コムギココメコ

備忘録と不備忘録を行ったり来たり

【好きな短歌⑤】公園のふたりは黙る しゃべるより芝生のほうがおもしろいから/斉藤斎藤

公園のふたりは黙る しゃべるより芝生のほうがおもしろいから

斉藤斎藤比例区は心の花』(斉藤斎藤『人の道、死ぬと町』収録)

 

 誰かといる時に話が盛り上がるという状況は、相手と話している状態が心地よいと言える。2人の関係は友人なのかもしれないし、恋人、同僚、大学の先輩後輩、先生と生徒、いくらでもカテゴライズできる。

 対して、黙っている状態に関しては気まずさを感じてしまう場合が多い。初対面の人と会った時に、共通の会話が特に思いつかず、ただただ黙って状況を打破してくれそうな人や出来事の登場を待ち続ける。中にはそういった沈黙に耐え切れず、どうにかこうにか会話を繋いでいこうと、持っている手札をやりくりしながら話し続ける人もいるだろう。

 では、歌の中に出てくる『ふたり』は気まずい関係なのだろうか。個人的には違うと思う。気まずさを感じるほど、まだ構築されていない関係であるのなら、ふたりで公園には行かないのではないだろうか(何人かで公園に行って、トイレなどに行ってしまった結果、残されたのがふたりだったという可能性は考えられなくはないが、この文章では考慮しないことにする)。

 気まずさではないのなら、どういう関係なのだろうか。ここで考えられるのは、黙っていても場が保たれるほどの信頼ができている関係、喋らなくても良い関係である。

 喋るという行為は、場を保つ効果がある。黙った途端に場は停滞する。しかし、その停滞に関して気まずさを感じないほどの信頼感がこの歌の『ふたり』の中で構築されていると、個人的には解釈したい。

 黙るふたりのうち、主体の心は芝生に向いている。芝生がおもしろいとはどういう状態なのだろう。芝生のディテールに何か興味をそそられるものがあるのかもしれないし、芝生から自分の想像がスタートしていって、想像された何かがおもしろくなっているのかもしれない。そのおもしろさが頭の中にあるとき、相手の存在は隅におかれる。『芝生』のほうがあなたと『しゃべる』よりおもしろいとしても、崩れることのない関係は、かなり理想的な関係なのではないだろうか。

 ふたりが『黙る』ことに関して、『気まずい』と解釈するか、『信頼し合っている』と解釈するかで、この歌の読みはかなり変わってきそうだが、私は後者の解釈が好きである。

 

 ここからは歌と直接的な関係はないが、この沈黙していても崩れることの無い関係について、風見2さんという方が漫画にしているので、最後に紹介してこの文章を終わりにしたい。

 

 

 

 

 

 

 

紅茶とコーヒーがコンビを組んだら、どういう漫才をするのだろうか

 朝起きて意識がはっきりしてきてから、ドスドスという音が時々聞こえることに気が付く。考えられたのは誰かが跳ねまわっているのか、ぶつかり稽古でもしているのか、それとも誰かが私の家に侵入しているのかの3択で、最後の選択肢だった場合、ネズミならまだしも(ネズミでも十分嫌だが)人間だった場合、死ぬ確率はグッと高まる。嫌だなと思いつつ、トイレへ向かおうとすると廊下が異様なほど寒い。そこで第4の選択肢が出てくる。雪がある程度積もって、それがどこかに落ちる音だ。

 外を開けてみると雪が薄っすら積もっていた。約半年ぶりだ。普段新潟と言う場所に住んでいるので、以前住んでいた関東に比べると雪が降り始めるのが早い。

 雪が降ると、なぜだか外に出たくなるのは私の前世が犬だったからかもしれない。のんびりと支度をして、外へ出てみる。地面にはほとんど雪はなく、景色を一部分だけ切り取れば十分雨が降った後だと偽ることができそうだ。

 電車を使って、賑わっている方へ向かう。スーツをあまり持っていないので、買いに行くことを決意する。持っているスーツを変わるがわる来ているのだが、甲子園だったら批判が出ているほどの過密なローテーションになっている。

 自分に似合うスーツが全く分からないため、店員さんにこれこれこういう色のスーツを持っていて、こういう人を相手にした労働をしていますと伝え、アドバイスを貰いながら決めていく。社会ではスーツを着ることによって、労働をしていますよ感を出すのだが、感を出すのに数万円をかけなければいけないのはなかなか厳しいものがある。

 スーツをなんとか購入し、家電量販店に向かう。様々なものが売っていて楽しい。家のノートパソコンがもうボロボロで、持ち運んだ瞬間画面とキーボードが真っ二つになりそうだったので何か良いパソコンが無いかブラブラしてみたが、あまり収穫が無かった。照明コーナーを見るたびに、あの角度で照明がある家は1つも無いなと思う。

 家電量販店を出た後、店先に猫のおもちゃがぶら下げられているのに気がついた。上から糸で吊り下げられていて、くるくると回っている。触るとどうやら鳴き声を発するらしい。人が猫のおもちゃに触る。鳴き声を発しながら猫がクルクルと回る。どこかの部族の儀式みたいで、なんだか不気味だった。

 その後はカフェに行き、本を読んだり、提出する短歌を作ったりした。入ったカフェには紅茶コーヒーというものがあり、注文してみることにする。出てきたものを飲んでみると、コーヒーと紅茶が走って向かってくるような感覚に襲われ、どっちつかずの味に脳が混乱してしまう。「どうもー!!」と言いながら、センターマイクに向かっていくコーヒーと紅茶。コーヒーと紅茶はどういった漫才をするのだろうか。しゃべくり漫才? 間をたっぷり使った漫才? コントチックな漫才? 皆さんも是非考えてみてください。

 

第27回文学フリマ東京に参加するまで、参加、参加して

 毎年1回もしくは2回、インド料理を食べる機会がある。なぜかというと、文学フリマ東京に参加しているからだ。

 

 11月25日(日)に、第27回文学フリマ東京が行われた。過去最多のサークルが出店したとのことだった。今回は、第27回文学フリマに参加するまで、参加している時、参加した後という流れでレポートを書いていきたい。

 

 話は去年秋に行われた第25回文学フリマ東京までさかのぼる。大学時代の友人たちと『メゾン文芸部』というサークルを作り、本を頒布した。初めてサークル側として参加し、本も無事出せたという達成感もあったが、準備不足を露呈し、課題も多く残った。来年もまた合同で小説本を作ろうという話になり、その日から第27回文学フリマが始まった。

 始まったのだが、半年ほどは特に何も起こらず、5月下旬ごろに出店料を払うことになった。出店料を払うと、途端にカウントダウンのスピードが速まったような気になった。

 そこから数か月は特に進展はなく、私は短歌を中心に細々と活動しつつ、資格試験の勉強をしていた。他のメンバーがどういった日々を送ったのかは詳しくは分からないが、まあ生活していたのだろう。

 夏が始まり、うだるような季節が一生続くのではと心配し、やがてその暑さも落ち着き、資格試験も落ち着いた10月中旬、ようやく小説本の話が進みだした。とりあえず進捗の話をしたが、完成している人はいなかった。進捗という言葉を発すると、途端にLINEには三点リーダーが増える、どういった相関関係があるのだろうか。

 私も10月に入ってから、小説について考え始めた。同時に頒布予定の短歌冊子については、今年作った連作がいくつかあるし、構成も大体思いついていた。しかし、小説に関してはあまり思いつかなかった。

 色々考えた末に、以前ブログに投稿した架空のバンド紹介が、中身としては中途半端なものになっていたため、大幅に増補していくことにした。架空のバンド紹介は小説と言えるのだろうか。皆さんもおうちに帰ったら、家族と架空のバンド紹介は小説にあたるかどうか話し合ってみましょう。

 1年近く小説を書いていなかったため、リハビリとして掌編小説を書いてみることにした。脳内のIKKOが叫ぶことによる主人公の苦労を描いた『私の頭の中のIKKO』というものである。以下にリンクを貼っておくので、夜ご飯を食べた後、次の行動に移すには少し休みたいなと感じた時に是非読んでほしい。丁度いい分量なので。

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 11月に入り、焦燥感を全身に浴びながら小説を書き進めた。日程自体は苦しかったが、書いている時はとても楽しかった。IKKOの小説を書いている時も楽しかった。書いていて楽しいかどうかはかなり重要視していて、3分の1書いてみてあまり自分の中で面白くなかったらやめてしまうことが多い。

 短歌を同時並行で進めつつ、先に出来上がった人の小説の校正を行う。校正が得意な友人がいてかなり助かる。スケジュールのミスとして、貴重な締め切り直前の休日に、野球をやって用水路にボールを放り込んでしまうハプニングもあった。

 何とか小説の校正も終わり、組版を急いで済ませる。初めて参加した去年はゼロからのスタートだったため、昼過ぎに作業を初めて、何とか区切りがつくのが深夜の4時ごろという地獄みたいな時間を過ごす羽目になったが、今回は多少なりとも経験値があったため、毎日6時間睡眠を確保できた。設定した締め切りから大幅に遅れる人がいなかったことも功を奏した。去年は提出状況があまり芳しくなく、修羅になってしまい、修羅の状態でバスに乗ったりもした。心は穏やかなほうが良い。

 組版や表紙の作成が終わり、どうにかこうにか印刷会社にデータを入稿できた。入金も忘れずに行った。同人誌や個人冊子を作成する際に一番重要なポイントは、お金を払い忘れないことである。

 生活を繰り返していくうちに、3連休になった。

 1日目の金曜日は、渋谷の東急ハンズで必要物品を買い揃えるところから始まった。去年は何が必要かいまいち把握しておらず、使い勝手があまり良くないもので挑んでしまった。定期的に文学フリマにサークル参加をしようと考えている人は、使い勝手(持ち運びやすさと言い換えることもできる)が良いものを選んだほうが後々苦労せずに済むだろう。

 渋谷の東急ハンズは品ぞろえが豊富なのだが、同じ階にあっても高低差がやや激しい。ひーこらはーこら言いながら売り場を行き来して、物品を揃える。そういえば、レジの近くに応援うちわ(ライブなどで出てるアーティストやアイドルの名前が書いてあるうちわ)の例として、「斬って!」と言うものがあったが、死への欲求がカジュアルすぎてビックリしてしまった。

 物品を買いそろえた後は、いったん休憩しようという話になり、カフェに行くことを試みた。しかし、3連休の渋谷は人だかりというにはあまりにも人が多すぎた。多く、苦しく、狭く、そして大盛況過ぎた。それは正にごった煮だった。カフェと言うカフェが満席で、渋谷をひたすら歩いたが、なかなか座る場所が無かった。もうはなまるうどんでも良いのではいう話が出てきたが、コーヒーやジュースを飲もうとしている人間は、妥協してうどんを食べないのでカフェ探しを続行した。それでも見つからず、ファミレスならどうだと思って入ったサイゼリヤで、空席は発見された。サイゼリヤ最高、一番好きなサイです。

 かれこれ一時間近く彷徨い歩いていたらしく、体力の回復に予想以上の時間を費やした。なんとか落ち着いたので、ポスターをコピーするためにキンコーズに向かった。

 初めて利用したが、コピーやラミネートもできるし、パソコンの貸し出しも行っている。また、文房具も貸してくれるので結構使い勝手が良かった。途中でお腹を下してしまい、キンコーズ内にトイレが無かったためダッシュで通りを駆け抜けたこと以外は予定通り作業が進んだ。

 その後は当日売り子として参加してくれる友人の家に泊まった。

 

 2日目は起きると昼で、そのまま友人とつけ麺を食べに行った。前回大盛を食べたので今回も大盛を食べたが、結構厳しい戦いになってしまう。どのサイズを食べたかはぼんやり思い出せても、食べ終わった後どれくらいお腹がいっぱいだったかは思い出せなかったから、毎回同じような失敗を繰り返すという友人の主張は、的確だと思った。

 その後はお腹を落ち着かせるためにあえて遠回りして渋谷に向かい、ガルマン歌会の会場になっているカフェミヤマへ向かった。少し早く着いてしまったので、近くにある無印用品で時間を潰す。無印に売っていそうな商品がそのまま売っていた。

 時間になったのでカフェミヤマに入り、詠草を受け取る。今年はいくつかの歌会に参加させていただいたが、ガルマン歌会が一番緊張する。オレンジジュースを飲む手が震えていたり、胃が痛くなったりした。

 歌会が始まると、震えはおさまった。評がどんどん出てくる。自分も少し発言をしたのだが、なかなか上手いこと読めていない部分も多い。自分は特に詩的な飛躍や文字からは直接発せられていないものを読み取るのがまだ下手だと感じた。歌に関しては、結構情報や内容を詰め込みすぎてしまうきらいがあるのだが、今回もそこを指摘された。今後も考えていきたい。

 3時間ほどで歌会が終わり、懇親会が行われるベトナム料理店へと向かった。前回は電車の都合で20分ほどしかいられなかったが、今回は最後までいることができた。相変わらずじゃがいも料理は美味しかったし、パクチーはあまり得意ではないらしい。色々な短歌の話が聞けて面白かった。

 その後は宿泊先のホテルに行き、ひたすら通販番組を見た後、深夜3時前に眠りについた。基本的にビジネスホテルなどに泊まるときは、通販番組かウェザーニュースを見ていることが多い。特にウェザーニュースは聴き流せるBGMとしてかなり優秀だと思う。

 

 3日目、いよいよ文学フリマ当日である。前回は当日になって色々足りないものが判明したのでかなり焦っていたが、今回は事前準備をしっかり行っていたため、特に慌てることもなかった。10時に入場し、時間内に準備を終わらせることができた。ブースレイアウトも去年より向上していた。一つ心残りがあるとすれば、キャッチコピーとあらすじが書かれた紙をリングなどでまとめて、手に取りやすい形で置けばよかったなと感じた。

 最初の1時間ほどは店番をしていたが、その後はちょくちょく欲しい本を買いにいった。基本的には短歌の本を多く購入した。

 短歌関連で言えば、私は7月あたりに石井僚一短歌賞に15首連作を応募していて、それの結果が本でまとめられていた。私は1次選考を通過していたため、名前とタイトルだけは最初のページに載っていた。最初は「おおっ!」となったが、時間の経過とともに悔しさが増してきて、時系列としては飛ぶが、帰りの新幹線の中でずっと悔しさが渦巻いていた。

 時系列を元に戻す。時系列を元に戻すというだけで元に戻るのだから、文章はある程度まで都合良く動いてくれる。時々小説や短歌冊子が売れるのを眺めながら、友人ととりとめのない話をしていた。

 13時頃に人員が増えたため、昼ご飯を食べることにした。バターチキンカレーとタピオカドリンク(チャイ)を購入し、休憩スペースで食べた。バターチキンカレーを食べると「インドだなー」としみじみ思うが、私は1回もインドに行ったことが無いため、感じているのは架空のインドである。このくだり、毎回やっている気がする。

 午後になると、大体お目当ての冊子や本も買い終わり、ひたすらとりとめのない会話をしていた。あるいは5文字以上の単語縛りでしりとりをした。私はしりとりが強いので5文字以上のしりとりで勝つコツを教えます。人名を使うことです。

 ぽつぽつと私たちのサークルの本を購入してくれる方がいて、かなりありがたさを感じた。私が不在の時に、そこそこの時間悩んで、購入してくれた方がいたらしい。「普段どんな小説を書いているんですか?」と聞かれたらしいが、最初にかけ算とアルバムレビューを組み合わせた小説(?)が入っているため、そう聞かれてしまうのも無理はないと思う。私は去年、遺灰を投げる大会に打ち込んでいく男の話を書きました。

 あっと言う間に午後は過ぎていき、少し早めに後片付けをして私たちの文学フリマは終了した。その後は当日参加したメンバーで中華料理を食べに行った。私はゴマ団子を見つけるとハチャメチャに食べる習性があるのだが、それが原因で以前お腹を崩壊させてしまったので今回は抑えめにした。学習能力がある。

 その後は今後の話をして、新潟へ戻った。かなり疲れていたのと、様々な思考が渦巻いていたため、電車を乗り間違えてしまい、もう少しで詰む(地方は都会より終電で詰むとどうにもならない)ところだった。

 

 今回会場で売れた冊数は、小説が6冊、短歌(新刊)が7冊、短歌(既刊)が3冊だった。小説は伸長したが、短歌は販売冊数が下がってしまった。外に放流してこそ冊子なので、少し悔しい結果である。小説は半年以上書いていなかったし、短歌もあまり外に出す機会が無かった。出さなければ気づかれない。生活も落ち着いてきたので、少しずつ外に出す量を増やしていきたい。

 それ以上に悔しかったのが石井僚一短歌賞で、寺井龍哉さんに私の連作を8位にしていただいたが、選考会で連作が話題に挙がるためにはあと順位を3つ上げる必要があったし、5番は1番ではない。短歌に勝ち負けや順位という概念はあまり似合わないのかもしれないが、私は町一番の負けず嫌いなので、悔しいものは悔しい。M-1グランプリ後の反省会で、ゆにばーすの川瀬名人が「自分を殺したい」と発言していて、なぜだかこっちが泣きそうになってしまったのだが、それと同系統の感情として、後で見返しても満足いくものを作れていない自分に腹が立ってくる。

 そう思うと、色々創作意欲は湧いてくる。やってみたいことはたくさんあるし、倒すべき自分はたくさんいる。沢山良い冊子を買ったし、それらを少しずつ読みながら、少しずつ短歌や小説を作っていければと思う。

 

 来年の秋も文学フリマ東京に参加予定である。来年はどんな冊子を出しているのだろうか。

 

 今年はこんな冊子を出しました。

合同小説集『メゾンの闇鍋』

komugikokomeko.booth.pm

『伝説のバンド、Multiplication Table』という小説(?)を書きました。かけ算九九が登場する音楽レビューです。

 

短歌冊子『だけの日だった』

komugikokomeko.booth.pm

 短歌、レポート、写真が載っています。

 

 よろしくお願いいたします。

自選十首など

 最近は文フリで出すブースの宣伝マシンになっている気がする。

 ガシャーン ガシャーン 

 文フリ宣伝ロボだよ

 自動で宣伝をしてくれるすごいやつだよ

 とりあえずやれる宣伝はやっていきたいと思う。

 

 ダメ押しのように宣伝をしておくと、2018年11月25日(日)に文学フリマ東京にて、文『メゾン文芸部』というサークルで合同小説集と短歌冊子を頒布する。

以下に情報をまとめる。

日時:11月25日(日) 11:00~17:00

場所:東京流通センター 第二展示場(東京モノレール「流通センター」駅から徒歩1分)

   ※“空港快速”は「流通センター」駅に止まらないので注意

ブース:F-47(第二展示場1階)

   ※位置は下に掲載したブース配置図を参照

サークル名:メゾン文芸部

ジャンルは短編・掌編・ショートショートだけど短歌もあるぞ!! 是非!! 

 

 

 

文フリ東京に関する詳細は公式サイトを参照してほしい。

bunfree.net

 

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 上記画像は文学フリマ公式サイトより引用した。

bunfree.net

 

 私は普段短歌や小説を作っているのだが、どういった短歌を作っているのか分からない方も多いと思うので、十首自分で選んでみた。左に進むたび、比較的新しい短歌になっている。以下の短歌を読んで、文フリの当日に私たちのブースを訪れていただけたのなら、とても嬉しい。f:id:komugikokomeko:20181121202333p:plain

 

自選十首     橙田千尋

 

喋るとき出る「あ」が丁度一〇〇〇回目俺の頭上で鳴れファンファーレ

 

君に合う学部を作りつやつやの単位を飽きるまで渡したい

 

気の利いた会話ではなく僕はただ完璧なおはようが言いたい

 

ゆっくりと空からスタッフロール降る僕らはここで終わるのだろう

 

ミラノ風ドリアの風を言うときの口で私は練習したよ

 

壇蜜は宝石型の飴玉を舐めてるらしい だけの日だった

 

炭酸の気泡、あるいは一斉に放たれる五月の徒競走

 

夕立に囲まれながら濡れ方のアンソロジーをひとつずつ目に

 

町中のシーツを干せばこの町はひとつの入道雲なのだろう

 

図書館を出たあとみんななまぬるい なまぬるいのを笑える人だ

 

好きなジャケット/文フリ(ドラムとハイハット)

 最近のことを思い出そうとするが、特に変わったことはなかったなということに気づく。道を歩いていたらどこからともなく大きいくしゃみがやってきて、その瞬間鳥がばさばさと飛び立っていったのが面白かったり、漫才でよく、手でドアを開ける真似をしてお店に入るシーンがあるけれど、ほとんどの場合店に入ったままで漫才が終わるから、お笑い芸人の大半は架空の店に入りっぱなしなのではと考えたりなど、丁寧な生活とは離れた暮らしをしている。

 コンビニのイートインスペースでおにぎりを食べている時、好きなアルバムのジャケットについて考えた。一番好きなジャケットはRaime『Quarter Turns Over A Living Line』だ。

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 地面と闇と髪の黒と、服と肌の白のコントラストと切り取られた動きが凄まじい。文字が1つも無いところも美しさを際立たせている。ちなみに、このアルバムは漆黒の中から重低音が響き渡るような音が特徴的なので、夜に聴いてみてほしい。部屋の明かりもできれば消してみてほしい。

 そんなことを考えていたが、今日の夕方辺りにRAという電子音楽やクラブミュージックを中心としたウェブサイトを見ていたら、これに匹敵するジャケットを発見した。Jlin 『Autobiography』である。

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 動きと色のコントラストがこちらも美しい。アルバムの内容は、フットワーク(アメリカ発祥のダンスミュージック)が基調となっている。こちらも重低音が強調された、暗めの音楽である。

 こういうジャケットを見ていると、文フリで頒布予定の冊子も影響されそうである。表紙にはタイトルが書かれていたほうが分かりやすいが、文字が入ると蛇足になってしまうものもある。写真やイラストが恰好いいのに、フォントが妙に俗っぽくて浮いてしまうのは勿体ないような気がする。

 今年の秋も文フリ東京で、合同小説集(友人たちと製作)と短歌冊子を頒布予定である。今年の春に出したものより良いものが作れればと思う。最近は短歌を作る際に、ハイハットやキックを歌に合うように作りこむことを心がけているが、あまり量が作れていない。小説もそろそろ作っていかないといけないが、休日をなかなか有効活用することができない。基本的に休日は午後から動き始めるので、二日休みも実際は1日しか活用できていないことになる。

 頭の中にIKKOが現れる小説を書いたので、まだ見ていない方は読んでいただければ幸いです。

 時間も無いので身近なところから掘り進めていきたい。

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怖い卓球部『スマッシュ1』

 世の中にはコンピレーションアルバムというものがある。

 割と見かけるものとしては、あるアーティストの既存の曲を再編集したアルバム(ベストアルバムも含まれるのだろうか)や、とあるレーベルに所属しているアーティストの曲を詰め込んだものが挙げられる。

 その他にも、ある一定のコンセプトを基にした楽曲を集めたものも存在する。例えば、イングランドのレーベルであるSkam Recordsには、猫の鳴き声を使ったトラックというコンセプトのもと制作されたアルバムが存在する。

 今回は、とあるコンセプトのもと製作されたアルバムを紹介したい。

 

怖い卓球部『スマッシュ1』

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 2018年リリース。怖い卓球部のファーストアルバムである。

 このアルバムのコンセプトは2つ。「15分以内にトラックを制作する」「作詞時に15秒以上手を止めない」である。キックやスネアの音1つで何日も掛ける人がいると考えると、15分は制作時間としては異例の短さである。また、15秒以上手を止めないという制約は、技巧を凝らした作詞を困難にさせる。リアルタイムに思いついた言葉をはめ込んでいくしかない。

 これだけ聞くと、完成度的にはどうなのかという話になってくるかもしれない。しかし、このアルバムは完成度という次元ははるかに超えていた。

 総勢11人がこのアルバムに参加しているが、何人かは素性が全く分かっていない。Twitterのアカウントすら不明である。リーダーは青木龍一郎氏という人物で、HASAMI groupというバンドで活動している。ちなみに、このバンドが最近リリースした『MOOD』というアルバムがかなり良かったのでそちらもぜひ聴いてみてほしい。

 アルバムの話に戻ると、1曲目の『ミドリガメ』からただ事ではない雰囲気に襲われる。ドロドロとしたギターに、ミドリガメを飼ったことの後悔とこれからの決意が歌われている。サイケデリックさまで感じるこの曲を15分で作れるなんて、どんな才能の持ち主なんだと思ったが、工藤将也氏という名前以外、ほとんど情報が無かった。

 4曲目の『【本物】おトク情報』では、簡素なリズムに「年金を払わなければ年金払わない金がもらえる」という納得できそうでできない歌詞が繰り返される。「めちゃめちゃ暑いからそうなったんだって」というあんまりな理由と、投げやりな合いの手で笑ってしまう。

 8曲目の『オカマ登場』は、名が曲を表している。もうそのまんまである。青木氏がtumblrにて掲載している曲紹介によると、この曲を制作したケンセイ大森氏の作曲時間、作詞時間はともに0秒とのことである。15分ですらない。

 9曲目『万引きイスカンダル』は、その後HASAMI groupの『MOOD』というアルバムで、『特盛! 万引きイスカンダル』という名前で再録されている。10曲目の『最期の言葉』はアルバム内で最短の曲である(わずか17秒)。ひたすら「うんちの声が聞こえる」を連呼しながら、横でうんちが叫んでいる。ちなみにこのアルバム、歌詞の題材で、うんち(うんこ)被りが発生している。

 14曲目の『SPACE MONKEY』は、やけに不安定な声でスタートし、落ち着いた感じで締めるのかと思いきや、最後で乱れだす。訳の分からなさが極まってくる(歌詞すら意味を汲み取ることができない)15曲目の『CLONE6』、対照的に落ち着いたギターを聴かせる16曲目『氷山の一角』が続き、最後の曲『理由なき坊主』が始まる。

 この曲は打ち込みのトラックに、「理由のない坊主が怖い」という主張を広げていく曲なのだが、最後の歌詞で空中に投げ出されてしまう。投げ出されたままアルバムは終了する。

 

 17曲で23分と、ランタイムはかなり短いのにもかかわらず、聴いた後に良く分からない不安さ、満足感を感じてしまう。歌詞も脳から特急便で届けられたようなものばかりで、適当さと面白さ、怖さが混ぜごぜになっている。次のリリースがあるのかはまだ不明だが、次があってほしいと感じるアルバムだった。

 ちなみに、tumblrではボツ曲が公開されていて、ボツになった理由も載っている(かなり酷評されている)。確かに、その歌詞が入ってくると浮いてしまうように思えるし、15秒っぽさをあまり感じられなかった。

 

 以下のページからアルバムをダウンロードできるので、是非聴いてみてほしい。

http://iaodaisuke.web.fc2.com/kowaitakkyubu/smash1.html

 

 また、青木龍一郎氏が収録曲の解説を行っている。

怖い卓球部 活動記録 - 怖い卓球部「スマッシュ1」解説

 

【トラックリスト(カッコ内は制作者)】

01.ミドリガメ (工藤将也)
02.越谷 HYPER サロン(yyyyyyyy)
03.うんちポッキー(虚無G) 
04.【本物】おトク情報(しゅごしゅぎ) 
05.Piano From Paul Rhythm Noise Machine(Kotaro Tanaka)
06.長い昼寝(青木龍一郎)
07.かゆい(虚無G)
08.おかま登場(ケンセイ大森) 
09.万引きイスカンダル(青木龍一郎)
10.最期の言葉(わたらい) 
11.隣町のバーバリアン(てす彦)
12.卓球(chouchou)
13.New Guitar(Kotaro Tanaka)
14.SPACE MONKY(わたらい)
15.CLONE6(MEATBOY)
16.氷山の一角(Kotaro Tanaka) 
17.理由なき坊主(青木龍一郎)

 

www.youtube.com

 

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私の頭の中のIKKO

 夕方、訳も分からず病院へ行くことになった。状況も呑み込めないまま車に乗せられる。どうやら父方の叔父が今日もたないだろうという話で、最期を看取りに行くとのことだった。

 だが、自分はその親戚にあまり思い入れがなかった。小学生の時に何回か会ったことがあるような気がするが、ここ十年近くは顔も見ていない。悲しい場に、そこまでの悲しさを持ち合わせていない人間がいていいものだろうか。家族には申し訳ないが、遠くの良く分からないホームセンターに行くときと同じくらいのテンションだった。

 病院に着き、受付で部屋番号を教えてもらい、家族に合わせて速足で病室に向かう。中では数人の親戚がもうすでにベッドを取り囲んでいて、時々声をかけている。すぐに父親もベッドへ近寄る。自分は窓の近くに陣取って、時々窓の外を見た。窓の外にはチェーン店がいくつか見える。あまり面白い風景ではない。

 病室では一定の間隔で電子音が鳴っている。おそらく心拍数を表しているのだろう。親戚たちがかわるがわる叔父に何かを喋っているが、応答は無い。

 時間が経つにつれ音の間隔はゆっくりになっていき、そのたびにすすり泣く声が聞こえる。結構な時間が経ったような気がしたが、時計を確認するとまだ病院に来てから20分ほどしか経っていない。レジ打ちのバイトで、人があまり来ない時間帯と似た気持ちになった。

 病室に来てから1時間ほど経ち、ついにその時はやってきた。心拍数が短い音を鳴らすのをやめ、病室に長い単音が響き渡る。医師が叔父の状態を確認している。一旦消えたすすり泣きが、何倍にもなって響きだしたその時だった。

「ぜつめいぃ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」

 突然、脳内にIKKOが現れた。

「ぜつめいぃ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」

 追い打ちをかけてくる。

「クククッ……」

 その場の緊迫感も相まって、変なツボに入ってしまった。近くにいた母親が振り向く。笑っていることを悟られないように下を向く。

「午後7時39分、ご臨終です」

「りんじゅうぅ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」

「グハハェ」

IKKOの追撃に、思わず声を出してしまった。そこそこ大きい声だったらしく、その場にいた全員が自分のほうを向いている。人が亡くなったときに、勝手にツボにはまっていることが知られたら、自分はおろか、両親まで冷たい目で見られてしまう。口を覆い、すすり泣くふりをした。

 何とかその場をやり過ごしたが、後で父親にそんなに思い入れがあったかと尋ねられてしまい、誤魔化すのに苦労した。

 この一件以来、IKKOが時々脳内に現れるようになった。しかも、決まって緊迫感のある場面で。

 

 病室での襲来から1か月後、自分は就職活動を行っていた。

 ある日、面接のためにとある会社を訪れていた。受付の人に案内され、控室で待っていると、突然あいつはやってきた。

「めんせつぅ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」

 足をつねりながら、笑いを耐えていると、人事がやってきて、部屋へと案内してくれた。中には役員がいるとのことだった。

 深呼吸をしてドアをノックした瞬間、再びIKKOがやってきた。

「にゅうしつぅ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」

 まだドアを開けていなかったから良かったものの、完全に口元は緩んでいたと思う。

 自己紹介は何事も無かったが、ほっとしたのもつかの間だった。

「大学生活で一番頑張ったことを2分程度で話していただけますか?」

「サークルぅ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」

「ゴヘェ、大学ではサークル活動を……」

 この辺りから、役員の顔が険しくなったように思える。

「この志望動機だと、どの会社でも言えるんじゃない? なんというか……」

「あっぱくぅ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」

「ンヒィフゥ」

「ん?」

「いえ、なんでもありません」

 その後もIKKOの襲来に警戒しながら面接を続けたため、かなり的外れな受け答えをしてしまったと思う。面接官もしきりに首をひねっていた。案の定、数日後にお祈りメールを受け取ることになった。

 面接のたびにIKKOが出てくるので、3社受けて3社とも落ちてしまった。まだ他にも手札はあるが、このままだと全滅しかねない。

「ぜんめつぅ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」

 お祓いに行ったほうがいいのかもしれない。しかし、霊と同じように、消滅させることはできるのだろうか。あくまで頭の中のIKKOは、自分が作った

まぼろしぃ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」

 登場頻度が増えている。このままだと、そう遠くないうちに脳をIKKOに支配されてしまうかもしれない。近いうちにお祓いにいくことにしよう。