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【印象に残った短歌】どこまでが夢で、あそこまでの梅、ここから桜。さくらがきれい。/山中千瀬

どこまでが夢で、あそこまでの梅、ここから桜。さくらがきれい。

/山中千瀬『さかなのぼうけん パート2』(『率 8号』、2015.5.4)

 

 夢と現実、そしてその狭間を想像させてくれる歌だと思う。

 まず<どこまでが夢で、>で夢の存在と、現実の存在、そしてそれら2つの狭間の存在が暗示されている。<あそこまでの梅>で主体に見えているある一定の範囲まで梅が咲いていることが分かる。

 そして<ここから桜。>で梅と桜の境界が現れる。どちらも同じ春の花で、色合いも似ているが、ここではくっきりと違ったものとして提示される。今まで読点だったのが句点に変わるところも、ここで何かが変化したことを思い浮かばせる。

 最後の<さくらがきれい。>であるが、桜の表記がひらがなに変わっているところはかなり重要で、桜という様々な意味や象徴を持った花が、ひらがなになることで少しぼかされるように思えた。そのぼけ方が夢か現実か判然としない空間と合わさって、意味や象徴としての桜のイメージは淡くなり、目の前に見えている光景がきれいだということだけがわたしの心には残る。

 

 この歌は<どこまでが夢で、><あそこまでの梅、><ここから桜。><さくらがきれい。>という4つのフレーズに分けることができるが、57577に即して読むと<どこまでが/夢で、あそこ/までの梅、/ここから桜。/さくらがきれい。>という形になる。

 フレーズと読む際のリズムに差異があるのだが、下句になるとフレーズとリズムが一致する。ポリリズムの曲を聴いているときの、2つのリズムが一致したときの気持ちよさのようなものが、この歌にはあると思う。