コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

現代の「シュール」を定義する

 私の趣味の1つとして、シュールとは何か考える事が挙げられる。

 1年ほど前、シュールについてブログで言及した。

komugikokomeko.hatenablog.com

 1年間は人生の中だと大した変化もないように感じるが、思考という側面から考えると、かなり変化している。私は他のものからの影響をかなり受けやすい性格なので、本や記事を読むだけで思考が変化してしまう。これは文体にも言えることで、読んで感銘を受けた小説と次に書く文体が似てしまうことがしばしばある。同じような文体を目指すのであれば、感銘を受けた小説が1番良いものになってしまうので、できるのは劣化版になってしまう。文体や個性を確立させるのはかなり難しい。

 シュールに関しても、1年間で考え方がある程度変化した。今回は2016年9月現在の、私のシュールに関する考え方を書いていく事にする。たぶん来年、同じようなテーマでブログを書くと、かなり違ったものになると思う。

 

 まず、シュールの由来である、シュルレアリスムについて簡単に説明しておく。シュルレアリスムは、1924年アンドレ・ブルトンという人物が『シュルレアリスム宣言』において定義している。

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 以下に『シュルレアリスム宣言』からシュルレアリスムの定義を引用しておく。

 

「心の純粋な自動現象であり、それにもとづいて口述、記述、その他あらゆる方法を用いつつ、思考の実際上の働きを表現しようとくわだてる。理性によって行使されるどんな統制もなく、美学上ないし道徳上のどんな気づかいからもはなれた思考の書きとり」

 

 理性や常識、規則によって抑圧された心の内部(無意識と置きかえていいのかもしれない)を表現しようとするのがシュルレアリスムである。

 対して、シュールはどういう意味なのだろうか。三省堂辞書サイトの『10分で分かる「シュール」』を引用する。

 

「超現実的な、不条理な、奇抜な、難解な様子」

 

 では、超現実的とはどういう意味なのか、調べてみると「シュルレアリスム」について多数ヒットした。これだと、シュルレアリスム」とシュールは同じように見える。しかし、根本的な所でシュルレアリスムとシュールは違う。シュルレアリスムは能動的で、シュールは受動的だ。

 シュルレアリスムは思想活動や芸術運動の一種である。心の内部を理性などから解き放ち、表現しようとする試み、いわば一種の実験だ。

 対するシュールは評価である。漫画やコントを「シュールな笑い」などと評する場面は多く見られる。

 シュルレアリスムアンドレ・ブルトンなどが起こした運動と活動であり、能動的な意味をもつ言葉である。しかしシュールは他の人からの評価として与えられる場合が多く、作り手からすれば受動的な意味をもつ言葉である。あまり自らの持ち味をシュールという人はいないように思われる。

 私は、シュールという言葉を、シュルレアリスムの延長線上にとらえることは混乱を生じさせる原因になるのではないかと考える。

 

 では、シュールとはどういう意味なのか、三省堂辞書サイトも定義を載せているが、私も定義してみたいと思う。

 

「シュールとは、受け手の理解、常識を超えていること」

 

 今の使われ方に合わせるとこういう定義になるのではと思う。

 辞書サイトのように超現実という言葉を使ってしまうと、あくまで現実の延長線上であることを念頭に入れなければならない。コントの場合、動くのは基本的に作り手自身なので、どんな設定にしても現実の延長線上になる。人間の行動には限界があるからだ。

 しかし、漫画の場合動くのはキャラクターだ。行動に限界はないし、設定もコント以上に自由自在だ。例えば、地獄を舞台にしたギャグ漫画があった場合、それはもう現実的の延長線上にあるものではなくなる。そうなると超現実的という言葉を使うのは適切でない。

 そこで、現実という言葉を無視する。もともとシュール(シュル)という言葉だけでは「超える」という意味しかないのでこちらのほうが適切だと思う。受け手の理解や常識を超えている時にシュールと言えばいいのだ。この定義にすれば、地獄を舞台にしたギャグ漫画を読む前に、「地獄という舞台だから、ギャグ漫画ってことはないだろう」「地獄を舞台にした漫画ってグロそう」と思って読み、受け手の理解や常識を超えている時に心置きなくシュールと叫ぶことができる。

 

 私自身は、何かに対して感想・評価を述べる時にシュールという言葉を使いたくない。他にもっと良い言い方があるのではないかと思うからだ。しかし、シュールという言葉はあまりにも世間に浸透しすぎている。コントや漫画がちょっと変な設定だととたんにシュール、ネット上にも「シュールな画像」という単語がそこかしこに存在する。シュールの使用消極派の私も、いつ感想・評価を述べる言葉が思い浮かばず、シュールといってしまうかもわからない。シュールという言葉をシュールという単語に折り合いをつけるために今回、せめて定義だけはしっかりさせたいとおもい、この記事を書いた。シュールということばをこれからもできるだけ使わないようにするために、様々な知識を吸収し、理解や常識の範囲を広げていきたいと私は思う。

 

追伸

 いつ頃からシュールという言葉が使われ始めたのか、私は気になっています。しかし、探し方が悪いのかそのことについて言及されている本や論文を見たことがありません。Wikipediaには、「1970年代前後に「シュール」が日本の広告媒体で頻繁に使用された例がある」と書かれていますが、例が見つかりません。シュールの使用時期について書かれた記事・本・論文を知っている方は、何らかの方法でご一報いただければ幸いです。よろしくお願いします。