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備忘録と不備忘録を行ったり来たり

ネットスラングは外国語

 

 インターネット世界が発展してかなりの時間が経つ。ほんの10年前くらいまではインターネット世界は別の星のようなもので、現実世界とは切り離されたものだという雰囲気を帯びていたが、今ではインターネットと現実は同じ星にある2つの国、もしくはそれ以上までに近づいている。
 インターネット由来の言葉も増えた。いわゆるネットスラングというものである。ネットスラングを見てみたい方はツアーの参加方法について教えよう。どれでもいいから適当にまとめサイトを見るだけで参加できる。ものの5分しないうちにネットスラングが見つかるはずだ。
 ネットスラングは、現実とネットが近づくにつれ、現実世界へ輸入されるようになった。中には、「リア充」や「DQN」、「ググる」など、内包している意味をピッタリ言い表わす言葉が今まで存在していなかったために、急速に現実で普及していったネットスラングも存在する。三種の神器並みの急激な普及速度である。
 ネットスラングは確かに日本語の工夫の賜物でもあるし、前からあった言葉よりネットスラングを使った方が言い表すのが簡単な出来事、状況も存在する。しかし、ネットスラングは必ずしも現実に適応できるものばかりなのかという疑問はある。今回はネットスラングについて考えていく事にする。

 

 そもそも、スラングとはどういう意味なのだろうか。それこそ「ググれカス」といった返答が当てはまる状況なのだが、ざっと書いていくことにする。
 「スラング」とは、「ある階層・社会だけで用いる言葉。卑語。俗語」を意味する。つまり、「ネットスラング」とは「ネットだけで用いられる言葉」と言い換えてもいいだろう。一部でしか使われない言葉は他にも多種多様に存在する。例えば、「フル単(履修した講義の単位をすべて取得する事)」は大学という場所でしか基本的に使われない言葉である。
 スラングはもともとある特定の土壌でしか生きることのできないものである。そのため、スラングを普段の生活で使おうとしても、日常という土壌と合わず枯れてしまうものや、そもそも使用する状況が限られているため、日常に植えようと思わないことも多くあるだろう。
 しかし、インターネットの急速な普及により、現実の土壌改良が成功することになった。インターネットと現実が混合した土壌になったのだ。インターネットが別世界のものではなく、身近なものになったためだろう。これにより、ネットスラングは現実に流れていくことになる。
 さっきから現実という言葉を使っているが、ここで1つ考えておきたいことがある。現実は誰にとっての現実なのか。現実という単語で人々の日常ををひとくくりにしていいのだろうか。
 ひとくくりに出来るはずなどない。人間1人につき、1つの現実が存在するのだ。コピーのように寸分違わない現実など存在しない。つまり、ネットスラングが現実で普及し始めたのは、あくまで「個人がネットスラングを受け入れたパターンが多数あっただけ」であって、社会で普及したわけではないという事だ。
 その証拠に普段の会話でネットスラングは多少使われているかもしれないが、他ではあまり使われることはない。また、インターネット文化に詳しくない人間や、インターネット文化からは距離を置いている人間に対しては使うことができない。
 Aというスラングは、ネットという国でしか使われていない言葉であり、言葉を知らない人にAの話をしてもちんぷんかんぷんだということである。
 当たり前のことを言っているように見える。正解である。しかし、この当たり前を認識できない例が多数存在するから厄介なのだ。

 

 例えば、こんな場面に出くわしたことはないだろうか。現実内でネットスラングを使っている人の話を聞いて、怪訝な雰囲気になったり、自分自身が使ったことにより怪訝な雰囲気にしてしまったことが。
 何回も言うが、ネットスラングはネットだけで用いられる言葉である。しかもインターネットの文化は様々で、人口の少ないコミュニティのみで使われているスラングもある。そういったものをいきなり現実で使ってもただただ変な目で見られるだけなのだ。
 ネットスラングがどこかの媒体で紹介され、ある程度認知度が高まったところで本来使うべきである。通常の会話をする場合、ネットスラングはかなり知名度が高まっているものか、会話相手がネットスラングを多く知っていて、かつ理解を示しているという状況でない限り、使わないのが懸命である。外国語を使っても理解はされないからだ。
 もっと厄介なパターンも存在する。ネットスラングをユーモアの手段としている場合である。元々特定のコミュニティでしか通用しない笑いを私たちは理解できるだろうか。理解できるはずがない。例えばアフリカの少数民族内で流行っているジョークを私たちが聞いたところで、あまり面白さを覚えないだろう。民族の文化、環境、社会が基盤となっているためである。
 ジェスチャーを使った笑いならともかく、ネットという国でのみ使われている言語を使った笑いなど、普通なら理解できない。この事をしっかりと頭に叩き込む必要がある。なんなら覚えるまで自分自身の頭を殴っても構わない。

 
 ネットを介して、様々な言葉が生み出されているという事実は、言語の可能性が感じられるし、単語によっては感心するものも存在する。しかし、ネットと日常生活は基本的に別物であると考えたほうが良い。一緒くたにしてしまうと、どちらかに支障をきたしかねない。
 日常でネットスラングを使いたい場合は、考えてから使用することを徹底したほうが良いだろう。特にネットスラングを交えたユーモアなら尚更だ。誰かが使っていて、受け入れられているなら使ってもいいかもしれない。しかし、その場では誰も何も言わなくても、後で「何を言っているんだあいつは」と言われているかもしれないので、日常生活ではネットスラングは使わないほうが得策だろう。
 最後にもう1つ、適当に転がっていたネットスラングを使う場合は元ネタを調べてから使った方がいいだろう。知らないうちにレッテルを張られているかもしれない。知らなくて使っていても、傍から見たらそういうコミュニティが好きな人に見えるし、見られても何も文句は言えない。ネットスラングは他の国の言葉であるという感覚を常にもっている必要がある。