お元気ですか?
「文章武装」が致命的に下手くそでないか心配になる。時々「理論武装」という言葉が使われることがある。理論武装は理論で対抗するものであり、感情的であると理論武装は空中で爆発する。個人的には、世の中に真の「理論武装」ができる人間はほとんどいないはずだと思っている。
そのかわり、「文章武装」というものをみんなが行うようになった気がする。これは文章で自分を強く見せようとする行為であり、理論的でなくても構わない。直接的であればあるほど見た目は強くなるし、主語が特定できるかできないかの境界線をいくほど不特定多数に刺さる。文章武装が上手い人は、トゲが見えないように工夫して行う。一般的に、文章武装をしている人間には近づきたくないためだ。トゲが見えない文章武装を行える人は、自分の溜飲は下がるし、相手はトゲに気が付かないため、不快感や警戒心をもつことがない。まさにwin-winである。
文章武装は誰でも行う事なので、その行為自体を止めろと言うことは不可能である。しかし、あまりに主語を特定可能ギリギリを狙うような行為は不特定多数に不快感を与えるし、あまりに直接的だと文章が下手くそだと思われる。自分は文章武装が下手くそでないか、その都度確認しないといけないなと書いている間にも自分の周りを文章と言う鎧で固めていて、どんどん身動きがとりづらくなっている。
重めの話はやめにする。今は茹で・煮込み鶏がマイブームだ。
鶏があるだけで、夕飯のローテを組むことができる。麺つゆで煮込めば間違えは無いし、今日はミートソースと絡めることによって勝利してしまった。
茹で・煮込み鶏 13勝3敗 防御率2.03
これくらいの安定感が鶏肉にはある。他の肉と比べて安く、それでいておいしい鶏肉は偉大である。そろそろ鶏肉が宗教と成り得る時代が来るのではないか。社会不安で信じられるものは鶏肉の美味しさだけ、鶏肉様は自らの体で我々を救ってくださる。鶏肉の元で修行するぞ、などと書くといささか不謹慎なので鶏肉の話はここまでにする。
短歌の習作である。
・世の中のパスタ以外を食べられるパスタ以外屋見つかりません
・待ち合わせ時計の針を眺めては流れる缶の汗を止めてよ
・モニターを見るたび思う輪郭に口の形を持っているねと
もっと頑張らなくてはと思う(何に対して?)(誰と比べて?)