというと、小学3年生のときに採血をした際、うっかり自分の血を見てしまってパニックを起こしたためである。血という字を打ち込んでいても具合がじわじわ悪くなってきたので次に進む。

 5分後に声をかけられ、立ち上がれることを確認して健康診断が終了した。荷物を更衣室から取り出して外に出る。少しふらつくが、それが空腹によるものなのか採血によるものなのか、それとも暑さのせいのかは判然としなかった。