コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

リングフィットアドベンチャーとともに過ごす冬

2021年1月2日(土)

 地元の隣町に住んでいる友人から、リングフィットアドベンチャーが売っている店があるとの情報を受け、連れて行ってもらうことにした。本来なら忘年会代に消えていいたはずのお金を健康に投資しているので、良い傾向かもしれない。

 

リングフィット アドベンチャー -Switch

リングフィット アドベンチャー -Switch

  • 発売日: 2019/10/18
  • メディア: Video Game
 

 

 体重は精神が崩れた時に4キロほど減った時を除けば、大体67~68kgを維持している。どちらかというとやせているほうらしい。

 しかし、あまり運動らしい運動をしていないため、年々体力の最大値の減少や体力の減るスピードが加速しているという現実があった。最初の20年が大体体力のピークであとの60年近くは減少の一途をたどる。もうちょっとバランスを調整してほしいが、今のところアップデートの予定はなさそうだ。

 また、偏った食生活のせいか、肝臓の数値があまりよろしくない。お酒はほとんど飲まないが、ラーメンが好きでよく食べたり、お菓子のファミリーパックを買って2日で消費したりしている生活をしていたので、そりゃ不健康である。ファミリーパックはさすがに買わなくなったが。

 臓器の数値は運動だけでは変わらないため、食生活を正さなければならないが、野菜が苦手という部分がかなりディスアドバンテージになっている。

 それでも年々少しずつ食べられるようになり、サラダはドレッシングを多めにかけて素材の味をボコボコにすれば食べられるし、大学まで全く食べられず、食べてもえづいてしまっていたトマトも頑張れば食べられるようになった。ただし食べている最中は5歳ほど年を取った顔になってしまう。

 

  実家からアパートに戻り、リングフィットアドベンチャー開封する。どうやらトレーニングで敵を倒していく、アドベンチャーモードというものがいいらしい。このシステムを生活にも反映してくれないだろうか。例えば、腕立て伏せをすると皿洗いが完了するとか。

 足踏みができない集合住宅にあわせて、サイレントモード(膝を軽く曲げるとランニングの代わりになる)があるところがうれしい。

 大多数の人と同じく、そこまできつくないだろうと思っていたのだが、まあまあ汗がでるくらいにはきつい。最初はあまりトレーニングの種類が多くないが、レベルが上がると定期的に新しいトレーニングが追加される。また、パックといって、鍛えたい部位に合わせたトレーニングを提案してくれる機能もある。

 10分程度運動すると休憩の提案をされるので、とりあえず休憩の提案をされるまで運動をすることに決めた。あまり長い時間頑張ろうとすると絶対に続かないと、自らの怠惰さを計算に入れた。結果、3月5日の段階で50日以上アドベンチャーモードを続けることができている。1日10分の運動なので体重は大きく変化しないが、それでもゆるやかに1.5kg程度減少している。

 自分がアドベンチャーモードを全体のどれくらい進めたのかは分からないが(現在ステージ11くらい)、今のところやっていて損はしていないのでこれからも続けていこうと思う。ちなみ購入した他の友人たちは志半ばで消えていったみたいだ。皆の分のリングを背負いながら進んでいこう。

麻雀の大会を主催して優勝すると気持ちが良い

12月30日(水)

 年末ということもあって、オンラインで麻雀大会を実施した。年末ということもあって?

 大会自体は4回目の開催で、初回は雀荘などを借りて行っていたのだが、社会人になりなかなか時間や場所の都合で雀荘での開催が難しくなり、オンラインになった。

 参加者は基本的に通っていた大学のサークルの関係者だが、前回大会あたりから友人の友人が参加するようになった。顔も知らない人と一緒に通話をしながら一緒に麻雀ができるなんて……

 

www.youtube.com

 

 今回(4回目)は12人が参加することになった。私は町でも上から数えたほうが早いほどの負けず嫌いなので、優勝したいという思いが強かった。今までが3位(16人中)、3位(8人中)、4位(12人中)だったため、機は熟し、シュガースポットになっている。

 優勝したいという気持ちはあるが、その目標を達成するために特段何かをしたのかといわれると、あまりない。麻雀を分析しすぎると負けた時にメンタルにダメージを負ってしまうため、休日にオンラインで友人たちとのんびり麻雀を打ちながら、焦ったり欲に目がくらんで普段とは違う打ち方をしないようだけ気をつけた。欲を捨てろと連発していたら、対戦していた友人からお坊さん扱いを受けた。

 

 個人的に麻雀を打つ際に気を付けているポイントは、「時間のかかる8000点よりも、あがれる可能性の高い2000点をしっかり取りにいく」「相手があがる直前まで来ている際、自分の手が弱い場合は未練を残さずに降りる」という2点である。

 1点目に関しては宗教と同じようなもので、麻雀を打つ人によって個人差がある。自分はあがることができれば失点を防ぐことができるという考えのもと、早めにあがれるような打ち方をする。ただし1000点だと攻撃として弱すぎるため、2000点をラインにしている。

 後々考えたらもっと高い点を狙えたな、という場合ももちろん存在するが、机上の8000点よりはどう頑張っても机から動かない。

 あがれれば一番良いのだが、運も絡んでくるためどうしてもあがれそうにない場面も存在する。また、麻雀はある程度の情報が全体で共有されるため、相手が強い手かどうか推測できることもしばしばある。そういった背景を踏まえての2点目だ。

 

 相手がリーチをかける、もしくは3回鳴いた(もっと状況が悪い場合は2回)場合は、基本的に降りる。麻雀を知らない人のためにドラについてざっくり説明しておくと、あがった際にドラを所持していると、相手へ与えるダメージが増えるアイテムである。

 持っていると相手があがる可能性の低いものを淡々と打っていき、局が終わるのを待つ。よっぽど自分の手牌が強かったり、最下位で降りている場合ではないという例外を除けば、ひたすら降りる。大きなダメージを受けなければ、逆転のチャンスは存在する。

「時間のかかる8000点よりも、あがれる可能性の高い2000点をしっかり取りにいく」「相手があがる直前まで来ている際、自分の手が弱い場合は未練を残さずに降りる」という2点を守ることで、麻雀をしっかり勉強している人と当たらなければある程度の戦績を残すことができると思っている。その代わり戦い方が地味なので、あまり見栄えはよくない。しかし、麻雀では勝つことが最大の精神安定になるため、見栄え良く負けるくらいなら地味に勝つほうが個人的には良い。

 

 今回の大会では、雀魂を使った。待ち時間を長めに設定できるためである。以前は天鳳を使用していたが、待ち時間が短く、麻雀に慣れていない人にとってはそれだけでディスアドバンテージになってしまうことがあった。

 ただし、天鳳はマニュアルがしっかりしていて、かつ大会用の部屋が無料で作成できる。雀魂は大会に関するマニュアルなどが公式では現時点では存在しないため、以下のブログを参考にした。

ameblo.jp

 また、雀魂は大会用の部屋作成が有料になる(大会の参加自体は無料)。

 雀魂と天鳳、どちらもメリット・デメリットがあるため、大会を主催しようとしている人は、参加者が慣れているアプリで開催するのが良いと思う。

 

 上記の2点を考えながら麻雀を打った結果、自身で主催した大会で優勝することができた。優勝は何回してもうれしいが、よくよく考えるとそこまで優勝した機会がない。

 次回以降も優勝し続けて、殿堂入りしたい。殿堂入りは何回してもうれしいが、よくよく考えなくても殿堂入りしたことがあまりない。ポケモンくらいだろうか。ポケモンは日本国民の殿堂入り経験率を大幅に上げたことは、意外に知られていないのかもしれない。

 

※最近知ったことなのだが、「大富豪 戦略」で検索すると、私のブログが先頭に表示されるようになっていた。大富豪が弱い、裏社会で大富豪の代打ちをしている、大富豪星人がやってきて星の代表として大富豪をしなければいけない方などは、もしかしたら参考になるかもしれない。

komugikokomeko.hatenablog.com

【短歌の感想】真夜中をおんぶしあって進むのは誰と誰 からだは話の港/瀬口真司

真夜中をおんぶしあって進むのは誰と誰 からだは話の港

/瀬口真司『命中』(ネットプリント『ウゾームゾーム vol.9 おまけ 第63回短歌研究新人賞応募作』)

 

 <真夜中をおんぶしあって>という部分は、複数人が同じ夜を共有しているということだと個人的には解釈した。

 そう解釈したのは、<しあって>の存在が大きい。複数人(<誰と誰>と記されているため、2人だろうか?)が真夜中に背中を丸めながら歩いていく姿を思い起こさせる。

 <おんぶしあって進む>人たちは誰なのだろうと思う。しかし、<真夜中をおんぶしあって>いる人は、歌の中では<誰と誰>という疑問として読者に提示され、答えは分からない。作中の主体は少し離れたところで見ているような印象も受ける。

 個人的に一番好きな部分は、一字空けからの<からだは話の港>だ。すうっと体に馴染んでくる比喩だった。話は<からだ>へとやってきて、そこから他の人の<からだ>へと出発していく。この短歌を読んでいる私も港なのだろう。

 一字空けの前と後ろのつながりは読み切れないが、二つがそれぞれ別世界のものには思えない。<おんぶしあって進む>人たちが話をしている光景から想起されたものなのかなと思う。

 時々ふとした瞬間に思い出すので、好きな短歌として身体に馴染んでいるんだろうなと感じる。

究極の一人暮らし vs 至高の一人暮らし

12月13日(日)

 4年弱住んでいた新潟を離れ、群馬へと向かう日の朝はいつも通り曇っていた。通販番組を見ながら支度をしていたら、想定よりも時間がかかってしまい、荷物を抱えた状態で走って新幹線のホームまでいかなければならない羽目になった。

 それでもなんとか新幹線に滑りこみ、乱れに乱れている息を整えながら座る。心の中に大仏を建立して、息が穏やかになるのを待つしかない。

 寝不足だったため、大半の時間を眠って過ごした。睡眠時間の確保は一生のテーマであり、7時間半は確保するぞと決心しては破ってしまう。破られた決心が床の上に積もっていき、天井にみるみる近づいていく。次に住む地域では紙ゴミが2週に1回のペースでしか回収日が存在しないため、なるべく破らないようにしないといけない。

 

 最初はバタバタしたが、その後は特にトラブルもなく約束の時間に不動産会社にたどり着いた。そこで鍵と書類を受け取り、アパートまでの道をのんびり歩く。本来なら変哲ばかりの道や家や店を歩いていくのだが、今回は以前住んでいた場所に近いため、土地勘がある。新鮮さを味わうためにあえてほとんど通ったことの無い道を選んだ。

 実家周辺を散歩したときにも思ったことだが、長年住んでいても通ったことのない道はいくつもある。私はいずれかの時期に死ぬことが決まっているが、それまでに1回も通らない実家近くの道もおそらくあるだろう。

 

 アパートに着き、部屋に入る。初期のアバターみたいな部屋がそこには待っていた。 

 2つ部屋があるため、1つは食事兼寝るスペース、もう1つは作業をするためのスペースに分けようと部屋の内覧時から考えていた。それらのスペースに何をどの位置に置くかも考える必要がある。

 究極の一人暮らしをしたいという気持ちをずっと抱えてきたのだが、今のところ叶えられたことがなかった。引っ越した直後は問題ないのだが、段々と散らかるようになり、最終的に自堕落の鏡になっていく。今回こそは上手に部屋を活用しよう、そうすれば家での作業も捗って、私の中のいくつかの問題は解決へと導かれていく。

 究極の一人暮らしと至高の一人暮らしは、どちらがより良いものなのだろうか。

 

美味しんぼ(1) (ビッグコミックス)
 

 

 何かしらをして待っていると、引っ越し業者がやってきた。荷物を置く場所の支持をする。右・左・右・右・左・キッチン・左。そういうリズムゲームミニゲームとしてプレイできるソフトがプレイステーションにあった気がする。

 すべての荷物を運び終えると、引っ越し業者は去っていった。大体の引っ越し業者は運べる荷物がなくなるとその家での活動を終了する。

 

 しばらくして引っ越しを手伝いに友人がやってきた。とりあえず必要な家具を買いにニトリに向かうことにした。

 ニトリではまずカーペットを買おうとしたが、部屋のサイズと一致するものが全て取り寄せになってしまうとのことで、ラグで我慢することにした。もちもちを売りにしたラグを見つけ、購入することにした。部屋にもちもちがある生活、想像しただけでワクワクしてきませんか?

 その後もカーテンやCDラック、作業用の机と椅子、生活するうえでよく使う小物類を購入した。特に作業用の机と椅子はずっと買おうと思っていた。

 低いテーブルで地べたに座りながら作業をしていると、眠気がやってくる確率が高いような気がする。地面という横たわれるものと距離が近いためだろうか。また、背中も丸まりがちになり、姿勢も悪くなる。気が付いたら丸くなっていて、ぼうぎょがあがるかもしれない。

 この文章も作業用の机にパソコンを置き、椅子に座りながら書いているが、気持ちがだらけにくい。買ってよかったと思う。

 結果として、前に住んでいたアパートに引っ越しした時よりもかなり多く家具を購入した。究極の一人暮らしをするためには必要な出費だ。至高の一人暮らしをするのにも必要だと思う。

 

 

 アパートに戻り、カーテンを取り付けてカーペットを敷く。一気に初期アバター感が減った。その後は友人に手伝ってもらいながら家具の組み立てを行った。生活っぽさがさらに出た。

 もう外は日が沈んでいたので、焼肉に行くことにした。友人の頼んだわかめスープの量がやけに多かった。

 年に数回しか外食に行けなかった子供の頃と比べ、比較的に自由に外食できるようになった今、外食自体へのテンションの上り幅は年々小さくなっているような気がする。それでも焼肉は、まだまだテンションを大きく上げさせてくれる。また、外食調理の過程でテンションが上がるのは、外で食べる焼肉くらいかもしれない。

  夕ご飯を食べた後は友人と別れ、新居に戻った。お風呂に入り、荷物の整理などをして寝ることにする。家具と箱だらけの部屋はまだまだ私に馴染んでこない。朝起きても、数日は知らない部屋にいるなと思ってしまいそうだ。目が覚めた時に、見慣れないなと思わなくなれば、新しい部屋に身体がなじみ始めたと言えるだろう。

 究極の一人暮らしをすることができるのか。まずは段ボールを少しずつ開けて、部屋を部屋らしくしていくところから始めよう。

 

 

 

 

 

 

 

引っ越し学部に進学すればよかったのでは

12月12日(土)

 仕事の都合で、引っ越しを行った。人生で3回目の引っ越しになる。

 

 前回の引っ越しでは単身プランを利用した結果、6割くらいしか荷物をカゴ台車に載せることができず、残りの4割はせっせと宅配便で送る羽目になった。単身プランを使う際はぜひ気を付けてほしい。

 また、引っ越しの1週間前にお腹がはちゃめちゃになり、荷造りをしてはトイレに行き、トイレに行っては荷造りをし、トイレに行ってはトイレに行った。薬もほとんど効かず、1週間くらい神が休暇を取っていなければ説明がつかないほどの苦痛を味わった。引っ越し後にすぐ治ったため、様々な環境の変化が原因だったのだろう。

 

 今回は荷物を9割5分引っ越し業者のトラックで運ぶことができたし、お腹ははちゃめちゃにならなかった。しかし、荷造りで苦しむはめになった。

 まず、2週間前を切ったところで本とCDを段ボールを詰め込むことにした。CDはスムーズに詰め込んだが、本はそうはいかない。なぜなら、中身を見るまでの手間がゼロに近いからだ。大掃除や荷造りの時の気分がずっと続けば、本を延々と読み続けることができるのではないだろうか。

 その後はロフトに置いてある荷物を断捨離しながら詰め込むことにしたが、仕事の後は疲れてしまって荷造りどころではない。対して休日は休みたいので荷造りどころではない。スピードは上がらなかったが、残り1日のところで8割方は荷造りを終えた。

 ここで計算のし忘れに気づく。残り2割の荷造りに加え、少しでも綺麗に返すための掃除が加わるのだ。掃除の存在は覚えていたが、なぜか計算からは抜けてしまった。さらに、引っ越し業者は朝の8時に来ることが決まった。安く抑えるために時間を指定しなかった結果、一番早い時間になってしまったのだ。

 計算が全く役に立たないことが判明したが、何とかなるだろうと思いつつ出勤する。引き継ぎに時間がかかり、帰宅したのは20時過ぎだった。引っ越し業者が来るまで12時間を切っている。作業を少しずつ進めていく。

 雑貨の中でも雑なものを段ボールにぽんぽんと詰めていく。またしても計算外の出来事が発生した。会社関係の人からいただいたプレゼントが予想より多かったため、段ボールが足りなくなったのだ。とりあえず大きいものから順に詰めていき、隙間に小さいものをはめ込んでいく。パズルゲームがあまり得意でないため、もうちょっとテトリスを幼少期からやっておくべきだった。

 大学の友人たちがDiscordに集まっていたため、のぞいてみる。オンライン麻雀をやっていたが、さすがに遠慮して通話だけ参加した。間に合う・間に合わないをくるくると回転させながら深夜1時過ぎまでおしゃべりをする。その間も荷造りはもちろん続けていた。

 通話が終わり、再び一人になる。ニューヨーク(芸人)のYoutubeチャンネルの動画をいくつかラジオ替わりに流しながら食器類を梱包する。残り1日で8割方荷造りを終えていたはずなのに、残りの2割がとんでもなく長い。実は4割ほどあったのではないだろうか。

 夜が少しずつ明けていき、日本海側特有の曇った朝が現れる。段ボールは足りなくなり、引っ越し業者が来た時にもらえないか聞くことを決意した。

 荷造りをほぼ終え、引っ越しで出たごみを収集所に出すころには、7時50分になっていた。引っ越し当日が燃えるゴミの日だったのは運が非常に良かった。

 15分後に引っ越し業者が来て、私の家にあった荷物をトラックの中に詰め込んでいく。段ボールも中古のものをもらうことができた。荷物が消えると、つい最近まであったはずの生活感はもうない。

 その後も部屋の掃除を一生懸命行いつつ、新しい家での手続きを進めた。徹夜になったため、記憶が10~15分ほど飛ぶ時間が何回が発生した。大学生の頃は徹夜を何回もしたことがあるが、今は7時間寝ないと体に精神が定着しない感じがする。

 

 精神をどうにか体にくくりつけながら、昼にラーメンを食べ、夕方に退去の立ち合いを済ませ、ホテルへ向かった。夜ご飯をどこで食べたのか全く記憶がない。父親宛てにアンテナショップで日本酒を買ったことだけは覚えている。

 その後は友人とオンラインで麻雀を打ち、通販番組をちょっとだけ見た。ビジネスホテルだと通販番組をBSのチャンネルで延々と見ることができてうれしい。通販番組やウェザーニュース、環境映像は、感情を刺激しないのでダラダラと流しておくのに非常に適している。

 日付が変わり、明日も早かったので寝ることにした。よく聴いている就寝用の音楽を流す。

 

 

 テレビをつけっぱなしにしている感覚が味わえるので、重宝している。いつもなら数曲聴いて眠りにつくのだが、徹夜をしたせいか、1曲目の途中で記憶が途切れた。

髪をまかせる

11月29日(日)

 引っ越しをするということは、その土地で付き合いのあった人との関係にいったん区切りをつけることでもある。強弱はあれど繋がっていたという事実だけは確かな関係の中に、いつも髪を切ってくれた美容師の方がいる。

 引っ越しをしてくると困ることの一つに、美容室がある。評判などを調べつつ、相性の良いところを見つけなければならない。考えているうちにどんどん髪は伸びていき、視界を少しずつ黒い線で埋め尽くしていく。

 会社の同僚に話をしたところ、普段行っているお店の美容師を紹介してくれた。美容師の方を仮にSさんとしておこう。今回はイニシャルをSにしているが、何を入れても構わない。読んでいる人が好きなアルファベットを入れてほしい。

 紹介してもらい、1回髪を切ってもらってから、髪を切る/切られるという関係が3年ほど続くことになった。

 私は癖毛で、湿気の多い時期だと髪をセットしてもすぐに甲斐がなくなってしまうのだが、そういった癖に合わせたカットをしていただいた。途中からはストレートパーマをかけるようになったのだが、その際は不自然にまっすぐにならないようにしていただいた。二十数年髪の毛と共に生きている私ですら、自分の髪がどういう癖なのか分かりきっていないのに、他人の髪をその人に合った切り方をしていくのは結構なプレッシャーなのではと思う。 

 

 また、音楽の話をちょくちょくさせていただいた。良さそうなアーティストも教えてもらったし、知っているけどちゃんと聴いたことのないアーティストについて話していただいた。CDやDVDをお借りしたこともあった。

www.youtube.com

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 Youtubeなどで聴いたことの無い曲を探していると、どうしても私向けにカスタマイズされていき、観測できる範囲が狭まってしまう。人からおすすめのアーティストやアルバム、曲を教えてもらうと、観測範囲では出会えないものと遭遇できることがある。一人ひとり違った音楽のルーツを持っていて、違った音楽の積み重ね方をする。これは本や映画など、様々な文化でも同じことが言えるだろう。

 小学生の頃、近くにいろんな物事を知っている5歳ほど年上の先輩がいて、格好良さを感じたことを薄く覚えているが、同じような感覚なのだと思う。今思い返すと小学生の時、先輩という言葉を使っていなかった気がする。どんな言葉を代用していたのだろう。

 

 引っ越す直前に髪を切っていただき、いくつかの会話を交わし、最後に握手をした。握手もコミュニケーションであり、そこから私たちは何かを推し量る。大抵は都合のいい解釈であるが、そういうときくらい都合良く解釈をしてもいいんじゃないだろうか。

 

 一般的にはここで関係が途切れるものだが、私もSさんもTwitterをやっていて相互フォローであるため、生存確認をすることができる。数少ないTwitterのいいところだと思う。

【短歌の感想】潮の目が大好きだから潮の目を追いかけながら釣りをするんで、(釣りをするんで 、) /谷川由里子

潮の目が大好きだから潮の目を追いかけながら釣りをするんで、(釣りをするんで
、)

/谷川由里子『ラベンダー・サンダー 』

https://utatopolska.com/entry/tanka-lavenderthunder/(2021.1.20閲覧)

 

 上から順番に読んでいって最初に立ち止まるのは、釣りが大好きだから潮の目を追いかけるのではなく、<潮の目が大好き>だから<潮の目を追いかけながら釣りをする>というところだ。

 潮の目は異なる潮の流れがぶつかり合う場所で、魚が獲れやすいらしい。釣り人にとっても恰好のポイントなのだろう。釣りが好きで色々調べていった結果、潮の目という概念を知り魚を多く釣るために潮の目を追いかけるようになった。という順序ならあまり引っかかりはない。

 しかし、主体にはまず<潮の目が大好き>という前提がある。大好きな潮の目を追いかけるほうがメインで、釣りをするのはサブになっている。手段と目的が逆転しているのだ。

 立ち止まるポイントはもう一つある。それは、57577の後に入ってくる<(釣りをするんで、)>である。水面の波紋のように、短歌が終わった後も<(釣りをするんで、)>が広がっていくように思える。そういった気持ちになるのは、読点を含めたリフレインであるからだと思う。<釣りをするんで、(釣りをするんで、)>の後も、

 

((釣りをするんで、))(((釣りをするんで、)))

 

のように、外の丸括弧を増やしながら続いていきそうだ。

 丸括弧がついていることによって、同じ形でリフレインする場合よりも輪郭が淡くなっていく/声が小さくなっていく感覚を覚える。

 この歌を読んだ後も、まだ私の中で<釣りをするんで、>が残っている。